第一詰所の一室。
壁際の柱に付けてしまった沢山の傷。
その一つ一つをいとおしげになぞりながら、少女は瞳を潤ませる。
「……パパ、あのね」
「……ん?」
「オルファ、どうしてみんながお墓なんか作るのか、全然わからなかったの」
「……」
「だってみんな死んじゃっても、またしばらくしたら帰ってくると思ってた……」
「……」
見守るのは、青年。
指が白くなるほど握り締め、震える少女の訴えを懸命に受け止める。自覚させたのは、他ならぬ彼だから。
「でも違ってたんだよね……オルファ、間違えてたよ……」
「え……」
「だからね、全部……全部戦いが終わったら……お墓、作ってあげるの」
少女の告白は続く。
小さな心が押し潰されてしまわないように、胸元を懸命に抑えながら。
美しい黄金律も崩れてしまっている眼差しに、大粒の涙を浮かべながら。
「オルファが殺しちゃった敵さんも、数えておかなくちゃ。誰も憶えてなかったら可哀想だもんね」
「オルファ……」
スピリットは、同胞を殺す。そんな当たり前の概念の中に。
何の疑問も持つ必要のなかった命題の中に、投じられた一石。
「オルファが倒しちゃった人も……誰かにとっては、大切な人だったかもしれないんだよね……」
次第に広がる波紋はやがて、そんな当たり前の事実に直面する。
当たり前すぎて、眩しすぎて。私達が、誰も気づかなかった事実。
ともすれば、知らなければ良かったと思うほどに、大切な心に。
「ハクゥテがいなくなって、オルファが悲しいのと同じで……その誰かも……きっと、悲しいと思う……」
「……ああ、そうだろうな」
青年が突きつけるのは、厳しい肯定。慰めも誤魔化しもない、真っ直ぐな諌め。
救いの無い言葉は刺さるようで、こんなにも痛く苦しく、悲しい。
「だから……オルファ、自分も敵も生命を持っていて、それを奪い合っているという事を忘れないでくれ」
「……」
「俺たちは、大変な事をしているという事だけ、思っていてくれれば、それでいい」
なのになぜ、抑揚はこんなにも心地好く胸へと沁みこんで来るのか。
その答えはきっと、黙って耳を傾けている少女が浮かべる、くしゃくしゃな微笑みの中にあって。
「うん、わかったよ、パパ……」
「そんでさ、そう考えてる俺たちが頑張れば、戦争を終わらせる事が出来るんじゃないかな?」
「……それ、オルファたちで?」
「ああ」
「……そうなったら、いいなぁ……」
少しだけ大人びた少女の呟きを後に、そっとその場を離れる。
今、自分に出来ること。尊い約束を教えられた心の中に、清々しい風のようなものを感じながら。
======================
「……お姉ちゃん、なにやってるの?」
「あ、あらニム、気にしないで。たいした事じゃないの」
「ふーん。あ、その柱の傷、なに? 前から訊こうと思ってたんだけど」
「だだだから気にしないでっ! ……あ、こほん」
「……いいけどさ。擦っても中々消えないと思うよ、そんなに深く削ってるんだし」
「っっ!」
「え、あ、お姉ちゃん? そんなにどんよりするような事、ニム、言った?」
「……いいの。本当に気にしないで、大丈夫だから」
「はぁ、よくわかんないけど。元気出してね、お姉ちゃん」
「ありがと、ニム。……あ、そうだ」
「うに?」
「これが終わったら、ちょっと手伝って欲しいのだけれど」
「いいけど。何?」
「ええと……ひのふの……ちょっと沢山、土を掘らなくてはならなくて」
「はぁ? 土? どうして?」
「え、ええ……ちょっと」
少女は言葉を濁したまま、一心不乱に柱の傷を磨き続ける。
そこに刻まれた、"ニムントールに近づいてきた異性"の数。
その一つ一つを丁寧に、決して忘れないようにと心に誓いながら。
「……お姉ちゃん、泣いてる、の?」
「え、どうして? 全 然 そ ん な こ と な い わ よ……クスクス」
その平坦すぎる抑揚が、なぜこんなにも不気味に伝わって来るのか。
答えはきっと、少女が浮かべているくしゃくしゃな微笑みの中にある。