悩み多きお年頃

夕暮れ時の第二詰所廊下。
とある部屋の前を通りかかると、半分開きっぱなしの扉の向こうで、窓際に佇む背中を見つけた。
木製の椅子に足を組み、設置されている机の上で頬杖をついている。
ぼんやりと外に投げ出されている視線は、どこか投げやりで覚束ない。
微かな風が時折後ろ髪をさらさらと嬲り、長い影の軌跡を揺らす。
西日を浴びて朱色に染まりかけた幻想的な横顔に思わず息を飲み、
ノックをするのも躊躇われ、吸い込まれるように部屋へと足を踏み入れ、歩み寄る。
もともとスピリットは美形揃いだが、この雰囲気と表情は反則だ。
いつもは快活な蒼い瞳が、今はただ橙色の風景を単調な紫色に反射して。
どこか頼りなげにすぼめた肩のラインはこのまま消えてしまいそうな儚ささえ帯び、
それでいて周囲を拒絶でもしているかのようで、見ているこちらの方が不安になってくる。
「セ――――」
湧き上がる保護欲。理屈ではなく、放っておけない。
喉まで出かかった言葉も忘れ、そっと近づき、ただ出来るだけ優しく肩に手を添える。
ぴくっと小さく反応する、意外と華奢な身体。併せて揺れる、ポニーテールの影。
無意識なのだろうか。静かに頬杖を片方だけ外し、その手をゆるゆると差し伸べてくる。
滑らかに流れる細い指は、何かを捜し求めているかのように彷徨い。
やがて肩に辿り着き、縋りつくように絡めてきた指はひんやりと冷たく、ドキリと心臓が大きく跳ね、

  ―――― 見事なまでの指四の字固めを決められていた。

「~~~~~~ッッッ!!!」
悶絶。
痛い。いや、痛いなんてものじゃない。痛すぎて声も出ない。
なにせ関節ががっちりと極められてしまっている。しかも当人は全く気が付いてはいない。
相変わらずぼーっと窓の外を眺めているし、頬杖に乗せた瞳も未だに焦点が微妙にずれている。
なのに、さっきまでの甘酸っぱいような切ないような雰囲気などは遥か後方バルガ・ロアー。
じゃなくて、この状況で気が付かないというのは流石にどうかしているだろう。ぎゅむ。

(くぁWせDRFTGYふじこLP;@☆σ( ・∀・)σ!!!?)

に、握りこみやがったこの馬鹿力女。どこでそんな余計な高等技術を。
ちょ、ほうっとか黄昏めいた溜息ついてる場合じゃないって。もう全然色っぽく見えないから。
っていうか溜息がほわほわと白いのはアイスバニッシャーかなにかなのか?
いや、そんなことより折れる、このままだと本当に折れてしまう。助けてミュラー先生。
やば、混乱してきた。生まれて初めて脳内エンドルフィンが分泌される音なんかも聞こえてくるし。
なるほど、人間、末梢神経の一本に損傷を受けるだけでも簡単に意識が飛ぶものなんだなぁ。
あ、ばあちゃん、久しぶり。俺も佳織も頑張ってるよ。ちょっと別世界に飛ばされたりはしてるけど。
え? どうしたんだよ両手を上下に動かしたりなんかして。なに? ああ、なるほど。その手があったか。

「―――― し、死ぬかと思った」
死力を振り絞って空いていた手を伸ばし、机をぱんぱんと叩いた所でようやく開放される。
どうして彼女がタップなんか知っているのかは疑問だが、取りあえずは助かったようだ。
ふと見ると、部屋の片隅に立てかけられた『熱病』が嬉しそうに青白い光を放っている。
どうやらスピリットの力で手加減無しだったらしい。
とすると指がまだ繋がっているのは僥倖だろう。関節が所々紫色に鬱血したりはしているが。
それにしても、まだぼんやりか。頬杖を両手に戻し、彫刻のように固まったまま。
何かに思い詰めているのか、それとも単に自分の世界に耽っているのか、想像もつかない。
指にふーふーと息を吹きかけつつ試しに尋ねてみる。
「なぁ、セリ」
ひゅん、と何か、耳元を掠めた。と同時に後方で響く、カッという短く高い衝撃音。
「……」
目の前のセリアに、表情の変化とかは無い。動くそぶりも見せない。
側に立っている俺に気が付く様子も無く、依然として一心不乱に何か考え事をしている。…ように見える。
ぱっと見、夕日を眺め、憂いに浸っている儚げな美少女。いや、その表現もあながち間違ってはいない。
何度も言うようだが、スピリットは美形だ。妖精という呼び名が外見から来たものだと充分以上に頷ける。
だがしかし、いざ戦場に赴けば、たちまち彼女達は戦乙女へと変化する。その特徴でもあるハイロゥ。
ブルースピリットの場合は、白く目映く輝く両翼、ウイングハイロゥを大きく背中で羽ばたかせながら。

ふぁさふぁさふぁさふぁさ。

「……」
いやだから、何故ここでそんなものを広げる必要が。
恐る恐る振り返ってみると、扉に突き刺さったままの氷の刃が鋭くマナを放出していたりして。
背筋がぴん、と伸びた。これ以上ここに居続けていると危険だと、本能が告げている。
ああ、やっぱり様子を見になんて来るんじゃなかったな。いくら両手を握ったネリーに
『ユートさまぁ、一生のお願いっ』
なんて涙目&上目遣いでお願いされたからといって、今の彼女の相手は少々、いやかなり荷が重すぎる。
これじゃあ対話のテーブルにつく前に、自動迎撃システムによって存在自体を抹消されかねない。
消えゆく氷の刃をノブ代わりにそっと摘んで扉を開き、音を立てないように身を滑り出す。
虎口を逃れ、廊下を暫く歩いた所で、ようやく身体が警告を告げてきた。呼吸をしてくれ、と。
「はぁ~~~。……うーんだけど、怒ってるって感じでもなさそうだったし。なんなんだ、一体」
深い溜息をつき、首を傾げつつ、まだ怯えているであろうネリーの居る食堂へと戻る。
思い出したように痛む指の節々。もう、保護欲とかはどうでも良かった。理屈とかそんなんじゃない部分で。

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「―――― あ、あら、もうこんな時間? いけない」
日が沈みかけ、部屋が薄紫色に包まれる頃。
ようやくセリアは我に返り、辺りを見回す。傍らには、ぼんやりと鈍い青を放つ『熱病』。
ふと、何故マナを放出しているのか頭の隅の隅が疑問に思うが、取りあえずは柄を手に取りつつ、
「やっぱり躾を間違えたのかな……あの年になってまだニムのおやつをつまみ食いで横取りするなんて」
窓の外の景色に目を向け直し、先程からの思索の続きを口に出す事で整理してみようと試みる。
「育ち盛りだから自分の分だけじゃ足りないのは判るけど……止めさせないと、駄目なのは確かだし」
無意識に指で後ろ髪を摘み、目の前でくるくると弄っているのにも気が付いてはいない。
「その都度怒るのももう効果無し、か……あれ? 何かこう、もっと覿面なお仕置きを思いついたような」
そして、貴重な犠牲の元に編み出された幻の技も既に忘却の彼方、遥か後方バルガ・ロアー。
「んー、誰か来たような気もするんだけど。……さ、それはそれとして、夕飯の仕度をしないとね」
切換の早さが彼女の長所。軽く頭を振り、気を取り直す。
ぱたぱたと部屋を出て行く後姿。その背中には、未だふぁさふぁさと真っ白な翼が羽ばたいていた。

直後、食堂発ネリーの絶叫が文字通り音速で第一詰所にまで到着し、
丁度食事を取っていた悠人の背筋が条件反射的に極限まで伸びたのは言うまでもない。