戦乱は、終わらない。
力とは、何か。望みとは、何か。己とは、何か。
その問いには、敢えてこう答えよう。
奪うこと、為すべきこと、そして遣わされた戦乙女(ヴァルキュリア)――――と。
「……まさか、貴女だったなんて、ね」
コバルトブルーの瞳を持つ妖精が、呟く。
「譲りませんよ。たとえ貴女が本気だとしても」
ピーコックグリーンの瞳を持つ妖精が、応える。
「へぇ、譲る? ……全く、何を言い出すかと思えば。アレは最初から私のものよ。貴女のものじゃない」
妖精は、剣に送りこむ。水の加護の元、青藍に輝く力を。
「もの? ……フ、貴女に"もの"扱いされる謂れはありません。私は私の大切な存在をただ護るのみ」
妖精は、刀に送り込む。闇の加護の下、漆黒に輝く力を。
「言うじゃない、泥棒猫の分際で。いい機会だわ、貴女とは一度本気で勝負してみたかった」
「そうですね、不本意ながら同感です。尻尾の生えた猫など、こうなる前にもっと速やかに退治すべきでした」
「……」
「……」
二人は無言で翼を広げる。それは眩く照らす暗黙の了解。これから始まる戦への狼煙。
石造りの巨大な壁に、二つの影が林立する。同じように美しいシルエット、そして同じように羽ばたく白翼。
それでも互い、譲れぬ信念の為に戦う宿命(さだめ)の存在。その名、妖精――――スピリット。
「ハアァァァァァッッ!!」
「イヤアァァァァッッ!!」
―――― 戦いが、始まる。
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エハの月緑よっつの日。
城の警護任務を終えたセリアは詰所への道をすたすたと、競歩のように歩いていた。
規律の塊のような彼女の辞書には道草などという単語は勿論存在しない。買い食いなどはもってのほか。
したがって城下の町を通りがかったのもそれがたまたま最短ルートだったというだけの話であり、特に用事があった訳でも無い。
休日でもあり、大通りは人並みでごった返している。しかしそれでもセリアは堂々と、その中心を構わず進む。
驚くべき事に蒼く流れる美しい後ろ髪さえをも群衆を避けるように颯爽と靡せながら。
それはまさしく闊歩と呼ぶに相応しい足の運び。だがしかし、人間にぶつかるなどといった粗相は決して起こり得ない。
何故ならぶつかろうにも氷原のように凛とした威厳のようなものを撒き散らしながら歩いてくるスピリットに
気後れした民衆はまずその美しさに目を奪われ、続いて気高き雰囲気に圧倒され、勝手に道を空けるのだから。
本人にしてみれば特に気を張っている訳でもなんでもなく、ただ普段から自分を律しているその厳しさが
立ち居振る舞いに現れているだけなのだが、ただの一般市民にはそんな深過ぎる事情を窺い知る術などは無い。
その、まるでモーゼの伝説みたいになってしまった街並みで、ふととある看板がセリアの前に立ち塞がる。
無闇に大きく派手な装飾を施された木造の板は、昨日までは確かに無かったもの。
見覚えの無いそれに対し不審を感じたセリアは早速きびきびとした動きで近づき、そこに大きく書かれたヨト語に目を通し、
―――― バレンタインフェア! 意中の貴方に想いを篭めて一撃必殺パワーストライク! ――――
そして看板に頭を打ち付けていた。丁度こう、『熱病』をつっかえ棒にして辛うじて全身を支えているような格好で。
「いつの間に……根付いてたのかしら」
確かにここ数年この時期になると、何故か流行り病のように一部スピリットに感染してはいたが、遂に人間にまで。
激しい眩暈がセリアを襲う。そしてそれは注目していた群集も同じだったらしく、ざわっとしたさざめきの中で、
手を差し伸べるべきかどうか判断に戸惑う者やひそひそ声で囁き合う者が続出し、辺りを異様な空気が包んでいく。
それは現実世界で例えるなら終電で突然倒れた酔っ払いに遭遇してしまったような、そんな気まずい流れだろうか。
セリアは、焦った。いくらショックだったとはいえ、この体勢は間抜けすぎる。
出来れば今すぐにでもこの場を逃げ去りたい所だが、さっきから背中に突き刺さってくる哀れみの視線の数が普通じゃない。
これだけ衆目を集めている場所で醜態を演じ、尚且つ逃げたとなると折角最近回復しかけているスピリットの沽券にも係わる。
勝手に顔に、血が昇ってくる。いけない、咄嗟に判断したセリアは開きかけたウイングハイロゥを閉じ、
視界の隅に見えていた「それ」を素早く手に取り、何事も無かったかのように顔を上げ、後ろ髪を払う仕草で周囲を牽制し、
看板の隣でエスペリアのようなメイド服を着た女の子に動揺を悟られないよう普段通りの口調を装い、低く短くこう呟いていた。
「これ、下さい」
==================================================
同じ頃城下町の別の一角では、また違った空気に支配されている民衆の群れがあった。
セリアが突っ切っていた大通りほど人通りは激しくないが、それなりの数が輪を為している。
その中心で、おろおろと頼りない様子で辺りを見回しているのはすらっとした細身の美少女。
地味な真っ黒の戦闘服を着込んではいるが、質感のある太腿やきゅっと締まった脹脛を抑える黒のニーソックスが半端に艶めき、
例えば鈍い銀色の籠手に覆われた手から覗く白魚のような細い指で額の汗を拭うなどという仕草をちょっとでも見せようものなら
通りすがりの男達の足がたちどころに止まってしまうのは、ボリュームの目立つ胸元からどうしても目が離せないというよりは、
その瞬間兜から垣間見える澄んだ眸や長い睫の意外に清楚な雰囲気に呑まれて一時的な金縛り状態になってしまう為である。
頭上を見れば光輪が浮かんでいるのでスピリットとは認識出来ても、歩く速度はどうしても落ちてしまい、その結果生み出されたのがこの自然渋滞。
そんな訳でファーレーンとしては城での任務の後たまたま買物に寄ってみただけなのだが、いつの間にか周囲は男だらけになってしまっており、
どうやらその中心が自分らしいと悟ってからは焦り、更にはその理由に皆目見当も付かず戸惑い、遂にはこうして立ち止まってしまっている。
しかしその儚げな仕草が逆に民衆感情を刺激してしまっている事に、彼女は全く気がつかない。ただ仔犬のように縮こまり、怯える。
「困りました……」
赤面症を持ち合わせているくらい生来内気な彼女が持ち合わせている防衛本能。
それがさっきから、このままでは声をかけられてしまうのも時間の問題とひっきりなしに警告してきている。
そしてそれが自意識過剰ではないという証拠にさきほどから、何かを言いたそうな若い人間の男性が数人、
互いに肘をつつき合いながらこちらを窺いつつ段々と近づいてきているのでも判る。
困る、これが本心だった。相手にではなく、自分側の事情で。覚束ない視線でどこかに逃げる場所は無いかと捜し求める。
ふと、小洒落たいかにも女性しか入れないような、つまりはこれ以上苦手な男性に追いかけられないような店が目に止まった。
地獄、もといバルガー・ロアに仏、もといハイペリア。ファーレーンは夢中でそのピンク色に彩られた建物の扉を押し開き、
―――― いよいよバレンタイン! 内気な貴女も勇気を出して恋愛イグニッション! ――――
危うくへたり込みそうになった。丁度こう、『月光』に両手で縋りついたままずるずると腰を抜かしたように。
「……どうしてよりにもよって」
激しい眩暈がファーレーンを襲う。たしかにこの時期、毎年一部スピリットの間で話題に上ってはいたが、遂にこんな所にまで。
目に飛び込んでくる極彩色の、踊るように巨大な文字が華やか過ぎて泣きたくなってくる。
第一恋愛どころかまず対人恐怖症をどうにかしたい彼女にとっては、そんなイベントは苦痛でしかない。
普段と何にも変わらない筈なのに、それをテーマに盛り上がる仲間達の楽しげな様子に、何故か一方的に突きつけられるのは寂寥感。
その理不尽さに何度拳を握り締め、人知れず詰所の裏手に回っては壁に向かい『月光』で峰打ちを繰り返してしまったことか。
「……はっ」
ふと、自分に注目する視線群に気がついた。店内はこじんまりとして、所狭しと陳列された棚の列により空間は一層狭められている。
そんな中でひしめき合っていた数人の客や店員が突然の闖入者に対し、興味を抱かないわけは無い。
ましてや飛び込んできたのはくびれた腰に吊るした『月光』を見るまでも無くスピリット。そしてスピリットに美形が多いのはこの世界の通念。
兜を被ったやや珍妙な格好だが、入ってくるなり座り込みそうになり、更には恥じらいにも似た挙動不審を繰り返しているのだから嫌でも目に止まる。
ファーレーンは、窮した。彼女の折り目正しい観念では、乱入し、このまま何も買わずに出て行くのは店の迷惑に他ならない。
ましてや最近ようやくイメージが良くなりつつあるスピリットに対しての世論が、このはしたない所業のせいで崩れはしないか。
そしてそんな取り越し苦労のような事を心配している間にも、その場の一同の追及するような視線はありとあらゆる方向から突き刺さってくる。
顔は既に全身の血が集められたかのように熱く、もう一刻の猶予も無い。ファーレーンはふらふらと夢遊病者のように彷徨うと、
手に触れた「それ」を掴み、朦朧と雲の上を歩いているような感じで見知らぬ女性店員へと近づき、蚊の鳴くような声でこう囁いていた。
「あの……これ、下さい」
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「あのぉこれも、えっとこれもですねぇ~」
同じ頃、レスティーナによる金銭的支援を受けているハリオンは。
「なぁ嬢ちゃん、そんなに買って大丈夫なのかい、お代。城に取りに来いってのは勘弁だぜ?」
「あらあらぁ~? 大丈夫ですよう、ほらぁ~」
「おおおおおっ?! 買いねぇ、ホラこっちも買いねぇ!」
「あららぁ、ありがとうございますぅ~」
また別の一角で、お菓子屋設立の為の資金を義理チョコ購入に当て、ふんだんに横領を繰り返していた。謝れ、文○科学省に謝れ。
==================================================
屈辱だった。
場の勢いとはいえ、有り金叩いてこんなものを購入してしまうとは。折角欲しい髪留めの為にせっせと貯金していたというのに。
「……無様ね」
セリアは自室に戻ってくるなり備え付けの椅子に乱暴に腰掛け、机に両肘を付き、その間に顔を埋めていた。
目の前には手の平に乗りそうな位のチェック模様の紙袋。漂ってくる甘い匂いが凹んだ心に嫌でも現実を突きつけてくる。
溜息をつけば綺麗にラッピングされた黄色いリボンの結びが気持ち良さそうにゆらゆらと揺れ、陽光を受けてファンシーに光り輝く。
「……なによ」
思わず小さな唇を窄めて悪態をついてみるが、箱は何も答えてはくれない。ふと、リボンの間に紙のようなものが挟まっているのに気づく。
「何かしら……これ」
手に取り、二つ折りになっているそれを何気無く開いてみる。するとヨト語で"愛しのソゥ"。その後が空白になっていて丁度名前を
「……」
一瞬握り潰して壁に叩きつけてやろうかとも思ったが、ぐっと思い留まる。スピリットは、実際として現金収入というものが殆ど無い。
まがりなりにもその僅かな備蓄と引き換えに手に入れたものを、無碍には扱いづらい。
一度大きく深呼吸をして短気を抑えつけ、無意識に考え事をする時の癖で長い前髪をくるくると指に巻きつけながら、
どうせ贈る相手なんていないわよと悪態をつき、じっとそのメッセージカードを睨みつける。そうしてしばし。
「……まぁ本当に贈るつもりなんかないけど、もったいないし。試しよ、うん、試し。本当に贈るつもりなんてないんだから」
机に並んだペンを取り、放っておくと果てしなくループしそうな呟きと共に何かを書き込み始める。
「――――うん、こんなものか。……いけない、訓練の時間に間に合わないわ」
そうして書き終え、心なし満足したような表情を浮かべた後、窓の外の太陽の位置を確かめ、そしてセリアはそそくさと出て行ってしまう。
ぱたぱたという忙しない足音が遠ざかったセリアの部屋。そこに設置されたベッドの上で、寂しそうな呟きが漏れる。
「……無視された」
セリアが入室してくるずっと前から帰りを待ちつつ『存在』の手入れをしていたアセリアが、ゆらっと立ち上がる。
ずっと話しかけてはいたのだが、完全放置状態。一見普段と表情に変わりは無い。が、精神的ダメージは計り知れない。
アセリアは机に近づくと、置き去りになっていたカードの文面を覗き込む。セリアが何に夢中になっていたのかを確かめる為に。
「ん。任せろ」
読み終えたアセリアは何故か瞳を爛々と輝かせて力強く頷くが、誰も何も頼んではいない。
==================================================
屈辱だった。
物の弾みとはいえ、有り金叩いてこんなものを購入してしまうとは。折角ニムに似合う髪留めの為にせっせと貯金してきたというのに。
「……無様ですね」
ファーレーンは自室に戻ってくるなり備え付けの椅子にへたり込み、机に両肘を付き、その間に顔を埋めていた。
目の前には手の平に乗りそうな位の(ry
漂ってくる甘い匂いが凹んだ心に(ry
溜息をつけば綺麗にラッピング(ry
ふと、リボンの結びが(ry
「……なんでしょうか」
手に取り、二つ折りになっているそれを何気無く開いてみる。するとヨト語で"愛しのソゥ"。その後が空白になっていて丁度名前を
「な、な、ななな」
一瞬にして顔を真っ赤に茹で上げ、熱くなった耳を両手で押さえ、いやいやを繰り返す。目元が急速に潤み、覚束無い。
聞きかじった情報を掻い摘んでみると、贈る相手=男性。しかもその行為の意味するサイン=愛の告白。
この構図から勝手に連想されてしまうのはすなわちあわわわわ私ったらなんてはしたない事を。
深呼吸を繰り返し、なんとか気持ちを落ち着かせる。冷静に、そう自分に言い聞かせていると、ようやく鼓動も収まってきた。
無意識に兜を脱ぎ、そっとメッセージカードを手に取る。ファーレーンは、真面目に考え込んだ。そうしてしばし。
「……そう、これはきっと、マナの導きです。このままじゃいけないと、与えられた試練なのです。だから目を背けては駄目なのです」
机に並んだペンを取り、放っておくと果てしなく宗教になってしまいそうな呟きと共に何かを書き込み始める。
「――――ふぅ、練習ですしこんなものですよね。……いけない、訓練の時間。急がないと」
そうして書き終え、決心を漲らせたような表情を浮かべた後、窓の外の太陽の位置を確かめ、そしてファーレーンはそそくさと出て行ってしまう。
ぱたぱたという忙しない足音が遠ざかったファーレーンの部屋。そこに設置されたベッドの上で、不機嫌そうな呟きが漏れる。
「……無視された」
ファーレーンが入室してくるずっと前から帰りを待ちつつ『曙光』を抱え込んでいたニムントールが、ふらっと立ち上がる。
ずっと話しかけてはいたのだが、完全放置状態。表情は今にも泣き出しそうで、その精神的ダメージを窺い知る事が出来る。
ニムントールは机に近づくと、置き去りになっていたカードの文面を覗き込む。ファーレーンが何に夢中になっていたのかを確かめる為に。
「……お姉ちゃんの為なら」
くしゃっとカードの端を強く握り締めたニムントールは何故か瞳だけが笑ってはいないが、憂さ晴らしの対象は既に定めている。
==================================================
『ああああああああああーーーーーーーーッッ!!!』
『無い、無い、ありません、どうしてーーッッ!!!』
訓練直後、第二詰所のとある二部屋で。普段めったに聞くことの出来ない黄色い悲鳴が見事にハモり響き渡っていた。
「え、え、やだ、確かにここに置いたわよね私?」
慌てふためいたセリアはベッドの下まで覗き込み、
「そんな、どうしましょう、だってあれには」
錯乱したファーレーンは机の引き出しを片っ端から開き、
「嘘でしょう、試しに書いてみただけなのに、ちょっと真似してみたかっただけなのに!」
「皆さんが楽しそうだから……ただどんな気持ちなのかなって……それだけだったのに!」
「まさか失くすなんて……どうしよう……もし誰かに見つかったらやだぁぁぁ」
「これで赤面症が治るなんて思ってはいませんでしたけど。でもでも渡すつもりなんていやぁぁぁ」
うかつにロクでもない最悪の結末を想像しては勝手に悶え苦しむ。
次第に幼児退行を起こしそうな思考を懸命に立ち直らせようとあひる座りのままぶんぶんと激しく首を振り、
「……そうだ! 室内訓練場!」
「……そうです! きっとあそこに忘れて!」
二人は同時に立ち上がり、そして一斉に疾風の如き勢いで部屋を飛び出していた。
==================================================
「はっ、はっ……あ……こほん」
「はぁはぁ……え? セリア?」
「どうしたのファーレーン。何か忘れ物?」
「え、ええまぁ。それよりセリアこそどうしたのですか? そんなに息を切らせて」
「え? 私? ええとその」
「……」
「……」
本日の営業も全て終了し、ひっそりと静まり返った室内訓練場。
どの国でも用意されているこの手の施設だが、ラキオスでは珍しく城の地下に設置されており、
そういった事情もあってか、いざ戦いの舞台となった場合を想定し、ここは通り抜け可能となっている。
つまり、東と西と。両端に開かれた扉の前で、細長い訓練場を間に挟み、二人は対峙している。
そう、まさに対峙。双方、もはや無人と信じていた場所での闖入者との遭遇は、互いの姿を確認した途端、牽制へと変わる。
なにしろ、仲間とはいえ、他者がいては例のブツの探索は出来ない。有体に言ってしまえば邪魔そのもの。
むしろ仲間なだけに質が悪い。お互い口の堅さには定評があるが、万が一バレてしまえば身の破滅を意味する。
そんな追い詰められた心境が二人の探るような視線に篭められ、行動を慎重にさせ、緊張感が足を止めさせる。
「……忘れ物、取りに行かなくていいの?」
「お構いなく。セリアこそ、何か探しているのでしたらそちらを先に手伝いますよ?」
「気にしないで、大したものじゃないから。ファーレーンこそニムが待ってるんでしょ? 早く済ませて行った方がいいわよ」
「……面妖しいですね。まるで私をここから早く追い出したい、そのように聞こえてきます」
「変なこと言うわね。貴女の台詞だって聞きようによってはそう聞こえるわよ」
「……」
「……」
油断無く相手の挙動を窺いながら、目線だけを忙しなく動かす。後ろめたさが発言を剣呑なものにさせている。
セリアは未だ、ウイングハイロゥを大きく開いたまま。ファーレーンも未だ、ウイングハイロゥを大きく開いたまま。
煌々と白く室内を照らす二翼が臨戦態勢を物語り、神剣の構えを解かずにいるのが互いの不信感を募らせる。
暫しの沈黙。ぴりぴりと張り詰めた空気の中、馬鹿馬鹿しい雰囲気に疲れたのか、最初に折れたのはファーレーンだった。
「……ふう、判りました。実は大切な物を失くして探している最中です。ごめんなさい、つい喧嘩腰になってしまって」
呆れるような仕草で肩をすぼまし、降参の体勢を取り、すたすたと歩み寄る。
すると急に気を抜いたファーレーンに対し流石に気まずくなったのか、セリアもぽりぽりと頬を掻きながら近づく。
「ううん、こっちこそごめん。私も柄にも無く取り乱しちゃって。でも偶然ね、私も大切な物を失くしてしまって」
「あら、そうなのですか? では、一緒に探しましょう。具体的にはどのような形をしているものなのですか?」
「え゙? あっと、その……大事な物。それが無いと……と、とにかく困るの!」
「? 落ち着いてセリア、説明になっていませんよ。それでは探せないじゃないですか」
「あぅ……ファ、ファーレーンは? ファーレーンが探しているものはどんな形をしているの?」
「え゙? あ、その……大事な物です。それが無いと……と、とにかく困るんです!」
「? 落ち着いてよファーレーン、それじゃ説明になってないわ。一緒に探せないじゃない」
「……」
「……」
「……で、では、同時に、ということで」
「……そ、そうね、それがいいわね」
「念の為に窺いますが、これはその」
「判ってる、二人だけの秘密。絶対に」
「はい。絶対に。それでは……せーの」
「せーの」
「黄色いリボンでラッピングされた、甘い匂いのするこんな小さな箱です」
「黄色いリボンでラッピングされた、甘い匂いのするこんな小さな箱よ」
「……」
「……」
「……あの、一応、一応ですが、その箱に、その、小さなカードは挟まっていませんか?」
「ええ……ってまさか、貴女の探しているものって」
「……」
「……」
二人の瞳に、それぞれの戸惑う顔が映り込む。しかし、それも束の間。不審が確信へと変わる瞬間。
お互い、相手の性格などは知り尽くしている。どう考えても「アレ」を購入する可能性など有り得ない。
なのに、その存在は知っている。となると答えは一つ。
―――― キンッ!
目に視えない速度で打ち抜かれた『月光』。そして目に追えない速度で振り切られた『熱病』。
二閃は震える空気だけを残し、遅れてきた衝撃が鋭い音を発した時には、二つの影を逆方向へと弾き返している。
セリアは痺れる腕を庇いながら大きくバク転をし、ファーレーンは足場にした地面が削れるのを感じながら脹脛に力を入れる。
ふわりと降り立ったコバルトブルーの瞳と、膝を軽く折った居合いの姿勢を崩さないピーコックグリーンの瞳がぶつかり合う。
これは、悲劇。ラキオススピリット隊でも屈指の、いや、大陸全土でも十指に数えられる程の実力を持ち合わせる、青と黒の妖精。
その対決は、後に振り返ってみてもほんの些細な、しかし歴史の多くがそうであるように、本当にささやかな誤解から始まってしまっていた。
「……まさか、貴女だったなんて、ね」
とーんとーんと軽く爪先だけで跳ねながら、セリアは呼吸を整える。相手は第6位神剣『月光』の担い手。
神剣の位だけでまともにぶつかっては勝ち目は無い。しかし伊達に仲間を長くやっている訳でもない。
相手の長所と同時に弱点とかついでに赤面症も知り尽くしているし、属性も違う。活路はそこに見出せる。
「譲りませんよ。たとえ貴女が本気だとしても」
ぐっと深く身を沈めながら、ファーレーンは息を潜める。相手は第7位神剣『熱病』の担い手。
神剣の位だけならこちらの方が有利だが、油断は出来ない。伊達に長く共に戦ってきた訳ではない。
時折見せてきた彼女の「キレ」は色々な意味で脅威だし、属性も違う。不確定要素がそこに生まれる。
「へぇ、譲る? ……全く、何を言い出すかと思えば。アレは最初から私のものよ。貴女のものじゃない」
セリアは、不敵に微笑む。まるで遅刻した生徒に対して正義は我に有り、と偉そうに嘯く学級委員長かなにかのように。
「もの? ……フ、貴女に"もの"扱いされる謂れはありません。私は私の大切な存在をただ護るのみ」
ファーレーンは、不遜に昂じる。まるで飼い犬に手を噛まれて初めて残虐な本性を見せる、良家の子女かなにかのように。
「言うじゃない、泥棒猫の分際で。いい機会だわ、貴女とは一度本気で勝負してみたかった」
「そうですね、不本意ながら同感です。尻尾の生えた猫など、こうなる前にもっと速やかに退治すべきでした」
「……」
「……」
二匹の雌豹が火花を散らす。雄雄しく羽ばたく4枚の白翼。それは狭い室内に、平等に殺意を撒き散らしながら舞い踊る。
神剣から発せられる圧倒的なマナの奔流は、既に生きとし生けるものの、この場所における生存権を根こそぎ奪い去っている。
唯一残る二騎の戦乙女の戦いを、阻む生者はもう居ない。刻まれるのはただ、修羅たるバルガーロアへの道程(みちのり)のみ。
「ハアァァァァァッッ!!」
「イヤアァァァァッッ!!」
二人は、同時に動く。
スピリット同士で、かつての如何なる戦史にも無いほどの規模で行なわれたガチンコ勝負は、こうして実に下らない理由により幕を開けた。
==================================================
丁度城の地下が異様な地響きで震えていた頃、ハリオン・グリーンスピリットは第二詰所で年少組に義理チョコをばら撒いている。
「えーいいのぉ?」
「お、おやつの時間じゃないよぉ?」
「ええ~。年に一回ですからぁ」
「やったー! ね、ね、シアー、早く部屋で食べよ!」
「え、う、うん……あの、ハリオン、ありがとね」
「はいはい~……さ、ヘリオンもぉ」
「あ、ありがとうございます! ……じゃなくて、あのぅ、一つ窺いますけど」
「はい~?」
「これってバレンタインチョコ、ですよね?」
「おやおやぁ~? ヘリオンさんは、物知りですぅ~」
「いえ、ですからこれは本来異性に送るものではないかと。あ、いえ、そうじゃなくて、良く言われているんですけど受け取ると3倍返」
「ヘリオンさん~?」
「はははは、はい?!」
「ホワイトデー、楽しみにしていますねぇ~」
「ふえぇぇぇぇ~~~ん!!」
「う~んそれはそうとニムントールさんの姿が見えませんねぇ」
「……貴女ねぇ、その辺で止めときなさいよ」
廊下の壁にもたれかかって腕を組み、呆れて様子を眺めていたヒミカが口を挟む。
「大体そんなので資金が増える訳でもないし、増えても嬉しくないでぐぼっ」
「ほらほらぁ~、美味しいですかぁ、ヒミカぁ~」
「ぐもっ! ぐむっ、んんんんんっ!!」
無理矢理口に箱ごと突っ込まれ、酸欠状態で悶える赤い髪。無理矢理口に箱ごと突っ込み、それでいて微笑みを絶やさない緑の瞳。
ヒミカは決して無抵抗では無い。レッドスピリットとしての矜持が『赤光』にマナを送り続けている。
しかし阻むのは、それ以上に威力の増した『大樹』のシールドハイロゥ。膨れ上がった厚みが炎を通さない。
「こういうのはぁ、"お祭り"だから楽しいんですよぉ~」
「んんっ! んんんっっ!」
必死で頷くヒミカは、後にその時のハリオンをこう評した。"敵にだけは回したくない。ただそれだけよ"。
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すれ違いざま空気を裂いた二筋の烈閃はセリアのブルーニーソックスを裂き、ファーレーンの兜を吹き飛ばした。
幸か不幸か視界の広がったファーレーンから、爆発的な黒のマナが迸る。一方で太腿を晒されるという恥辱を受けたセリアも同様。
訓練施設の壁に綺麗な断絶が発生したとか、天井を支える為の柱が一本崩れ落ちたとかはこの際どうでもいい。二人は一度間合いを外す。
「ちょ、貴女今、本気だったわね?!」
「何を今更。手加減していると今度は……クスクス、命を失くしてしまいますよ?」
「ッッ! このっ!」
既に全力を振るったせいで『月光』の意識が紛れ込んでいるとしか、ファーレーンの皮肉と艶めいた笑みには説明がつかない。
セリアは激昂しかける理性を必死に抑え、胸の中に左手を畳み込み、右手だけで牽制のように『熱病』の剣先をゆらゆらと揺らす。
ファーレーンの速度は、尋常では無い。今、初めて本気の彼女と手合わせして改めて確信した。それはまるで獣のような"しなり"。
「……この動き、見切ることが出来ますか?」
「!!!」
雲散霧消の太刀。戦場では見慣れた、敵を瞬時に撫で斬りに刻む神業。
ファーレーンが跳ねた、そう知覚した途端、ぞっ、と背中に冷たい水を浴びせられたような悪寒が走る。
「……馬鹿ね、水は私を加護するものじゃない。マナよ、我に従え 彼の者を包み――――」
詠唱は、セリアの掌にぼうっと仄かな光を灯らせる。薄く青を引いた白い玉のようなそれは渦を巻き、波のようにうねり。
ほんの一瞬に行なわれるやり取り。その刹那の一瞬で、ファーレーンは体得した全ての動きを持って間合いを詰める。
石畳がばきばきと音を立て、足跡の形に"はつられ"ていく。風を切り抜けるたおやかな唇に、高速の詠唱が乗せられる。
「神剣よ、我が求めに答えよ――――」
そしてこれが、 二段階の攻撃。ブラックスピリットとして、ファーレーンが最も得意としていた技。
相手の速度を落とし、自分の速度を最大に生かす。ファーレーンはまず右手に篭められた黒の波動を目標へと放とうと。
「恐怖にて彼の者の心を縛れ――――え?」
そこで、動きが一瞬止まる。セリアの姿は、太い柱の影へと隠れていた。そこに留まるというのではない。
まるで一息のタイミング、ファーレーンの神剣魔法が放たれるその瞬間を、狙ったようなステップで。
流れていく蒼い髪がいやに緩やかな軌跡を描いていく。しかしその美しさに目を奪われている場合でもない。
「深き淵に沈めよ、エーテルシンクッ!」
「ッッテラー!」
ファーレーンが咄嗟に軌道を修正したのは正しかった。セリアは打ち消されてしまうのを覚悟の上で、エーテルシンクを放つ。
属性が違うので、その威力をお互い中和したりはしない。衝突したマナは多少推進力を失いながらも標的へと突き進む。
ただ、減速をした分回避可能にはなっている。問題は、避わす時の体勢。一瞬でも隙を見せればお互いに見逃さないだろう。
迷いもせず、選んだのは絶対的な右回り。セリアから見て右方向へと動けば、左利きのファーレーンに不利なのは道理。
水平方面ではなく垂直に足場を求め、ウイングハイロゥを捻り、身を1/2π分だけ浮かび上がらせる。
――――― ズウゥゥゥゥン……
黒と白の光球が、激しくぶつかり合う。そしてそれが相互に威力を削り、消滅し合うのを待つ程呑気では無い。
セリアは訓練所の側壁を足場に駆け抜け、蒼のマナ舞う『熱病』を振り被り、ファーレーンの左側へと殺到する。必殺のヘヴンズスウォード。
「もらったわっ!! たぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
ファーレーンも間合いが"間に合わない筈"の『月光』を左手で構え、腰をぐっと下ろし、セリアの接近速度に合わせた距離調整を行なう。
「……負けるつもりはありませんよ。私だって、戦う理由があるんです!」
未遂のまま、封じられた雲散霧消の太刀。それを上回る、まだ実戦でも投入したことがない技。それをファーレーンは、今放つ。
「未完成ですけど……ッッハアァァァァッッ!」
――――― ドウッ
「……こ、のっ!」
「ふ、ふふふっ! 見切れますか?!」
擬音が意味を成さないような、凄まじい熱源が両者を包む。
青白い石に鎧われた壁は木の葉のようにずだずだに刻まれ、必要以上に高く設定されているその天井までもが震え戦慄き。
ブルースピリット最大の一撃を防ぐのは、ブラックスピリット最大の技、星火燎原の太刀。
物理的には雲散霧消の太刀と比べ、繰り出す太刀の数こそ変わらないとはいえ、その全てが急所を狙っている必殺の技。
渾身の一撃がその斬撃を受けたちどころに打ち消されてしまうのを、セリアは驚きの表情で見送ってしまう。
振り下ろした『熱病』は、"無数"の『月光』によって阻まれた。細かく、『熱病』の分厚い刃の唯一点。
力場の支点、ただその急所だけを狙われて。ここにきて、ブラックスピリットの特徴でもある太刀筋の速さが発揮される。
セリアは攻撃を諦め、回避運動に入った。牽制になるかどうかはもはや当てにもならないが、咄嗟に"スフィア"ハイロゥをちらつかせ、
直ぐに変形させたウイングハイロゥを左右に巻きながら倒れこむような姿勢で壁を蹴り、重力とは斜め下方水平方向へと滑り込む。
一方基本、未知なる事象に対して杓子定規に同じ行動を繰り返してしまうファーレーンは、その程度の事態にも狼狽し、
去った『熱病』の脅威に合わせ跳躍しようと考えていた足腰の動きが自然に目標を失い、戸惑った挙句、つい目測で追ってしまう。
「しつこいですね……神剣よ、我が求めに答えよ、与えられし苦痛を与えし者に返せ――――アイアンメイデン!!」
―――― ドウッ、ドン、ドウン!!
セリアがウイングハイロゥの角度を調整し、滑空していく先の柱が次々と中央から大きな穴を穿ち、けたたましい音と共に崩れていく。
ようやく地面へと着地したセリアは懸命に、ファーレーンの周囲を駆ける。丁度半径を保ちつつ恒星の外郭を周回する惑星のように。
それはおおよそ、異様な光景。スピードでブラックスピリットに勝負をしかけるブルースピリット。
少なくとも史実として記録されたものに、そんな愚か者はかつて記載されたことが無い。しかしセリアは、敢えてこの手段を採った。
「ファーレーン! 覚悟はいいわねっ!」
「っ! 臨む所です!」
幾つか切り裂かれ、柔肌を晒してしまっている身体に頓着もしない。
ファーレーンは既に兜を弾かれ、素顔を晒し。もう、恥ずべき余裕もその意味も感じられない。
こうなってくると、むしろ純粋に戦闘に特化した肉体ではない事が煩わしかった。意図した事では無いにせよ、胸のボリュームが重過ぎる。
振り切るように、『月光』を構える。確かに、防御だけでは埒が明かない。相棒の神剣からは、当然のように送られてくる"殺れ"の一言。
―――― ガ、ギンッ! ギギンッ!!
攻守は、完全に逆転していた。得意な筈の手数応酬戦で押され気味になり、ファーレーンは戸惑う。
「ふっ、ファーレーン、貴女また大きくなったわね?」
「な! ど、どうしてそれを!」
「それが貴女の、早熟たる所以よ……ハアッ!」
「……くぅっ!」
脇を引き絞った窮屈な競り合いにも拘らず、セリアは軽々とあの大振りな『熱病』を繰り出してくる。
一方細身の筈の『月光』を鞘に収めようとしても、ファーレーンの胸はそれの邪魔をしてしまう。
最もスピードの乗った居合いさえ封じてしまえば少なくとも互角の戦いに持ち込める、それがセリアの勝算。ちょっと虚しかった。
―――― ガガガガガガガガガガガガッッッッッ!!
右袈裟、防ぎ返す左、弾き翻す左。そうして、無数に刻まれる刃合わせは続く。
そも、彼女達は、ただ秀逸なる技と類い稀なるスピードだけでこのラキオススピリット隊のトップクラスを維持していた訳ではない。
戦場における一瞬の優越など、当面の敵を退けてしまえばそれまでである。
それより何より彼女達が、敵よりも、そして仲間達よりも優れていたもの。それは、持久力。
戦局の初めから終わりまでを通して常に自分の持つ最高の技量を引き出すという、基本にして最強のもの。
第一それを持ち合わせていなければ、生き残れない。そんな過酷な戦場への繰り返しの投入や生真面目な訓練の末、培われた能力。
しかし驚くべき事にこの"戦闘"は、二人のその粘り強ささえをも奪い尽くそうとしている程の長期戦に及んでしまっていた。
セリアの猛攻を何とか凌ぎ、一時間合いを確保したファーレーンは呟く。
「はっ、はっ、はっ……やりますね、正直ここまで手こずるとは思いませんでした」
「それはこちらの台詞よ。でも……もうお互い、余力はあまり残っていないようね」
「そうですね。どうでしょう、次の一撃で終わりにしようと思うのですが」
「同感。……いくわよ。マナよ、我に従え。場を凍てつかせ、静寂となせ――――」
「マナよ、闇の法をもって我らが身に宿れ 力を倍化させよ――――」
二人は同時に剣を持たぬ方の拳を前方へと突き出し、そこへマナを収束させる。
唱えられるのは、双方戦場でも使ったことの無い裏技。あまりに危険すぎる為、封印してきた詠唱。
「――――サイレントフィールド!!!」
「――――ダークスプリング!!!」
あっという間に膨張した白と黒のマナが岩を穿つ滝のように流れ落ち、空間を満たす。
相乗効果の生み出す爆発的な殺傷力と完全に失われた抵抗力は、これまでの戦いを一瞬にして児戯へと堕としめていた。
「この一撃にっ!」
「全てを賭けるっ!」
白剣と黒刀は、一斉に踏み込む。間合いの中心、所謂死地へ、と。
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「……なんだ、地震か?」
第一詰所の廊下を歩いていた悠人は、ふいに足元へと訪れた震動に眉をしかめ、立ち止まる。
一瞬敵襲、という単語が脳裏を掠めるが、『求め』を通して探ってみても、敵の気配は見つからない。
窓の外に映る城の影を眺めていると、何か良く知った気配同士がぶつかり合っているようだが、恐らく訓練場だろう。
「誰だかしらないけど熱心だなぁ……って殺気!?」
唐突に背後から感じた攻撃の気配に、慌てて『求め』を構えつつ
「――――ぶべらっ!」
振り返った悠人を待ち受けていたのは、顔面への衝撃だった。
何かがめり込んだ、そう判断する前に、目の前にちかちかと複数の星が点滅する。
「~~~っ痛ーーーっっ」
鼻の奥がきな臭い。衝撃で仰け反りかけた体勢を立て直し、廊下の先に立つ人物を確認する。
すると丁度決め球で見事打者を三振に仕留めた野球の投手が余韻に浸っているかのような体勢で、腕を伸ばしたままのニムントールの姿がそこに。
「おいっ! いきなり何す」
「フンッ! ありがたく思いなさいよ、なにさユートのくせに!」
ぱたぱたぱたぱた。
「……をい」
文句を言う暇さえ与えず、ニムントールはそのまま駆け去っていってしまう。
「やれやれ、一体なんだって……ん? なんだコレ」
床に、くしゃっと歪んだ箱が落ちている。首を傾げながら膝を折り、屈み込んで拾い
―――― ヒュン
「……は?」
風切音に呆け、恐る恐る顔を上げる。
「ん、よく避けた、ユート」
そこには丁度直前まで悠人の後頭部があった場所を『存在』でフルスイングしたばかりのアセリアが立っていた。
恐らくまともに受けていれば頭部を丸々吹き飛ばしていたであろう青白いマナの欠片をちりちりと悠人の耳元辺りに散らしながら。
「……なぁ」
「ん」
「ん、じゃない! 死ぬだろ?! なぁ、死ぬだろ?!」
「大丈夫、任せろ。急所は外した」
「いやもうこの威力、急所とか関係ないから! 闇討ちか? 闇討ちなのか?!」
「ユート、落ち着け」
「死に掛けたんだぞ、落ち着いていられるか! 大体ニムといい、俺になんか恨みでも」
「はい、これ」
「――――なにこれ」
「贈り物だ。喜べ」
「……」
悠人は黙って頭を抱えてしまう。果たしてこの少女と清く正しいコミュニケーションを交わせる日は来るのだろうかと。
「……あれ? これ……やっぱり。ニムが俺にぶつけたのと同じ箱だな。贈り物って……一体なんなんだ?」
「知らない。私はもう自分の部屋に帰るぞ」
「あ、ああ」
自分で渡しておいて、知らないって。
とても突っ込みたかったが、疑問をぐっと押し殺す。どうせ言ってもまともな返事が返ってくるとも思えない。
それより取りあえず、と手にした二つの箱を見比べる。すると二つとも、何かカードのようなものが挟まっていた。
「え、これひょっとして……まさか」
黄色いリボンやら可愛い包装紙や、気にしないようにしていた甘い香りが予想の正しさを裏付けている。
悠人は突然恥ずかしくなり、がしがしと照れながら二つ折りのメッセージカードをゆっくりと開いていった。
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「んもう、喧嘩は、めっめっなんですぅ~」
よくぞ崩落を起こさなかったものだと思える室内訓練場。
そこでハリオンは、人差し指を突きつけ、生活指導教師のような説教を始めていた。
出来の悪い生徒は二名。精魂尽き果てたといったような格好で仲良く背中合わせに座り込んだいい大人の女性。
あられもない程ぼろぼろになった戦闘服を気遣う余裕もないのかぜえぜえと荒い呼吸を繰り返し、四肢もだらしなく放り投げている。
壊れた人形のように首をかくんと項垂れ、雨に濡れた仔犬のような仕草からは、とても先ほどまでの勇ましい姿は想像出来ない。
ハリオンが第二詰所に居ない二人にも義理チョコの残りを配ろうと捜し求め、ここに辿り着いた時には丁度ビッグバンの真っ最中。
のんびりとシールドハイロゥで防いだが、凄まじい衝撃と爆煙の後、訓練所の中央付近で見つけた人影は肉弾戦へと突入しており、
お互いの髪を引っ張ったり爪を立てて相手の頬を引っかこうとしたり罵り合ったりであまりの見苦しさにもぅ見てらんない放送禁止状態。
幸いにして双方とも致命傷は受けていないようだが、どう考えても本気で女の戦争を敢行していたとしか思えない。
「はい、怒りませんからお姉さんに教えなさい~。喧嘩の原因はなんですかぁ~?」
「あ……えっと」
「それは……その」
もはや燃え尽きてしまっている二人はただ口ごもり、答えようとしない。妙に子供扱いな口調が気に入らないというのもあるのだが、
しかしこの場合、意地を張って頬っぺたを膨らまし、拗ねている幼稚園児二人には、実は反論する資格も無い。
なんですか、貴女が言いなさいよなどと小声で囁きながら肘を突付きあう度に、ハリオンの笑顔には「#」マークが増えていく。
そして遂には毅然とした態度で胸をぶるんと大きく震わせ、
「そうですかぁ~? ではお二人ともぉ、治癒魔法はいらないのですねぇ~?」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
緑雷を背中に背負った一喝の前に、今の消耗しきった体力ではとても歯向かえない。二人は同時に正座になり、ぺこりと頭を下げていた。
「不思議ですねぇ、これだけの怪我ですのにぃ、裂傷は全然ありません~」
治癒魔法をかけながら、ハリオンは暢気に呟く。
実際二人の服はずだずだに切り裂かれているのに、何故か柔肌には打ち身捻挫しか見当たらず、驚く事に出血も殆ど無い。
「……」
「……」
セリアとファーレーンは気まずそうにお互いを見やり、そしてそっぽを向く。真剣勝負とはいえ、相手は仲間。
峰打ちや寸止めで急所を外す位の理性はちゃんと残して戦っていた。だが、それを説明したくは無い。そんな複雑な乙女心。
「はい、終わりましたぁ。まぁ喧嘩は良くありませんけどぉ、ちゃんと手加減はしていたようですからご褒美ですぅ~。じゃ~ん」
どさどさどさ。
「……え?」
「あの、これって」
「街のお菓子屋さんでぇ、売っていたんですよぉ。今日だけの限定品だそうですぅ。これで仲直りですよぉ~?」
「いやあのねハリオン。これ一体どこで」
「う~んどこでしょう~。5軒までは憶えているのですがぁ」
「え、そんなにあちこちで売っているのですか?」
「はい~。なにせ今日は、バレンタインデーですからぁ。街の殆どのお菓子屋さんで売ってますよぉ~」
「……」
「……」
ハリオンがまるで四○元ポケットのようにどこからともなく取り出した大量の小箱はどれもこれも同じようなチェックの包装紙、
黄色いリボンのラッピング、そしてやたらと見覚えのあるメッセージカード。セリアとファーレーンは思わずお互いの顔を見合わせる。
「……じゃあ、貴女も」
「……まさか、セリアもだなんて」
「そういう事……はあぁぁ~~~~」
「あらあらどうかしましたかぁセリア~? 口からなにか白いものが出てきていますよぉ?」
「あ、でもハリオン、本当に頂いてもいいのですか? これは男性にその、贈る……ごにょごにょ」
「はい~? 別にそんなことは無いと思いますよ~? 美味しければそれで良いじゃないですかぁ?」
「そ、そうなんですか……はぁぁぁ~~~~」
「あらあらどうかしましたかぁファーレーン~? 口からなにか白いものがぁ~?」
ハリオンの気遣う声も、耳にまでは届かない。
脱力した二人はその場にずるずると沈み込み、次の瞬間には意識ごと撃沈していく。戦乱は、こうして幕を閉じた。
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その後なんとか現世に帰還を果たしたセリアとファーレーンは、第一詰所に行くというハリオンと別れ、第二詰所に戻ってきていた。
廊下を並んで歩きながら、お互いの誤解とそれについての経緯を小声で語り合う。
「本当にごめんなさい。誤解であんな事になってしまって」
「私こそごめん。ファーレーンは何も悪くないのにね。でもこうなると」
「ええ、そうですね。一体どこへ行ってしまったのでしょうか」
「あれだけの戦いだったから瓦礫の山に埋もれた可能性もあるけど……ん?」
「そうですね、むしろその方が助かるといえば……どうしました、セリア」
「うん、何だか応接間の方が騒がしいなって。なんだろう」
「あら、そういえば。何かあったのかしら――――あああああ!」
先に応接間の入り口に立ち、その場でフリーズしてしまったファーレーンの肩越しに中を覗きこんだセリアは
「え、どうしたのってえぇぇぇぇっっ!!」
同じように凍結し、その場で口だけをぱくぱくとさせる。
「よ、お帰り。その、遅かったな」
部屋の中央に用意されたゆったりとしたソファーに座り、振り返ったのは、何故か照れたような針金頭。
「あー! きたきたきたぁーーー!!」
「あの、あのね、……ひゅーひゅー」
びしっと勢いよく指差してくるネリー。恥ずかしそうに冷やかすシアー。
「……」
無言無表情で、ただぐっと親指を立ててみせるナナルゥ。
「あのカードに本当に名前を書き込むなんて……お二人とも、そそそ尊敬します!」
胸の中央で手を握り合わせ、きらきらとした瞳で身を乗り出しているヘリオン。
そして彼女達が取り囲むテーブルの上に鎮座ましましているのは、あれほど探していた例の"ブツ"。
「……」
「……」
「あれ? セリア? ファーレーン? おーい」
立ち尽くす二人に近づいたネリーがひらひらとお気楽そうに手を翳してくる。
「……ぃ」
「……ぃ」
「い~?」
とことことネリーの後をついてきたシアーが興味津々で耳をそばだててくる。
「その、な。こういう時何て言ったらいいのか俺よくわからな」
―――― いやああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
絶叫。それは丈夫な訓練所などとは比較にならない程薄っぺらい詰所の壁を吹き飛ばすには、充分にして余りあったといふ。