戦士の努め

  ―――― ズウゥゥゥゥン……

それは珍しく暇な午後、戦いの狭間に生じた一拍の烈音。
丁度暇潰しにヨフアルのサドンデス大食い競争に挑んでいた俺とネリーは窓を震わす大音響に驚き、
死闘の果てに残された最後の一個をばくつき合わせていた所で顔を見合わせ、同時に立ち上がっていた。
食いかけのヨフアルを放り投げ、それぞれの神剣を手に取りながら第二詰所の外へと我先に飛び出す。
「どっちだ!」
「ユートさま、あっちっ」
すかさずネリーが指差す方角を見る。と、確かに街の郊外、森との狭間辺りから黒煙が舞い上がっていた。
幸い城からはやや距離が離れているが、しかし国境を侵されたことには変わりが無い。
またか。思わず舌打ちを繰り返す。サーギオス帝国のソーマズ・フェアリーによるテロじみた小規模襲撃。
瞬らしいちくちくとした嫌がらせ。一体どこから侵入して来るんだ。これだけ防御網を強化しているのに。
「くそっ! 今月に入ってからこれで何度目だ」
「四回目だよ。ほんと、しつっこいよねぇ~」
「確か今、あの辺にはナナルゥとハリオンしかいない筈だ。いくぞネリー!」
「はいっ!」
同時に駆け出す。すぐに森に迫り、開けた草原でガイアブレスを展開しているハリオンの背中を見つける。
そしてその隣では神剣を垂直に立て、精神を集中させるように目を閉じ、詠唱を唱え続けているナナルゥ。
「ハリオン! 何人だっ!」
「三人ですぅ~」
「……ファイアボール!!」
轟音と同時に炸裂する、膨れ上がったヘリヤのマナ。地面を舐めるように焼き進んだそれが、森の手前で炸裂する。
周囲の木々が吹き飛び、熱風が吹き荒れる。立ち昇った土煙の中から片手を失ったブラックスピリットが飛び出す。
瞬時に反応したのはネリーだった。飛び込み、アーネスのマナを纏わせた『静寂』で肩口から斬り伏せる。
しかし絶命の瞬間、ブラックスピリットも掌に収束させたマセスのマナをネリーの下腹に叩き込んでいた。
結果、衝撃で跳ね飛ばされた小柄なネリーは全身をくの字に曲げたままこちらの方へと吹き飛んできたので、
地面に落ちるすんでの所で、スライディングで受け止める。ハリオンが施す治癒魔法が辺りを緑色に染めていく。

「……ふぅ。危なかった」
「ゔ~……あいたたたぁ……」
「んもう、無茶しちゃめっめっ、ですぅ~」
「へへ、ありがとう、ハリオン」
「……これであと二人になりました」
「うん、後は俺に任せろ。ナナルゥは後方支援、ハリオン、ウインドウイスパーを……ッッッ!」
「? あらあら~?」
「ちょ、ちょっとどうしたのユートさまぁ?」
「グッ! こ、これは」
その時だった。暫く忘れていた、あの感覚が蘇ったのは。唐突に襲い掛かる激痛。流れる脂汗。速まる動悸。
とても立っていられない。ネリーを離し、膝をついて蹲る。皆が心配そうに覗き込んでいるのが判る。
しかしそれでも、動けない。ちょっと気を許すと、間歇的にぶり返す鈍痛が脳髄の奥まで衝撃を送ってくる。
「大丈夫ですかぁ~?」
「い……今、俺に触るな!」
「ひゃっ! 敵が来たよぉ? どうするの?」
「……仕方がありません。私達だけでなんとかしましょう」
「そうですねぇ~」
「……」
情けない。八つ当たり気味に怒鳴り散らしたばかりか、肝心な時にこのざまとは。
しかし今は草を掻き毟り、全身を震わせながら、内部から湧き上がるこの痛みを懸命に堪えるしかない。
なにせスピリット同士の戦闘が巻き起こす地響きやら突風やらの振動ですら辛いのだ。とにかく痛い、痛すぎる。
余りに痛くて、ふいに何もかもどうでも良くなり、つい破壊的な衝動に身を委ねたくなってしまうほどに。
全身に、熱が帯びてくるのが判った。嫌な汗が大量に流れ、シャツの下がじっとりと冷たくなっていく。
そうして、どれ位耐えていただろうか。やがて痛みは少しづつ引いていき、最後には小康状態を保ち始めた。
ようやくのことで顔を上げると、駆け寄ってくる三人が見えた。戦闘は終了していた。

「……全く、虫歯だなんて」
「まぁそう言ってやるなよセリア殿。確かに兵士の中には罹患者が多いんだ。奥歯に負担がかかるからな」
「そうなのですか? ヨーティア様」
「ああ。踏ん張ろうとすると、噛み締めるだろう? 兵隊は特に、その手の場面と頻繁に接する職業だからね」
「なるほど。ではユート様も度重なる激戦で」
「あ~、このボンクラは違う。そんな格好良いもんじゃない。恐らくあっちの世界で治療を怠ってきた口だろう、違うか?」
「あたたたたっ! くそっ、そのとおりだよ!」
指先でつつかれた、腫れた頬を抑えながらヤケクソ気味に怒鳴り返す。しかし涙目になってしまうのは否めない。
呆れたセリアが首を振りながら小さく溜息をついている。視線がいつもの五割り増しで憐れみ臭い。
一方でまるで実験動物を見下ろすようなナナルゥの無感動な眼差しというのも精神的には結構こたえる。
他にも、戦場で俺が倒れたというある意味誤報を聞きつけた面々が押しかけてきて、治療室は賑やかだった。
だがヨーティアの説明を聞いた後で、とりまく雰囲気は確実に変化している。心配から、軽い失望へと。
「で、なんでこんなになるまで放置していたんだい?」
「……忘れてた」
「……やれやれ」
「仕方ないだろ! 突然別世界に飛ばされたんだぞ! そんな事思い出す暇……いたたたた」
「ばかだねぇ、大声出すと響くだろうにさ。そうじゃなくて、前の世界で、ってことだよ」
俺とヨーティアの問診?が下らない口論に成り下がったのを見て、何人かそそくさと無言で出て行った。
小さく"下らない"と呟いたセリアの一言を最後に扉が閉まり、残ったのは治療班のイオ。
ベッドの脇で心配そうに覗き込んでくれているオルファ、シアー、ネリー、ヘリオン。
一緒に出て行こうとしたニムはファーレーンに制止されたのか、渋々部屋の隅で立っている。
その隣で腕を組み、思慮深げ(いつものことだが)に佇んでいるのがウルカ。ついでにアセリア。
何気にエスペリアとハリオンが居ないのが軽くショックだった。そんなに呆れられてしまったのだろうか。

「……嫌いなんだよ」
「は?」
「嫌いなんだよ。佳織にも言われたけど、あんな音を聞かされる位なら我慢していた方が百倍ましだ」
「なんだいあんな音ってのは。まぁいい、どちらにせよ治療は受けて貰う。いいね、エトランジェ殿?」
「ゔ……わかった」
エトランジェ、と言われてはぐうの音も出ない。
頬に当てた氷嚢越しに擦ってくれているシアーの髪を撫でながら、渋々頷く。
確かに好む好まないに拘らず、こんなつまらないことで戦線離脱している暇は無いだろう。
サーギオスとの決戦が近づいている。瞬と対峙している時に動けなくなってしまったら目も当てられない。
恐らく取り返すどころか、瞬にはこれ以上ないって位嘲られ、佳織には兄妹の縁まで切られてしまうだろう。
そんなことになったら俺は死ぬ。瞬に止めを刺されるまでもない。決心した俺はヨーティアに向き直った。
当てたままの氷嚢をネリーがつんつんと面白そうに突付いてくる。ええい、うっとうしい。
「頼むよヨーティア。佳織のためなら、俺はあの嫌な機械音でも何でも耐えるからさ」
「機械? あっちじゃ機械を使うのかい? ハイペリアってのは意外に古臭いね」
「へ? あっちじゃって、こっちじゃ違うのか?」
「ラキオスのマナ技術力をなめて貰っちゃ困るな。更にはこの天才科学様が手助けしているんだ、当然だろ」
「いや、後半部分はともかく、それは期待できそうだ。是非頼む」
「うむ。アセリア、準備はいいかい?」
「ん」
「え? なんでそこでアセリアが出てくるんだ?」
「……ユート、失礼」
「ああ、そういう意味じゃなくて。てっきりまた何となくそこに居るのかと思ってたから」
「さて、始めるかね。ヘリオン殿、ネリー殿、シアー殿、オルファ殿、ニム殿、ぼんくらの手足を抑えてくれ」
「は、はい! ユートさま、失礼しますっ」
「は~いっ。パパ、ちょっとだけ大人しくしてねっ」
「うわっ! な、なんだなんだ」
「ん゙~~、動かないの~」
「ユートさま、暫くの辛抱だよっ」
「覚悟してよね」

「ウルカ殿は背後で首を固定。ファーレーン殿はその補助を」
「心得ました」
「はい。動かないで下さいねユート様。暴れるともっと痛くなりますよクスクス」
「いや一体何を! っていうかやっぱり痛いのか?!」
がっしりと固定され、思わず手元が『求め』を探す。しかし部屋の隅に立てかけられたそれには遠く及ばない。
傍目から見れば、美女美少女に四方八方縋りつかれ、うらやましいかも知れない光景。
しかし今の俺には、何故だか未知の危機感しか与えてくれない。先程の軽い返事が悔やまれてくる。
そうこうするうちに、目の前のアセリアがぼんやり光り出した。いや、正確にはアセリアの頭上でハイロゥが。
いつもは綺麗なリング状をしているそれがぐねぐねと不規則にうねり出し、まるで投げ縄のように変形していく。
あれは。そうだ、見たことがある。オルファのハクゥテが詰所内を逃走していた際、見事捕獲した必殺技だ。
ええと、落ち着け。あの時何か言ってなかったか? 未完成とか、失敗とか。そういえば、爆発したっけ。
「……待て! ちょっと待てぇ!」
「今だ、アセリア殿!」
「ん……行くっ!」
「しまっ……ぐあああああ!」
思わず叫んだのが失敗だった。なんて器用な、とか感心する暇もない。
大口を開けた瞬間、アセリアのハイロゥが口中に飛び込み、虫歯をがっしりホールドする。
そしてあろうことか、そのままぎりぎりと引っ張り始めた。こう、首ごと引きちぎるような勢いで。
しかし幸か不幸か、首はファーレーンとウルカが万力ようにスピリットの力全開で固定している。
結果、歯だけが。歯だけがずっずっと、重度の歯槽膿漏患者でも有り得ないような怪音を立てて。

「ひひゃっ! まふい、せめてまふぃををっ!」
「何言ってるのか判らんな。アセリア殿、せめて苦しませないよう一気に行ってやったらどうだ?」
「ん、難しい」
「くぁうぇdrftgyふじこlp!!!」
制御が難しいと言っていた。
だからこそ、アセリアらしく慎重になっているのだろう。それが心配りなのはわかっている。
だが今は、それが全くの逆効果だった。じわじわと引き離されていく歯茎の軋みまで聞こえてくる地獄。
どんな拷問だ。こればっかりは、味わってみなければ判らない。いや、判りたくもなかった、本気で。
余りの痛さに神経が侵され、感覚がだんだん遠ざかっていく。何だか気持ちが良くなってきた。
ああ、これがあれか。快楽信号とかいう、死の間際に優しい人体の神秘って奴か。


数日後、ようやく腫れの引いた頬を擦りながら、俺は呟いていた。
「あー、しっかし酷い目に会ったな。ったく、どっちが原始的な治療なんだよ」
「へへ、でも良かったね、こうしてまたヨフアルが食べられるようになって」
「元々このヨフアルのせいで悪化したらしいんだけどな。ところでネリーもあれ、受けたことあるのか?」
「ないよ。えっとね、スピリットは虫歯になんかならないんだって」
「そうなのか?」
「うん。ほら」
「……それはなによりで」
にーっと笑ったネリーの歯並びは、正にくーるに相応しいホワイト&ホワイトな輝き。
何だか世界の理不尽さを感じつつ、俺は心底、これからは歯磨きを欠かさないようにしようと硬く胸に誓っていた。