ゆっくりいこう

 宵のラキオス。
 悠人は、一日の疲れを癒すべく、光陰と共に風呂場へと向かっていた。
「いやー、今日も充実の一日だったな。なぁ、悠人よ」
「……疲れたよ」
「なんだなんだ、だらしがないぞ。あれしきでへばってどうする」
「……はは、は」
 疲れ果てた悠人は反論もままならず、くたびれた笑いで返すしかない。
 今日は実戦は無く、訓練があったのみ。
 しかし、弱点補強の訓練内容は、普段使わない筋肉を使って苦手な動作や不馴れな動作、不得手な技を練習するとあって非常に疲れる。
 疲労困憊の中、監督役をしているエスペリアに、
「短所を補うよりも、長所を伸ばした方が良いんじゃないか?」
 などと、解った様な言い訳をしてみても、
「私やアセリア、オルファなどの様に他の者の下で戦う者であれば、それも良いでしょう。コマとして、その特長を最大限に生かせる位置に付けば良いのですから。
 ですが、ユート様はそうではありません。
 ユート様はスピリット隊の隊長。ラキオススピリット隊の中心なのです。
 ユート様の弱点は、そのままラキオススピリット隊の弱点となるのです。
 手足となり動く者が幾ら強力でも、それを指揮するユート様がその扱い方を知らないのでは、各々の能力も満足に発揮出来ません。
 御自覚下さいませ」
 と、整然と諭されてはどうしようもない。

 それどころか、訓練を早く終わりにしたいが故の言い訳だったのが見抜かれていたのだろう。
「それにしても、まだ余計な事を考える余裕がおありなのですね。
 では、もう3セット程、追加致しましょう」
 にっこり笑って言われる始末である。
 視線で周囲に助けを求めるも、アセリアは「ん、頑張れ」と言うだけで、全く悠人の心情を理解していない様子。
 オルファリルは、悠人の視線の意味は察しているのであろうけれども、とばっちりを受けないように「あははー」と愛想良く笑って解らないフリ。
 ウルカは鍛練に集中していて悠人とエスペリアのやり取り自体に気付いていない。
 光陰は悠々と訓練をこなしつつ、まるで微笑ましい光景でも見るかの如く悠人とエスペリアのやり取りを眺めながら、わっはっはと笑うだけ。
 今日子は既にヘロヘロになって剣を振っていて、悠人に気を配る余力は全く無い。
 どこにも悠人に助けの手を差し伸べてくれる者はいなかった。
 結局、悠人は更に追加された訓練を息も絶え絶えになりながらこなし、そんなこんなで光陰の言うところの充実の一日を過ごしたのである。
 隣を歩く光陰も、悠人と同等以上の訓練をこなしたというのに、悠人が足取りもふらつき覚束無くなっているのに比べて、光陰は良い汗をかいたと言わんばかりの余裕の表情である。
 どうして光陰に勝てたのか、全く持って不可解だと、悠人はしみじみと思わざるを得ない。

 何はともあれ、風呂場、脱衣所の前。
 悠人は脱衣所の中に気配が無い事を確認する。
 疲れてはいても、確認は怠らない。
 戦闘と同じだ。
 戦闘とは、交戦開始のその瞬間には、既に結果が確定しているのだ。決して準備を怠ってはならない。
 攻撃回数の尽きた攻撃スキルや防御回数の尽きた防御スキルを装備したまま戦いに臨んだり、敵サポーターに赤スピリットがいるのにも関わらず、バニッシュスキルの用意も無くエスペリアをパーティーに入れて戦闘開始の号令をかけたりしてはならないのだ。
 相手との実力が伯仲していたり、こちらの体力がピンチだったりする時は尚更だ。ついうっかりでは済まされない。
 一度の油断で絶望の淵を覗いた経験のある者として、当然の心がけである。
 疲れきっている今だからこそ、体力注意力が落ちている事をしっかりと自覚して、平時よりも念には念を入れた慎重な判断や行動をとる必要があるのだ。
 細心の注意を払って扉を開ける。半身を隠しながら、脱衣所の中を見渡す。
 と、きちんとたたまれた服が、棚にあった。
「光陰、まだ誰か入ってるぞ……って、何でもう脱いでるんだよ!?」
「全く、毎度毎度お前は、何を不審者の様な行動を取っているんだ。
 悠人よ。いいか、よく聞け。
 今の時間は俺達が風呂に入っていい時間だ。きっちりと、そう定めているだろう」
 光陰の言う通りである。
 悠人達男性(といっても、悠人と光陰だけだが)が風呂に入れる時間は、きちんと決まっている。
 一方でスピリットメンバーの入る時間は特に決まっていない。朝でも昼でも夜中でも、掃除の時間でさえなければ風呂に入れる。
 悠人達と風呂で出くわしたくない者は、悠人達の入る時間を避ければ良いというだけの話だからだ。
 スピリット優先の割り当てに、光陰はそれを知った時ほんの少しだけ驚いた顔をし、そしてすぐに「悠人らしいな」と笑ったものだ。

「と言う事はつまり、俺達と風呂で出くわしたくない者は、風呂には入ってない。
 裏を返せば、今風呂に入っているのは、俺達と一緒に風呂に入っても構わない、って事だろう。
 そういう場合、下手な遠慮や気遣いは、無用どころか相手を傷付けかねないぞ」
「う……」
 悠人は言葉に詰まる。
 光陰の言う通り、今風呂の中にいるのは男女差を自覚していないか、或いは自覚していても気にしていない者だろう。
 そこにおいて悠人が遠慮してしまったらどうなるか。
 相手はきっと疑問に思う。悪くすれば恐縮する。
 男女差の自覚は無いかも知れない。けれども、人とスピリットという種族差を認識していない筈が無い。
 現実として、この世界でスピリットが受けているのは男女の区別以前に、種族差別なのだから。
 悠人が幾ら己の倫理観を語ったとて、誤解の可能性は排除しきれない。
 悠人はスピリットとは一緒の風呂にも入りたくないのだと、そう考えていると捉えられてしまいかねない。
 人の醜い部分を熟知している悠人だけに、そんな事まで考えてしまう。
 実際のところ、悠人のこの心配は全くの杞憂に過ぎない。悠人に対して積み重ねられた信頼は、そんなに簡単に揺らぐものでは無い。
 とはいえ、傍から見れば杞憂に過ぎない事をも真剣に悩むがゆえの悠人であるし、加え、疲れきった頭では、愚にも付かない事すらうじゃうじゃと考え、思い悩んでしまうものだ。
「確かにそう……なのかな。あ、でも……」
「おいおい、悠人。お前、一体何をしようとしてるんだ?」
「いや、誰が風呂に入ってるのかな、と思って」
「あのなぁ。女性の脱いだ服を見るなんて、礼を失するも甚だしいぞ。それは人として絶対にやっちゃいけない事だろう」
 因業坊主にも、彼なりの倫理観、道徳観はあるらしい。

「じっくり見る訳じゃ無いって! まぁ、確かに失礼は失礼なんだけど、でも! 今風呂に入ってるのは、うっかり間違って、って可能性もあるだろ?」
 あるのだ。
 つい先日も、アバウトな性格の今日子が混浴の時間を全く気にせずに風呂に入っているのに出くわし、悠人と光陰は理不尽にも黒焦げにされた。
 光陰一人が感電させられるのであればまだしも、風呂場は水が電気を通すので危険極まりない。
 確かに、まじまじと女性の着ていた服を見るのは悠人の倫理観にも反するし、そもそもにして恥ずかしくて女性の服をじっくりとなんて見る事の出来る悠人では無いのだが、一応、今日子の服で無い事だけは判ったので良しとする。
 今日子はこんなに丁寧に、脱いだ服をたたまないのだ。
 今日子で無いならば、問答無用で殺られる事にはまずなるまい。せめて言い訳の時間くらいは与えて貰えるだろう。

「ほら、早くしろよ、悠人。あんまりもたもたしてると、中にいる子があがっちゃうかも知れないだろ」
「……」
 そこでようやく、悠人は、はたと気付いた。
 疲労の極みにあるとはいえ、今までこの考えに至らなかったのは不覚としか言いようが無い。
 今現在、風呂場の中にいるのは、男女差の自覚が無い、即ち年少スピリットの可能性が非常に高いのではないか、と。
 年少スピリットの面々は、光陰を避けている節がある。
 光陰がいない時には、悠人が風呂に入っているのを確認して、大喜びで風呂場に飛び込んでくる(そして毎回怒られる)オルファリルやネリー達も、光陰がいる時は決してそんな事はしない。
 悠人は、自分の中にあった違和感の正体に気付いた。
 光陰が風呂に入る可能性があるにも拘らず、風呂に入っているスピリットがいるという、その本来ありうべからざる筈の事態に、悠人は妙な落ち着かなさを感じたのだ。
 思い返せば、今日は第二詰め所のメンバーの訓練は悠人達とは別メニューで、顔を合わせていない。
 つまり、中にいる誰かは、光陰がラキオスにいる事に気付いていない、若しくはその事を忘れている可能性があるのだ。
 見れば、光陰は既に素っ裸で、風呂場の扉に手をかけている。
「おい、光陰! 待て!! 前くらいタオルで隠せ!!」
「はっはっはっ、解ってないな、悠人よ。
 何を隠す必要がある。俺には恥じるものなど何も無いッ!!」
 うきうきという擬音が聞こえてきそうな勢いで、光陰は風呂場の扉を開け放つ。
 悠人も、光陰を抑えるべく、慌てて後を追う。


「……」
「……」
「……」
 湯煙の中、そこにいたのは、ナナルゥだった。
 勿論、全裸。ほんのりと桃色に色づいた透ける様な肌が、しっとり濡れて艶めかしく光を返す。
 服の上からは良く判らなかったのだが、実は脱いだら凄かった。
 凄いのである。
 どれ位凄いかというと、高名なハリオンの胸と同じ位に凄い。
 ハリオンの胸が、大きく、そしてたゆんたゆんとどこまでも柔らかでありながら、形は全く崩れないという一つの奇跡であるならば、ナナルゥの胸は、むっちりと張りがありながら、決して柔らかさを失わないというこれまたもう一つの奇跡。
 奇跡にも色々な形があるものなのだ。

 ナナルゥは、裸の悠人達が目の前に現れたというのに、微塵も慌てる様子を見せない。
 全く無頓着に、ふくらみの先端も、淡い茂みも、全てをさらけ出したままでいる。
 悠人は、どうしていいのやら頭が空回りするばかりで、固まってしまって動けない。
 光陰にしても、この相手は予想外だったのだろう。悠人の隣でどうしたものかと固まっている。

 最初に言葉を発したのは、やはりナナルゥだった。
「ユート様も湯浴みですか?」
「あ、ああ」
「そうですか。私が一緒では邪魔でしょうか?」
「い、いや、邪魔なんて事は全然無いんだけど、ちょっと、その、出来たらもう少し身体を隠してもらうと、助かる。
 目のやり場に困るというか」
「? 申し訳ありません。ユート様の仰る意味が上手く理解出来ません」
「胸とか、……とか、その、見えちゃってるだろ?」
「成る程」
 ナナルゥは頷く。
「ユート様は、ユート様と異なる身体的特徴を持つ私をお気遣い下さったのですね。お気遣い有難う御座います。
 ですが、その心配は私には無用です。
 身体的特徴に優越劣等を覚えるという感覚や感情を、私は自分の中に観測した事がありませんから」
 確かに、他人と異なる点というものが、優越感や劣等感に繋がるという事は良くある。
 他人と異なる部分を自分の美点と認識するか、欠点と認識するかで、それは自慢にもコンプレックスにもなる。
 しかしながら、その特徴があまりに標準と大きくかけ離れている場合は、欠点と見なされる事が殆どである。
 そういう観点からすれば、悠人とナナルゥの身体差異は非常に大きいと言えるだろう。何せ一方には何やら付いている箇所にもう一方では穴があったりするのだ。
 仮に男女という概念を無視し(そもそも、ナナルゥには性差の概念が希薄なのだろう。先程、悠人が脱衣所で考察した通りに)、悠人の身体を基準とすれば、ナナルゥの身体は(というか女性一般の身体は)異常と言って良い程に基準と異なる事になる。
 そこに立脚すれば、ナナルゥの身体は劣等を感じる十分な理由になる、という事だろう。
 だが、悠人の言いたい事はそんな事とはまるで別の次元の話なのである。
 劣等では無く、劣情の話なのだ。

 ついでに付け加えるならば。
 ナナルゥの身体が劣等に値するなどというのであれば、世の女性は一体どうしろというのであろうか。
 ヒミカやヘリオン辺りが、いじけて穴を掘る姿が容易に想像出来てしまうでは無いか。
「いや、そういう意味じゃなくて」
「それでは、見苦しいものを見せるな、という意味でしょうか」
「いやいや、それは無い。ナナルゥは綺麗だよ」
「そうなのでしょうか。有難う御座います」
「……って言うか、そうじゃなくて!!」
「?」
 悠人は混乱極まり、言葉がつかえて上手く出て来ない。
 ナナルゥは、そんな悠人の顔を確認するようにじっと凝視すると、落ち着き払って一つ一つ観察するようにじっくりゆっくりと視線を下ろしていく。
 遠慮の無い視線が、顔から、首筋、胸板、腹部、そして……
「ぽっ」
「うわわわわっ!? ちょっと待ってくれ、ナナルゥ!!
 そんなにまじまじと見て頬を赤らめないでくれよ!!」
 慌てて悠人は股間をタオルで隠す。
 光陰を急ぎ追いかけてきたまま、ずっと丸出し状態だったのだ。
「不思議です。良く解りません。
 何故、私の頬は赤らんだのでしょうか?」
「そ、それはまぁ、ともかくだな、ともかく! そんなにじっくりと人の身体を見ない事!!」
 お風呂に入ってのぼせたんじゃないのか? というお定まりのボケ台詞も出て来ない。そんな余裕は今の悠人には無い。

「やはり、見てはいけないのですか?」
「劣等感云々よりも、まずは恥ずかしいだろ?」
「恥ずかしい……ですか?
 …………」
 いつもよりほんの少しだけ眉根を寄せて考える様な素振りを見せ、そしていつもよりほんの少しだけ大きく目を見開いた。
「……あ、少しだけ、解ったような……気がします。
 今、ユート様にじっくりと身体を見られて感じている、この感覚、でしょうか」
「そう! 胸がドキドキするとか、顔が熱くなるとか、……って、いやいやいや、俺、じっくりとなんて見てないから!!」
「……」
「いや、だから、その……」
「……」
「……ごめん。見ました」
 平常と何ら変わる事の無いナナルゥの視線も、やましい心があると常とは違って感じられるものである。
 かくも世界は相対的なものなのだ。
「?
 ユート様が何を謝られているのかよく解りませんが、恥ずかしいとは、こんな感じなのですね。
 胸がドキドキして、全身が火照り、下腹部の辺りがもにゅもにゅとうずく感じが、『恥ずかしい』なのですね」
「下腹部がうずくって……び、微妙に違う気がするぞ」
「そうなのですか?」
「……うん。違う事にしておいてくれ」

「待て待て待て待てーい! ふっふっふ……若い、若いなぁ、悠人よ」
 すっかり困ってしまった悠人の後ろから突如笑い声が響いた。
「ふははははっ! 悠人、悪いな。今日こそは勝ちを戴くぜ」
 今まで黙っていた光陰が話に割り込む。そこにあるのは、にやりという不敵な笑み。
「俺のはどうだ、ナナルゥ」
 ナナルゥは目をぱちくりとさせて声のした方を見た。
「……コウイン様、いつからそこに?」
「初めからいたぞ」
「……失礼しました。全く気が付きませんでした」
「ぐはっ」
 ナナルゥの目には、光陰は全く映っていなかったらしい。
 光陰、ショック。
 しかし流石と言うべきか、鉄壁のディフェンダーはこの攻撃を耐え切った。
「くっ……ま、まぁいい。
 無意識にしろ、眩しすぎて直視出来無いという事もあるだろうさ。
 だが、ナナルゥ! 俺は逃げも隠れもせずにここにいるぞ!
 しかと見よ!!」
 光陰は素っ裸で仁王立ちになる。
 ナナルゥは、そんな光陰を見ると、そのまま無感動に目を逸らした。
 いや、目を逸らしたという表現は相応しくない。
 単に興味が持てなかったから視線を留めなかったという、ただそれだけの事である。
 何事も無かったかの様に悠人のほうに向き直り、言葉を紡ぎ直す。
「それはそうとユート様、先程の話の続きなのですが……」

「ちょっと待った!!」
 光陰が再び割り込む。
「はい、何でしょうか、コウイン様」
「今の反応は、否、今の無反応は激しく納得がいかん!!
 俺のこの身体を見て、ナナルゥは何も感じないのか!?」
「はい。何も感じません」
 即答。
「ぐはっ!」
 光陰、ダメージ。
「……だ、大丈夫だ。まだだ。まだいける。
 もう一度だ! ナナルゥ!! 俺の身体をもう一度、きちんと、じっくり見るんだ!!」
「光陰、お前……」
「悠人、男には負けられない時があるんだ! たとえ相手が悠人、お前であってもだ!! 寧ろ、相手がお前だからこそ負けられん!!
 これは男の勝負だ。恨むんじゃないぞ」
 光陰にしては珍しい、真剣な表情で宣言する。
 言葉や表情だけならばかっこいい。めったに人に見せない本気光陰である。
 やっている事はただの変態だが。
「俺のボディーを見て、感じたままを素直に表現するんだ!!」
「? コウイン様の意図は理解出来ませんが、私のすべき事は了解しました」
 ど~ん、と素っ裸で立ち誇る光陰を、ナナルゥは言われた通りにしげしげと観察する。
 こうまでじっくりと佳人に身体を観察されていながら、動じないどころか寧ろ誇らしげに堂々としているというのも、良い事なのか悪い事なのか。
 少なくとも、凡人の括りでは収まらないだろう。良くも悪くも。

 ナナルゥは、悠人にそうしたように、光陰の顔から胸、腹へと少しずつ視線を下げていき、そして……。
 無表情だったナナルゥは、光陰の股間を一瞥すると口の端を軽く吊り上げ、
「ふっ」
 と冷笑した。
「げふっ!」
 光陰、クリティカルダメージ。
「お、俺のは悠人のと比べても……」
「大きさ太さが絶対の正義なら、世の女性は男性など相手にせずに、すりこぎでも相手にしている事でしょう」
「げふあっ!」
「コウイン様の言う事も、人間の方々の一般論としては、あながち的外れと言う訳では無いのでしょう。
 私がその論に、何らの説得力をも感じないだけで。
 そして、コウイン様のものには微塵も魅力を感じないというだけで」
「ごふぅっ!」
 光陰は、ついにがくりと崩れ落ちた。
 しかし、ナナルゥの言葉は止まらない。
「最近では、大陸中央部やマロリガン地方との交流も多くなり、伴って様々な人種を含めた人の流れも増えています。
 ラキオスの女性の間でも、最近は、どこそこの地方の男性の太いのが良いだとか、長いと奥に届いて気持ち良いだとか、やっぱりこっちの地方の男性の硬さこそが重要だろうとか、様々に言われているようです。
 ですが、正直に申しまして、その辺りの感覚は、私には全く解らないのです」
 あまりにも直接的なナナルゥの発言に、横で聞いているだけの悠人の方が赤面してしまう。
 基本的には純情ボーイである悠人にとって、整った顔立ちの女性の口からそんな言葉が出て来るだけでも刺激が強過ぎる。

 何とか冷静さを取り戻そうと、悠人は言葉を発する。
 黙って話を聞いていては、風呂に入らないうちにのぼせて倒れてしまいかねない。
「……どこでそんな情報仕入れて来るんだ?」
「セリアが『人間の価値観を知る』という目的で購入してきた女性週刊誌に書いてありました。
 その本を顔を赤くしたり青くしたりしながら読んだセリアが、『読んでいるだけで、頭がおかしくなってしまいそうだわ……』と言って、私に焼却を命じたのです。
 それを、折角ですから処分する前に私も読んでみたのです」
「そんな本、読まないでくれ、頼むから」
 セリアは純粋に人間の事を理解しようとしてくれたのだろうが、週刊誌も下世話な記事を掲載してくれたものだ。
 その書かれた記事内容を間違いと言いきる事も出来無いが、その下世話な記事のとばっちりは、セリアにとって唯一身近な人間である悠人に来るのだろう。
 悠人は何もしていないというのに、冷たい侮蔑の視線を投げかけられる事になるに違いあるまい。
 多少の納得いかなさを感じて、悠人は溜息をついた。明日セリアに会うのが怖い。
「ユート様がそう仰るのでしたら、次からは見つけ次第に速攻で消し炭にします」
「そこまでしなくていいから、読まなきゃいいって」
 ここで肯定したら、本屋が火事になりかねない。
「了解しました。
 それはともかくです。
 その本に書いてあった事は、私には良く解らない事ばかりだったのです。
 太さ、長さ、硬さや、色形等、事細かな説明や写真も載っていたりしたのですが、何度読んでも、幾ら見ても、何も感じませんでした。
 コウイン様のものを見ても、同様です」
 膝を突いて喘いでいる光陰に、更に追い討ち。
「コウイン様のものには、全然、全く、まるっきり、何も感じるところがありません。
 それでも強いて表現するならば……そう、哀れ、でしょうか。
 或いは、( ´_ゝ`)フーン」
「むぎゅう」
 容赦の無い追い討ちに、光陰がばったりと倒れ伏す。

「ですがユート様のものを見ますと、胸にズキューンと突き刺さると言いますか、下腹部がうずうずと刺激されると言いますか……」
 自分のものは取り立てて立派でもないと悠人は自分では思っている。
 実際、ナナルゥが読んだと言う週刊誌の価値基準で比較すれば、悠人のものは光陰のものよりも遥か下にランク付けされる事だろう。
「少々皮が長めなところなどは、慎ましげで良いかと思われます。
 ちょっとばかり曲がってるところなどは、軽く小首を傾げている様で可愛らしいと思われます。
 そんな……気がしますが……。いえ、こんな理屈の問題では無いような気もします。
 ……やはり心というものは、私には難解です」
 これは何の羞恥プレイか、罰ゲームなのだろうか。
 悠人は顔から火が出そうになりながら天を仰ぐ。
 真っ白になって倒れていた光陰が、ここでようやくふらふらと立ち上がる。
「……」
「光陰?」
「……悠人よ、俺はもうダメかも知れん。
 生物として、男として、自信を失った」
 光陰は、弱々しく呟くと、そのままふらつきながら風呂場を出て行く。
「結局、悠人にはかなわずじまいか……は、ははは……」

 半ば呆然と、光陰の煤けた後姿を見送った悠人の横から、「くしゅん」と可愛らしいくしゃみが聞こえた。
「あ、湯冷めしちゃったんじゃないか?」
 今までの流れを吹っ飛ばして、悠人は純粋にナナルゥを気遣う。
 いかなる状態の時でも、瞬時に他者の事で頭が一杯になってしまうのが悠人らしい。
「はい。そのようです。自分が裸でいるのも忘れて、つい見惚れてしまっていました」
「見惚れ……それは、まぁ、置いといてだ。ナナルゥ、もう一度湯に浸かった方がいいぞ」
「はい。そうします。では、ユート様もご一緒に」
「い、いや、俺は……っくしゅん!」
「……」
「いや、これは……」
「……」
「う……わ、わかったよ。一緒に入ろうか」
「はい」
 ナナルゥは悠人の言葉に、心なしか笑ったようにも見えた。

「俺は最初に身体流すから、先に湯船に浸かっててくれ」
「了解しました」
 悠人は身体を軽く洗い流すと、多少躊躇って、結局先に湯に入っていたナナルゥから少し離れた位置で湯に浸かった。
 ナナルゥはそれを確認すると、こちらは全く躊躇無く立ち上がり、悠人の側へと移動する。
 あれよあれよという間に、ナナルゥは悠人の真横に腰を下ろし、しなだれかかる様に柔らかな身体を密着させて寄りかかり、悠人の肩の上に形の良い頭を乗せて落ち着いてしまう。
 ナナルゥに無防備に身体を預けられ、悠人はもう身動き一つ出来無い。屈強な男にがっちりと押さえつけられても、まだこれよりは身動きが取れようというものだ。
 視線を動かすと、女性の胸というものはお湯に浮くのだなぁと、妙な発見をしてしまい、急いで目を逸らす羽目になる。視線すらも、自由にならない。
 そんな悠人の煩悶に全く頓着せずに、ナナルゥは、ほうっとひとつ息を吐いた。
「なぜでしょう。何だかとてもほっとします」
 それがあまりにも安心しきった穏やかな声だったから、悠人は混乱や緊張すら忘れた。
「入浴は、単に老廃物を洗い流す作業であると認識していたのですが……ユート様とお会いしてからというもの、私の認識していたものの悉くが、どんどん変わっているようです。
 これは、世界が変わったというよりも、私が変化しているのでしょう。
 それが私は、少し怖い……のかも知れません」
「そっか」
「はい」
 ナナルゥは自分では認めていないものの、豊かな心を持っている。
 けれども、その奥深くにしまい込まれた心を表に出せるようになるには、やはり時間が必要だろうとも悠人は思う。
 悠人がここで何かを言うよりも、ナナルゥが自分自身で見出し、戸惑い、悩み、認めていく事こそが、ナナルゥの心の為に大切だと思ったから。
 それら心の中身は、安易に言葉に置き換えられるものでは無いとそう感じたから。
 だから悠人は何も言わずに、ただナナルゥの身体を優しく支えた。

 焦る必要は無い。
 少しずつ時間をかけて、凍った心を溶かしていけば良いのだ。
 二人はそのまま並んで湯船に浸かり、ゆっくりと温まったのだった。


おしまい