新年にハツモウデというものを行い、一年の無事と平安を祈る行事がハイペリアにはある。
でも、ユート様やコウイン様、それにキョウコ様がそう教えて下さった時には、正直戸惑った。
我がラキオスはおろか、大陸全土には、残念ながらそういった行事が存在しない。
また、もし存在していたとしても、所詮わたくし達スピリットには縁の無いお話だったでしょう。
シンコウ、というのでしょうか、祈るべき対象など、せいぜいが見た事も無い『再生』の剣位。
もしくはマナの導きなどという、掴み所の無いあやふやなものに縋るしか無かったのですから。
ですので、本当に戸惑ったのです。今までは、それだけで良かった筈のわたくし達でしたから。
『そうだ、折角だし、やってみないか? 初詣』
『ふむ、確かにこっちの世界も三千大千世界の一部だ。御仏の加護に頼ってもばちは当らないだろう』
『いいんじゃない? 戦いばっかってーのも乙女の過ごし方じゃないし。やりましょうよ』
『ああ。という訳だから、いいかなエスペリア?』
『え? わ、わたくしもですか?』
『当たり前だろ? それで、みんなにも予定を空けておくように頼んでおいて欲しいんだけど』
『あ、はい、それは勿論、大丈夫ですけれど……』
『それで悠人よ、具体的にはどこへ行くつもりだ? そういった場所に心当たりでもあるのか?』
『うーんリクディウス山脈なんてどうだろ? サードガラハムが居た洞窟なら、マナの導きもありそうだし』
『さんせー。どうせなんだから、派手にいこうか。振袖着てくってのもいいかもね』
『おいおい落ち着けよ。大体、誰が縫うんだそんなの。どのみち今からじゃ間に合わないだろ』
『こんなの、って教えてみんなでやれば何とかなるわよきっと。ハリオンとか、縫い物得意そうじゃない?』
『まあ、そっちは今日子に任せるとして……ん? どうした? エスペリア』
『……あの、ユート様、本当に宜しいのでしょうか。そのような行事にその、わたくし達が参加しても』
『え? もしかして嫌だったか? いや、確かに遊んでる場合じゃないとは思うけどさ。駄目かな』
『あ、決してそういう訳では……いえ、何でもありません』
『? まあ、頼むよ。エスペリアはみんなに伝えてくれるだけで良いから』
『はい……あ、いえそんな、わたくしもお手伝いさせて頂きます』
ぽん、と肩に置かれた手には不思議な安心感があって。
スピリット、という単語を飲み込んだまま、素直に頷いてしまう。
ユート様は、ずるいです。その笑顔に逆らえないわたくしを、ご存知なのでしょうか。
準備は、滞りなく進みました。
偶然か幸いかその間は敵の襲撃も無く、他の仲間達が何故か乗り気だったせいもあるのでしょう。
ともあれ、第一第二詰所内の空気がこんなに浮ついたものになった事など、記憶にありません。
ハリオンとファーレーンが全員分のフリソデという衣装を縫い上げた時には、歓声まで上がりました。
今まででしたら、決してあってはならなかった雰囲気。
引き締めなければと、自分に言い聞かせなければならなかった雰囲気。
戦いに身を置くスピリットにとって、緩んだ気分などただの油断に過ぎませんから。
なのに、自分が良く判りません。そんなみんなの姿を見ても、自然と微笑んでしまうだけの自分が。
暦が変わり、出発する際には、もう踊るように弾んだ心を誤魔化しきれなくなってしまっていました。
ですが胸の奥底、どこか深い所で、ちくりと何か刺すような痛みもまた、同時に感じてしまうのです。
今こうして隣を並んで歩いて下さっている、ユート様の横顔を眺めていてさえも。
「ん? どうしたんだ、疲れた?」
「あ、いいえ大丈夫です……ふふ、ユート様と一緒にこちらに来るのは二回目、ですね」
「懐かしいな、あれからもう、えっと二年か。あの頃はエスペリアに世話になりっぱなしだったなあ」
「あら、今は違うのですか?」
「ちぇ。確かに家事とかは任せっぱなしだけどさ。少しは変わったんじゃないかと自分じゃ思うんだけど」
「……はい。もちろんです。あの頃のユート様とは違います」
「はは、さんきゅ。エスペリアに言われると、お世辞でも嬉しいよ……あ、あのさ」
「はい? なんでしょうか」
「普段のメイド服もだけど、その、振袖……似合ってる。すごく」
「……ぷっ」
「な、なんだよ笑うなよ。仕方ないだろ、慣れてないんだこういうのは」
「はい、申し訳ありません……く、くく……」
「……ちぇっ。ほら、急ごうぜ。みんなもう向こうで待ってる」
「はいっ」
少しぎこちなさを感じていたフリソデ。
きっと、ユート様達がいらっしゃらなければ、わたくし達が決して袖を通す事の無かった異世界の衣装。
いつもと同じような淡い緑色でも、戦場で血に塗れてしまう服とは、全く用途が違います。
こうして小走りになるだけでも慎重にならなければ躓いて転び、土に汚れてしまうのでしょう。
ですが、それは絶対に避けなくては。折角ユート様が褒めて下さったのですから。
だってこれは、着飾る為の服。そのようなものを、……そのようなものを、スピリットであるわたくしが?
「……っっ!」
また、ちくりと刺してくる胸の痛み。そっと手で抑えても、もう和らいでくれそうにありません。
洞窟はどこかひんやりと余所余所しく、浮かぶマナ蛍に照らされた蒼い闇に満たされています。
かつては膨大だった主のマナの気配も今は全く感じられません。二年前、他でもないわたくし達の手で。
守り龍様が小さき者とおっしゃっていたわたくし達スピリット達の手によって、存在は完全に失われました。
その罪も、決して消えるものではありません。生きている限り、償わなければならないものです。
先頭に立つコウイン様が、ふと呟かれました。こりゃ、どちらかというと墓場だな、と。
恐らくは場を和ませる為の冗談なのでしょう。はしゃいでいるネリー達の笑い声も一段と大きくなりました。
気難しいセリアやナナルゥや人一倍責任感の強いヒミカでさえ、明るい雰囲気に顔を綻ばせています。
ですがその一言を、こうも深刻に受け止めてしまうわたくしは間違っているのでしょうか。
お話に伺っていた奉る為のサイダンも何もない寂しい空間に向け、教えられたように手を当てます。
そしてこの後は、目を閉じて、お願い事を想わなければなりません。そう、まるで、人のように。
でもそれで、本当に良いのでしょうか。殺すのみのわたくし達に、そのような資格がまだあるのでしょうか。
このような小さき者による厚顔無恥な所業を、守り龍様は本当に望んでいらっしゃるのでしょうか。
「でさ、エスペリアは、何をお願いしたんだ?」
「はい、皆の健康を」
「ふーん、無難だな。でもそれもエスペリアらしいか」
嘘をついてしまいます。
本当はお願い事など、何も思いつきませんでした。わたくしらしさとは、一体どのようなものなのでしょう。
素直なアセリアやオルファ達は互いに何をお願いしたか、小声で交歓していますけれど。
わたくしには、ただひたすら謝るしか考えられませんでした。やはり、来るべきでは無かったのです。
こんな風に誤魔化すべきでは無い罪を、わたくしスピリット達は誰しもが背負っているのですから。
帰り道は下り坂なのですが、足取りが酷く重く感じられます。まるで足に鎖でも繋げられているかのように。
「……ユート様は」
「ん?」
「ユート様は、何をお願いされたのですか?」
「俺? んー、お願いっていうか、頼んだかな」
「……? それは、同じ事なのではないのですか?」
「うん。でもさ、勝手にだけど、誓ってたんだ。だから、それを見届けてくれるように任せたっていうか」
「ええと、良くわかりませんけれど……もしかして、あの時にですか? 一体、何を」
「あー……いや、エスペリア達スピリットが、これ以上この世界で変な使命に押し潰されないように……かな?」
「……っっ」
「はは、ま、我ながら大それた事とは思うんだけど。辛そうなみんなはやっぱり見たくないし……エスペリア?」
呼吸が。呼吸が出来ません。
胸を刺す痛みが。刺している針ごと、神剣魔法にでもかけられたかのように溶けていって。
思わずまじまじと見つめてしまったユート様の、鼻の頭を掻く照れた仕草だけが目に焼きついてしまい。
気づけば、すーっと抜け落ちていく悩み。熱く込み上げて来る想いに制御が利きません。
ユート様は、ずるいです。本当に……ずるいです。それに、強引すぎます。
これじゃあ、勝手に溢れてくる涙を何とか誤魔化さなくてはならないではないですか。
「って、うえ?! あ、あのそのえっと、エスペリア、さん?」
「駄目、でしょうか」
「いや、駄目っていうか、むしろ嬉しいっていうか、ああ、俺何言って」
「……はい。ありがとうございます」
思い切って腕を絡めたのと、朝日が差し込んだのは、殆ど同時。
キョウコ様のハツヒノデという声と、それに続くみんなの歓声も同時に湧き起こっています。
それは確か、新年最初に昇った太陽、というハイペリアの言葉。ユート様が教えて下さった言葉。
他でも無い、今もこうして全てを許し、受け止めて下さっているユート様の言葉だから。
「ユートさま、あけましておめでとうございます」
「ああ、こちらこそ、今年もよろしくな」
「はいっ!」
わたくしも、応えなければ。
償いに立ち向かう、強い心を持って。二度と嘘で逃げないように。汚れを雪ぐ勇気を、どうか。
自分でも分かるほどの、満面の笑み。それを生み出す心の在り処も、きっとまたわたくしなのですから。
ルゥ、もう戸惑いはありません。今までの、わたくし。これからの、わたくし。さて、お覚悟は、宜しいですか?
貴方に変えられていくわたくしを、どうか楽しみに待っていて下さいませ。それが"今年のお願い"です、ソゥユート……。