世界でたった一つだけのクリスマスイブ

聖ヨト暦331年スリハの月黒みっつの日。
それは、あったかも知れないささやかな出会い。

その夜、マロリガンを進軍中のラキオススピリット隊隊長、『求め』の悠人は占領したばかりのニーハスでたまたま哨戒任務に携わっていた。
当面不穏な気配も感じられないまま暫く歩いた後で少しだけ気を緩め、『求め』を握り締めた手を無意識にさする。
「ふう~~。え、あ、そうか。ここだけは寒いのか」
呟いた独り言で、目の前にふわっと白い息が浮かぶ。街並みをマロリガン首都とは反対側に少し抜けた先。
そこには唐突に白っぽい森の景色が広がり、この世界では見慣れない針葉樹が重そうに雪を背負っていた。
ソーン・リーム中立自治区への入り口だという事が、聖ヨト語で書かれた古びた看板に記されている。
「へえ……雪なんてみたの、何年かぶりだな」
さくっ、と土を踏む感触も、いつの間にか変わってしまっている。きゅっと軽く反発してくるのが面白い。
空は相変わらず晴れ渡り、煌々と照らす月の光も砂漠と同じように柔らかいのに、その中にはきらきらと輝くものが混じっている。
透明に澄み切って凍りついた、細かい霧の様な氷の粒が空気中に漂い、時折どさっと落ちる雪と共に凛とした静けさを醸し出していた。
不思議に寒さは余り感じない。何となく神聖な雰囲気を壊したくなくなり、慎重に屈みながら地面を掬ってみる。
さらさらとして、それながら手に馴染む雪質は体温位では容易に融けもせず、じっとパウダー状を保ったまま掌の中に納まっていた。
「はは。これじゃオルファに教えても、雪だるまは作れないな」
それでも、束の間の休息には丁度良いかも知れない。
雪の中を転げ回るオルファリルやネリー、ヘリオンの姿を思い浮かべて苦笑する。
ヘリヤの道に来てからこっち、ずっと戦い続けている彼女達。きっと喜んでくれるだろう。

だけどニムントールやシアーは寒がりっぽいから出てこないだろうな、などと考えてみた所で、ふと光景の一部に違和感を覚える。
悠人はそっと草叢を掻き分け、その奥を覗き込んでみた。白と緑が支配する世界の中で、ただ一点。そこだけ妙に明るく灯る場所。
「……何だ?」
ぼんやりとオレンジ色に周囲を照らす光。
雪化粧で飾られた木々を照らし、クリスマスツリーを彩っているそれは、誘うように明滅を繰り返している。
「敵……じゃないようだけど」
その頻度は次第にさざ波のように収まりつつあり、まるで力尽きようとしている救難信号のようにも見えなくもない。
悠人は何故こんなに気が急いているのか自分でも良く判らないまま、足を忙しなく運んだ。
『求め』が何か言ってきているようだが敢えて聞かなかった事にする。光の弱々しさが儚げで、危険だとは悠人にはどうしても思えなかった。

どれ位歩いただろうか。
地面はいつしか斜面となり、踏みしめる雪の厚さも深くなり、一歩進むたびにずぼっ、ずぼっという音を繰り返すようになってくる。
そうしてじんわりと汗をかき、荒い呼吸の吐き出す濃い息が耳を痺れさせてきた頃、唐突に登山は終わりを告げた。
悠人は雪原の中、唯一土が見える場所に立って呼吸を整える。円形に、まるで削り取られたように掻き失せてしまった雪景色。
その中で、細かく震えるように蹲っている存在がいる。赤っぽい毛並みの全身を限界まで縮こませて。

「……お前だな? 俺を呼んでたのは」
「ン……ンギュル?」
「あ、え、と」
「……」

悠人に気がつき、ぴくっと怯えるように見上げてくる円らな瞳はうるうると大きく潤んでしまっている。
助けを求めているのか、それともただ警戒しているのか。ただ、緊張感は伝わってはくるものの、その場を動こうとはしない。
悠人は奇妙な鳴き声に戸惑いつつも取りあえず、話しかける事でコミュニケーションを図ろうとした。
雪を掬ってみた時と同じ要領で慎重に屈み、目線の高さを同じにしながらゆっくりと手を差し伸べる。

「俺は高嶺悠人、ユートでいい。別にあやしい者じゃないよ、ただ通りかかっただけだ」
「……キュ」
「それでええっと……お前は、何ていうんだ? 良かったら教えてくれないか?」
「……ンギュギュ」
「あ? あ、ああ、ンギュギュっていうのか。宜しくな、ンギュギュ」
(ふるふるふるふるふるふるふるふるふるふるふるふるf)
「え、違う? うーん良く判らないな。ま、動物っぽいし仕方ないか。だけどおまえ……もしかして」
(ピクッ)
「……捨てられたのか?」
「~~ッッ」

返事は返ってはこなかったが、一層潤んでしまった瞳に浮かぶ大粒の涙が全てを物語っていた。
ふいに悠人は目の前の存在に、天涯孤独になってしまった頃の自分を重ね合わせてしまう。
初めて佳織と対面した時の事。あの時の佳織の縋るような目付き。それを思い出してしまっては、目頭が熱くなっていくのも無理はなかった。
ついつい起こった持ち前の保護欲からか、はたまた憐れみからなのか、自然と優しい声をかけてしまう。
「かわいそうにな。……おいで。一緒に帰ろう?」
「ンギュ……ンギュルルルル~~ッッ!!」
その瞬間、溢れる涙を蒸発させながら、それは悠人の元へと浮遊した。まるで真摯な問いかけに応えるかのように。
頭上の王冠がクリスマスツリーに飾る星のようにきらきらと輝く。主の意思に、実に忠実に反応を示す『炎帝』だった。

「へ? ちょ、待っ、うわあぁぁぁぁぁっ――――」

すっかり油断してしまった瞬間、突然発生して迫り来る業火の塊を諸手を広げてまで受け容れようとした悠人の絶叫は、
その頃既に寝静まってしまっていたラキオススピリット隊の寝所にまで届いたという。さーいれんとふぃーるど、ほーりーなーいと。