野分襲来

聖ヨト歴某年スフの月某日スークの時(午前1時)。
ここラキオス城地下に設置された秘密研究所では、
深夜にも拘らず国の3巨頭が顔を連ね、1枚の地図を睨みつけていた。
煌々と照らされる机の上に広げられているのは、1/50000のラキオスの平面。
深刻な雰囲気の中、天才科学者ヨーティアの指がゆっくりと伸び、とある1点を指し示す。

「また、ここだ。今年は少し時期が遅かったようだが」
「バートバルト沖、ですか。それでは、当然進路も」
「ああ。やや緩やかなカーヴを描きながら、確実にこちらに向かっているよ」
「ああ……」

吐き出すような科学者的断定に、女王レスティーナは思わず天井を仰ぐ。
今年はもう、ひょっとしたらと根拠のない甘い期待を持っていた分反動が大きい。
嘆いていても仕方が無いのだが、それでも苦渋に満ちた表情は抑えられずに片手で目を覆う。

「それで、ヨーティア。街の人達に、もう通達は済んでいるのか?」
「既に兵士達に依頼した。城下じゃ窓に添え木を打ち付ける音で賑やかな事この上ないよ」
「そろそろ風も生暖かくなってきたしな。詰所でもエスペリアがハーブをビニールで囲ってるよ」

地図に殊更赤く目立つように記された印。
バートバルト沖に浮かぶ巨大な渦巻きのようなものを、
まるで親の敵か何かのようにとんとんと叩きつけながらエトランジェ・ユートは呻く。
同心円同士の幅が極端に狭く、それが勢力の強さを示すものだという事位は流石に知っている。
そしてそこから太く延びた矢印が首都をざっくり縦断し、リクディウス山脈へと抜けているのが予想進路。
ラキオスの気象予報のレベルがどれ程の精度のものかは判らないが、これでは多少逸れても被害は出る。

「しかし驚いたな。こっちにも台風があるなんて」
「タイフー? それはなんなのですか、ユート」
「あちらの世界でも低気圧が巨大化する自然現象が頻繁に発生するそうだよ。それを」
「ああ。台風っていうんだ。たまに来ると暴風暴雨でそりゃもう酷いもんだった」
「そうですか……あちらも同じなのですね」
「対策っていってもせいぜい建物を補強して、後はやり過ごすしか無かったしな」
「つまり、むこうの科学力でも大自然の脅威には敵わない。神の意志の前に人なんて無力なもんさね」
「……」
「……」

3人の間に、重苦しい沈黙が走っていく。ヨーティアが神の意志と漏らしたのはあながち大げさでもない。
毎年毎年国の総力を挙げつつ方策を掲げてはいるのだが、結果として、己の無力さを知らされ続けているだけ。
更に現状、ラキオスは他国との戦争状態にある。この状態で天災との遭遇は、経済的に余りにも痛い。
なにより民の塗炭の苦しみを今でも痛い程知っているだけに、レスティーナの心境は悲惨である。
なにか、ないか。大陸屈指の科学者でもハイペリアでも敵わなかった毎年恒例の猛威を、
無害とは言わなくてもせめて最小限に食い止めるような手段は、と唇を噛み締めながら地図を睨む。
天井に吊るされたマナ灯がゆらゆらと揺れ、僅かな空気の流れさえも影に飲み込んでいく。

「いえ……まだ、策はあります」

呟いたレスティーナの瞳には、1筋の光明を見出した者に特有の強い輝きが宿っていた。

同日、ハークの時(午前4時)。

「くそっ、何でいつも俺だけこんな目に……」

雷鳴とどろくバートバルトの砂浜に、『求め』の悠人はたった1人ぽつねんと佇んでいた。

結局、誰も手伝ってはくれなかった。しかし、それも当然だろう。
普段はキス・ソゥ・ユートとか言っていても、無謀だとはスピリットにでも判る話。
いや、元々人ならぬ自然発生的に転送されてくるスピリットなだけに、
大自然の怒りに抗するよりもありのまま受け入れるのが美徳だと考えてしまうのかもしれない。
だが、その代わりといっては何だが、出発直前になって
「頑張ってねユートさま!」とか「……頑張るの」だのといった見当違いな励ましや、
無言で両手を合わせ、冥福を祈るようなナナルゥとかの見送りだけはふんだんに与えられた。
しきりに頭を下げているエスペリアや、ついでに何故かラキオス国旗を振り続けるアセリアとかも。
数時間前、城の研究室で行なわれた会話の続きを反芻してみる。

『ハイペリアにも、また、我がラキオスにも未知なファクターが1つだけあります』
『え、そんなものがあるのか?』
『……なるほど、それならばあるいは神の意志を覆せるかもしれない』
『ヨーティアまで。心当たりがあるなら教えてくれよ』
『いいかユート、今我々には、この世界とあちらの世界、異世界を繋ぐ橋となった存在がある』
『これはいかに再生の剣でも、想定の範囲外でしょう』
『……ちょっと待て』
『これを試さない手があろうか。いやない』
『そうです。エトランジェの力ならば、自然の驚異にも立ち向かえるというもの』
『いや、そんな馬鹿な。ってなんで嘘泣きしながら肩叩いてくるんだよ』
『心配するな、失敗しても死にはしないよ、多分。任せたぞ、ユート殿』
『王として、民の安全を保障する為にも命じなければなりません。頼みましたよ、ユート』
『……』

「……うぉっ」

びゅおっ、と強烈な横殴りの海風が吹きつけ、身体がよろける。
現在の最大瞬間風速60m/s。黙っていても普通の人間なら木の葉のように吹き飛ばされてしまうような状況。
先程から降り始めた大粒の雨のせいで全身もたちまち濡れ鼠にされてしまっており、水を吸った服が重たい。
飛沫と砂のせいで目も開いていられないような状態で、眼前に迫る脅威を睨みつける。半ばヤケクソな心境だった。

「……くっ、上等だ。いくぞ『求め』、上陸は水際で防ぐっ!」
『無理を言うな、契約者よ』
「台風くらい何だ! エトランジェの力、見せてやるぜ!」
『……』

重くぶ厚い雲の群れが渦巻きながら周囲を満たし、高波が夜明け前の空から太陽の光を奪い尽くしていた。

同日、メトシクの時(午前6時)。
殆ど水没し、沼地と化した街道の真っ只中で、悠人はがっくりと膝をついていた。

「くっ、まだだ! バカ剣、もっと力を引き出せっ!」
『無理だというのに』

既に戦闘は2時間に及んでいる。その間、悠人はありとあらゆる神剣の力を解放していた。
ヘビーアタック、フレンジー、エクスプロード、オーラフォトンブレード。
インスパイア、レジスト、ホーリー、オーラフォトンノヴァ、オーラフォトンビーム。
果ては開眼し、エターナル、コネクティドウィルまで。それこそ全身全霊、己の全てを賭ける勢いで戦った。
しかしやはりというか、戦果は全くない。水際どころかじりじりと圧され、既にラース北方まで後退している。

「へっ……エトランジェとか偉そうに言われてても、所詮はこんなもんか」
『判りきっていたことではないか』
「……少しは慰めろよ」

言われるまでもなく、じわり、と絶望感が沁み込んで来る。
項垂れ、踝まで泥に浸かり、『求め』に止めの一言まで刺され、雨に叩かれ続ける自分が情けない。
力尽きた顔には自嘲の表情が浮かび、また守れないのか、と佳織の事を思い出す。
大自然は、強すぎた。圧倒的すぎた。今も見下ろしている雲達までが、気のせいか嘲笑っているように感じる。

「……まだだ」
『もうよせ』

だが、矢尽き刀折れ、それでも悠人の瞳は光を失ってはいない。
呟きと共に、『求め』を杖に立ち上がろうとする。たかが雨雲に馬鹿にされてたまるか、その意地だけで。
この世界に来て、戦乱の中、たった1つだけ確信した事がある。そう。諦めたら、そこで試合終了なんだ、と。

≪思い出せ。……そうだ、小学生の頃だ。台風だってのに雨も風も已んでいて不思議に思わなかったか?≫
「……光陰?」
≪そうよ、それが台風の弱点。悠も、こんなの台風じゃないって怒ってたじゃない。意味不明だったけど≫
「うるさいな。今日子だって、台風の日は訳も無くはしゃいでいたくせに」

唐突に蘇るのは、懐かしい声。憎まれ口を叩きあっていても、顔がにやけてしまう親友達。
蘇る、力。与えられたヒント。悠人はゆらりと立ち上がる。激戦で膝が震えてはいるが、まだ戦える。
そうだ、俺はまだ戦えるじゃないか。こんなにも頼もしい、仲間までついているじゃないか。

「ちくしょう、……ありがとな。うおおおおおっっ!」

友情を背に受けて覚醒し、咆哮する悠人。呼応して、極限まで発揮される『求め』の力。
1人と1本は叩きつける雨粒も気にせず、一気に駆け抜ける。半径200kmは下らない台風の、渦の中心へと。
すると案の定そこは草1つ揺れていない、僅かだが陽光も注ぎ込む完全無欠の無風地帯。
そう、これこそが台風唯一の死角(セーフティーゾーン)、所謂台風の目。ここならば、"敵"の反撃もない。
手元の『求め』に残りの力を全て注ぎ込み、オーラフォトンを展開し、上空1万メートルへと一気に跳躍する。
急激な気圧の変化で押される鼓膜。現在950hPa(ヘクトパスカル)。視界良好、摂氏580℃。気温尚も上昇中。
迫る、巨大な"目"。そこで乾坤一擲の一撃を振りぬき、周囲の雨雲を雲散霧消させる。

「……って580℃? 上昇中?」

  ―――― ンギュルルルルルッッッッ!!

「;゚Д゚!!? ぐああああああっ! もう、だめだぁーーーーっっ!!」

円らな瞳が大きく開いた、と思った瞬間には、もう直撃を喰らっていた。
謎の雄叫び(?)と共に襲い掛かる10^20J(ジュール)のプラズマと業火、そして灼熱のDスキル『炎帝』。
慣れない空中で広島型原爆1000個分をゆうに超える問答無用かつ予想外の攻撃を一身に受けてしまった悠人は、
そのままなす術も無く地上へと強制ダイブを始めてしまう。なにか色々と釈然としないものを遠く感じながら。

『だから、言ったのだ。エターナルの上位神剣にまともに敵うはずがなかろう』

残HP1で撃墜され、意識を失った悠人の耳にその『求め』の呟きが届いたかどうかは定かではない。

同日、メトラトクの時(午後5時)。
台風、もとい炎帝一過、荒れ果てた街並みを視察しながらヨーティアは呟く。

「やれやれ、結局防げなかったか。しかしそれにしても、あのボンクラは一体どこで遊んでいるんだ」


同時刻、キハノレの遺跡最深部。
夕餉の席についた法皇は、欠けているメンバーに気づく。

「おや、ントゥシトラはどこへ行きましたの?」
「ああ、いつもの散歩ですよ。じっとしていると落ち着かないそうです」
「晩御飯には戻るとは言ってたけどねぇ」
「全く困りものだ。テムオリン様、やはり放し飼いは良くないのでは」
「放っておきなさい。この程度の歴史への介入なら計画に支障はありませんし」
「おや、帰ってきたようですよ……なんだか嬉しそうですねぇ」
「……あん? 初めて人間に構って貰えたって? そんな事で喜ぶんじゃないよ」


翌年からぱったり已んでしまった天災について、その原因も含め、公式関係筋は一切口を噤んでいる。