ファンタズマゴリアを後にして、北東に何処まで来たのだろう。 
龍の爪痕遙かに遠く、ここは、荒唐無稽とも言える浮遊島。 
何となく、ただ何となく、来し方をぼんやり思い浮かべていたそんな浮島の昼下がり。 
大陸と変わりなく輝く太陽をうらめしく思いながら、ロティは部屋に籠もって書類整理に勤しんでいた。 
隊長ともなると、それはもう色々あるのだ。ほとんどヨーティアに押しつけられた雑務な気もするけれど……中間管理職は辛いものだ、と独りごちてみる。 
ポリポリとペンで頭を掻く。少し喉が渇いたなと思う。 
そんなロティのところへ、いきなりドアが開いたかと思うと、ひょこっと飛び込んできたのは無遠慮なふたつの青影。 
「ねーねーロティー、買い物行くからつきあって~」 
「て~~」 
「ああ、ちょっとゴメン。ヨーティアさんに頼まれてるのがあるからさ」 
両腕にぶら下がらんばかりな双子に、ロティは申し訳無い顔をしながらも、にこやかに断った。 
懐かれるのは嬉しいものの、今回はあまりに余裕がない。 
普段なら粘り腰を発揮して、あれやこれやロティの部屋を散らかし自覚無き邪魔に勤しむ双子だけれども、 
今回は珍しく呆気無く退散してくれた事にホッと胸を撫で下ろす。 
その5分後。 
控えめなノックがあった。 
「あ、あのロティさん。お茶煎れたんですけど。どうですか?」 
「ああ。ありがとうヘリオン。丁度喉渇いてたんだよ」 
「えへへ、お菓子もさっきバンジャスさんに頂いたのがあるんですよ。すっごく美味しいんです!」 
ロティは、覚醒作用のあるらしいさっぱりしたお茶と、疲れた体にほどよく染みる甘いお菓子に舌鼓をうった。 
大陸では味わえない美味しさを力説するヘリオンとしっかりと向かい合いながら、日頃忙しくて出来ない会話もつらつらと。 
なんでも、がんばり屋のヘリオンは料理にも邁進しているとのこと。女の子らしい。 
流れ的に今度手料理をご馳走して貰えることになった。 
これは楽しみが増えた。でも何故か手伝っちゃ駄目らしい。 
10分後。 
やや乱暴なノックにドアを開けた。 
「ロティこの前の種。芽出た」 
「へー、すごいねニム。ヨーティアさんに報告しておくよ。きっと褒めてくれるよ」 
「……ニ、ニムって言うな」 
ニムの赤面に微笑みを浮かべたロティは、思わずニムの頭を撫でたくなったが反撃が恐いのでやめておいた。 
スネを蹴るのはやめてよねホント。 
種というのは、ファンタズマゴリアには無い果樹のことだ。それから採取した種を蒔いて試行錯誤の末ついに萌芽したのだ。 
もしかしたらだが、ニムの育てた一粒の種が、大陸を何時か襲うと見込まれる食糧問題の切り札と成り得るかもしれない。 
そう思うと、なんだか嬉しさや誇らしさがわき上がってくる。 
さらに5分後。 
これは優しいノック。 
千客万来だな、と言葉を溢して、今度は誰だろうと思いながらペンを置くと、椅子を回して振り向いた。 
女の子向けの笑顔が意識せずとも顔面を支配する。 
「どうぞ」 
「よう」 
「…………コウインさん。な、なにか」 
「へっへっへ」 
自動で開くドアには窮屈であろう体を屈ませて、鼻の下を指でこするコウイン隊長はニヤリ、と表情を歪ませた。 
「今、女の子だと思ったろ」 
「え、そ、そんなことありませんよ」 
「スピリット隊、隊則42条!!」 
思いっきり動揺してるロティを、出し抜けの大声が一喝した。 
キィィィーーーーン。 
ぐぅぅっ。 
おまけに『紡ぎ』からも痛烈な抗議の声が届く。 
思わず片目をつぶって頭痛に耐えたロティは、なんとかかんとかコウインに問い返す事が出来た。 
「いきなりな、なんです」 
「まあいいから。ほれ、言ってみな」 
「……え、え、隊則42条は……≪上司と部下の恋愛はこれを禁ず≫ です」 
「そうだ。理由は言わずもがな、だよな」 
「……はい。私情を挟むようでは隊の運用に危機をもたらす。長たるもの常に公平であらねばならない、と」 
何時に無く真面目なコウインの眼光に、背筋が伸びるのを止められないロティは、近頃の自分を省みていた。 
そうだ。こんなことではいけない。ネリー達と仲がよいのは結構なことだけれど、そこに余計な感情が入り込んで良いのだろうか。 
いや、良くない。 
コウイン隊長は、もとい、今はロティが隊長だけど、おそらく危なっかしいロティに釘を刺しに来てくれたのだ。 
素直に痛み入る気持ちになれたロティは、感謝の言葉を吐こうとした――「さて、今の俺はなんだ?」 
「え?」 
「今の隊長はお前だ。そして今の俺は単なるヒラ隊員。これが意味するところが分かるかロティ」 
静かに語り、うつむき加減になるコウインの立ち姿に、ロティは固い唾をごくりと飲み込んだ。 
何か奥深い意味が有るのだろうか? どうにも思いつかない。偶にしか聞けないありがたい説法に期待したのも束の間。 
「ふ、そうだ。俺とニムントールちゃんの間にあった障害は今は何も存在しないのだ。言わばシステムオールグリーン!!!」 
ドアを蹴破らんばかりの勢いで部屋を飛び出したコウイン。 
「待っててねニムントールちゃん。今は同じ立場のヒラ同士、大人の恋をしようね~~」 
言うが早いか、走り去っていったのが早いか、ニムにどつかれるのが早いか。 
遠ざかる背中を見送りながら思わず、「タフだなあ……」 
変なところで感嘆するのを止められないロティであった。