勘違いしないで

たまのお休みにふと思い立った私用で城下へ出掛けてみると、
街角で他愛も無い口論をしている人達を見かけ、一体何をやっているのかと思う。
聞くともなく耳に入ってくる罵声は足を踏んだだの話を聞けだの、どれも下らない。
「……まあ、どうでもいいけど」
そう、どうでもいい。私達スピリットにとって、人同士の理不尽な諍いなどは。
そんなことよりも、折角のお休みを楽しまなくては。よく晴れた気持ちの良い青空。
こつこつと小気味良く石畳を叩く靴音。今日は、ささやかに楽しみな目的地もある。
少しだけ浮ついた気分という贅沢を、今は思う存分味わおう。ぎゅむ。
「あっ、ごめん」
「~~~~~っ」
足を、踏まれた。わたしはちゃんと、前を見ていたのに。
でも、踏まれた。ぎゅむって、聞こえた。角を曲がった所で、はっきりと聞こえた。
これでもかって位、思いっきり踏まれた。だってわたし、蹲ってる。わりと本気で。
「大丈夫か? 俺ちょっとよそ見してて……あれ?」
「大丈夫なわけないでしょうっ! 一体どこを見て……え?」
半分泣きそうになりながら顔を上げ、反射的に叫ぶ。
そして叫んでから改めて相手の顔を確認し、わたしの口は丸く固まってしまう。
心配そうに覗き込んでいる、逆光に翳る特徴的な黒い髪。灰色の、きたない羽織。
「……セリア?」
「……ユート、様?」
そのまま暫くの間、わたし達は硬直してしまう。お互いを見合わせたまま。

「全く、よそ見なんて」
「だから、悪かったって。道に迷ってたんだ」
「戦場でもそんな言い訳が通用するのですか? 物分りのいい敵もいるものですね」
「いやあのさ、いきなりそんな飛躍されても。ここは戦場じゃないだろ」
「スピリット隊の隊長なのですから、常に戦場を心がけていてしかるべきです」
「無茶いうなよ。どっちにしても、街角越しの人影なんか予測出来る訳無いじゃないか」
「そんなことはありません。周囲に気を配っていれば、気配だって読める筈です」
「む。じゃあなんで、セリアは俺に気づかなかったんだよ」
「……」
「ほらみろ。大体そんなに怒るなよ、出逢い頭なんだからさ」
「怒ってなんかいません!」
「怒ってるだろ!」
「~~~~」
「~~~~」
最悪だ。どうしてこう、つまらない所で細かいのだろう、この人は。
戦場でもよく隊長としての責務を忘れ、単独で突っ走っていってしまう。
大局を忘れ、些事に拘る。だからこそ信用もできないと、何故判って貰えないのか。
ちゃんと誠意を見せて謝って貰えれば、こちらだってここまで怒らないのに。
折角のお休みが台無しじゃないの。こんな街角で、こんないがみ合いをして潰すなんて。
こんな街角で。こんな、街、角……で。

    ―――― ヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソヒソ

「……ちょっと、来なさいっ!」
「え、お、おい引っ張るなってうわわ」
耳が真っ赤になってしまっているのが自分でも良くわかる。
焦りや恥ずかしさではなく、痛みのせいなのだと自分へ言い聞かせるのに必死だった。
街中での、スピリットとエトランジェの口論。これではただの、物珍しい見世物にすぎない。
いつの間にか出来ていた周囲の人並みを必死になって掻き分けながら、冷や汗を拭う。
一体わたしは、何をやっているのだろう。たかが足を踏まれた位で。本っ当に下らない。

「いやでも助かったよ、俺一人でもうどうしようかと」
「……で、何故道になど迷っていたのですか?」
「……なあ、まだ怒ってるだろ?」
「だから、怒っていません。あんまりしつこいと怒りますよ?」
「悪かったって。だからさ、いい加減そっぽ向いて話すの止めないか?」
「……」
「ほら、このとおり。まだ痛むんだろ? ごめんな、咄嗟だったもんだから加減出来なくて」
「……はぁー。もういいです。足も大丈夫ですから」
「そっか。……良かった、じゃあこれで仲直りだな」
「べ、別にわたしは喧嘩をしていたつもりはありません」
「まあまあ。で、俺さ。エスペリアに買い物を頼まれてたんだけど」
「なるほど。でも、それにしては荷物を持たれていませんね」
「ああ、道順も教わったんだけどさ。城からの途中でこっちの方が近道だと思って、つい」
「わかりました。またいつものように忠告を聞かず、後先考えずに突き進まれた、と」
「そうそう……って、なんだか棘のある言い方だなぁ」
「放っといて下さい。そのお店でしたら、ここを右に行って三つ目の角を左に曲がり」
「ふんふん」
「突き当たりまで進むと宿屋がありますので、そこで道を尋ねて下さい。それでは」
「ちょ、ちょっと待てって!」
話の途中でいい加減呆れ返ってしまっていたわたしは時間が勿体無くなってきたので、
手早く説明を終え立ち去ろうとした。急がないと、売り切れてしまう可能性だってある。
目的のためにも、いつまでもこんな進歩のないおつかい男と付き合っている暇はない。
しかし踵を返したわたしの腕は、がっしりと掴まれ引き戻されてしまう。
意外な程の力強さに、少々驚いた。顔に出ないように、ゆっくりと振り返る。
「ふぅ……まだなにか?」
「いや、まだもなにも。頼むよ、案内してくれ」
「はぁ?」
「ほら俺、エトランジェだからさ。この街はやっぱり不慣れなんだ。きっとまた迷う、うん」
「そんな事を自慢げに言わないでっ! ……もう、わたしだって、用事があるんです」
「あ、じゃあその用事を先に済ませてもいいからさ。付き合うよ。それならいいだろ?」
「……はい?」
「セリアも買い物か? 店はどっちなんだ?」
「いえ、あの、結構ですから」
「遠慮するなって。ええっと……こっちかな?」
「ちょっと人の話を……ああ、もうっ! そちらは今来た道ですっ! こっちよっ!」
「おっと。なんだ、こっちじゃないのか」
「……仕方がないわ。行方不明の隊長探して総出で街中捜索なんて任務は受けたくないし」
「あん?……うわわっだから引っ張るなって。子供じゃないんだから、一人でも歩けるよ」
「一人で歩いて、迷子になったのでしょうっ!」
もう、なにがなんだかわからない。
わからないまま、ただ手を引っ張っていた。全くまるで子供なんだから。
また、道行く人達がこちらを見ながらにやにやと笑っている。ああ、そういえば。
足を踏んだだの話を聞けだの、下らないと評価したのはわたし。なら笑われても仕方が無い。
でも、これだけは間違いないわ。どれもこれも、みんなこの我が侭な男のせい。きっとそう。
「……そうね、折角だから、責任くらいは取ってもらおうかしら」
「え? なにか言ったかセリア」
「気のせいです。あ、ちょっと、そんなにくっつかないで」
「いや、だけど、そんなにずんずん歩かれたら歩幅の調節が利かぐふっ!」
「だれが大股歩きですか」
「そんなこと誰も言ってないだろ……いてて」
「……ふんっ」
掴んでいた手をひっぱり、鳩尾に肘鉄を当てる。
勿論手加減はしたけれど彼は殊更大げさに苦しんだ。そしてわたしは少しだけ拗ねて不満を示す。

「……本当にこの店に入るのか?」
「嫌ならここで別れても構いません。元々一人で来るつもりでしたし」
「いや、約束だしな、付き合うよ。付き合うけど心の準備ってもんが……はぁ」
彼が溜息混じりに見上げる店の看板には、アクセサリーショップとある。
つまりここがわたしの今日最大の目的地であり、当然女性物のみ扱う装飾の専門店。
そして勿論、男性には入り辛い店だろう。その位はスピリットのわたしでもわかる。
そこを先程説明しようとしたのだが、聞かなかった彼が悪い。内心で、苦笑いを押し殺す。
「ではその準備とやらを存分になさってからどうぞ。わたしは先に行きますから」
「待てよ。戦いでも、後先考えずに慎重に行動しろと言ったのはセリアだろ?」
「それは隊長としての心構えです。それにここは、戦場じゃありません」
「……ちぇ、なんだよ、勝手だなぁ」
「お言葉は、そのままお返しいたします」
「はぁ。まぁいいさ、行くか」
そうしてなにがしかを決心した彼の足どりには、まるで棒でも入っているかのよう。
エトランジェ。戦場で敵にだけは回したくない背中が、やたらとぎくしゃく動いている。
その機械のような仕草に噴き出しそうになるのは、やはり機嫌が直っているからだろうか。
空を見上げ、眩しい日差しに目を細める。うん、ようやくお休みっぽい気分になってきた。

「髪結いの紐ねぇ。やっぱり拘りとかあるのか?」
「拘りといいますか、やはり戦闘中に、邪魔にならない丈夫なものを選びますね」
「髪長いもんな。綺麗だし、手入れ大変じゃないのかこれ」
「あの、どさくさに紛れて触らないで下さい」
「あ、ごめん。柔らかそうだな、と思ったらつい。気に障ったなら謝るよ」
「……構いません。ですがそういう時は、前もって相手に断るのが礼儀ではないでしょうか」
「え? 断ったら触ってもいいのか?」
「駄目です。当たり前の事を訊きますね」
「……つまり、触るなと言いたいんだな」
「察しが早くて助かります。あ、これなんてどうでしょう」
「え? ああ、いいんじゃないか? シンプルだし、髪の青に良く合うと思う」
「そうですか。あ、そちらの方にもなにか他に良さそうなのはありませんか?」
「こっちの棚か。ちょっと待てよ、そうだなぁ……って、なんで俺に選ばせてるんだよ」
店内は女性客で溢れている。そして当たり前のように、わたし達の周囲には誰も近づかない。
スピリットとエトランジェの取り合わせ。これ程人を遠ざけるのに適した人材も無いだろう。
だけどそんな状況にはもう慣れてしまっているし、ゆっくり品定めをするのには逆に都合がいい。
一方彼はというと、どうやら女性の多さに戦々恐々としてしまっているらしく、落ち着きが無い。
今も隣に立ったまま、指示されたように背筋を伸ばして棚の中を覗きこみ、うんうん唸っている。
スピリット隊には女性しかいないというのに、おかしな話だ。場の雰囲気もあるのだろうけれど。
「……よしっ、これなんかどうだっ!」
「え、何か見つかりましたか?」
「ちょっと地味な黄色だけど、丈夫そうだしさ。控えめな感じが出てると思う」
「……ふぅん」
ちょっと、驚いた。
彼が手にした細めの紐は、一見すると安っぽい作りに見える。
でもよく見ると所々に編みこみの工夫が為されていて、光の加減で微妙な変化を色に与える。
両端にワンポイントで珍しい結び目があるのもわたしの好みだ。目立たない所に凝っている。
本当は最初から決めていた品が手元にあるのだけれど、何故かそちらに決めたくなってくる。
それに、控えめというのが良くわからないけれど、どうやら一生懸命探してくれたようだし。
成り行きとはいえ、こうして選んでくれたのだから。たまにはそんなのもいいかもしれない。
「きっと似合うだろうなぁ、うん、きっとぴったりだ、間違いなく」
「そ、そうですか? あ、じゃあ折角ですからそれに決め」
「すみません、これ下さい。あ、セリアの方も選び終えたのか?」
「え?……はい?」
「おかげで佳織にいいおみやげが出来たよ。一人じゃこんな機会絶対に無いし。さんきゅな」
「……」
「成り行きとはいえ助けても貰ったことだし、ここは俺が奢るからさ。その一本でいいのか?」
「……ちょっと、待っていて」
「え、おい何を?」
「そこ、どいて下さい」
「お、お、おおお?」
がしっと咄嗟に鷲掴んだのは、欲しくも無い紐十数本。
そして驚き、というか怯えた彼の身体をぐいっと押しやり、彼が覗き込んでいた棚に特攻し、
手当たり次第に選びまくる。どうせ奢りだと言って"下さって"いるのだから、遠慮はしない。
無言で纏めて差し出すと、彼は青ざめたまま素直に頷き、黙って会計を済まし始めた。
何とか引き攣った笑顔を維持しようとはしているが、その努力は完全に失敗に終わっている。
店を出る時妙にしょぼくれた背中を見て、流石に悪かったかなと少し反省はしたけれど。
大きな紙袋を抱えながら、中身を確認する。彼は、わたしの数十倍は猛省するべきだ。

「さて、これでエスペリアの頼まれものは全てですね」
「ああ……そうだな」
「いつまでぼーっとしているの。少しはしゃきっとして下さい、それでは示しがつかないわ」
「いや、この状況で示しってもなあ。単なる荷物持ちだし、今の俺」
「半分は、ユート様の荷物でしょう?」
「半分は、セリアのだろ?」
「持つと無理矢理取り上げたのは誰?」
「……俺」
「ですよね」
夕暮れ時。全ての買い物を終えたわたし達は、ようやく城への帰路へとついていた。
今もそうだが、ささやかな口論でも積み重なるとそれなりの時間を費やしてしまう。
大量の紙袋を抱えて見通しが悪いのか、彼の足取りはふらふらとおぼつかない。
たまに振り返りつつ、足並みを揃える為に、ついわたしもゆっくりと歩いてしまう。
いつの間にか、周囲の視線は気にならなくなっていた。そんなもの、もう下らない。
ちゃんと見張っておかないと、目を離した隙にこの勝手な人はすぐにどこかへ消えてしまう。
周囲の視線どころの騒ぎじゃない。それが今日一日付き合ってみてわたしが出した結論だった。
「そりゃ女の子に荷物を持たせるのは男としてだな、その」
「はいはい、ハイペリアの風習ですね。……変なの。わたし達の方が力があるのに」
「ん? なにか言ったか?」
「気のせいです。空耳じゃないですか?」
「セリア達の力って、神剣の力だろ?」
「聞こえてるんじゃない!」
「それに、わかるんだよな。セリア、今も少し足引き摺ってるだろ? ごめんな付きあわせて」
「なっ! わ、わたしならもう平気だと」
「いいんだ。だからさ、荷物持ちくらいはさせてくれよ。責任くらいは取りたいんだ」
「あ、ええと……責任、ですか」
「ああ。今日は迷惑かけちまった。折角の休みなのに、ごめん」
「……」
「今度からはちゃんと知っている道だけを歩くからさ……セリア?」
「……ぷっ」
「お、おい」
「ふ、ふふふ……くっくっ……あは、あはははははっ」
どうしてだろう。笑いが止まらない。止めようとしているのに。次々と、込み上げて来る。
責任って。迷子の子供を家に送り届けようと、変な責任感を覚えていたのはわたしの方。
知らない間に気を使われていたって。周囲を観察し、常に気を配っていたのもわたしの方。
―――― でも、つまらないことでイライラして、当り散らしていたのもわたしの方、か。
「はぁ、はぁ……ああ、可笑しい」
「なんだよ、失礼だな。人が真面目に話してるっていうのに」
「……馬鹿ね」
「ちぇ。今度は馬鹿、か。もういいけどさ。でも、セリアでも笑うんだな」
「ど、どういう意味ですか。わたしだって、可笑しければ笑います」
「いや、そうなんだろうけど、俺は見たことなかったから」
「ではきっと、ユート様が面白くなかったのでしょう」
「うわっ、酷いな、それは少し傷ついたぞ」
「お互い様です。さ、もう暗くなってきたし急ぎましょう」
「お互いって……お、おい無茶するなよっ」
「平気だと言いましたっ」
そろそろ月明かりが覗き始めた道に映る自分の影を、追いかけるように駆け出す。
もう目の前に迫っている城までは一本道なので、後は置いていっても構わないだろう。
よく街角で他愛も無い口論をしている人達を見かけ、どれも下らないと思っていたけれど。
どうやらわたしには、もうその資格はないようだ。いや、その線引き自体がもう下らない。
まだ微かに違和感のある足の痛みが、こんなにも浮ついた気分を引き出してくれている以上。
振り返ってみても、こんなに鮮明なお休みを過ごした経験が今までに無いと認めてしまった以上。
色々とあったけど、わたしはやっぱり今日を楽しんでいたのだろう、追いついてくる影と一緒に。
それはきっと、無意識に速度を落としてしまっている、わたしの足が証明してくれている。

「お、セリアお早う。もう足は大丈夫か?」
「はい。それでは訓練がありますので、失礼します」
「ああ……あれ? その髪紐」
「気のせいよ。勘違いしないで」
「そ、そうだよな。……そうかなぁ……」
首を傾げている彼をそのままに、急いでその場を立ち去る。危なかった。
本当に、どうでもいいことにだけは気が付くんだから。まぁ、もう慣れたけど。
「ふふ。でも、本当に綺麗な色」
紐の端を手に取り、そっと眺める。渋いけれど、控えめな黄色。丈夫そうな、独特の編み目。
別に、奢りとはいえ初めて贈って貰ったものだからじゃない。選んで貰ったものでも決してない。
最初から、わたしが気に入っていた。ただそれだけ。だから、絶対に。―――― 勘違い、しないで。