朱に交われば赤くなり 墨に染まれば黒くなる

「……ふあぁぁぁ」
昨晩遅くまで起きていたせいか、やたらと瞼が重い。
ぽやぽやと胡乱な頭のまま上半身だけ起き上がり、眩しい日差しに目を細める。
朝。少女はそう認識すると、一度うーんと大きく伸びをして、それから目元をこしこしと擦り始める。
軽く握った両掌を使うその仕草は意外と幼く、
彼女が好んで使用している寝巻き代わりのだぶついた白シャツから大きく広がった胸元とか
ちょこんとあひる座りで剥き出しのままの透き通った素足とかつるりと丸い小さな膝小僧とか
しっとりとした太腿の付け根からちらちら見え隠れする白っぽい布のようななんやかやとかと相まって
朝の爽やかな空気をいきなりどこかしら淫靡な桃色へと変えてしまっているのだが、本人は全く自覚してはいない。
まだ半分寝ぼけながら、逆光に透けた清潔そうな寝巻きの前開きになっているボタンをぷちぷちと解き始める。
するとそこから現れるのは、小麦色に日焼けしているにもかかわらず女性らしい華奢さをも兼ね備えた首筋。
細くくっきりとした曲線を描いている健康的な鎖骨、そしてひっそりと息づいた形の良い膨ら(以下校閲削除
「えっと……うん、今日はこれがいいかな」
こうして普段の戦闘服に着替え終わった彼女はドレッサーに仕舞ってあるニーソックスの中から念入りに
お気に入りの一つを選び出し、ぱふっとベッドに腰掛けて、すらっと引き締まった左肢を前方へと軽く突き出す。
桜色の爪先に当てがわれた丸いニーソックスの塊がするすると伸び始めると、
陽光に反射した赤が脹脛から順に彼女のきめ細やかな柔肌をぴっちりと締めつけていき、
最後にふっくらとした量感を持った太腿を包み込み、ぱちんと小さく音を立てる。
右肢も同じように繰り返し、捲くれていたスカートの裾をぴんと伸ばして皺を伸ばす。
机に置いてある小さな鏡を覗き込み、映る顔にかかる前髪を軽く整えてから両手に銀色の籠手を通し、
いつも就寝時にはベッドの傍らに立てかけてある大振りな剣の柄を手に取ると、窓の外に広がる青空を確認して
「……んっ、今日も良い天気ね。みんなにマナの導きがあらんことをっ」
こうしてラキオス第2詰所のリーダーこと、『赤光』のヒミカの一日は始まる。

朝食後の訓練。
戦時中に戦闘能力を劣化させる訳にはいかない。自然、未熟な者にはより厳しく当ることになる。
「マナよ、力となれ 敵の元へ進み」
「わ、わ、えと、我に従え、彼の者の包み――――」
「なーんてね……そこっ!」
「あうっ! ちょ、待って、待ってってばぁ!」
「ほらほら、神剣魔法に頼ってばっかりいるから手元が留守に」
「よっ、ほっ、……あたっ! アタタタタタッッッ! 痛い、ヒミカ痛い!」
「ほらほらほらほらほらほらほらほらぁ!!」
「……お楽しみのところ、大変申し訳ないのですが」
「ホーホッホッ女王様とお呼……え? エスペリア?」
「ヒミカ、ちょっとよろしいですか?」
「え、うん、いいけど」
両手を上げて降参のポーズを取っているネリーを構わずぼこぼこにしていると、
背中から控えめに声をかけられたので、さっと『赤光』を引き向かい直す。切り替えの早さが彼女の持ち味である。
「それで?」
「実は降伏してきたスピリットの子達なのですけれど」
「……ああ、いたわねそういえば」
先日の戦争で、ラキオスはマロリガンを版図に併呑した。
その際、稲妻部隊と呼ばれるスピリットの精鋭部隊が、率いるエトランジェ共々丸ごと降伏してきたのをヒミカは思い出す。
「その子達がどうかしたの? 確か一時まとめてラセリオに収容されているって聞いてるけど」
「ええ。実は今回、数名を試験的にラキオスへと連れて来たのですが――――」
エスペリアは何故かそこで言いづらそうに、口を噤んでしまう。やや俯き加減の視線も落ち着かない。
「……どうしたの? それで、何か問題でもあった?」
「いえ、やっぱり……すみません、この件は忘れて下さい。わたくしが甘えていました」
「え、待ってよ余計気になるじゃないそんなの」
エスペリアの手にはいつの間にかハンカチが握られ、それがしばしば目元を拭う。
その弱々しさは、スピリットというよりはただの女の子。とても戦場であれだけの勇を奮う精鋭の仕草には思えない。
ヒミカは、慌てた。彼女をここまで悩ませる程の、何か作戦上の齟齬でも生じたのだろうか。

「ね? 私でよければ出来るだけのことはするからさ、話してよ」
「……そうですね。ありがとう、ヒミカ」
肩に手を当て励ますように諭すと、ようやくエスペリアの表情にも小さく笑みが戻る。
「本当は一人で解決するべき小事なのですが、至らないばかりに……申し訳ありません」
「もう、そんな水臭いこと言わないの。仲間じゃない。それで?」
「……本当にありがとう。それでは、お話します。……実は、その、ヒミカ?」
「はい?」
「貴女のファン、という子が」
「……ハイ?」
「実はもう、すぐ後ろに」
「お姉さま~!」「お姉さま~!」
「う、うわわっ! な、なんなのいきなりこの子達~っ!」
突然飛び込んできたブラックスピリットに両サイドからタックル気味に抱きつかれ、思わず仰け反ってしまう。
そっくりなおかっぱ頭が二つ、すりすりと仔犬のように脇腹の辺りに頬を押し付けてきていた。
見上げてくる紫の円らな瞳が揃ってきらきらと無邪気に輝いているのが、ざわっと警告とも取れる悪寒を走らせる。
よく判らないが、何だか無性に嫌な予感がする状況だった。
「エエエエスペリア?」
どうしていいか解らず助けを求めるが、肝心の人情篤いラキオススピリット隊副隊長は既に後退し、大きく距離を取った後。
ちゃっかり生暖かい視線で手までひらひらと振っている。ご丁寧にも前方に、薄緑色のシールドハイロゥ(戦闘仕様)を展開させながら。

「ええとですね、彼女達は双子なのですが、どうやらマロリガンでの貴女の勇ましい奮戦にその……同時に一目惚れをしたそうでして」
「は? 双子? なに?」
「双子~」「双子~」
「いや、それは判ったから一度離れて……あんっ!」
「ヤですぅ~」「ヤですぅ~」
「それで二人とも是非ヒミカにお姉さまになって頂きたいと言ってきかないものですから」
「この状況で淡々と説明するっ!? っていうか意味が判らないっ!」
「わたくしでは持て余し気味……こほん、ヒミカならそういう方面には慣れているでしょうし」
「どんな捏造よそれっ! っていうか何でどんどん離れていくのよっ!!」
しかしそんな悲痛な叫びにも無情に、エスペリアはとことこと、もといそそくさと立ち去っていく。
「そういう訳ですので、後は宜しくお願いしますねヒミカ」
「話を聞きなさいっ! ああごめん、謝るから待って、置いて行かないでぇ~~!」
「すりすり~」「すりすり~」
「わ、やめ、きゃぁ、ちょ、くす、くすぐったいってばあんっ!」


昼。
なんとなく流れで、双子と一緒に昼食をとる。
「駄目ですかぁ?」「駄目ですかぁ?」
「駄 目」
双子は黒髪の上に、大きなたんこぶをこさえている。勿論ヒミカが籠手越しに与えた衝撃の為に。
その効果かどうか、今は涙目で大人しく机を挟み、仲良く並んではむはむと食事を口に運んでいた。
しかしはっきりと申し込みを拒絶されてしまったせいか、何となくしょんぼりといった感じである。

「……あのね、怒っている訳じゃないのよ」
ヒミカはしかたなく手にしたスプーンを皿に置き、訥々と釈明を始めることにする。
「ただお姉さまっていうのは何か違うんじゃないかな、って言っているだけなんだから」
「お姐さま」「お姐さま」
「同じでしょうがっっ!!」
頭が痛くなってきた。
ふと見ると、周囲からは仲間の気配がいつの間にか雲散霧消している。面倒事に関わり合いたくなかったのだろう。
そういえば、と思い出す。サモドア以来、アセリアもユート様をこんな瞳で見つめることが多くなっていたような。
「……」
ヒミカは手元の皿をじっと見つめながら考え込む。
というか今の発想はこれ以上深く追求すると危機的状況数値が更に跳ね上がるような気がした。主に、自分の中で。
ぶんぶんと頭を振る仕草を双子に不思議そうな目で見られてしまったが、この際はどうでもいい。改めて真面目な顔を作る。
「そうじゃなくて、これからは仲間なんだからもっとフランクに呼んで欲しいのよ」
「……姐御?」「……姐御?」
「却下却下却下~~!!!」
「ヒミカはねぇ、女王様って呼ばれたいんだよ」
「ネリー、五月蝿い!」
「わきゃあぁぁぁぁ――……」
突然口を挟んできたネリーはファイアエンチャントで良い感じに吹き飛ばす。
ついでに食卓の上の料理もこんがりグリルに焼け焦がしてしまったが、しかしもうどの道食事どころの騒ぎではない。
逃げを決め込んだヒミカはわたわたと席を立ち、そのまますたすたと歩き出す。
このままこの場に留まれば、本当に「オネエサマ」にされてしまう。それは非常にマズい。主に自分が。
「女王様~」「女王様~」
「女王様言うな!!! っていうかお願いだから付いて来ないで~~!!」
追いかけてくる双子を懸命に撒きながら、ヒミカは再び別の事を思い出す。
「はぁ、はぁ……あれ、本当だったんだ」
元稲妻部隊には、所謂『腐スピ』という特殊な趣向を持ったスピリットが存在しているというまことしやかな伝説について。

午後の訓練は、結局捕まってしまった双子を相手に。
何だかんだいいながらも突き放しきれないのがヒミカのヒミカたる所以。
ただ必要最低限の防御は必要なので、色々な危険を回避する意味でも、自らを叱咤する意味でも、普段より少しキツめの声を飛ばす。
「こら、よそ見しない! ほら、ちゃんと神剣に集中していないと怪我するわよ」
「集中~」「集中~」
「振りが甘いっ!」
しかし威嚇で構えた『赤光』ですら凛々しさと受け取ってしまうのか、
二人は夢見る乙女のようなぼんやりした表情でヒミカの仕草を窺っているだけで、振る剣も相変わらず覚束無い。
ヒミカは盛大に溜息をついて見せ、両肩を竦め、呆れた表情でこぼす。
「まったく、注意力が散漫ね。流れ神剣魔法にでも当たったらどうす」

がん。

「……」
「ヒミカ、油断していると直撃を受けますよ、流れ神剣魔法の」
「流れ神剣魔法~」「流れ神剣魔法~」
「……ナナルゥ、貴女何か私に恨みでもあるの?」
「意味不明ですが、その台詞はネリーに言って下さい。彼女がそちらに逃げたので、予測して放っただけです」
「へっへ~ん、朝のおっかえしだよ~!」
「……」

むちうちになったらしい首を無理やり曲げ、ずきずきと痛む後頭部を気にしないようにして振り返ると、
既に遥か彼方へと逃亡しているネリーがやーいとばかりに『静寂』をくるくると振り回しながらおどけている。
どうやらナナルゥを誘導してイグニッションを打たせ、直前で自分だけ避けたらしい。
「――――フ」
ぶわっとヒミカの身体を中心に、赤のマナが溢れ出す。
殺到し、圧縮したそれは自らの膨張から解き放してくれるトリガーを待ち侘びているかのようにたちまち派手な蜃気楼を形作っていた。
「ネリー! そこ、動くんじゃないわよっ!!」
臨界を越えたヒミカのインシネレートはネリーが咄嗟に唱えたアイスバニッシャーでさえもあっけなく突き破り、
訓練場の地面の土の1/4をガラス状に融解させて使用不能にさせ、そしてその日から暫くネリーは訓練に参加しなかった。

「なんで~?」「なんで~?」
「……ああ、どうして女王様って呼ばれたいのかって? さあ、きっとレスティーナ様にでも憧れているんじゃない?」
そして咄嗟に異国の少女達をエーテルシンクで庇ってしまったセリアは、いい加減に翻訳した双子の質問を実に適当に受け流していた。

夜。
食事を終え、稲妻部隊にあてがわれた詰所へと帰っていった双子からもようやく解放されたヒミカは、
リビングで皆に(ネリー除く)囲まれハリオンの入れてくれたハーブを楽しみながらじっくりと一日の疲れを癒す。
「うふふふふそれでですね、ふと振り返るとそこには――――」
「ひぇぇぇ~、こ、怖いですね……」
「……」
興が乗ってくると始まるファーレーンの怪談百物語。
怯えながらも聞き入っているヘリオンを尻目に、無言で語り部の背後に隠れている一升瓶をこっそりと取り上げる。
深酒が体に良くないからという彼女らしい気配りだが、鳥肌を隠す為にこっそりと唱えているヒートフロアが可愛い。
「お姉ちゃんを心配してくれたから、見逃してあげる」
「……ありがと」
そっぽを向きながらぼそっと呟くニムントールには、軽く片目を瞑って返しておく。
どうやら見破られてしまったらしいが、年下相手にそんな事ではヒミカのプライドは傷つかない。
そのまま厨房に行き、酔い覚まし用の薬草を探していると、今度はくいっと服の裾を引っ張られる。

「ん?」
「……あの、ね?」
「ああ、了解。行こうか?」
「……うん。ありがとお」
怯えて一人では行けなくなったのであろうシアーの手を優しく引っ張っていく。
「うーん、ネリーを再起不能一歩手前までこてんぱんにしたのはやり過ぎだったかな」
「くす……ううん、今日のネリーは自業自得だと思うの」
「はは、シアーにそういって貰えると安心するわね」
「……ん」
ぽむぽむと冗談交じりに髪を撫でてやると、シアーは目をくすぐったそうに細めて微笑む。
そしてその笑顔こそがヒミカにとっては何よりの、明日への活力となってくれている。
『――――王冠を被った一つ目がふわふわと……』
『ひえぇぇぇ……』
「……お酒、止めさせなくちゃね」
「え?」
「ううん、なんでもない」
『その時ぽろりと大粒の涙がっ!』
『きゃああああぁぁっ!』
「……」
リビングではまだまだ韻々と響くような語りが続いているが、聞かなかったことにする。

かぽーん……
スピリットの館は、設計者がうんたらかんたらという理由で実に快適な浴場が用意されている。
これは他国には無い特徴で、この時ばかりはラキオスに転送された事が実にありがたい。
「うーん……ああ、気持ち良い。今日も疲れたなぁ」
ヒミカは、充分以上に広いその湯船の中で、四肢を大きく伸ばす。
鍛え上げられている筈の彼女の身体はしかし驚く程筋肉質という表現からは程遠い。
少年のようにすらっと伸びた細い手足や撫で肩はむしろ華奢ともいえる位に繊細で、
水滴を纏った肌理の細かい肌は弱く、湯に浸れば敏感な部分から桜色に染まっていく。
「……そういえば、今日も自分の訓練は出来なかったっけ。反省」
こつんと軽く頭を叩き、一度水面の上まで上げたカモシカのような両脚を踝の所で交差するように折り畳む。
立てた膝を両腕で抱え込むと胸の膨らみが両脇から圧迫され、谷間から生じる水泡に自分の顔が歪んで映る。
ヒミカは顔を半分湯船に沈め、ぶくぶくと息を小出しにするという子供染みた遊びを暫く繰り返した。
窓から流れてくる風が、湿った髪を涼しく冷やしてくれる。
前髪を撫で付けると、拍子に落ちた水滴が鎖骨の間に流れ落ちて気持ちが良い。とはいえ。
「なれーしょんによりますとぉ、ヒミカだって中々じゃないですかぁ~」
「……私の不幸は、転送された時から貴女と一緒だったってことだわ」
「え~? どうしてですぅ~?」
「だからそうやって、見せつけんばかりに胸を揺らすのは止めなさい」
「え~? どうしてですぅ~?」
「……はぁ」
全然判らない、といった様子で両手を頬に当て、くねくねとたわわに"浮かんだ"実を揺らしながら
同じ台詞を繰り返すハリオンを前に、ヒミカはこっそりと白く煙った溜息をつく。
あらゆるスペックには、一長一短が存在してしまうものである。

「さて、ここからが勝負ね」
むん、と気合を入れなおし、ヒミカは机の上に向かう。
基本あまり自由時間を持たされていないスピリットにとって、深夜は唯一フリーに使える時間。
夜が更けるまで、ヒミカはペンを取り続ける。締め切り、もとい書き綴るべき思いの丈が尽きるその時まで。
「そうね……ここはもう少し絡みを入れて……」
「絡み?」「絡み?」
「うんうん、絡み。意外と受けが似合うのよね……ふふ……」
「受け~?」「受け~?」
「そう、受け。で、ここでコウイン様が攻めて……はふぅ……ユート様の表情萌へ……」
「萌へ~」「萌へ~」
「でしょでしょ――――ってなんで貴女達がここにいるのよっ!?」
「女王様~」「萌へ~」
「繋げるなぁ!」
こうしてヒミカの熱い夜は更けていく。

次の日の朝。
恍惚の表情を浮かべた双子がヒミカの部屋からふらふらと出てきたという目撃情報もあるが、真偽の程は定かではない。