飾りかけた言葉ではなく

  正直なところ、どちらでも良かった ――――

ラキオス、サルドバルト、イースペリア、バーンライト、ダーツィ。
これら所謂北方五国の協定による平和均衡が何故保てなくなったのか、その詳細は知らない。
何故マロリガンを攻め滅ぼし、サーギオスと戦っているのか、その経緯は知らない。
国境付近での小競り合いがいつからこうも激しく繰り返されるようになったのか、その理由も知らない。
知らされる必要もないし、知る必要もない。スピリットはただ戦うのみ。そう、教え込まれている。

「それにしてもぉ~。これは一体、どうしたものでしょう~?」
前方へと薄く盾状に展開したシールドハイロゥ越しに透けて見える複数の敵スピリットに囲まれながら、ハリオンは呟く。
南方で激戦が繰り返されている折、首都ラキオスに待機していたのはたまたま負傷の為一時後方送りにされていた彼女一人。
「こういうのって、本当は苦手なんですけどねぇ~」
巨大な重量を誇る神剣『大樹』。その矛先をぶうん、とうねらせ、敵集団の中心に据え、牽制する。
一度に襲い掛かられてはひとたまりも無い。
ラースの防衛線が危ないと派遣されたのはいいが、実質の戦闘力といえるスピリットは自分だけ。
いずれ援軍も来るのだろうが、それまでは持たせなければならない。勿論援軍が来るなどというのは、あくまで希望的観測なのだが。
「――――ハァッ!」
「あらあらぁ~?」
痺れを切らせたブルースピリットが、ウイングハイロゥを大きく広げ、建物の壁を足場にして襲い掛かってくる。
シールドハイロゥの死角に潜り込もうと繰り出してきた細身の神剣を、ハリオンは一歩下がっていなし、その手元に向かって『大樹』を突く。
風を巻き、ねじ込むように貫いた矛先はブルースピリットの手首から先を一瞬にして消滅させ、
戦闘手段を失った少女は神剣を放置したまま離れて様子を窺う。ハリオンは心底気の毒そうに声をかけ、拾った神剣を彼女へと放る。
「ごめんなさい~。あの、痛かった、ですよねぇ~」
「……クッ!」
蹲り、歯噛みした少女はからん、と石畳の道に落ちた自分の神剣を拾い上げながら睨みつけてくる。
敵意剥き出しの鋭く蒼い双眸は、ハリオンの胸の奥に、ちくりと小さな痛みを与えてくる。

  ただ、何となく好きだったから ――――

意外に俊敏なハリオンの動きを見て取った敵は、慎重に隙を窺いながらじりじりと包囲を狭めてくる。退路は、無い。
背中には丈夫な建物の壁を背負っている。
皮肉にもそれはラキオスが研究所として建設したもので、外敵に対しては無類の強さを誇っていた。
壊して内部に逃げ込むというのも決して出来ない事ではないが、守れと命じられている以上それは出来ない。
自分の生命を優先する事は、許されてはいないのだから。
「それがぁ~、スピリット、ですものねぇ」
ハリオンは取り囲む敵スピリットに対し、まるで茶飲み話をするように語りかける。普段通りの穏やかな笑顔のままで。
口調に、諦めの感情は篭められていない。
目を細め、どこか遠くを見つめるように。緑のマナに差し込む、あの日の幻聴に答えを求めるかのように。
『あ、ああ。高台の方に行こうかと思ってたんだけど……そうだ。今度は俺がおごるよ』
『まぁ、ありがとうございます~』
『ユートさまも、戦うのはイヤですよねぇ?』
『……そうだな』
戦いの合間の、ささやかな日常。その日偶然に街中で出会った不思議な感情は、思い出す度身を震わせる。
以来、ハリオンの行動は変わった。
相変わらずマイペースを貫いてはヒミカを振り回したり料理やお菓子に凝ってたりはいていたが、
新しいメニューを作り出した時に決まって頼んでいた味見役が、街の子供達から彼に交代した。
街のお菓子屋さんに弟子入りを果たした時は、必要も無いのに報告しにも行った。慰めたのは、決して気まぐれや偶然からではない。
『涙が出なくなるまで泣いて下さい。それが、今のユートさまには必要なんですから……ね?』
約束もしていないのに、無理矢理街に誘った。あの帰り道の夕焼けに映えた湖は忘れられない。
『それじゃ、何か作ってくれるのか?』
『そうですねぇ~。折を見て、必ず』
『わかった、楽しみにしてるよ』
その、微妙すぎる心のさざ波。それを完全に自覚したのは、今朝。
一人ラキオスへと後方待機になり、誰もいない第二詰所のドアを開いた時。
がらん、とした物寂しい空間に立った時、思い起こしたのは少し頼りなさそうな、それでいて力強い背中。

  本当に、どちらでもよかったのに ――――

「……、あ、あららぁ?」
つつー、と頬を伝う、生暖かい感覚。それは顎を伝い、戦いで崩れた石畳の上へと滴り落ちる。
ハリオンは最初、自分が汗を掻いているのだと思った。
味方の支援も無く、敵の重方位に囲まれ、退くことも叶わず。普段あまり執着が無いと思われた命への焦りが生み出したものだと。
「え、あ……う、そ」
しかしそれは間違いで、次第にぼやけてきた視界が気づきたくない事実を容赦無く突きつけ、心をかき乱す。
雄大に展開し、敵を威圧していたシールドハイロゥが、まるで責められ途方に暮れた赤子のように縮こまり、萎んでいく。
「ち……違いますぅ、これは、違うんですぅっ」
ふるふると首を振り、もはや堰を切ったように止まらない涙を流し続ける。
ハリオンの異様な様子に、取り囲んだスピリット達の方が戸惑ってしまった。
だがそれも一瞬の事で、無防備なまま両手で我が身を掻き抱き、蹲ってしまったグリーンスピリットに対して迷う必要などどこにも無い。
そしてそれを、悟った敵達の動きはすばやかった。持つハイロゥを全開にし、それぞれの属性色を帯びた神剣を構え、一斉に飛び掛かる。
ハリオンは、それでも動かない。それでも動けない。『大樹』が何か警告してくるが、心が、それどころではない。
一番最初に迫ったブラックスピリットの、殺意を篭めた光刀が目前で光る。そうしてその煌きが、ようやく指をかけられた引金。
「――――ア、アアアアッッ!」
命への執着など、とっくに捨てていた。いつでも未練を残さないよう、達観したように振舞っていた。それなのに。
シールドハイロゥは機敏に働き、ブラックスピリットの下半身を抑え、抑えるどころか弾き、壁に叩きつけ、磨り潰す。
絶命した敵が地面へと落下する前に殺到してきた2体のレッドスピリットは纏めて『大樹』の串刺しになり、
詠唱したファイヤーボールをスフィアハイロゥに纏わせたまま放つ機会も与えられずに振り回され、内臓を全て抉られる。
良く訓練で培われた体術は腋を強く引き絞らせ、回転させた『大樹』から噴き出すマナの塊は一度虚空へと消え、雷として現出する。

「神剣よ、力を解き放て――――」
無意識に、紡がれる言葉。グリーンスピリット最大の神剣魔法、エレメンタルブラスト。その標的は、怯んだブルースピリットの一団へと。
「まばゆき光にて、すべての敵をなぎ払……ッッ! ガハッ!」
雷は、抗神剣魔法によりキャンセルされた。と同時に背中から走る激痛。
背後に回ったブラックスピリットによる一撃はハリオンの右肩を割り、
噴き出した鮮血の隙間から伸びたグリーンスピリットの穂先はニーソックスを紙のように破き、左大腿骨を粉砕する。
「ぁ――――」
振り返った拍子に掠めた刃は髪留めを弾き、長いストレートの後ろ髪は崩れた体勢と共に舞う。
次第に赤くなっていく視界の中、石畳の上に転がっているもの、それは血で滑らせ取り落とした『大樹』。もう、防ぐ術は無い――――
「うおぉぉぉぉっ!」
「……ぇぇ?」
失いかけた意識を、繋ぎ止める叫び。目の前を通り過ぎていく疾風のような影。
それは巨大な鉈のような神剣を振り回し、次々と敵を吹き飛ばしていく。黒い、針金のような髪。所々煤けた白い羽織。
ずっしりと重心を保ち、竜巻のようなマナを放出しながらもその中心で悠然と立つ力強い背中。やがて嵐は鎮まり、影は振り返る。
「……ごめん、遅くなった」
周囲には既に敵の気配どころか、守るべきだった筈の、研究所の壁すらもすっかり無くなってしまっている。
その焼け野原のような大地の上で、澄んだ、どことなくあどけない眸だけがハリオンを見つめていた。

  もう、しょうがないですねぇ~ ――――

ハリオンは泣き腫らしてしまった目元を擦りもせずに、座り込んだまま悠人を見上げている。
ずだずだになり、あられもない格好になっているのはこの際構わない。頬まで真っ赤に染まってしまっているのは、もっと別の恥ずかしさ。
自分が、ただ少女なのだと強く自覚する。グリーンスピリットでも、ましてや言われている程に特別強い母性だけの自分ではない、という事も。
大粒の涙を浮かべたままで、照れ隠しの言葉を捜す。
「……あらあらユートさま駄目ですよぉ、研究所を壊してしまっては、めっめっなのですぅ~」
「え? これ、研究所だったのか?」
「……知らなかったのですかぁ~?」
「あ、ああ。とにかくハリオンを助けなきゃって思ったらつい。ま、建物なんてまた造り直せばいいんだし」
「――――っっ」
「それよりもどうレスティーナに弁解……ハリオン?」
傷はどれも深く、『大樹』の加護でもまだ完治していない。
その深い痛みの中、それでもハリオンは立ち上がり、悠人の胸へと飛び込んでいく。

  これじゃ、手遅れじゃないですか ――――

「……んふふ~、ユートさま、暖かいですぅ~」
「とっと……どうしたんだいきなり。傷はもう大丈夫なのか?」
「はい~、おかげさまでぇ~……ふぇ、ふぇぇ~」
「お、おいやっぱり痛いんじゃ」
「――――怖かったぁ~……怖かったんですよぉ~」
「……ハリオン。ごめんな、遅くなって」
「はい~……はい~……」
ハリオンは、子供のように泣きじゃくる。
綺麗に梳かれていたストレートの髪をすっかり乱し、所々剥き出しの肌を全身ごと悠人に押し付けながら。
髪をそっと撫でてくれる、大きな暖かい手を感じながら。『大樹』が傷を癒してくれる、その瞬間を待ち侘びながら。
やがて落ち着き、顔を上げたその瞳には、いつにも増して強い緑色の光が宿されている。

  ―――― あのぉ~……あのですねぇ、聞いて、下さいますかぁ~?

少しだけはにかみ、そして囁く。今まで誰にも教えては貰えなかった、とても大事な一言を。