負けず嫌い

「お鍋に水入っれって~♪」
 第二詰所の厨房に、一人の少女が立っていた。
「俎板包丁出して~♪」
 小柄な体躯をエプロンに包んで上機嫌に料理をしている少女の様は彼女を知る者ならば仰天もので、同時に微笑みも誘われずにはいられない。
 少し吊り気味の団栗眼。ショートヘアーのツインテイル。得意そうな小鼻と口元は少し優しい。
「ふふん、みてなさい…」
 ニムントールが不敵に笑っていた。

 事の始まりは少し前の出来事だった。
「アレ、誰もいないのか?」
 第二詰所を訪れた悠人は無人の居間に立っていた。
 悠人以外の第一詰所のメンバーは任務で全員出払っていた。
 そこで昼食は第二詰所で済ませて欲しいとエスペリアに言われたので悠人が出向いた次第であるのだが、こちらも閑古鳥が無く有様であった。
 どうやら第二詰所の面々も何かの用事で出払っているらしい。
と、
「う…ん。お姉ちゃん…?」
 居間の扉が開き、そこから寝惚け眼のニムントールが入ってきた。
 今し方起きてきたのだろう。解けた髪は跳ね上がり、ズレた寝巻きが肌蹴ていた。
「お?何だ、ニム以外は皆居ないのか?」
 そんなニムントールに悠人が苦笑しながら声を掛けたが、まだ夢半分の彼女は「う~…」と唸るばかりである。
「ホラ、早く顔を洗って着替えて来いよ」
 悠人の言葉にコックリ頷くと、ニムントールは詰所の奥へと消えて行った。
「う~ん、皆居ないんじゃ俺が作るしかないよな…」

 ゴンッ、ズダダダダダッ、バァンッ―!!
「な、何でユートが此処にっ―!?」
 居間の扉が弾かれ、顔を水滴に滴らせたニムントールが叫んだ。恐らくは洗顔中に額をぶつけて目が覚めたのであろう。額が少し赤くなっていた。
「いや、あっちじゃ誰も居ないからこっちでメシを食べる様に言われたんだけど…」
「それに、エプロンなんか…」
 ニムントールの指摘通り、悠人はエプロンの前掛けを着けて厨房に立っていた。慣れた手付きで食材を捌く悠人の様が意外だったのか、ニムントールは少し驚いた。
「まぁ、誰も居ないなら俺が作ろうかと思って」
「ふ~ん。ユートって料理得意なの?」
 かなり訝しんだニムントールの視線であったが、悠人は気にするでもなく再び料理を再開した。
「どうだろうな?今作ってるのは俺の得意料理なんだけど、他に何でも上手に作れるワケじゃないしなぁ…」
 取り出した底の深い鍋に水を加え、悠人は食材を入れて煮込み始めた。
 赤い、サラダに良く使われる野菜が大量に入れられるその光景にニムントールは思わず目を剥いた。
「それ、本当にユートの得意料理?今入れた野菜って、普通は煮込まない野菜なんだけど?」
 そんなニムントールの指摘に、悠人は思わず笑みを零した。
「…何かムカつく」
「いや、ゴメンな?でも、確かにニムの言う通りだよなぁって思ってさ。俺もこんな料理じゃなかったら絶対使わないって思うしな」
 鍋に掛けた火を抑え、煮込んで野菜の水分を飛ばし始めると、悠人はまた別の底の深い鍋を出してたっぷりと水を張って火に掛けた。
「それより、早く着替えて来いって。女の子がいつまでもパジャマってのもアレだし…」
「~っ!!」
 悠人の言葉に、ニムントールの顔が真っ赤になった。
「バカユート、見るなっ!!」
 そう言い残し、ニムントールは自分の部屋へと走って行った。

「お、戻ってきたな。それじゃあニム、悪いけどテーブルの準備をしてくれないか?もうそろそろ出来上がるしさ」
 着替えを済ませて居間を見ると、悠人が厨房で煮込んでいる鍋の味を調えていた。時折、味を見ては調味料を加え、何やら頷いたりしている。
「それくらい、別に良いケド…」
 布巾を取り、ニムントールがテーブルを拭き始めた。
 か言われなくてもするつもりだったのだが、そんな事を考えていたと知られたくないのでニムントールはついぶっきらぼうな口調で返してしまった。
「サンキュ、ニム」
「う、うるさいっ…!!」
 返事としてはあんまりな応えだったが、悠人は気に掛けずに料理を仕上げていった。
「さて、麺も茹だってアルデンテ。ソースも上出来。後はこれを絡めれば―」
 ハクゥテの麺を底の浅い鍋に取り、煮込んだソースを悠人が手際良く混ぜていく。
 ニムントールの目の前で、ハクゥテが鮮やかな赤に染まっていった。
「俺特製、ファンタズマゴリア風ナポリタン、もとい、ハイ・ペリア風ハクゥテの出来上がりだな」
 会心の出来に、悠人は満足した笑みを浮かべていた。

 テーブルに並べられた見たことも無いハイ・ペリアの、それも悠人直々の料理をニムントールは暫くの間じっと眺めていた。
 材料はこっちの世界のものだが、これがあの伝説のハイ・ペリアの料理なのだ。一体、どんな味の料理なのか。
「まぁ、冷めない内に食べるか。いただきま~す」
 合掌し、悠人はハクゥテを絡めたフォークを口に運び出した。それに倣い、ニムントールもハクゥテを口の中へ突っ込んだ。

「あ、美味しい…」
 サラダで食べる時の鋭い酸味が解れ、まろやかな酸味に変化していた。他にも塩気やほろ苦さが酸味と相俟って、ハクゥテの麺に信じられない美味しさを齎していた。
(ん?苦味?)
 そこで気が付いた。赤いソースにチラホラ混じる緑のアノ野菜。
「若しかして、リクェム入れたの?ユート」
「うん、入れたけど?この苦さが少し加わると味に奥行きが出来るんだ」
 信じられなかった。いつもは敬遠するリクェムが、この料理には欠かせないアクセントになっていた。
 確かに、この料理からリクェムを抜いてしまえば物足りなさを覚えてしまうだろう。
「美味いか?」
「うん」
 こっくりと頷いて気が付いた。
 悠人がニコニコと笑っている事に。
 不覚であった。
 ニムントールの顔が、みるみるナポリタン色に染まっていく。
 今、自分はどんな表情を浮かべていたのだろうか。
 幸いにも、悠人は料理を食べる事に集中していてニムントールの変化に気が付いていない様であった。
 しかし、そんな事は関係無い。今の彼女には既にある決意が生まれていたのだ。
 悠人の料理に美味しいと言ってしまった以上、この屈辱を雪ぐには自らの料理も以ってして悠人に美味いと言わせしめねばならない。
 負けっ放しなど、彼女のプライドが許さないのだ。
(ユートに、ニムの料理で絶対美味しいって言わせる…)
 悠人の料理を頬張りながら、ニムントールはそう決心するのであった。

 夜の第二詰所のその一室で、ニムントールは早速相談を持ち掛けていた。
 その相手とは―
「お姉ちゃん、ニムに料理教えて。ユートに絶対美味しいって言わせるから」
 カシャーン、と、ファーレーンの手から手入れをしていた『月光』が落ちた。
 普段なら「こら、ニム。ユート様を呼ぶ時は様を付けなさいって言ってるでしょ」と窘める所であったが、今の彼女にはそれ所ではなかったのであった。
「え?急にどうしたの?ニム…」
「どうもこうも、ユートにニムの作った料理を食べさせて美味しいって言わせたいだけ」
 第二詰所の台所を預かる一人である彼女からしてみれば、単純の厨房に立てる人数が増える事は喜ばしい事である。
 しかし、それが特定の誰かの為の料理であるとすれば、それは一体どの様な事を意味するのか。
「えっと、つまり、ニムはユート様に美味しい料理を作りたいの?」
 その質問に、ニムントールは大きく頷いた。
「お願い、お姉ちゃん。どうしてもユートに食べて貰わないといけないから…」
 妹の、娘の、その切実な願いに、ファーレーンは涙を流して了解したのであった。


「………」
 ニムントールにナポリタンを作ってから数日経ったある日。
 第二詰所の食堂で、悠人は一人テーブルに着いていた。
 厨房からは料理を作っている気配が伝わってきたが、悠人は底の無い不安に駆られていた。
「ユート、いいからちょっと来て…」
 珍しくニムントールの方から声を掛けられ、のこのこホイホイ付いて来た結果がコレであった。
 心に刻まれ、半分は傷となった思い出が甦る。
(まぁ、ニムは回復魔法が得意だしなぁ…)
 悠人は既に悟りの境地に達していた様であった。
 ぞくり…
「―――ッ!?」
 背筋に走る悪寒に悠人は周囲を見渡した。
 そして、ソレを見付けた悠人は思わず息を呑んだ。
 食堂の入り口の僅かに開いた扉の隙間。
 ロシアンブルーの瞳が、じっと悠人を見ていた。
 何処か、酷く悲しそうな色を灯していた。
(まさか…)
 ここ暫くの間、悠人は一人の時に誰かの視線を度々感じる事があった。最初は気の所為だと思っていたのだが、ある日を境に確信へと変わってしまった。
 夜、誰かに見下ろされている気がして目を覚まし、ふと視線を感じた窓の方を見て悠人は凍りついた。
 人の手の形をした曇りが、窓にベットリと張り付いていたのだった。
 それから、夜中に目を覚ます度に悠人は窓に張り付いている手形の曇りに怯える様になった。
 窓を開けて外を確認しようなどとは思いもしなかった。
 窓や扉と言うものは本質的に門や結界であり、それを開くことは外のモノを『招き入れる』行為なのだと言う。

 そう、怪談などで良くお目に掛かるアレである。
 もし、あの手形はそれを誘う罠だとすれば…。
 悠人は頭から毛布を被り、長い夜が明けるまでガタガタと震えていたのだった。
 そして、昨夜は激しい雨が降っていた。
 ここ最近の夜の視線で、既に館の軋む音にすら怯える様になっていた悠人は少し安心していた。
 雨が降っていれば不気味な音も聞こえない。雷も単なる自然現象に過ぎない。
 何より、外が濡れていれば手形の曇りも出来はしないからであった。
 悠人は久しぶりに安眠を享受する事が出来たのだ。
 だが何故だろうか。悠人はふと夜中に目を覚ました。
 雨は依然激しく、時折雷鳴が轟いていた。
 不安に駆られて窓を見たが、矢張り雨に濡れた窓に手形の曇りなどありはしない。真っ黒な闇の帳が何処までも広がっているだけだった。
 悠人が安堵した瞬間、悠人の部屋が稲妻の閃光に包まれた。
 そして、悠人は見たのだ。
 稲光に映る、悠人の窓に張り付いていた人影を。
「う、う、うわあぁぁぁぁーっ!!!?」
 悠人はそこから先の記憶が無い。
 悲鳴に駆けつけたエスペリアが言うには悠人は床に倒れて失神していたらしい。
 よく恐怖のあまりに失神するなどと言うが、アレは本当なのだと悠人は思い知った。
 心が恐怖で壊れない様に情報を遮断する防衛本能なのだ。
 稲光の逆光で顔が見えなかったが、只濡れたこちらも見ていたロシアンブルーの瞳だけが悠人の脳裏に残っていた。
(ここ連日の視線の正体は、ファーレーンだったのか?)
 と、
「ユート、出来たから…」
 ニムントールの声に思考に没頭していた悠人は我に返った。
 見れば、ニムントールがトレイに料理を載せて厨房から出て来ていた。
 スープにサラダ、そしてパンとハーブティー。
 匂いも見た目もかなりまともであった。

「じゃあ、食べて…」
 悠人の前に並べ、ニムントールがテーブルの向かい側に着いた。
「い、いただきます…」
 神妙な面持ちで、悠人は合掌した。
(マトモな味であってくれ…)
 かなり失礼な願いであったが、過去のトラウ―、思い出からそう思ってしまう事は仕方の無い事であろう。
 覚悟を決め、悠人はスープを掬って口へと運んだ。
 ごくり…。
 鳴らした喉は、誰のものであったか。
 二人だけの食堂に沈黙が流れた。
「ゆ、ユートっ!?」
 沈黙を破ったのは、ニムントールであった。
「ち、ちょっと、何で涙なんか流して…!?」
 ニムントールの言う通り、悠人はダバダバと涙を流して泣いていた。
「そ、そんなに酷かった?味見はちゃんとしたのに…」
 ニムントールが狼狽したが、悠人はふるふると首を振った。
「違うから、不味くて泣いてるわけじゃないから…」
「え…?」
 ニムントールの目が丸くなった。
「いや、ちょっと感動してさ…」
「え、それって…?」
 驚いた。
 悠人の料理が美味しかっただけに、悠人が自分の料理でここまで感激してくれるとは思ってもいなかった。

「そ、そんなにニムの料理が良かったの?」
 ニヤけそうな頬をプライドで引き締め、ニムントールは悠人に訊いてみた。
「うん、普通に美味くて何か涙出てきた…」
 嘘偽りの無い悠人の言葉に、ニムントールは内心で拳を突き上げた。
(やった!!ユートに美味しいって言わせた!!)
「そ、それじゃあニムも食べようかな~」
 そう言うと、ニムントールは厨房に戻り悠人の向かい側に料理を並べた。
(ここでならニムの料理に満足したユートの顔が見れるし…)
 勝った気満々で、上機嫌なニムントールは心行くまで料理と悠人の様を堪能したのであった。
 そんな光景を、食堂の入り口から眺める者が一人。
「に、ニム~…」
 泣き崩れるファーレーンであった。