エンジェル・ハイロゥ

ラキオススピリット隊第一詰め所と同第二詰め所を繋ぐ道には、森がある。
その森の、詰め所を繋ぐ道を外れて少し深く入ったところにシアーはいた。
大きめの岩がちょうど座るのにちょうどいい形になっているところに座っている。
時間としては、もうすぐ夕方。
空が少しずつレンガ色に染まっていくのが天を覆う木々の葉の隙間からもわかる。

静かに両目をつむり、ただ自分を包み込むその時の全てにシアーは自分をゆだねている。

風に、心をゆだねる。
音に、心をゆだねる。
においに、心をゆだねる。
肌に感じられる全ての感触に、心をゆだねる。
両手に自らの半身ともいえる永遠神剣『孤独』を抱きしめて、心をゆだねる。

今は、『孤独』から感じるマナの波もとても穏やかに思える。

ふと、思い出す。
先日の戦いで自らの剣で殺したスピリットの断末魔の表情を。
ただ無表情に機械的なまでに激しい剣戟を交わしていたのが嘘のように。
まるで、殺しあっていたのが嘘だったかのように唐突に呆けた表情をしていた。
その時だけ、今まで失くしていたこころを突然取り戻したかのように。
自分の胸に深く刺さった『孤独』を見やったあと、シアーと目が合った。
痛みを取り戻し、口から血と泡を吐いてもがきながら、シアーの目をじっと見ていた。
黒い光輪と黒い翼も、その身体も何もかも金色のマナの霧と散っていく。
完全にあとかたもなく散るその時も、そのスピリットはシアーをじっと見つめていた。
シアーは、そのスピリットの視線から自らの目を外す事が出来なかった。
スピリットの表情には苦悶こそあれ、そこには憎悪も敵意もなかった。
あったのは、生きたい、死にたくない、そんな意志のあらわれだった。

『孤独』を抱きしめる両腕に、わずかに力がこもる。

ふと、思い出す。
エトランジェ・ユート。
彼は言う、誰にも死んで欲しくないと。
もうこれ以上、自分の呼ぶ不幸の巻き添えで誰かが死んでいくのを見たくないと。
彼は言う、人間もスピリットも同じだと。
多少の違いこそあれ、自分もエスペリアもシアーたちも何一つ変わらないと。
彼は言う、生きてみよう、と。
戦いのためだけに生まれた自分たちにも、戦い以外に生きる道が必ずあるはずだと。

あのサモドアで彼がアセリアに差し伸べた手が何故か自分にも向けられている気がした。

そっと目を開き、抱きかかえていた『孤独』を少しだけ鞘から抜いて、その刃を見る。
彼が来てから、少なくとも自分と『孤独』の繋がり方も少し変わってきたように思える。
今までは振るうたびに感じた、『孤独』が無邪気にマナを貪る感覚が以前よりも薄くなった。
『孤独』の、ただマナを求める欲求と悦びがシアーの心に割り込んでくる感覚が薄くなった。
なんだろう、以前よりも自分自身の足で立って歩いている感覚が少し強くなったように思える。
『孤独』との距離が遠くなったようには思えないが、自分と神剣の繋がり方が変わったように思える。

そういえば、彼はスピリット隊一人一人の神剣の繋がり方、そのかたちに関して敏感だ。

「どうして、なのかな」

小さな呟きが、小さく薄い唇から漏れる。

「何が?」

もう聞き慣れた声が、自分がこの場所へ入ってきた時の方向から聞こえてくる。

「…ユート様?」

よっ、と軽く手をあげてがさりと草で覆われた地面を軽く踏み鳴らしながら悠人はシアーの前に歩み寄る。

「晩飯の時間だけど、シアーがまだ帰ってないとネリーが言うからさ。探しに来た」

座っているシアーの目線にあわせてかがみこみ、少し微笑みながら手を差し伸べる。
シアーは、その差し伸べられた手を少しの間見つめて、やがてそうっと自分の手を重ねる。
悠人の手に自分の手を重ねて、軽く握って、また目を閉じて再び感覚に心をゆだねる。

「…おっきくて、あったかい。優しくて…あったかいの」

確かに感じられる悠人の存在が、シア-にはとてもここちよい。

「そういうシアーも、何だか今は佳織に少しだけ似てるな」

目を開けて、顔を上げて悠人の目をじっと見つめる。
悠人は、そんなシアーにただ少しだけ照れくさそうに微笑んでいるだけ。

「ほら、立って。そろそろ帰らないとみんなが晩飯を食べるの遅くなるからさ」

促されて、悠人に重ねたままの手をひかれて立ち上がる。
不意に、少しだけ自分の中のマナの波に小石を投げてみる。
シアーの頭上に光輪が、背中に翼が展開されて、少し暗くなってきた辺りを照らす。

「…よかった」

突然に、そんな事を悠人が言い出す。

「シアー…前よりも、ハイロゥが優しい白になってきてるよ…うん、本当によかった」

そう嬉しそうに言う悠人の目は、とても優しかった。
シアーは、悠人の手を更にきゅっと握って、こくりと軽く頷いて…それから微笑んでみせる。

「ありがとう…ユート様」

それはほんの小さな巡りあわせが、後にとても大きな奇跡をもたらした、その中の一つの小さなお話。

終わり