ポキュ。ポリポリ。 
「うーアツ~」 
俺は深緑色をしたラスェレを丸かじりしながら、食堂の勝手口に座り込んでいた。 
意識しなくとも、暑さに対して言葉がだだ漏れる。 
「あー北方五国とかって言っても関係ないんだもんなあ」 
嘆きながら、夏らしい濃い色の空を見上げた。ワクのうるさすぎる鳴き声が容赦なく降りそそぐ。 
ここは北向きの戸だから日を直接浴びる事はないけど、暑さはそう変わらない。まあここは少しは風が通り抜けてくれるのが救いだろう。 
先日城で久々に会った古参の訓練士もぼやいていたが、今年は記録的残暑であるらしい。 
だからと言って、男なんだからと流石にパンツ一丁で居るわけにもいかない俺は、ザックリしたシルエットの半袖短パンでぐったりしていた。 
女ばかりというのもこう言うとき不便だよなあ、とぼやきつつ、再びポキュッと音が鳴る。 
ラスェレのピクルス。いや漬け物という方が似合ってるかもしれない。キュウリにそっくりだが、そのままでは苦すぎて食べられたものじゃないこれを、 
なんというか――糠漬けというのか? 何か良くわからない穀物粉に酒やらなにやら入れて、しばらく寝かせたところに漬け込んで、 
さらに数日置いたものが、今食べてるこれだ。 
味もばあちゃんが作ってた奴に似ていて、正直懐かしい味に目が潤んでしまったのを、アセリアが不思議そうな顔して見てたっけ。 
対面から手を伸ばしたかと思うと、咥えられたラスェレがアセリアの口に見る間に飲み込まれていった光景はなんだかシュールだった。 
そんなわけで、郷愁を誘う味をおやつにしながら昼時ファンタズマゴリア大陸を迎えていた俺の腹。 
夏バテだけはしない体に両親に感謝しつつ、首を巡らすと、エスペリアが見える。 
キッチリと常時着込んだ緑のメイド服。首元をくつろげる事すらしないのが勘所と言うか。 
流れる汗を上品にハンカチで拭く姿は、今日子辺りに見習わせたいところではあるが、如何せん。やっぱりここまで我慢するのもなあ、と思う。椅子に座って赤い顔で荒い息を吐いている様に俺は堪らず、 
もっと軽装にしたほうがいいと助言もしたのだが、エスペリアはこの点非常に頑固だった。 
ハリオンの戦闘服なんか涼しいだろうになあ、と思ったけど、想像したら余計に暑くなりそうだから必死にバニッシュする。 
「ふぅ……さて、と」 
今にも倒れるんじゃないかといった面持ちのエスペリアが昼食の用意に立ち上がった。 
暑いのに毎日大変だよな、こんなバカ暑い日に一人でやらせるわけにもいかないよな、と思考した俺も手伝うために立ち上がる。 
開け放した勝手口からは詰所の中庭が見える。う~んと伸びをして滲んだ目端に映った緑色のものは……あ、この間の――ピコーン。 
「そうだ! エスペリア!」 
俺の突然の大声にびっくりして目を丸くしてるエスペリアは本人には言えないけど、とても可愛かった。 
俺はまず、エスペリアを風呂に押しやり汗を流すように言った。なかなか従ってくれないエスペリアには参った。義務感というか責任感というか。 
その間にアセリア――涼しい顔で部屋で彫刻していた――を捕まえてかくかくしかじか説明する。 
一緒にいたのを見つかったセリアは、俺の顔を見るなり何故か狼狽していたが、仲間に引き込む。人手は多い方がいい。 
材料はある。基本的に廃棄物なのだからきっと彼女も了承してくれるだろう。 
そして次は、厨房に行ってお湯を沸かす。手にはザラリと大量のハクゥテ。 
ラキオス市中に架かる橋のたもとの製麺所で試作として作ったものの、イマイチ市民の支持を得られなかったと言う極細麺だ。 
市場でその噂を聞いて格安で入手しておいたそれを最大火力で一気に茹で上げる。出来たら、長風呂のエスペリアだからなんとか出てくる前にと思う。 
カンッカンッ。 
お、やってるな。 
中庭で響く槌音に何だか安心する。 
大きな鍋の前から離れて勝手口からのぞいて見れば――「うわ、なんでみんないるんだ?!」 
俺の声に気付いた光陰、イオや第二詰所メンバー達が一斉に俺を見た。あれ? なぜかセリアは親指をくわえてそっぽを向いている。どうしたんだろう。 
「よう悠人。お前にしては風流な事考えるじゃねえか。へへ、当然手伝うぜ」 
そう言って親指をビシッと立てる光陰。俺もすかさず同じように返しておく。 
「ヨーティアさまからの伝言をお伝えに来たところなのですが、ハイペリアの風習には興味がありますので」 
炎天下でもクールに笑うイオは普段では見られない程の軽装だ。肩口からのぞく白い肌が眩しくて目が吸い付けられそうになるのを必死に引き剥がす。 
俺と光陰の漢同士の手信号を見ても、ぴくりとも肩が動かない。流石のイオの自制心に感心してみる。 
「ん、ユート。セリアは意外とこういうのにが」 
とまで言いかけたアセリアの背後から伸びた手が口を押さえた。 
「どうしたんだセリア?」 
むーむー呻くアセリアの薄紫の髪の向こうで、セリアが相変わらず親指を咥えているのが見て取れた。 
庭先に散らばる、まだ青さの残るソソの葉が生ぬるい風に吹かれ飛ぶ。その上に放り投げられたように転がった木槌――えーと……ピンと来た。 
分かってしまっても俺の肩はぴくりとも動かない。流石の学習能力……もとい自制心だ。感心しておく。 
だけどもちょっとくらいは口の端が動いたかも……。 
――ビュン。 
え?  
ハラハラと目の前を舞い落ちる俺の髪の毛。と同時にゴスッという鈍い音が俺の背後から聞こえて来る。 
セリアの肩は動かず――動いたのは、多分右の親指。 
「は、はは。えっと光陰、セリア。アセリアと一緒に頼むな。イオは俺を手伝ってくれないか? 味付けが問題なんだ」 
俺は何も見なかった。自己の安全のためにそう結論づけてイオを伴って厨房に戻る事にする。 
勝手口の正面に当たる壁板にめり込んだ氷弾を見なかった事にしながら……。 
「少し……同情します」 
厨房に立つと、イオは神妙に呟いてくれた。 
俺は一気に涼しくなった背筋をほぐすように伸ばしながら、横顔だけで乾いた笑いを浮かべた。 
ソニック冷気ブームを受け止めたもう半分の頬は氷っていたのか引きつっていたのか定かではない……。 
さ、さて。気を取り直して。 
エスペリアが出てくるまでに全てを完成させねば。 
そういう訳で、ハクゥテを茹でる方は問題ないだろうと思う。細いから短時間ですんだので、ネリーとシアーに水で冷やさせる。 
問題は味付けつゆの方だろう。イオならなんとかできるだろうかと、ハヤ(塩)をベースにして幾つかの種類の出汁を調合して一緒に試行錯誤する。 
ふと見ると、中庭の人数はさらに増えていた。第一第二全員いる。なんでも丁度良くみんなでこっちにたかりに来たらしい。なんというタイミング。 
完成図を理解していなくても現場監督アセリアの的確な指示で突貫工事が急ピッチで進む。 
ソソの枝を払い落とし、鉈で割り、節を木槌で抜く。2m程あるソソ竿が3本。それを割ったから都合6本だ。 
これだけあれば十分だろう。ヘリオンとオルファがそれを水洗いしている間に、ソソから切り落とした余剰部分や、 
アセリアの彫刻用材木(これが結構ある)を利用して脚の部分を作る。棒状のソソを3本束ね、捻って末広がりに広げる。これで脚になってくれる。 
後は光陰得意のロープワークで補強すれば完璧だ。これと同じものを幾つか作って、中庭にバランスを考えて並べてみる。 
「もーちょっとこっち」 
「うんいいよ~」 
丁度良くヘリオンとオルファが洗い終わったソソを持ってきた。重なり方を考えながら載っけていく。 
高低差に気をつけて、と。 
「な、何をやっているのですっ!?」 
素っ頓狂な声に、俺はあちゃ~と言葉にしながら振り向くと、そこには湯浴みから戻ったばかりのエスペリアが、両側にネリシアを従えて佇んでいた。 
普段とは違う、かなり薄緑なメイド服。簡素な分露出度高めな丈の短い服が、その……すごく新鮮な上に生足やら濡れ髪が……だっ!? 
「悠~ぅ?」 
「イテッ、まて、待て、エエスペリア! あのなまあ」 
振りほどいて、恐らく内出血しているだろう二の腕をさすりながら、しどろもどろにエスペリアに対する俺。 
何でこう今日子の奴は手加減を知らないんだ。 
「えーとその。暑い中食事を作るエスペリアも毎日大変だからさ……ハイペリア風に涼しげな趣向で楽させてやりたいな、と思ってさ」 
「……え、……そんな、あのえっと、わたくしなどのためにお気を煩わせていたなんて……申し訳ありません」 
「いや、いきなり思いついたものだからそんなに畏まる必要ないって」 
本当に申し訳なさそうにエスペリアは言った。鼻の頭に汗をかきながら手を振る俺。 
「……いえ、ありがとうございますユートさま。それからみんなも」 
交わされる視線。頭を下げたエスペリアの胸の谷間。もう一度感じる腕の痛み。 
野暮な今日子は無視して、俺はエスペリアの傍へ行く――言い訳っぽいというか、その場で繕った風に聞こえたかも知れないけど、 
エスペリアの負担を軽減したいと言うのは本当なんだ。散々ぐうたらしておいて今さら言う権利もないけれども……。 
「で、具体的になんなのですかこれは」 
当然の疑問に同意の声がいくつも上がる。そう言えばまだ説明してないんだっけ。 
イオが調整してくれた付け汁も、指先で舐めてみた限り問題無さそうだ。やや辛みが強いけどこれはこれでイケル。 
皆を集めた俺はこの謎の仕掛けの全容をついに説き明かした。 
ゆで上がったハクゥテの入った大笊を協力して持っているネリシアの顔が興味津々に俺を見る。 
そう、これは……「流しハクゥテなんだよ!!」 
………… 
…… 
あれ?
「流すという行為にどのような必然性が込められているのですか?」 
ナナルゥの平坦な声が突き刺さる。痛い。 
「くだらないわ」 
「ん、セリア楽しそうに作ってた」 
「そ、それは知らなかったからでしょ」 
「えと、よく分かりませんけどっ、ハイペリアの風習という事ですから」 
「えー面白そうじゃん」 
「うん楽しみ~」 
「面倒」 
「こ、こらニム」 
ははは。そりゃそうかも……。皆のリアクションに少しばかりへこみながら、 
今日子光陰が流しハクゥテの風流性やら時代の最先端を行くクールイベントである事を頑張って説いてくれるのを聞く。おお、友よ……。 
「まあまあ百聞は一見に如かずだぜ? ネリーちゃんシアーちゃん俺が流してやるからそっちで待ってな」 
「うん。いこシアー」 
「コーインさまお願いね」 
「すまん。頼むぜ光陰」 
「ああ、任せとけ。クォーリン手伝ってくれるか?」 
「え、はいっ」 
あ、いたのかクォーリン。そういや、後で言っとかないとな。 
流す水に関しては元々エーテル式小型ポンプがあるから、それを流用すれば常に水を流す事が可能となる。 
だから、中庭の井戸端に起点を持ってきてあるのだ。 
「それじゃみんなも、めんつゆと箸を持ったな?」 
ソソの節を残して短く切り離して作った器と竹箸。イオ製の出汁の利いためんつゆ(ちょっと余計な成分を魔法で飛ばしたとか)。 
そして、サワサワと流れ始める冷やっこい井戸水。ある程度木陰を選んでZ型に組んだソソ製の樋がささやかな清流を作り、皆の小さな歓声の呼び水となる。 
「気が早いなー、本番はこれからだぜ。今からハクゥテ流すから箸でちゃんと取ってな」 
軽く掴んだ極細ハクゥテを、短い川の源泉に投入する。 
「わ、わっ?」 
「流れてく~」 
「ヘリオン取って!」 
「え、あ行っちゃいましたあ」 
「ほら、ニムくるわ」 
お見合い状態をくぐり抜けニムの前へ流れ来るひと固まりの細麺。 
それをさっと鮮やかに青竹色の箸がすくい上げた。 
「あ、ナナルゥ」 
「得も言われぬ喉ごし。これは……美味です」 
ちゅるんと口に吸い込まれていった細麺。箸捌きも器用っていうか、妙に上手い。 
ぴぴっと跳ねる汁も構わずにその紅い瞳が水面を見詰める猛禽の鋭さを漂わせ始める。 
「う~ナナルゥよりも上流に行く」 
いつものように興味ない、と装っていたニムがナナルゥを越して流れの上を狙って移動していく。 
実は当初から好奇心満々な事は、落ち着き無い足踏みから見え見えだったから、ついつい笑ってしまう。 
ファーレーンも当たり前のように、流れを挟んで向かい側に付き添いながら、気付かれない様微笑んでる。 
「ほら、エスペリアも。見てるだけだと食えないぞ」 
「はい、そうですね」 
しっとりと笑うエスペリアを促して俺は下流に陣取った。 
「光陰! 始めてくれ!」 
俺の声におぅっと威勢のいい返事が来る。 
「いい、みんな? 全部食べちゃうと下流まで届かないからね」 
今日子による注意に頷く年少組。 
「きたきたきたー」 
「う~流れるの速くてとれない~」 
「あ、それオルファのだよ!」 
「手前が取って進ぜましょう」 
「ん、ハイペリア式。変だけどうまい」 
「コウイン様、クォーリン。私とヒミカで代わりますよ~」 
皆の歓声と、思い思いの心配り。 
「初めてだけど結構美味しいわ。味付けもそうだけどこうして食べるのがもっと気分を良くさせるって言うのかしら?」 
「そうそうセリアが言うのは理に適ってるな。イベント的開放感って奴をたまには楽しまないとな。って事でヘリオンちゃん隣りいいかな~」 
「あんたはいっつも全開でしょう~が!」 
耳たぶを引っ張られる光陰。いつものお約束に和む俺達。 
「コウイン様と向かい合って差しつ差されつ……」 
「ユートさまと向かい合って差しつ差されつ……」 
これもお約束……? 
「どんなもんかなエスペリア?」 
俺は、隣りに寄り添い立つエスペリアに尋ねた。 
丁度木陰になる位置。中庭に広がる林のコルーレを含んだ、さわやかな風が流れて、見慣れぬエスペリアのスカートの裾を揺らめかしていく。 
「はい。とても美味しいです。それに、これだと見た目も涼しげで食も進みますね」 
「そっかよかった。最近の暑さでエスペリアがバテてたから……って言っても、思い付きに過ぎないんだけどな」 
ぼりぼり頭を掻く俺。 
「いえ、わたくしの事などよりも皆が楽しめるようにして下さいませ」 
そう言ってからハクゥテを頬張るエスペリア。その簡素な装いを俺は横目で見る。 
ずるずる音を立てるのがハイペリア式作法だと言ってあるけれど、流石に長年の慣習を破るのは至難なのだろう。無難で上品な食べ方。箸使いはまだまだぎこちないか。 
俺はというと、当然気にせず豪快にすする。オルファが俺を真似して、ヘリオンも同じ事をしようとしてるけど逆にどうやっても音が出なくて、 
顔をまっ赤にしてるのをナナルゥが僅かに不思議そうな表情で見ていた。 
ソソ川上流を眺めると、流す役が入れ替わる頃合い。後継者の容赦ないイグニッション攻撃を迎撃するのは主にアセリア。抜箸術で善戦するウルカ。 
そして子分のネリシア、特にシアーは致命的に遅いので討ち漏らしがどんどんこっちに流れてくる。 
最下流では光陰達が和やかに電撃を薬味にして箸を進めていた。 
俺がそちらへ数歩近づくと、気付いたクォーリンが何の気無しに目線をこちらに向けて来る。 
「今日の流しハクゥテはさ、クォーリンがソソを持ってきてくれたからなんだ。そうじゃなかったらこんな事思い付きもしなかった。 
勝手に使っちまったけど、サンキュなクォーリン」 
「べ、別に礼を言われるような事では……マロリガンの風習に過ぎませんし」 
「お、クォーリンにちょっかい出す気か悠人。そん時は俺に、お父さんクォーリンさんを下さい! くらい言ってくれなきゃ困るぜ?」 
変に照れるクォーリンに、ラスェレを齧る光陰が茶々を入れて来たのだが、 
「なに言ってんのバカ」 
そこへ、今日子の箸が光陰の脇腹に刺さるのが見えて……悶絶する光陰を眼下にして俺は笑いながら、以前からの疑問を思い出した。 
そう言えば、このソソってどっから持ってきたんだ? ラキオスにもともと無かった気がするんだよな。 
疑問を口にする俺に、クォーリンはあどけない顔で答えてくれる。 
「このソソですか? これは城壁沿いに歩くと出っ張った場所があって、そこの前の林で何ヶ月か前にソソノコを見付けてたので目を付けてたんです。 
マロリガン特産なはずなのに珍しいし、ソソはすごく成長が早いのできっとコサトの月赤ふたつの日には間に合うだろうって……あれどうかしましたユート様?」 
ソソノコがなんなのかは突っ込まずにおいた俺はきっと理性の塊である。と言うかそれどころじゃない気がする。 
「ユートさま、確かその場所は」 
エスペリアも心配顔で、俺の縦線入りの顔を見詰めてくる。 
「ああ……」 
そして、俺は、呆気無く悟った。彼女……白い姿を探すと、重々しい表情で近づいてくるイオの姿が認められた。 
肩口の眩しさも今の心境には浮き立つものが無い。 
「ご想像の通りかと思います。その場所はヨーティアさまの植物実験育成場。今日私が来たのも……そう言う事です」 
頷くイオ。 
そう言えば、最初の方でヨーティアからの伝言がどうのって言ってたっけ。 
「ヨーティアさまのっ、あ、あのそれじゃあ私が浮かれて不届きな事を……」 
「うーん、クォーリンは知らなかったんだからしゃーない。俺も同じ事をしていたかもしれん」 
真相を知り、うなだれるクォーリンに復活した光陰がフォローを入れる。 
自然に肩を叩く動作には光陰の大らかさが溢れている……ネリシアのイタヅラを庇う時と違って、 
100%邪な気持ちが含まれていないのをクォーリンには感じ取れるているのだろうか……無理か。 
まあ、そんな事は今は関係ないか。俺もフォローを入れておこう。 
「光陰の言うとおりだな。俺もこんな事しちまったんだから同罪だしな。で、イオ。ヨーティアはなんて?」 
「はい、それが……」 
言い淀んだイオが笑った気がした。そう、いつもヨーティアの奔放さに頬を弛めるような……。 
「先ほど、現状を連絡しましたら……」 
「はいは~い。まったく、こういったイベントに私を呼ばないなんてどういう了見だい?」 
噂をすれば何とやら。 
第一詰所の表の方向からくたくたの白衣で歩いてくるのは誰あろうラキオス最賓客待遇の最凶うるさ型だ。 
ニヤつく天の邪鬼を絵に描いたらこうだろうと言わんばかりの立ち姿で俺のソソ製お椀と箸を奪い取り、 
「おいイオ。味が足りないな」 
と、箸先を咥えてから、イオにめんつゆの注ぎ足しを指示するヨーティア。 
「全く、この私の味の好みくらい知っておけよボンクラ」 
「そんなの知るか。いきなり現れてがっつく奴に言われたくないぞ」 
「ふん、なってないねー。年長者を敬う気持ちが見事に欠落してる。ああ、クォーリンは気にしなくていい。 
そんなに恐縮する必要はないから。全責任は隊長たる悠人と、そこの変態エトランジェにあるからな」 
「え、俺もか?」 
目を丸くして尋ねる光陰。 
「当然だね。前ん゙らやってみたい実験がんぐてねえ」 
口いっぱいのハクゥテが僅かにはみ出て、ピロピロ動いて断末魔の声を上げているように見えなくもない中、聞き取れないけれど危険な言葉だけはよく分かるものだ。 
俺も、危機回避能力がファンタズマゴリアに来たお陰で格段に成長したものである。重畳。 
「ヨーティア様、お行儀が悪いです」 
「ごっくん。……まあ、実際の所何となく植えておいただけなんだってのは内緒だ。実験はクォーリンも手伝ってくれな」 
「は、はい!」 
無罪放免されるのはクォーリンとしても受け入れられるものではないという所を上手く突いて、協力を取り付けるのは流石ではある、 
とか感心してる場合じゃない。 
「であるから、明日の事は明日に回してユート、ハクゥテが足りないからもっと茹でてくれ」 
確かに、大食漢(一応女だけど)のヨーティアでは今残ってる分では全然足りないだろう。 
気が利かないねえ、と腐す白衣にオーラフォトン触手でも食らえ――と小声で毒づきながら、 
催促された俺は、未だ続く喧噪とやや強くなってきた風を背に厨房への勝手口をくぐった。 
いくら断っても手伝うと言い張るエスペリアを伴って、だ。 
さっき使った鍋に再び水を張り、最大火力で火に掛ける。ついでに手拭いを濡らして頭からかぶった。やっぱり暑い。
手伝うと言っても別にする事なんか無いんだけどな。 
エスペリアは水を一口呑んでふぅ、と息を吐いた。俺もコップを受け取って一息入れて椅子に座る。 
そして……しばらくの間、二人の間に静けさだけが漂う。少しばかり疲れたかもしれない――。 
頬杖を付いた俺が顎を動かす。 
「ヨーティアには参るよ。完全に楽しんでるもんな」 
エスペリアは俺のグチを聞くとクスクス笑った。 
「そうですね……でもみんなも楽しんでます」 
目元を和らげたエスペリアは、勝手口から見えるオルファとネリーの椀子そばもどきの競争から目を逸らし、俺を見た。 
「もちろん、わたくしも……です」 
俺と、エスペリアの視線が交錯する。 
あ、うん――とだけしか言葉のでない俺と、エスペリアの小指が触れ合った。 
その瞬間、頭の何処かが痺れたように、 
「よー青年! このタイミングで口説くとはなかなか見上げた男だぞ! うん!」 
「ななな何言ってやがる! まだ何もしてないぞ!」 
「そそそそうですまだ何もしてくああっお湯が沸いてますユートさま!」 
「お、おう、あっ!」 
「っ!」 
二人して、慌ててハクゥテの束を握ろうとしたから、俺はエスペリアの手を……っ。 
「はいはい。熱いねえ、火傷すんなよお二人さん」 
かっかっか、と何時の間にやらトヤーア銘柄の煙草を吹かしつつヨーティアの奴は、高笑いして戻っていった 
はあ。二人で同時に溜息。 
気の抜けた俺達は互いに苦笑すると、ハクゥテを茹でる上げる仕事を成し遂げてから、 
そのまま昼下がりの時の流れに身を任せた。 
湿りを帯びた風が詰所の中を抜けていく。 
「あの、ユートさま」 
「……うん?」 
腹も膨れて微睡んでいたのだろうか――中庭の声も次第に小さくなって行く。波が遠くへ引いていくようにワク達の合唱が失せ――。 
「来年も、やれるといいですね」 
「……ああ。そうだな」 
ぼやけた思考のままで、一瞬間を置いて返事を返した事を、俺は自分で不思議に思うけれど。 
――キャーワキャー。どたどたどた。 
そんな疑問は、不意の夕立と駆け込んでくる悲鳴に掻き消されて終わった。