理念の理由

どことなく現実離れした不思議な空間。見たこともない建物。
なのに胸はざわざわとざわめき、浮き立つ心を止められない。
こんこんと、泉のように湧き出てくるのはどうしてなのか懐かしさ。
よくわからない模様の壁が物珍しく、覗き込んで触れてみる。
ひんやりと冷たい感触は岩でもなく木でもなく、もちろん綿でもなく布でもなく。

――――なにか、嫌な予感はしてたんだ。大変な時なのに、みんなでお出かけするっていうし。

「なぁ……オルファ」
「ん? な~に、パパ。どうしたの? なにか、あった?」
「剣がかすかだけど震えてるんだ……。オルファはなにか感じないか?」
「ううん、なんにも。『理念』はなにも喋らないよ?」

……どうして、オルファに聞くんだろう。嬉しいけど、パパの側にはお姉ちゃん達が沢山いるのに。
パパは、それきり何も答えず考え込んでしまう。つまんない。折角こんな楽しい所に来たのに。
身体が芯からぽかぽかと暖かくなってくる。この感覚は識っている。丁度、炎の祭壇が出来たときのような。
今ならきっと、あのおっきな門だってやっつけられるだろう。でもやらないよ。オルファ、パパと約束したから。
「ほほほ~、なるほどなるほど……」
向こうでヨーティアお姉ちゃんが、変な器械で何かを測ってその度にうんうん、と頷いている。
小さな眼鏡を時々持ち上げて難しい独り言を呟いているけど、なんだか楽しそう。あ、なんだろう、この感じ。

「何か探し物ですか?」

びっくりした。急に空から声が聞こえるんだもの。
しかもここ、オルファ達以外の気配なんて今まで全然感じなかったのに。
パパもお姉ちゃん達も驚いたみたいで、オルファと一緒に硬直したまま天井の方を見上げている。
「初めまして、みなさん」
その子は、鳥さんのようにぷかぷかと浮いて、オルファよりも小っさそうな歳の子で。
見た事もない可愛い真っ白な服を着ていて、でも、……酷く意地悪そうに笑いながら降りてきて。

「わたくしはこの遺跡の番人……いえ、所有者というべきかしら」

キィィィィィン!!!

「うぉっ! な、なんだっ!」
「……!!」
「な、剣の悲鳴が……いたぃっ! ……きゃぁっっ!!」

アセリアお姉ちゃんが、エスペリアお姉ちゃんが。そしてパパが、とっても苦しそうな顔をする。
ヨーティアお姉ちゃんはなんでもないようだったけど、これはきっとオルファ達スピリットへの攻撃だったから。
そう、攻撃。この子が放った緑色のマナ。それはとてもとても大きくて、見たこともないような力だった。
でも、不思議にオルファは何でも無くて。いきなりだったから、『理念』に力を篭めたつもりも無いのに。
ただなんとなく、判った。さっきから感じていた懐かしさ。それがオルファを守ってくれてるって。

――――でもね、そんな予感とかは全然関係なくて。オルファにはオルファの決めてたことがずっとあって。

「……お姉ちゃん! パパ!」
「くすくす……甘いですわ」
「……ッ!」
「ダ……ダメ……支えきれません!」
部屋中に満ちていた緑色が白に変わった途端、エスペリアお姉ちゃんのシールドハイロゥとパパのオーラがぐにゃりと歪む。
いけない。あれじゃ、支えきれない。正面に立っているヨーティアお姉ちゃんも危ない。なんで? なんでこんな酷いことするの?

「ヨーティアお姉ちゃんには触れさせない!」
「久しぶりですね。リュトリアム……今はオルファリル、でしたか? 弱々しい情けない姿です。まったく嘆かわしいですわ」
「? オルファはリュト……なんとかじゃないもん! ……来るなぁ!!」

リィィィィン……

なんだろう、この感じ。さっきから感じてる、凄く身近な気配。優しくて、あったかい気配。
それはだんだん広がって、オルファの中に入ってくる。リュト、なんとかと一緒に入ってくる。なに、これ。

「フフ……時深の仕業ですね。わたくし達の駒を勝手に動かすとは」
コマ? 何を言ってるのか判らない。怖い。この子が。でも、パパ達は動けないから。オルファはまだ動けるから。
この子がどんな説明をしても、オルファに本当のパパとママが居なかったと知っても、オルファが何だったとしても。
ヨーティアお姉ちゃんが、カゾクだって言ってくれたから。みんなカゾクだと、オルファの中、あったかいから。

「オルファを連れて行かせはしないぞ……」
「パパ……」
「約束したんだ! ずっと一緒にいるってなっ!!」

――――パパと一緒にいたいから。パパといっつも楽しくしたいから。パパに笑ってもらえると、オルファすっごく温かいから。

「では、消滅しなさい」
「いやぁぁぁぁぁっっ!!」
その子のオーラフォトンが圧倒的に膨れ上がり、部屋中の壁に亀裂が走る。――――オルファの心にも亀裂が走る。
無理矢理じゃない。無理矢理じゃないけどゆっくり開いてくる扉。赤いマナが込み上げてきて、目の前が真っ暗になって、そしてふいに。

(あれ? どうしたんだろ……オルファ……)
≪久しぶりです……我が主、リュトリアム様≫
(あなたは誰?)
≪私は永遠神剣『再生』です。あなたと供に歩むため生まれた存在です――――≫

ふいに聞こえてきたのは、声。とても静かで、柔らかくて。真っ暗闇の中で、そっと差し込まれた灯火。
もっと、エスペリアお姉ちゃんやアセリアお姉ちゃんと勉強していたら良かったと思う。難しいことは全然わかんない。
折角優しく、きっと大切なことを教えてくれているのに、その半分もわかんない。でもきっと、判っているのは「もう一人」のオルファ。
オルファに判ったのは、肝心なトコだけ。でも、いい。一番大事なその事だけが訊ければそれで。

(じゃ! パパたちを助けることが出来る? みんなを、お姉ちゃんたちを助けられる? あの人をやっつけられる?)
≪真の力を取り戻したならば……ただ≫
(いい! なんでもいい! みんなを、パパを助けられるなら、オルファはどうなってもいいもん!)
≪解りました、オルファリル様。私は永遠神剣『再生』。魂を燃やし、浄化し、命を生み出すもの≫
(『再生』よ、オルファに力を貸してっ!)

ハクゥテを死なせちゃった夕暮れ時。きっとパパは、こういうことをオルファに教えたかったんだと思う。
命は、いっこしかないから。大切なひとの命はいっこしかないから。だから、守らなくちゃならないんだ。そのための「力」なんだ。
オルファの中で、「もう一人」のオルファとオルファが一つになっていく。そして漲ってくる不思議な力。
パパに向けられた悪意の塊のような攻撃に意識を集中すると、それだけでぱあんと弾け、霧散する。

「『再生』も勝手なことを……。わたくしに逆らうなど……!」
「な……なにが起こった? ……っ!! オルファ?!」

あの子が、そしてパパも驚いている。当然だよね、オルファの手の中には見たことの無い真っ白な双剣があるんだから。
放つシールドは少し赤みを帯びた透明な雷のようで、そしてそれはオルファが制御していないと今にも暴れだしそうにおっきくて。
周囲がどんどん明るくなってくる。翳した『理念』、ううん、『再生』が放つ光はオルファが今までに出した事の無い力。
でも、「もう一人」のオルファならきっと使いこなしていた力。使いこなせれば、やっつけられる。
目の前で、ちょっと驚いた風をしている――――ロウエターナルのテムオリンを。

「パパ……。オルファね。自分が何か解っちゃった……。オルファが……みんなのママだったんだ。えへへ……笑っちゃうね」
「危ないから下がってろ!! オルファーーーーー!!」

パパが叫んでいる。でもね、パパ、ママだったら、みんなを守らなくちゃいけないんだよ。
だけど、きっとこれが最後じゃないから。オルファ、信じてるから。
エスペリアお姉ちゃんも、アセリアお姉ちゃんも、ヨーティアお姉ちゃんも、みんなみんな大好きだから。
ねぇパパ、パパにとって“大切なひと”の中に、オルファも入ってるって思っていてもいいんだよね? だから。

「だから、約束だよ。また逢えたら……オルファのこと女の子としてみてね!」

髪を纏めていたリボンが弾け飛び、戦闘服が切り裂かれる。
もう膨大すぎる力の暴走は、オルファ一人じゃ制御出来ない。頭の中で混濁している記憶。その中で、一つの答えを見つけてしまう。

「その時はオルファも、パパじゃなくて、お姉ちゃんたちみたいに……ユートさん、って呼ぶんだから!」
「やめろぉぉぉっ!! オルファ! やめるんだぁっ!!」
「覚醒……計算外でした。時深もやりますわね……この覚醒時の力は、わたくしでも防ぎきれませんわ」

自然に浮かび上がった詠唱、制御された力場が爆発的に一点に向けて集中する。白熱する世界。
何も視えなくなってしまう中で、ただ見えるのは眩く輝く『再生』、それから背中にいるはずのパパの顔。
だから絶叫しながらも、オルファは無理矢理笑ってみせる。だって「最後」に見せるのが、泣き顔なんて絶対に嫌だから。

「消えちゃえぇぇぇぇっっっっ!!!」

――――絶対逢えるよ。だから、またね。