ココロをくれた貴方だけへと

新戦場は、荒れ果ててしまっている。
秩序の壁に囲まれた平原は活性化していたマナの恩恵なのか、豊富な緑に覆われていたものだが、
それも今は完全に失われ、所々で放射状に薙ぎ倒された樹木や原型を失う程抉られた丘などが無残な姿を晒している。
大きくクレーター状に融かされた地面から燻ぶり続けている煙には金色のマナが混じり、横たわった屍が次々と消えていく。
破壊しつくされた建造物には逃げ遅れた敵の兵士がへばりついたまま息絶え、光を失った虚ろな瞳は何も無い空間を凝視し続ける。
それらオブジェ達の視線が一斉にこちらを向いたような気がして、ヘリオンは身を竦める。
戦争なのだから、仕方が無かった。
胸の前で祈るように両手を握り締め、そんな言い訳を試みても、だがしかし死者達はいつまで待っても容赦をしてはくれない。
スピリットと違い、死して尚形を留める彼らには、時間だけは充分に残されている。深く静かなバルガー・ロアに横たわる、永遠の時が。
「あ……あ」
流れる雲に太陽が隠れ、日差しが遮られる。ヘリオンは気後れ、身を捩った拍子に小石に躓き、よろけそうになった。
きつく握り締めていた『失望』も取り落としそうになり、慌てて持ち直す。刀身は、太陽に照らされなくても金色に輝いている。
それはついさっき、止めを刺したブルースピリットのもの。強さを求め、無我夢中になってきたその成果。
ふと、他の兵士達に混ざって一際幼い一つの瞳と目が合ってしまった。そのあどけない顔立ちは、まだ少年と言っても差し支えない。
衝撃で吹き飛ばされたのか、首から下をすっかり失ってしまっている。唇が何かを言いたそうに小さく開いたままだった。
『でも……一つだけ約束して欲しい事があります』
『なに?』
『頑張って剣を身につけても、その剣は家族や仲間……大切な人達を守る為にのみ振るうということ』

  ―――― 嘘つき

「――――ウッ」
吐きそうになり、口元を抑える。眩暈がするほど気持ちが悪かった。
戦闘用にぴったりと締め付けているニーソックスでさえ煩わしく思えてくる。
白い髪留めを、反射的に外す。とにかくこの辛い閉塞感から逃れたい、それだけだった。元々長い黒髪が、解放されて顔に掛かる。
自分という存在が、酷く罪深いものなのだと実感する。これが本当に、守る為に振るった剣なのか。ヘリオンには判らない。
瞼をぎゅっときつく閉じ、頭を振って必死にやりすごす。そして暫くそうしているとようやく少しだけ、気分が楽になっていく。
『戦って、守らなきゃならない人がいるんだ』
『守らなきゃ、いけない人?』
『そう、妹と……それから仲間』
『仲間……守る』
まだ未熟で、仲間の足を引っ張っていた頃。何とか追いつこうと、足を運んだ室内訓練所。
交わされたのは、ただの何気無い会話。しかしその日以来、ヘリオンの行動は変わった。
常に戦場で、一番危険な場所へと真っ先に飛び込んでいく白い羽織。その背中から目が離せない。
追いかける対象が変わると共に、持ち前の努力にも拍車がかかる。元々の素養が磨かれ、その才能は料理にまで発揮されていく。
どんなものであれ、存在理由を与えられた者は強い。引っ込み思案が影を薄め、積極的に会いに行き、街にも誘い出す。

  ―――― はい! 私も大切な人の為にがんばろうと思います

「――――……な~んだ」
紫の瞳を、恐る恐る開く。いつの間にか胸を衝く嫌悪感は、薄くなってきている。
最初から、判りきっていた。ずっと疑問に思っていた、スピリットという自分の存在。
世界の主人である人間に忌み嫌われ、それでも剣を持ち恐れられる存在。それに、あっけなく答えを見出してくれた人の為に。
その為に、憧れたのだから。追いつこうとしたのだから。他者を傷つける。それを背負う強さは、既に見せて貰えているではないか。
「……敵わない、なぁ」
周囲を見渡す。割れた窓から突き出す腕、大木の幹を根元から圧し折り、そのまま自分も砕けてしまった肉体。
それは全て、自分達スピリットが行った所業。彼らの未来を、断ち切った剣。それでも唇を噛み締め、顔を上げる。
堪えた涙の向こうに広がるのは、サーギオスの巨大な城。雲間から差す日光がその全貌を照らす。
ヘリオンは眩しさに負けないようにその風景を見据え、そして睨みつける。自らを、奮い立たせる為に。
あのマロリガンの重い空の下で。大切な人を失い、呆然としている背中に。声すらかけられなかった自分を二度と繰りかえさない為に。
「――――ぁ」
突然、白い羽織がふわりと目の前に広がる。
「ここはもういいよ、ヘリオン。さ、戻ろう? みんなの所へ」
「……ユートさま、わたし」
「いいんだ、もう。悪いのは、ヘリオンじゃない。責めるなら、自分じゃなくて俺にしてくれ」
「……ぇ?」
悠人は、丁度ヘリオンと動かない兵士達の間を塞ぐように立っている。
まるでヘリオンの視界から、その景色をすっかり隠そうとしているかのように。
背を向けているので、その表情は見えない。しかし沈んだ口調が寂しそうに落ち込んでいる横顔を容易に想像させる。
「これは、俺の罪だ。俺にはもう、佳織を助ける以外にこの戦いを終わらせる方法がないから。だけど、そのせいで仲間達を巻き込んでる。だから」
「そ――――」
そんなことない、そう言いかけて俯き、言葉を飲み込む。こんな時、言葉は何の意味も持たない。何も伝えられない。
あの時と、同じ。又何も出来ないのかと拳を握り締める。捲れ上がり、焦げ付いた石畳が、死者の瞳がこちらを睨む。

  ――――ぎゅ。

「……ヘリオン?」
「……」
ヘリオンは黙り込んだまま、ただじっと悠人の服の裾を握り締める。指が、白くなる程痛く、強く。
ただ、支えたい。一緒にいたい。そんな想いだけを、震える指先に必死で篭めて。
そんな大切な感情を芽生えさせてくれた人に、どうか届きますようにと。
暫くそんなヘリオンを不思議そうに見つめていた悠人だったが、その表情がふと柔らかいものへと変わった。
「……行こうか」
「――――はい!」
共に、駆け出す。手を離すときに、ふいに呟かれた一言。"ありがとう"。その言葉だけを胸に秘めて。