嫁乙女笠の内

「最近また少し痩せたんじゃない、セリア」
「そうね……うーん、ここ暫く暑かったから」

 さて。

「それにしてもぉ~、すっきりとしましたねぇ~」
「やっ! もう、ちょっとハリオンどこ触って」

 どうして俺が。

「ふふ、同性としては羨ましいですよ」
「ファーレーンだって綺麗に括れてるじゃない」

 こんなお花畑のように華やいだ会話に。

「ヒミカだってぇ、負けてはいませんよねぇ」
「近づかないで。手をわきわきさせながら近づかないで」

 側耳を立てつつ息を潜めつつ。

「暑いとつい、使っちゃうのよね、アイスバニッシャー」
「なるほど、それで余分なマナ脂肪が燃焼されるのですね」

 こんな所に隠れているのかを。

「でもホント羨ましいわ、出る所はちゃんと出てるんだから」
「ブルースピリットの~。特権ですねぇ~」
「あっ! もう、ハリオン?!」
「理不尽です。私もヒートフロアで」
「止めて。とりあえず、ここで唱え始めないで」

 説明すると、とても長くなるのだが。

「つまり、風呂から上がった所で鉢合わせ、つい隠れてしまった訳だ」
「しーっ! 判ってるのか、お前も同罪なんだぞっ」
とても短く纏められてしまい、思わず小声で突っ込む。
そう、ここはラキオススピリット隊入浴施設、の脱衣所だった。

『ふむ、契約者よ、何故隠れる必要がある?』
「そうだぞ悠人、俺達はなんら後ろめたい事はしていなげへへへへ」
「涎拭けよ」
『ウバエ、オカセ』
「いたっ! あたたたっ! 黙れこの非常時にっ」
『ふん、非常時か』
「非常時というよりは被情事だよなわはははぐっ!」
「……誤植は良くないぞ光陰」
気色の悪い意見一致を遂げた二人の口を塞ぐ方法をようやく思いつき、
アホ面を晒している光陰の口の中へと盛大に『求め』の剣先を突っ込む。
膨大に膨れ上がった凶悪な『求め』のオーラを受け、奴は目を白黒させた。
「ングッ! ンンンンッ」
「クククどうだバカ剣、光陰の口臭マナは。存分に、存分に味わえ」
『グオオオッ! 我ガッ! 我ガ消エテッ!』
「……え、うそ、そんなに酷いの?」
それでうっかり意志も飲み込まれそうになったが、驚きの事実に我に返る。
狭いスペースの中で、ちょっと引いてしまう俺であった。

 それにしても。

「はっ、はっ……はふぅ」
「んふふ~。セリアさん、ツンツン硬くなって、可愛かったですぅ~」
「な、何度か描いてはいたけど……直接見るのは初めてだったわ」
「そ、そうですね私も後学というかふあぁっ!」
「へっへっへ。良い声で鳴くじゃねえか」
「あっ、ちょ、ナナルゥ、なんか性格変わってませんかあんっ」
「良いではないか良いではないか」
「あっ、あっあっ、そこ、弱、らめぇっ」

「……ごくり」
「と思わず喉を鳴らしてしまう悠人であった」
「うお心を読むなくっつくな! 口臭が移るっ」
「まだ言ってるのか。折角『求め』は俺の華麗なる舌技で大人しくさせてやったのに」
「何が舌技だ何が華麗だ」
確かにあれっきり、『求め』の意識は悶絶でもしたのか何の干渉もしてこない。
ただ、それはありがたいのだが、残った生臭坊主の始末に困る。
「狭いんだから、あまり動くなよ。気色悪い」
「変な奴だな。男同士、何を恥ずかしがる事がある」
「嫌なんだよっ。汗がべたべたとっ」
そう、つまり俺と光陰は、入浴を終えて裸のまま脱衣所に行き、
ごく当然のようにそこで服を着ようとして、彼女達と遭遇してしまったのだ。
話し声が聞こえてきた際、何故か咄嗟に服では無く『求め』を掴んでいたのが失敗だった。
戦場で染み込んだ癖というか、敵襲とかと同じ戦慄が走ったのかも知れない。
そしてそんな状況にも全く動じず、というかむしろ少しは動じて欲しい所だったのだが、
すっ裸のまま堂々と腰に手を当てウェルカムとばかりに入り口の方へ向き直した光陰の耳を引っ張り、
飛び込んだのがこの掃除用ロッカー。竹箒だのモップだの何故か牛乳臭い雑巾まである。

「見事なまでの状況説明台詞だな悠人。流石は主人k」
「お前は見事なまでの変態っぷりだったよ光陰。あそこで前を隠さない奴は見たことが無い」
「わっはっは。そんなに褒められると照れちまうぜ」
「いや、褒めてないよ褒めてないから」
「ちょっと待て悠人、どうやら第二の犠牲者が出たようだ」
「お前な、少しは人の話を……ってだから覗こうとするなって」

 がた。

「あら、今何か音がしなかった?」
「気のせいでしょう~。それよりも~」
「そうね、ちょっとセリア、ファーレーン。風邪引くわよ」
「う、……うーん」
「あ、あら? わたひ……」
「まだ上手く舌が回らないようね。自分で起きられる?」
「大丈夫……くっ、腰が」
「ひ、膝も震えて」
「色々な所が加湿されているようです」
「もうっ。ハリオン、今度は許さないからね」
「ナナルゥも……お願いしますよ?」

今、ここには僅かな灯しか差し込んできてはいない。
下部換気口は現代世界の教室にあったロッカーと同じで斜めに切り込まれ、
外からも、また内からも扉の向こう側の様子を窺うような構造には出来ていない。
しかし一歩間違えば、確実に彷徨うのは生と死のデッドライン。
「くっ……狭いな」
「おい、止めろよ光陰。見つかったら殺されるぞ」
「ふっ。なら、そのお前の極限まで這い蹲ろうとしている体勢はどう説明するんだ悠人」
「こ、これはその、お前を止めようとだな」
「無理するな。どうせ、前屈みにならないと貧相さを隠せなくなったんだろう?」
「なっ! 少なくとも、お前には負けない。佳織のためにも負けるわけにはいかないんだ」
「わっはっは、戦闘台詞で強がるな。だが悠人よ、いかに短小なお前とて想像はしたはずだ」
「どさくさに紛れて変な認定を?!」
この密着した状態で、光陰は器用にも俺の首根っこを羽交い絞めにし、耳元で囁いている。
どうでもいいが押し付けられた腰にぶら下がっているものが非常に不愉快だ。
だが下手に暴れて露見すれば、ラキオスどころかファンタズマゴリアにも安住の地は消滅する。
逃亡しても、地の果てまで追いかけてきそうな猛者が扉一枚の向こうには揃っているのだから。
よりにもよって脱衣中で。そう、脱衣中で。……脱衣。つまり、その。

「隠すなよ。ハリオンの絶技に揉みしだかれて桜色に染まるセリアの双乳」
「……」
「喘ぐファーレーンの喉元、ナナルゥに組み伏せられて弄ばれる禁断の園」
「……ごく」
「お、喉が鳴ったな」
「ち、違っ! これは」
「悠人。エトランジェとか言われてても、俺達だって所詮健康な男の子」
「は?」
「このぐらいの妄想はむしろ当たり前だ。彼女達だってそこんところは理解してるさ」
「……そ、そうなのか?」
「ああ、お前だっていつまでも佳織ちゃんじゃないだろう。この辺で妹離れを見せてやれ」
「いや、それとこれとは話が別」
「違うな。正常な興味を示せば、佳織ちゃんだって安心する。それが兄の義務ってもんだ」
「う……佳織の、為」
「そうだ悠人、これは佳織ちゃんの為だ。辛いだろうが、耐えろ。俺だって辛い」
「……判った。佳織、お兄ちゃんは耐えるからな」
この時点で光陰の意味不明さに全く気が付かなかったのは多分その場のノリであって、
破戒坊主の巧みな宗教的勧誘とかについうっかり乗ってしまったとは出来るだけ思いたくない。
それでも結局俺はふらふらと、誘われるままに四つんばいになり、顔を床に押し付けてしまった。
光陰も俺の後ろから片膝立ちのまま背伸びをし、扉の上部へと両手で縋りつく。
そう、この形式のロッカーは、扉最上部ににも切り込み口がある。
ただ、その角度もやはり仰角なので、相当見下ろす体勢にならないと天井しか見えない。
しかしなんというか、丁度この、密接した背後から腰を押し付けられているような体勢は。
「……なぁ、光陰」
「くっ、もうちょい……なんだ、悠人」
「いや、さっきから、頭の上に乗ってるんだが」
「大事の前の小事だ、気にするな」
「いや、気にするだろ普通?」
「うるさいな、今俺はナナルゥのうなじとかで大変なんだ」
「俺の頭の上でもぴくぴくぺちぺちと大変なことになってるんだよっ」
というかどんなセクハラだこれは。気になって煩悩どころの騒ぎじゃない。
文句を言おうにも大声は出せない状況だし、迂闊に見上げるのはアングルが危険すぎる。

 ぽさっ。

「ナナルゥ、大胆な下着ねそれ」
「そうですか?」
「そんな細くて、戦闘中に切れたりしないの?」
「問題ありません。伸縮自在です」

 ぽさっ、ぽさっ。

「意外にセリアはレース派なのよね」
「意外って、失礼ね。いいじゃない」
「駄目だなんて言ってないわよ。薄いブルーも清潔そうだし」
「そ、そう? ありがと。うん、まあ一応嗜みでもあるし」
「一体誰への嗜みなのですかぁ?」
「煩いわねっ……ってうわ」
「ハリオン……その太いワイヤーは反則ですよ」
「こうでもしないとぉ、すぐに緩むんですよぉ~」
「ファーレーンの黒一色、というのもどこか拘りというか自己アピールを感じるわね」
「そ、そんな私はただその」

 ぽさっ、ぽさっ、ぽさっ。

「ヒミカの薄いピンクはやっぱりレッドスピリットだから? 可愛いからいいけど」
「別にそういう訳じゃないけど、やっぱり生地には拘らないと。吸湿性が一番よ」
「私はしっとりよりもさらさらの方が良いです」
「人それぞれですよ~」

 ぽさぽさぽさぽさっ。

「……」
「お、おい悠人? 大丈夫か、さっきから妙な痙攣が伝わってくるぞ気持ちイイじゃないか」
「くっ……ここでどこからって突っ込みは無しなんだろうなやっぱり」
「仕方のないやつだな、ほれ、これで拭け」
「とか言いながらお前のトランクスを渡すなっ!」
などと馬鹿なやりとりを繰り広げながら、一方目の前の脱衣篭へと舞い降りてくる花びらの、
目に眩しすぎる華やかさに戸惑いつつも迸る鼻血を抑えきれないのが悲しいやら嬉しいやら。

「それにしても綺麗な肌ですね」
「そうね、きめ細かいというか。家事とかで手くらいは荒れていそうなものなのに」
「いやですよぅ、皆さんそんなにじろじろと見ないで下さいぃ~」
「別にじろじろ見てる訳じゃないからそんなにくねくねと……わ、揺れる揺れる」
「す、凄いですね……」
「何というか、迫力を感じます」
「そう言うナナルゥだって。肩、凝らない?」
「それなりに」
「やっぱりね。私も最近は少しなんだけど」
「セリアも? 実は私も最近少し凝ってきてまして」
「あと、剣を振り切る時邪魔になるのよね」
「戦闘中、気が立ってくるとつい敏感になるのも集中力を削いで困りものです」

「はぁ……その会話が羨ましいわ」
「ヒミカも肩が凝りたいのですか?」
「違うわよ、もう。……でも、もう少しボリュームは欲しいかな」
「ヒミカのは形も色艶もベストだと思いますけど~。でも方法も、無い訳ではないですよ~」
「え、ホント?」
「はいぃ~。殿方に揉まれると、大きくなると伺っていますぅ」
「殿方って……ちょっ! な、なな隊長にそんな事頼めるわけないでしょっ!」
「あらあらぁ~、誰もユート様だなんて言ってませんが~?」
「やっ! ち、違う、違うのこれはっ」
「ふふ、ヒミカ、真っ赤ですよ」
「あんなののどこがいいのかしら、判らないわね」
「赤く染まった頬に体温の上昇を感じます。セリア、同じ事を連想したのでは?」
「っっナナルゥっ! 勝手に人の心を――――」
「自爆?」
「自爆ですか?」
「自爆ですねぇ~」
「はうぅぅ……」
「で、ですがその」
「ん~? ファーレーンもですかぁ?」
「あ、いえ、決してそうではないのですが、殿方といえばユート様しかいらっしゃらないですし」
「そ、そうよ、ユート様しかいないから、つい連想して」
「そうそう、仕方ないわよね、他に居ないんだから」
「ん~、なるほどぉ~。言われてみればぁ、そうですねぇ」
「所謂刷り込みですか」
「そもそもその話、本当なの?」
「勿論、トシデンセツですぅ~」
「なんだ、トシデンセツか」
「トシデンセツじゃ仕方ないわね」

「……」
「……」
なんか頭の上に乗っているものがしおしおになった気がする。
と思った時には殆ど馬乗り状態だった光陰が扉からそっと身を起こしている所だった。
天井に遮られている分首が変な方向に曲げられているが、多分本人は気にしていない。
俺もようやく落ち着いたというか彼女達の発言が恥ずかしいやらちょっと残念やらで忙しいのだが、
とりあえずこう、最悪の事態を逃れたのもあって急激に熱は冷めたというか。で、それはそうと。
「……なあ、光陰」
「言うな」
「お前の存在感って」
「よせよ悠人。それ以上言われると恥ずかしいぜ」
「……」
「……」
暗闇の中でも一層どんよりとした光陰に、恥ずかしい、の使い方が色々と違う、とはとても言えない。
きゃいきゃいと黄色い声が浴場へと去っていっても、脱衣所を包む嫌な沈黙はそのまま暫く続いた。
そしてその間俺達は、風邪を引く限界ぎりぎりまで素っ裸のまま牛乳臭いロッカーに佇む事となった。
――――それにしても、都市伝説だったのか。

傷心の光陰を送り届けた後、第二詰所の廊下で風呂上りのナナルゥとすれ違う時、
「お、ナナルゥ、風呂か?」
「……ふっ」
「!!!」
さりげなくとぼけた台詞で誤魔化したつもりが、
ほんのりと上気した胸元をくつろげながら意味深な笑みを浮かべられ、
背中に掻いた大量の脂汗を流しにもう一度浴場へと向かったのは内緒だ。