武士の一分

敵に、不足は無い。
打ち抜かれた白銀の太刀筋を読み切り、前髪を数房持って行かれる間合いで避わし、深く踏み込む。
荒れ狂い、頬を切り裂くアネースの奔流には敢えて逆らわず、受け流した勢のままに『拘束』を抜く。
同時に右掌へと収束させるマセスの塊。複雑な詠唱は必要無い。戦いで研ぎ澄まされた感覚に従うのみ。
白き衣装に包まれた『青い牙』の腹部に叩き込むと、華奢な身体はそれだけで音も立てずに崩れ落ちる。
同時に、鞘を滑らせた『拘束』は殺到してきた『献身』を掻い潜り、コルーレの障壁を貫き砕く。
神剣の声などが聞こえなくとも、未熟な動きに遅れを取るほど錆びてはいない。これで、残る敵は唯一人。
膝を折った姿勢からゆっくりと立ち上がり、やや薄汚れた妙な羽織りを背負う長身の男に向き直る。
状況も理解出来ずただ呆然と立ち尽くしていたのか、剣を突きつけられた男はそれだけで動揺を隠せない。
慌てて『求め』を構え直す滑稽さに、思わず唇が歪んでしまう。エトランジェとは、この程度のものか。
倒すべき敵と言葉を交わすつもりなどは無かったが、これではつい下らぬ呟きも漏れてしまうというもの。

      「ラ キ オ ス の ね ず み よ …… 死 ね っ !」

所詮は剣の術も体の捌きも臨む精神の有り処も、すべからく知らぬまま戦場へと赴いてしまった痴れ者。
だからこそ、せめて苦しまぬよう。見下げ果てた愚かさの代賞として、与えられる唯一の手向けとして。
全力を乗せた雲散霧消の太刀はその初撃だけで肩から心臓を捉え、容易く男の身体を両断し ――――

「――――ああああああっっっ!」
跳ね起きたのは戦場ではなく、柔らかいベッドの上。一瞬、何が起きたのか判らない。
噴き出した重苦しい汗が激しい心臓の鼓動と相まって荒い呼吸を引き起こす。そうだ、ここはラキオス。
「はあっ、はあっ……ゆ、夢か。それにしても手前は、新年早々何という」
大きく波打つ胸を抑える。だが、なかなか鎮まってはくれそうにもない。
夢とはいえ、大恩あるユート殿に対して手前はなんたる無礼な口の利き方を。
更にあろう事か神剣を繰り出しこの手にかけてまでしまうとは、厚顔無恥にも程がある。
「ねずみ……確かエト、と申されていた。くっ、折角このように懇切丁寧に教えて頂いたのに手前は……」
呟きながら、足を下ろす。ひんやりと冷たい床が次第に動揺を鎮めてくれる。
だが、寝巻きにたっぷりと沁み込んでしまった汗が背筋を這い登ってくるようで気持ちが悪い。
手早く前掛けのボタンを外し、肩を抜きながらけだるい気分のまま窓の外をぼんやりと眺める。
差し込んでくる、眩しい陽光。うなじの辺りをくすぐってくる、朝の空気。
それらの清々しさが逆に今の罪悪感に満ちた心境には余りにも痛く、思わず目を細めてしまう。
全てを脱ぎ捨て日差しに全身を晒した頃、ようやく確固たる決意が全身に漲ってきた。
ふむ、場所は、広い応接間をお借りした方が良いのだろうか。

「っておいっ! 何やってるんだウルカ?!」
「止めて下さるなユート殿。手前は……やはり償わなければなりませぬ」
「いや、良くわからないけどだからって何も切腹する事は無いだろ。そもそも白装束なんてどっから」
かくなる上は、せめて潔く。
たとえ夢見が悪かったのが、昨晩ユート殿が食事の際に話されていたハイペリアの話題の影響だとしても。
これがハツユメというものならば、そこには確実に何らかの啓示があるのだ。ユート殿に嘘偽りは無い。

「お静かに。あ、介錯を頼みます」
「にっこり笑いながら物騒な事を言うな! ってだから待て、うわあああ落ち着けええええっっ!!!」