ミッシング・ピース

「以前進軍した時は淀んで感じられたのに、こんなに清々しい……」
ミスレ樹海を東に抜け出る小さな町、リーソカ。
守護者と呼ばれる強大な龍が座する広大な木々の海。その守護者の洞穴への参拝経路と樹海そのものへの入口を
兼ねているこの街は、無きサーギオス帝国が誘発したマナの異常活動によって濁った空気を徐々に浄化している樹海の恩恵を真っ先に受けている。
マナの利便におぶさり怠惰な生活を送っていた旧帝国人民も、統一王朝からの指導によって活性化してきている。
「確かこの辺で大規模な戦いがあって…もうここまで修復が進んでるんですね」
戦争の爪跡は広く、深く、そして重い。中には自分の刻んだものもあるだろう。
「今日はこのあたりで…あ、あのっ! すみませーん…」
道行く労働者の方に声をかける。出来る限り肉体労働っぽい男の人に目当てを絞る。
といっても男の人目当てなワケじゃない(そんなの無理デス……)
力が要りそうな仕事を分けて頂き、それを手伝って寝床を紹介してもらう。
わたしの日課だ。手元にお金がないわけじゃないけれど、そうする事で流浪の身でも国のために尽くしている実感を得られる。
永遠神剣という武器はいまだ凶悪な力として忌まれるものの、それ以上に人々は人手を欲していた。
避けられるから近付かない、怖いから近寄らない……では何も始まらない。
女王陛下はスピリットと人間の垣根を撤廃する事に不断の努力を惜しまないと公言している。
それに反発する過激派に命を狙われる事さえあるのに、配下でありスピリットでもあるわたしが何もせずにはいられない。
今は嫌われてもただ前を見る。仕事を終えて休む場を頂く頃にはわずかに軋轢が弱まる時もあり、それはそれで嬉しいもの。

「あづいでず………あづ…ぅいぃ~~~…」
見渡す限り砂、砂、砂。自分の体も砂、砂、砂。
大陸を南北に分かつ大砂漠の、ようやく確保されたキャラバン隊の商道をひた歩く。
荷物は重い。だがこれを手放すと夜に凍死しかねない。
(ヨーティア様は砂漠を快適に渡るための乗り物を作ると言ってたのに、いつのまにか
「人類は空を飛べ!」とかよく分かんない事言い始めちゃったしなぁ…)
大陸一の科学者であるところのヨーティア様は大陸一の気まぐれでもある。
以前マロリガン共和国と交戦した時に使用された最強の広域殺傷兵器、マナ障壁。
それがマナエネルギーの受け渡しによる半永久機関である事に着目し、それに変わる流通機関を作るはずだったのに、
いつの間にか首都にある彼女の工房では羽を生やした舟のようなものが毎週のように建造され、毎日のように墜落している。
「海というものがあるんだからまずそれを渡れる船を作れば……って、あら」
ふと上げた視線の少し先、黄土の景色の中にポツリと違う色。目に写る像に揺らぎはなく蜃気楼の類でない事が分かる。
(わぁ~…!)
それはなんと木だった。と言っても実り豊かな落葉ではなく、葉の繊維は強く厚みもあり、酷地で生き抜く事だけに特化した常緑だ。
「うぅ~…こういうのを見ちゃうと自分たちが間違ってない気がします~~♪」

『ガロ=リキュア』。
現・統一王国の名称。というより、この機械をもとに国の名が付けられた。
ほんの数ヶ月前まで大陸全土を繁栄させていたマナ活用によるエーテルエネルギー文明。
しかしマナは決して再生しない有限素であり、使い続ければ大陸の全てが衰退するという研究結果から
女王陛下はエーテル文明の破棄を断行。それを徹底化するためにそもそもエーテルが使えないように
世界中のマナを変質させる機械を作り上げた。それがアンチマナ・コンバータと名付けられた機械。
これによって陛下の政治的信用はさらに危うい物になっているが、忠誠の強い旧臣の擁護や、
陛下に恩寵を頂くわたし達スピリット護衛もあって、政局は泥沼化せずに踏み止まれている。

この大砂漠はかつて大規模にマナが消失した際の爪跡だと究明されており、そこに緑があるという事は
マナの消耗が減って世界全体の負担が軽減されたおかげで、砂漠が自力で緑化しつつあるのだと言う。
草木一本、大したものではないけれど。
「私も最初は、きっとこんなんだったんですよね…」
小さな体、細い剣。弱い心……今も私の根底はあの頃と変わっていない。けれど草木が根をひとつに
多くの葉を茂らせ実を結ぶように、根っこのところは同じ私も今は多少ましな物。
「要は育てばいいんですよね……ごくり」
何を隠そうこの草、葉っぱの部分はあま~い水分をたぁぁぁぁっぷりと保った果肉があるのだ。
「えーと、えーっっっとぉ……ゆ、許して下さいデスネ?」
腰の神剣を抜き、ちょっとだけ葉っぱの先を削ぐ。蜜液が刃を滴りあっという間に照り乾く。
なにこのすっごく甘くさわやかでいい香りここは砂漠ですけど。
「い…ただきまぁーすッ!」皮を剥いてぱくり。
「ん……んもぉ゛~~~~~っっ♪♪♪」
たまらない。回復魔法を受けている気がするほど癒されるー!
一口で一晩中走れそうなほどの滋養を得られた気がする。将来的にマロリガンやデオドガンの主要作物になったり…
しないかな。これはすごく高級食材の予感。
「ご馳走さまでしたぁ……よいしょ」
食べられない果皮の部分を根元に埋め、水筒の水を掘り出した根元に直接かけて再び砂をかぶせる。
水の量は果肉を頂いた分にちょっと上乗せ。不毛な砂漠地帯、持ちつ持たれつでよろしくお願いします…
「って、あれ!?」
水をあげて顔を上げると、地平線のちょっと手前あたりに建物の姿が……
間違いない! 美しい白の建造物。 デオドガン中継街の外壁!
「やったぁー! 今日はベッドで寝れる予感~~~!
 これぞ緑の、大地のマナのお導きですね! これ、お礼ですッ!」
水筒の残りを全部小木に注ぎ、私は一気に走り出す。
数十分後、当たり前のように街の手前で脱水症状になった私は行商の方に拾い上げられた。

「すんすん……うわ、ここまで炭の匂いがする」
大陸北西部は山間の地、リーザリオ。
エーテル変換施設が衰退を始めてから早々に炭鉱開発が再開された盛りの鉱山街。
多くの人が毎日精力的に勤しみ、首都圏ではトップクラスの利潤を上げているらしい。
大鉱脈が次々発見されるラジード炭鉱は龍が住みついていると言われていたが、それは遥か昔のことで
統一王朝の母体となった国、ラキオスに伝わる勇者の手で討ち滅ぼされ、その亡骸が鉱脈という恩恵に
なり後世の人々を潤した…という伝承がある。
しかし戦争中に坑道から強大な龍が再び現れ国に深刻な被害を与えんとしたため、当時の隊長だった
コウインさんはわざわざサーギオスへの進軍を断念してまで坑道の救済を進言した。それは採択され
今こうして人々は炭鉱の恵みを得ている。
(こうしてまとめるとえらい人なのに、なんでこうも尊敬の念が湧かないんでしょうか?)
多分、大人なのにネリーさんやニムさんにちょっかいをかけてはキョウコ様に叩きのめされている姿が
哀れだからなのだろうけど、その姿もまた良しとするクォーリンさんの感覚もちょっと分からない。
この日も炭鉱の力仕事を手伝った。たくましいおじ様やお兄さんたちに嬢ちゃんすごいねなどと
褒められている内に掘り進みすぎてしまい口を開けていた竪穴に落っこちて笑われた。が、がっでむ…。

「さすが聖地…すごいけれど、ちょっと怖いですよね~……」
首都よりさらに北にある最果て。ここは統一王国の聖地、守り龍の洞窟。
ここには旧ラキオス王国の守り龍とされた聖なる青龍、サードガラハムが数年前まで実在していた。
龍は豊かな知性と強大な力を持った畏るるべき存在だったが、女王陛下の父君が強兵策の一環として
龍を滅ぼし、そのマナを軍備に充てたという悲しい事件のあった地でもある。
ラキオスは古代より伝わる、持ち主を選ぶ強大な神剣『求め』を有しており、龍の討滅のために
それを使ったというけれど、どうやって討滅をなしたのかは誰も知らない。
国宝だった『求め』もその時に破壊されたらしい。
そのときまだわたしは正式な配属ではなったので、当時の中央軍について語れる人はエスペリアさんや
オルファさんくらいしかいないのだけれど、彼女たちも知らないのだからよほどの極秘事項なのだろう。
私みたいなものが探りを入れただけで死刑だったりして……こ、怖い怖い。

「ヘーリオーン! おっかえりーーー♪」「おかえり~♪」
「はいッ! ただいま戻りましたっ!」
王都で一番最初に再会した知り合いは、ネリーさんとシアーさん。
二人とも先の大戦を共に戦い抜いた、大切な戦友……なんだけれど、二人とも青春を謳歌しているというか
怠惰に生きているというか、手には裸のお菓子を持ってそれをパクパクかじりながら出迎えてくれた。
「あ、あのぉ、王宮内で食べ歩きは…」
「だいじょーぶだよぉ、だってヨフアルだもん!」「怒られても女王さまにあげれば、オッケ~♪」
「そういう問題じゃあ…」
「それよりヘリオン、旅はどうだった?」「どうだったの~?」
「あ、ええ、楽しかったですよ」
「ふーん、一緒に行きたかったけどネリーはサバクキライしょーこーぐん病だからー」「シアーも~…」
青スピリットは特に暑さに弱い。大戦でマロリガンに侵攻した時も戦死より先に病死するんじゃあ…
ってくらいヘトヘトだったのをよく覚えている。
「でも嬉しい事もあったんですよ、砂漠に木が生えてて…」
そんな切り出しから旅行にまつわる思い出を根掘り葉掘りされ、一晩中楽しくおしゃべりした。
シアーさんは速攻で眠りについてしまったけど。彼女らしいというか……。

「あらあらヘリオンさん、お久しぶりですねぇ~♪」
「はい、ご無沙汰しちゃいました……ってええとその格好は、何かの懲役のたぐいなのでしょうか…」
商業街区を物色しているとハリオンさんに出会えた。なぜか木組みの屋台を引いていた。
しかも王宮のメイド服姿なのでどうも見世物じみているような…。
「ご冗談を~♪ これはわたしの商売道具ですよぉ~」
「商売……あぁ、なるほど!」
花をひくつかれせばすぐに感じる甘い香り。それも自然のものではなく熱された香ばしさ。
国にいた間よくご馳走してくれた焼き菓子の香り。それを屋台がまとうって事は…!
「開業したんですねっお菓子屋さん!」
「はい~♪ おかげさまで大好評なのですよー♪」
見れば屋台の中身は空っぽで今から開店できる様子はない。日も高いのに売りつくしたらしい。
「すごいですねー……あぅ、わたしも食べたかったなぁ…」
「それなら大丈夫ですよぉ~、一緒についてきてくださいな~。
 今からセリアさんのところにお邪魔して、もう一仕事するのですー♪」
「…あぁ!」
ぽんと手を打つ。セリアさんは終戦後すぐに神剣を王宮に奉納し、その代価として得た受給をもとに
孤児院を設立したのだ。そこで一仕事という事は
「ただばたらきというやつですねぇ~♪」
「そそそそんな言い方しちゃダメですよぅ!ていうかサラッと心読まれてませんかわたし!?」
「うふふ~、お姉さんですもの~♪」
「あれ? ところでヒミカさんは…」
「ヒミカなら一足先に、家から食材だけ持って目的地に行ってます~」
「そうかぁ、お会いするの楽しみですね~」
「はい~♪」
そして孤児院で出会った時、わたしは固まってしまった。
小さな孤児院では数人の子供たちに追い掛け回され、服を引っ張られるヒミカさん。
それだけなら微笑ましかったのだけれど、彼女が着ているのは『その日のハリオンさんと全く同じ』で。
ヒミカさんも私と目が合った瞬間固まっていた。顔中から変な汁が滴っていた。
なんというかその、ごめんなさい。

「本当に久しぶりね…どのくらいになるのかしら?」
「ええと…7ヶ月とちょっとですね」
孤児院での焼き菓子パーティーの夜、院長のセリアさんやみなさんと一緒に食事。
戦時中のピシッとした戦闘服ではなく、町人と同じ質素な服を着たセリアさん。
「セリアさんの私服姿ってはじめて見ましたけど、新鮮なのにどこか懐かしいような…」
「そう? 高い物じゃないけど、気楽に着れていいから気に入ってるわ」
穏やかに微笑むセリアさんはやはり戦争中の面影とは別人で、でも本来の彼女を思わせる馴染みがある。
「わたしはいつもこれですけど、気楽に着れるのはいい事ですねぇ~♪」
そう言うハリオンさんはちょっと頬が赤い。色っぽいような気もするけれど傍に置いてある
お酒の空瓶の数が尋常ではない。そしてその空瓶に被害を受けているのは
「ヒック……あたしはずぇんっっずえん! ラクじゃらーいわよーぅ」
「ひ、ヒミカさん…」
空瓶山を挟んでヒミカさんがものすごい勢いで酒に呑まれている。
「このっ、ヒランヒランのせいで、毎日まいりちヒドぅい目にあってるっちゅーの!」
「それはまぁ、ご愁傷様です…」
聞けば屋台を開業して間もないがこれが制服だと言う。その愛らしい見た目が売り上げに貢献してるそうだが、
なぜかヒミカさんだけはお子様がたのオモチャになっているようで。それだけならまだしも…
「きーてよセリアぁ! きょう家に帰る途中、人間の男が声かけてきてぇー…あたしの肩をやらしーく
抱きよせてぇ路地裏に連れ込んで……『一晩でいくら?』らとぉぉー!?」
「あーハイハイ…ていうかその話何周目だったかしら」
「次で10周めですねぇ~♪」楽しそうに聞きながらぐびぐびと杯を空けるハリオンさん。
口調は穏やかなのにお酒を運ぶ手の動きだけ異常に手早いのはなぜなんでしょう。
「いくらヒランヒランだからってスカートの中身までヒランヒランじゃないっつーの!
 二度とそんな遊びしないようにきっつーく脅して追っ払ってやったわよあーははー!」
「今はいいけど、子供たちの前でそんな話しないでよね…」セリアさんが苦笑している。

「まぁーアレよね、ヘリオンもさ」
不意にヒミカさんの標的がわたしに切り替わる。き、記念すべき十周目はわたしですか!?
「いつまでもフラフラしてらいで、腰ィ落ち着けらいとダメらんじゃないの?」
う、酔ってるくせに所帯じみたことを聞かれてしまった。
「え、えーと、出先で働いてますし、広域で奉仕活動というわけで真面目に働いては…」
「そゆ事心配はしてらいわよー、あんた真面目ッ子だし」
「はぁ…」
「あたしらがゆーてるのはね、『あんたの戦争は終わったのか?』つーこと!」
「………」
「こら、ヒミカ」セリアさんがたしなめる。いえ、別に気分悪い事はないんですけど。
「心配したっていーじゃないあたしら戦友だし…この子生まじめでそそっかしいけど責任感も強いし…
 それが昔と変わらずアクセクしてるとさぁ、こっちも、落ち着くぁ…ぃ…」
赤い頭がフラフラしだしたかと思うと、くったりと卓に伏してしまった。
「あらあら~」ハリオンさんがヘッドドレスを脱いでヒミカさんの首にかぶせる。
も、毛布のつもりなのでしょうか?
「…仕方ない子ね」セリアさんが苦笑している。
「まぁお酒のせいでもありますし…」
「ええ、ただヒミカの言葉にも一理あるわ」
「う…」
「留まる事を無理に薦めるつもりはないわ。誰にも生き方がある。
 ただ、見据える物がないまま歩き続けるのは、何もしてないのと一緒だと思うわ」
「……」

「昔の私達はただただ戦っていた。でも直接何のために戦っていたかというと、それは何もなかった
 気がするのよ。本当にただ戦争のコマとして無心に、いいえ、無関心に剣を振るっていたような…」
それは分かる。スピリットは人間に従い、彼らの富と野心のために他国のスピリットと戦争という名の
潰し合いに駆り出されていた。誰かのために戦っていたわけじゃない、その虚しさはわたしでもよく
分かっている。
「かもしれません。けれど、わたしは…少し違う気がします。
 皆さんと共に戦っていた。それはとても大切な絆です。けれど、その中にもっとなにか、
 あったような気がするんです。今のわたし達が欠いている、なにかが。」
「仲間の私達にすら説明しきれないようなものが?」
「はい……」
「でも、それはあなたにとってかけがえのないものなのね?」
「はい…」
「それを見据える事であなたは前を見ていられる?」
「…見ていると思い…ううん、見ています。」
「なら私はとやかく言わないわ。というか最初から言うつもりもなかったけど、確認だけね」
「?」
「だって帰ってきたあなたの顔、翳りはなかったもの」
「はい…そういう生き方をしてるつもりです」
「翳りはなかったですけど、そういえば寝ぐせが付いてましたねぇ~」
「はい…そういう生き方もして…ってうえっ!?」
「ほらぁ今もここ、結び目のところがリボンとくちゃくちゃに…」
「うえええええ! せ、セリアさん気付いてました!?」
「ええ、まぁ…でも若い子の流行の髪形かしらと思って」
「あわわっ何ですかこれーっ! こんなお洒落大陸のドコにも未来永劫流行りませんってば~!」
「ぅるっさい~! 人がせっかく気持ちよく寝て…ッあアタマ痛…」
「はう! す、すみませんん~…」
そんなこんなで夜更け過ぎまで飲み食い語らい、ハリオンさんはつぶれたヒミカさんを屋台に乗せて
家まで帰っていった。あれだけ呑んだのに力強く屋台(人入り)を引いていったあたり、
恐ろしいやらハリオンさんらしいやら。私はさすがにセリアさんに泊めてもらった。


次の日。セリアさんに教えてもらった場所に向かうと…
「うわ、ヘリオンだ」
「『うわ』って…もしかしてわたし歓迎されてませんか?」
「別に。お姉ちゃーん、ヘリオンが出たー!」
む、虫けらのような扱いを受けている気がするのですがニムさんは修羅場を共にくぐった大事な
だーいーじーなお友達なのでそんな事ありえないという事にしておきましょうハイ。
「あら、ようやく帰ってきたのね」
ログハウスから出てきたエプロン姿はニムさんのお姉さん、ファーレーンさん。
戦後はセリアさんと同様に奉納受給を頂いてすぐ郊外…というか人里離れた林野に居を構え、以来
林業の手伝いと牧畜で細々と、穏やかに暮らしている。
「世界を回って半年、収穫はありましたか?」
「ええ、色々と…」
「私もニムにもっと広い世界を見て欲しいと思うのですが…」
「旅なんてめんどくさい。ニムはお姉ちゃんと一緒ならそれでいい」
「とまぁ、そんなわけでニムったら学校にもあんまり行ってくれなくって…」
「あ、あはは…」
学校。わたし達にはなかなか斬新な響き。
最低限の読み書きと戦闘にまつわる事しか教育されないのがスピリットの習わしだったけれど、終戦後は
女王陛下の意向によりスピリットにも人権と文化を与えられる運びになった。その中で文化の
象徴になるのが市街居住権と財産保有権、そして就学権だという。

「わたし達の中ではオルファさんとニムさんだけでしたっけ、学生さま」
「『さま』って…ああそうだわ。確かあなたが出立してすぐ、アセリアが…」
「学生さまになったんですか? アセリアさんが!?」
「ええ、と言っても普通科ではなくて市井の料理学校ですけど」
「へ、へええええ…!」
意外としか言いようがない。あのアセリアさんが料理学校!
わたしも人のこと言えた義理じゃないけれど、結びつかない組み合わせ。
「先々月くらいに一度、仲間の皆に料理を振舞って回ってましたよ」
「へぇー…ちなみにお味の方は」
「すっごいまずかった。食材生のまま食べた方がおいしかった」
吐き捨てるように言ってニムさんが「うべー」と舌を出す。
「こらニム! せっかく作ってくれたんだからそういう言い方」
「でもお姉ちゃんも『これ以上ニムには食べさせないであげて下さい!』って必死にゆってたよね」
「それはその、に、ニムに何かあったらと思うとつい反射的に…」
「何かありそげなお味だったわけですね…」
よし、それならまだわたしの方が…! ってそこまで自信ないですけど。
「わたしがいない間、なにか変わった事とかありましたか?」
「そうねえ…あまり街には行かない生活だからすっかり疎くなっちゃって…」
「先週からアキラィスでウルカとミュラーがなんかやってる」
「そうなの、ニム?」
「うん。えんしゅーとか言ってたかな」
「そうなんですかぁ~。うん、行ってみようかな」

「残念だったね。ウルカはすでに王宮に向かってしまったよ」
「そのようですねー。一足遅かったです」
向かい合うのは褐色白髪の長身。でも目が覚めるような抜群の美人。
ガロ=リキュアどころか大陸にこの人ありと言われる最強の『剣聖』ミュラー様。
「長らく旅に出ていたようだけど、どの辺りを回ってきたんだい?」
「大戦の進軍ルートに沿って回るつもりだったんですけど、エーテル施設が止まってからはいくつか
通れなくなった道もあって、半分くらい回れないまま往復みたいな旅路になっちゃいました」
「それは災難だったね。で、目当ての物は見つかったかな?」
「正直なところ……望みどおりのものは、まだ」
「そうかい。私も興味があるから暇を見て多少探っているんだけど、戦果の程は君と大して変わらないと思うよ」
「ですよね」

わたしが旅をして探している物。
それはラキオスの、ひいては大陸全土の古い英雄『聖ユウト王子』にまつわる歴史。
永遠神剣とエーテル文明を武器に北方において名を挙げ乱世の大陸を制覇した、生きた軍神。
つづりは古代文字を現代風に解釈しているので「ヨト」とか「ヨゥト」「ユ・ト」などと発音するケースも
あるけれど、現在は国で一番えらい学者のヨーティア様がユウトと読んでいるので多数がそれに倣っている。
そう呼ぶようになったのもヨーティア様の(身勝手な)こだわりなのでごく最近の事だけど。
「元々聖ユウトは龍の魂同盟、特にラキオス領の英雄とされるから、北方領外で探すのは難しいかもしれない」
「はい。でも彼の血脈は大陸全土に散っていますから、どこかに何かが残っているかもって思って…」
「そうだね。私もそこそこ旅をしている方だけど樹海や大砂漠、龍の爪跡の周囲は全然踏破できていない。
あの辺に何かあったらお手上げだ。爪跡の山岳方面ならイオに聞いてみてもいいかもしれないが」
「どうあれ道のりは厳しい……ですね」
「若い娘にはいい目標かもしれないけどね。若い娘と言えば」
「はい?」
「君もよく探究心が尽きないものだね。まるで過去の偉人に恋をしているようだよ」
「こッ!?」
びっくりした。
「ぶべっべべべべべつにそんなわたしみたいなものが英雄様に恋をするなど滅相も…!」
「取り乱すことないだろう、知的探究心が昂じて憧れを抱くのはマニアとしては良くあるケースらしいしね」
「ぃやッそのッ、わたし本当にそういうマニヤとかアニキとか念力とかそういうんじゃないんで!」
「そういう事にしておくよ。しかしなんでまた聖ユウトだったんだい?」
「は、えーと」
「気を悪くするかもしれないが、学を積まないできた今のスピリットにとって、特に人間の歴史学など
重要な意味はないように感じるよ。戦争から開放された思春期盛りの娘がひとり世界をさすらってまで
追い求めるような魅力があるのかな?」
「うぅん…笑わないで下さいますか?」
「君に笑わすつもりがないなら」

「そうですか……なら言っちゃいますけど、じつは何というか、すごく軽薄なんですけど」
「うん?」

「ユウトという響きに、なんとも言えず『いいなぁ』って思うものがあって、それで…」

「ふむ」
「そ、そういうわけなんですけど」
「世界中のユウトくんには耳寄り情報のようだね」
「やっ別にユウトさんなら見境なくカモンとかそういうわけじゃないんですけど!」
「分かってるよ」
「それにそう思うにも理由というか、根拠みたいなものがあって…」
「ふむふむ」
「その響きを耳にするたびにどこか、頭というか胸というか、疼くものがある気がするんです。
ざわつくような、既視感的な何かが」
「記憶の深くに引っかかる物がある、という感じかな」
「そんな感じなんです。忘れられない事を思い出せない、それがずっとのどの奥に引っかかってるような気がして」
「で、ユウトといえば聖ユウトだと思って調べ始めたと」
「知名度だけじゃなくて『聖ユウトが世界を巡って戦った』っていうイメージに、強く揺さぶられる物があるんです。
ううん、もっと明確に、共感さえ覚えます」
「夢などは見ないのかい?」
「よく見ると思います。でも目が覚めるたびに忘れてしまう…」
「それはもどかしいね。そんな状態が長続きするんじゃあ腰を据えようにも落ち着かないだろう」
「はい……でも」
まっすぐにミュラー様を見て言う。
「今の私にとって、このモヤモヤを追いかける事は大事なことなんだって思います。いつか何らかの形で
結果が出るまでは頑張って追い続けてみたいんです。わたしの中の、この気持ちを。」
「そうかい……もしこの世界のどこかに君の求めるユウトという人がいるとしたら、全く幸せ者だね」
「え、えへへ…」

「ご苦労様でした。この成果は必ず国策に役立てて見せます」
王宮の秘書執務室にて。
そう言ってわたしの渡した書類を胸に抱えると、エスペリアさんは深く頭を下げた。
「いえ、わたしも自分の旅の片手間に集めたものですから…」
「今はそういうものほど重要なのです。文明が途絶した今、様々な情勢は直に目で見て足で拾わないといけなくって」
「仰る通りです…結果的に往復してきただけですけど、行き帰りでビックリするほど差が出てました」
「エーテル文明を捨てれば文化活動は停滞すると多数の識者から予想が提出されたものですが、今や昔以上に人の、
自然の動きが活性化しています。人の暮らしこそ質素になるでしょうが、世界はより一層活きていくかもしれないんです」
「それにお力添えできるようにわたしも頑張ります!」
「ありがとうヘリオン。じゃあこれ、今回の路銀にどうぞ」
「うわ、またこんなに…大丈夫なんですか?」
「あなたの業績を考えればこれでも渋っている方なんですよ?」
「きょっ、恐縮ですぅぅ…」
「北方内であれば送り馬車くらい用意しますが、今度はどちらへ?」
「えーとですね、次はアキラィスから『直接』サルドバルトに渡ってアト山脈沿いにスレギト、ニーハス経由で
自治区に行こうかなと」
「ああ……あなたは初めてでしょうね。確かに土地の者なればこそ一見の価値があるわ、サルドバルト『草原地帯』」
「マナが潤って砂漠が緑化するだけかと思ったら湿原の水も捌けたって聞いて、行ってみたいなって」
「数年のうちにより肥沃な農耕地帯になると思うわ。経済的にも、何より地理的にもイースペリア地方の
難民を助けるにはもってこいだと陛下もお喜びなの……そうだわ、陛下にお目通りは?」
「? 今日は陛下はダーツィ地方に視察とかなんとか…」
「ところが…窓の外、見てご覧なさい」
「?」

言われて振り向いた視線の先。大きく開いた出窓の向こうには庭園が広がっている。
そこはかつてコウインさんのお友達のエトランジェ、カオリさまを元いた世界に送還した儀式の場所。
そこには今、一組の男女がいて楽しそうに歓談していた。
わたしは執務室を飛び出していた。

「…あら? ヘリオン! 帰ってきていたのね!」
駆け寄るわたしを見て、レスティーナ女王陛下が笑顔で手を振って下さった。
「は、はい…先日帰還いたしましたっ!」
「そうだったの、ご苦労様…これからはしばらくここに?」
「いえ、そろそろまた出発しようと思ったらここに陛下が…」
言葉は交わすが、どうにもお言葉に集中できない。
ふたりの前に立ってからずっと、わたしの意識は隣の男の人に偏りっぱなしだった。

くせのある直毛。スマートだけど筋肉質の体躯。身を包む白い陣羽織。
背に抱えた大剣から発する強大な波動は、たぶん永遠神剣。
けれどそれよりも心を奪われるのは、揺るぎない意志の光を湛えた印象的な瞳。
そしてそれがわたしに向けてくる、穏やかな微笑。
初めて逢う人だということは分かる。
だのになぜか心の中に狂おしく波立つものがある―――!

「あのッ陛下! こちらの方は…!?」
「あら、初対面だったかしら?」陛下が首を傾げる。
「ああ…そう、だよな。うん。」彼が困ったように笑う。
「彼は怪しい者じゃないわ。と言っても私にとってのみだけど」「おいおい!」
泡食った様子の男の人に、陛下はいたずらっぽい顔で笑いかける。
「俺はユウト。君はスピリットだから分かると思うけど、こいつは俺の神剣な」
「ゆ、うと……?」
「ああ。なんでもこの国じゃすごく偉い人の名前と同じらしい」
「え、えぇ、はい、聖、ユウト…」
「と言ってもあなたが偉いわけじゃないしね~ぇ」
「へっ、デマの視察情報飛ばしてサボってる女王陛下に言われたかないね!」
「あーっ、せっかく一緒の時間つくったのにそういう言い方するんだー!?」
「最初にかわいげのないこと言ったお前が悪い!」
「な~にをー!」「あんだよ!」

「……って、あら? ヘリオンは……?」

二人の会話が盛り上がっていたので、わたしはその場を離れた。
胸の奥、心臓が弾んでいる。高鳴っている。
この気持ちは何なのだろう。なぜわたしは二人から離れたのだろう。
なぜわたしはこんなにも、いたたまれない気持ちを二人に抱いているのだろう…!?
「う………っく!」
堰が切れてしまえば、もう抵抗はできなかった。
神剣の柄を握り締め、力を解放してまで、人目がつかなくなるところまで走った。
声を上げて泣かずにはいられないこの気持ちが誰にも気付かれないよう、走り抜けた。
王宮の片隅の林、誰も寄り付かない一番奥に辿り着いたところでようやく口の噤みを解いた。
「っふぅっ、ふえ、うええ…ッ!」
とてつもなく苦しかった。息が上がっているからじゃなかった。
心を突き上げ押し出される衝動に、胸と喉が耐え切れない。
「うぁ…うわああああああんッ!!!」
どうして泣いてしまうのか、どうしてこの涙はこんなにも苦しいのか。
泣き止んだ後も理由は分からないんだろうなと、漠然と思った。

頬に自分の涙が沁み、喉に痛みを覚えた頃、ようやく落ち着いた。
体が憔悴しきったせいか、妙に自分自身を俯瞰してるような気分になる。
「はぁー……なんなんだろ、わたし」
手の甲で涙を拭く。目元がピリピリ痛み、疲れた喉がしびれている。
「そろそろ、行かなきゃ…」
口に出してみたものの、ふっと、それが何を意味したのか自分で分かりかねた。
「えっと……サルドバルトに行って、そこから山伝いにソーン・リームに……でも、なんで?」
目的も分かる。世界をくまなく巡り、聖ユウトに関する伝承を集めるためだ。
分かっているのに、そこに付随しないものがある。意欲、つまりやる気だ。
今までの自分にそれがあったという記憶もある。だのに今プッツリとそれが失せた実感もある。
「……へんなの。」
とりあえず疲れてしまったので、街の宿で一晩明かすことにした。
ベッドの上で自分の気持ちを整理する。
「女王さまとお会いして、その横に、あの人がいて…」
微笑んではくれたけど、女王さまと楽しそうにお話していた。心底、楽しそうに。
「うぅ~ん…」
もやっとする。この気持ちは、聖ユウトについて調べてる時と似てると思う。
だとしたら、もしかしてわたしは…
「あの人の事を、追いかけていた?」
いやいやそんな筈はない。間違いなく初めて会った人だ。
顔も見たことはないし、神剣の波長も今まで感じたためしがない。
でも感じる気持ちにウソはつけない。だとしたら
「これって、一目惚れってやつだったのかなぁ……?」
ミュラー様の言葉がリフレインする。知的探究心がどうのこうの。
「わたしは、聖ユウト様に、自分の理想を積み立てていた。
 その理想に第一印象ではまったのが、あのユウトさんだった。
 でもユウトさんはたぶん、陛下と……」
つまりわたしは、一目惚れと失恋を同時に経験してしまったということなのか。
それにパニックを起こして、こんなになっちゃったのか。
「うううううぅ~?」
なにか違う気がする。でも、一番近いような気がする。わからない。わからない。
迷宮入りしそうな疑問を反芻するうちに、私の意識は沈んでいた。

「ん?」
「お久しぶりです、アセリアさんっ!」
「……ん、ヘリオン」
半年ぶりに再会したアセリアさんは、だいぶ印象が違って見えた。
髪を結い上げているのと、いつも惰性で着ていた鎧がないせいですごく女の子に見える。
ついでに両手が手首から、代わりの手甲かなにかのように包帯まみれになっているのが激しく気になる。
「ヘリオンも、料理の勉強か?」
「はい! 色々思うところがあって、とりあえずやってみようと思ったんです!」
「ん、そうか」
「あらアセリアさん、ヘリオンさんとお知り合い?」と、教壇から先生の声が。
「ん、仲間」
「じゃあ不慣れなところは色々教えてあげてもらっていいかしら?」
「うん…まかせろっ」
「ういっ!?」
あれあれあれこの間のファーレーンさんの話によるとアセリアさんの腕前は
『逆に究極』ないし『ある意味至高』みたいなレベルなんですよね?
なに「後輩ができた♪」とばかりに鼻の穴ふくらましてるですか?
「ヘリオン。これ、ほうちょう。受け取れ」
「あわっアセリアさんっ刃物を渡す時は向きを逆にッ! あと無造作に突き出さないで!」
「そうか。んっ」
「あっ!」
言うとおりに持ち替えてくれたはいいけれど、そのまま柄を握る感覚で刃の部分をギュウ。
「…………いたい」
「あ、アーセーリーアーさぁぁぁん!!!」

と、結局わたしは旅の予定を取りやめ、料理教室に入った。
今まで続けてきた旅にあったはずの生きる目的を見失った、と言えばそうなのかもしれない。
だとしたら失う原因はやはり「彼」との出会いだったと思う。
そこに恋という気持ちを当てはめてみてもいまだにしっくり来ない、もやっとした気持ちを抱えている。
ならば今のわたしには旅をするより恋について知る、恋に備える事こそ生きる目的足りうるのではないか。
そのためにとりあえず女の子らしい事をちゃんとしようと思い、こうして料理に目をつけた。
ヘタだけど料理するのは好きだから、『好き』を通じて『好き』を知れればと思うし。
(こうして女の子らしさを磨いていれば、いつかわたしにもそういう人との出会いがあったり…するのかなぁ?)

「ヘリオン」
「はっ、はい!?」

「わからない事、何でも聞け」(←手から血を滴らせつつイイ顔で)

「………」
なぜだか、わたしの女の子らしさが磨きあがるのは相当先になる気がした。