夜の森で…~続ハリオン・リヴァイブ~

「ところで、ヨーティア殿」
「ん、何だい?レスティーナ殿」
 スピリット隊が出払った会議室で、レスティーナは気になっていた事を尋ねてみた。
「ユートが子供になった理由は解りました。ですが、何故あの様な性格になってしまったのですか?」
「ふむ、そうだねぇ…」
 顎に手を添え、ヨーティアが瞠目した。
「多分、『大樹』の――いや、ハリオンか?まぁ、どちらにせよユートの精神が神剣の力で歪められたんじゃないのか?」
 ヨーティアの言葉に、散乱した会議室を片付けていたイオが手を止めて振り返った。
「やはり、そうでしたか…」
「おや、イオは気付いていたのかい?」
 イオは頷くと、懐から『理想』を取り出した。
「ユート様の神剣ですが、そこに『大樹』の気配が大分混ざっていました」
「ほ~、『大樹』が『求め』の精神を上書きしたのか…」
 悠人に負けず劣らずのざんばら髪を掻きながら、ヨーティアは驚いて呟いた。
「いえ、結果で言えばハリオンさんの精神に『求め』が引き摺り込まれた様です」
 その言葉に、ヨーティアとレスティーナが崩れ落ちた。
「流石の『求め』も、ハリオンには敵わなかったって事か…」
「神剣の干渉に耐性があるとは聞き及んでいましたが、まさかこれ程とは…」
 神剣同士が力を及ぼし合う事は知られていたが、二つも高位の神剣を手玉に取る事が出来るのは大陸広しと言えどハリオンくらいのものであろう。
「さて、大方の疑問が解った処で。イオ、ナナルゥはもう捕まったか分かるかい?」
 イオは『理想』に意識を集中すると、ヨーティアの質問に首を振って答えた。
「いえ、まだ捕まってはいない様です」
「そいつは凄いね、どうやって逃げているのか直に見てみたいモンだが…」
 会議室から廊下に出ると、三人はスピリット隊が出て行った中庭から争奪戦が繰り広げられている森の方を見渡した。
「取り敢えず、森でスピリット隊の大規模な演習が行われていると国民には報じておきましょう…」
「ま、賢明な判断だね…」
「皆さんが怪我をなされない事を祈りましょう…」
 彼等の一日は、まだ終わりそうにはなさそうである。

「でも、驚いたわね。まさかナナルゥがあんな事をするなんて…」
 森を探索していたセリアが呆れ半分で呟く。
「ホント、ホント。ユート様を攫っちゃうなんて思いもしなかったわよ」
 隣を歩くヒミカもそう漏らして溜息を吐いた。
 しかし、そんな言葉とは裏腹に二人の表情には僅かな喜色が浮かんでいたりしている。
「だけど、流石にユート様をずっとあの儘にしておくわけにはいかないわ」
「そうね。でも、その辺はナナルゥも解っているとは思うのよね~」
 いくら暴走しているとは言え、考えの至らないナナルゥではない。
 勿論、今は児童誘拐なんぞカマしちゃっているワケであるが、悪い娘ではないと言う事は彼女を知る者全ての共通認識である。
「ふふっ。ユート様には悪いかもしれないけど、もう少しナナルゥも我が儘に付き合って貰うって言うのはどうかしら?」
「それは良いんだけど、でも一応二人の居場所くらいは確認しておきましょうよ」
「えぇ、解っているわ」
 悠人を抱えているナナルゥを思い出し、少しだけ二人は笑い合った。

 一方で、熾烈な戦いを繰り広げている者たちも居たりする。
「そぉれ~♪」
「くぅっ…!!」
 辛うじて躱した刺突であったが、遅れてきた真空の鞭がエスペリアの頬を打ち据え、鮮血を飛沫かせた。
 焼き鏝を押し付けられた様な痛みが走る。
 が、危機を感じた脳はそれ以上の痛みを全て切り捨てた。
 機能に支障が無いのならば、最早痛みは邪魔な感覚でしかなかった。
 それ程迄の強敵と、エスペリアは壮絶な応酬を繰り広げていたのだった。
「ハリオンッ!!何故私の行く手を邪魔するのですかっ!?」
 火花を振り撒く槍撃の嵐の中で、エスペリアはハリオンに叫んだ。
「そうですね~。理由を挙げますと~、もう少しの間だけ見逃して貰う為ですね~」
 既に満身創痍のハリオンであったが、立ち昇るマナなど気にも掛けずにいつも通りののほほんとした口調でそう答えた。
「ユート様は私たちの隊長なのですよ?それをこの様に扱うなど到底許される事ではありません!!」
「でも~、ユート様ならお優しいですから~、きっと許して下さいますよ~」
「規律の問題なのです。いくらユート様が人徳を備えているとは言え、限度があるでしょう!!」
 『大樹』を弾き上げ、ハリオンに隙を作ったエスペリアが決定打の一撃を繰り出した。
 貰った、と確信したエスペリアの背中にぞくり、と悪寒が走った。
 ハリオンの目が、笑っていた。
「え~いっ!!」
 『献身』の腹を手甲で打ち落とし、ハリオンがエスペリアの懐に入った。
「なっ!?」
 弾かれていた腕がその儘に引き絞られ、ハリオンの構えが完成した。
「やぁ~っ!!」
「きゃあぁぁっ!?」
 大地を踏み砕いて放たれたハリオンの一撃が、エスペリアを防御ごと吹き飛ばす。
 如何に堅牢と言えど、ハリオンの渾身の一撃を受け止めるにはエスペリアの重さが足りなさ過ぎていた。

 木々を粉砕しながら森を転げ、エスペリアは七本目の巨木に打ち付けられて漸く地に足が着いた。
「くっ…!!」
 『献身』を杖に、エスペリアが立ち上がった。
 咄嗟に全身を覆ったシールドでハリオンの一撃や吹き飛ばされたダメージは軽減出来ていたが、足元がふら付いてしまっていた。
 三半規管が完全に酔ったのだ。
 嘔吐感に堪え、揺れる視界を見据え、それでもエスペリアは己を奮い立たせた。
 手元の『献身』の警告が頭の中で響いた。
 確かに、今の状態は最悪なのだろう。
 しかし、エスペリアの闘志は消えない。心は折れない。
「ユート様を、元に戻します…!!」
 エスペリアの全身が、緑のオーラに包まれた。
 傷が癒え、大地の祝福がエスペリアに更なる限界を突破させた。
「あらあら~?」
 オーラを立ち昇らせるエスペリアの前に、ハリオンが『大樹』を構えて立ちはだかった。
「仕方がありませんね~。それじゃあ私も、頑張って時間を稼ぎましょうか~」
 周囲の緑マナがハリオンに収束し、『大樹』が紫電を纏い始めた。
 向かい合い、腰を落として互いに槍を引き絞る。
 次の一撃が最後なら、ここで出し惜しむものは何も無い。
「やあぁあぁっ!!」
「とぉ~っ!!」
 蹴り飛ばされた大地の欠片が後方の木々に突き刺さった。
 全身の関節と筋肉が連動し、力と技を乗せた極限の一撃が放たれた。
 余波の衝撃波が周囲を切り裂き、マナの稲妻が迸る。
 音すら辿り着けぬ、無音の刹那。
 直後。閃光と共に、空間の悲鳴がラキオスに轟いた。

 時は少し遡る。
「そう、その切れ目に指を挿入して下さい。ユート様…」
「こ、こうかな?」
 言われた通りに割れ目に指を宛がい、ゆっくりと進めていくと、くちゅり、と湿った音と共に濡れた感触が悠人の指を包み込んだ。
「わわ、何かぬるぬるしてるよ?ナナルゥお姉ちゃん」
「落ち着いて下さい、ユート様。あまり急に指を動かされますと中が傷付いてしまう恐れがあります…」
 ナナルゥは真剣な表情で悠人の行為を指導していた。
 煩雑かもしれないが、この作業をするのとしないのでは後々の具合に雲泥の差が出てくるのである。
 衝動的な本能に流されて事を急いでは、苦い結果しか得る事は出来ない。
「中で指を曲げて、絡み付かせる様にして下さい…」
「う、うん…」
 ナナルゥに言われた通りにすると、捲れた中身が赤々と姿を現し、大量の体液が悠人の指を伝って外に溢れ出してきた。
「上出来です、ユート様…」
 悠人の手技に満足したのか、ナナルゥも何処か興奮気味に悠人を褒めた。
「そ、そうかな?」
 照れ隠しについ鼻を擦ってしまった悠人は、その匂いに少し顔を顰めてしまった。
「う~、ちょっと生臭いや…」
 普段は嗅ぐ事の無いその臭気に対して、悠人は素直な感想を漏らした。
 尤も、強烈な、ある意味生のその匂いが鼻に慣れる迄には単なる異臭にしかならない事は、悠人に限らず万人に共通している事でもある。
「で、次はどうすれば良いの?」
「そうですね…」
 下準備を済ませ、次の段階に進むべきと判断したナナルゥはいよいよ醍醐味とも呼べる最終段階に移る事を決心した。
「ユート様、これは火遊びではありません。この行為によって満たされる事もあれば、すべてが台無しになる可能性もあります。心して臨んで下さい…」
「うん、ここからが本番なんだね…」
 ナナルゥの言葉に込められた重さを感じ取った悠人がゴクリ、と喉を鳴らした。緊張か或いは期待か、悠人の頬は朱に染まっていた。
 そんな悠人の意気込みを確認したナナルゥは、悠人に最後の手解きを教え始めた。

「ユート様、焼き上がりました…」
「有難う、ナナルゥお姉ちゃん」
 焼き上がった川魚を受け取ると、悠人は早速囓りついて堪能し始めた。
「あれ?何か味が付いてるね」
「移動中に発見し、採取した幾つかの香辛料を使用しました。如何でしょう?」
「うん、すっごく美味しいよ」
「恐縮です…」
 満面の笑みを浮かべる悠人を確認し、ナナルゥも焼き上がった川魚を焚火から取って食べ始めた。
 どうやら内蔵はちゃんと取り除けていた様で、余計な苦味は無く、川魚の淡白な風味に香辛料の味が綺麗に付いていた。
 先の作業が見事に功を奏していたらしい。
「そう言えば、何で僕たち森の中なの?」
 その質問に、ナナルゥの動きがピタリ、と止まった。
 それからやや黙考し、何かを閃いたのか。ナナルゥはポン、と手鼓を打った。
「先程、我がスピリット隊では大規模な演習が行われているとの通達がありました。ですから、現在の状況もその一貫と言う事になります…」
「へぇ、そうだったんだ。目が覚めたらいきなり森の中で吃驚したけど、それなら仕様が無いね」
 そして黙々と夕食を摂り終え(途中で聞こえてきた大音響に悠人が驚いたが)、火の始末をした二人は寝る場所を探して移動を始めていた。
「この木の下が適当と思われます…」
 雨風が凌げそうな木を見付けると、ナナルゥは行軍用の鞄から野営用の外套を取り出した。
「あれ?僕の分は?」
「緊急時でしたので一人分しか確保出来ませんでしたが、今のユート様でしたら充分二人でも収まると思われます…」
 バッチコイ、と外套を羽織ったナナルゥが悠人に向かって両腕を広げて待機していた。

「寒くはありませんか?ユート様…」
「うん、平気だよ」
 木に凭れ、悠人を背中から抱き抱えながらナナルゥは夜空を見上げていた。
 悠人も釣られて夜空を見上げ、ナナルゥと目が合うとにぱっ、と笑った。
 相変わらず表情は変わらないが、代わりにナナルゥは少し悠人を抱く腕に力を込めた。
 伝わってくる悠人の鼓動を胸に感じ、ナナルゥは更に悠人の頭に顎を乗せてグリグリと擦り付ける。
「わわっ!?ナナルゥお姉ちゃん、少し重いよ?」
 そんな悠人の声を無視して、ナナルゥは悠人の髪を楽しんだ。
 硬くてチクチクしていたが、不思議と安らいだ気分にさせられた。
「ユート様の匂いがします…」
「それなら、僕はナナルゥお姉ちゃんの匂いがするよ?」
 ナナルゥの呟きに、悠人はクスクスと笑った。
「ユート様…」
「なぁに?」
 一拍の間を置いて、ナナルゥは言葉を続けた。
「元のお姿に戻られたいですか…?」
「ナナルゥお姉ちゃんと同じくらい大きくなった僕だっけ?」
「はい…」
「そうだね、やっぱり元の姿に戻りたいかな?今の僕だと、皆を守る事も出来ないしね」
 口調こそ軽いものの、決意を込めて悠人は答えた。
 それはつまり、この騒動の終止符を意味していた。
 ナナルゥは無言で悠人を抱き締めた。
「有難う、ナナルゥお姉ちゃん。今日はすっごく楽しかったよ」
 その言葉に、ナナルゥは静かに頷いて返した。
「だから、今度は僕がナナルゥお姉ちゃんを連れて何処かに遊びに行きたいな」
 回されたナナルゥの腕に手を添え、悠人は背中のナナルゥに呼び掛けた。
「今度は、僕がナナルゥお姉ちゃんを誘うからね?」
「はい、ユート様…」
 星が一つ、二人の上を流れていった。

「ふ~…。まぁ、これで全部元通りってワケだ…」
 今朝、悠人を背負ったナナルゥが城に戻って来た為、演習は終了となった。
 ニムントールの<リヴァイブ>によって元に戻った悠人であったが、今日は暇を取るらしい。
 他にもエスペリアとハリオンも休暇申請をしていたが、こちらは演習での疲れで寝込んでしまっているとの事だった。
 と、報告書を読んでいたヨーティアがククッ、と笑った。
 その儘報告書を机の上に放り、ヨーティアは大きく伸びをして窓からラキオスの街を眺めた。
 空には千切れた雲一つ。悪戯な風がペラペラと報告書を捲っていった。
 最後のページに記載されたもう一人の休暇申請受理者欄。
 “ナナルゥ・レッド・スピリット”
「全く…。ナナルゥも申請理由に“逢引き”なんてバカ正直に書かなくったって良いだろうに…」
 髪を風に靡かせながら、ヨーティアは愉快そうに目を細めた。