―城塞都市ランサ―
大陸中央に位置するダスカトロン大砂漠に隣接するこの町は、古くからその地理的条件の為に争乱の渦中
にあり続けたという歴史を持つ。
近年のイースペリア国とダーツィ大公国の睨み合いに於いても、戦略的拠点として重視され始終小競り合い
の絶えることはなく、膨大なマナ資源が防衛施設とその守備部隊へと投入されてきた。
それは両国が滅び、共にラキオス王国に併合された現在となってもいささかも変わるものではなかった。
そして聖ヨト暦331年、コサトの月。今まさにランサは開闢以来最大の脅威を迎えていた。
後世の歴史家の多くはこの時期こそがその後の永遠戦争の趨勢を決めたと分析する。
曰く「もしも賢者ヨーティアの発明による挽回策が取られるのが、あと一月遅かったならば。」
またある者は曰く「或いは帝国の参戦が史実よりもわずかに早く、また本格的なものだったならば。」
・・・現在のファンタズマゴリアは、また別の姿を見せていたであろうと。
それほどまでにヘリヤの道を北上するマロリガン共和国の尖兵<天空の稲妻>部隊の攻勢は苛烈であり、
対してそれを迎え撃つラキオス王国の精鋭――エトランジェ<求め>のユート率いるスピリット部隊の
疲労と緊張は頂点に達していた。
わずか一月前。
部隊は一度はヘリヤの道を南下し、マロリガンの突端にあるスレギトの攻略に成功したかに見えた。
しかしそれはマロリガンの策謀であり、切り札<マナ障壁>の発動により危うく全滅の憂き目を見る所で
あったのだ。
ユートの機転により部隊は九死に一生を得たが、止むを得ずスレギトを放棄し、ランサに撤退し防備を固め
ねばならなかった。
それより前。女王レスティーナの理想に共鳴し、王国の客分となった賢者ヨーティアの協力によって、果て
しなく続くかに見えた辛苦の時に幾ばくかの光明は見えた。
しかし未だ実用化はならず、その先は見えない。
今しばらくは、この防戦一方の状態を強いられ続けなければならないのだった・・・。
「・・・嫌な風だなぁ。」
トレードマークのツインテールを揺らしながら、楼上のヘリオンはひとり呟いた。
日はとうに落ちて夜の帳が下りてはいたが、このうだるような暑さが収まってくれる気配はない。
それというのも、この熱く乾燥した風が絶えず吹き続けているからだ。
・・・年々拡大を続ける、ダスカトロン大砂漠の影響なのだろう。
見張り塔の上などにずっといれば、体中砂だらけになるし喉はいがらっぽくなるし、碌な事は無いのだ。
まじめでどちらかと言えば我慢強いヘリオンだったが、これでは愚痴りたくなるのも無理もなかった。
そして何より不都合な事には、舞い上がった砂塵の為に極度に視界が制限されてしまうのだ。
(夜襲があるかも知れない。)
それに備える為の見張り番ではあったが、杞憂であって欲しいと願わずにはいられなかった。
だが、これまでにも頻繁に攻撃を仕掛けてきた稲妻部隊が、この機をみすみす見逃すとは思えなかった。
戦闘になる・・・ヘリオンはその強烈な圧迫感に侵されながら、背筋を先程までとは違う、冷たい汗が
流れるのを感じていた。
知らず知らずに暑さでだらけた表情を引き締めながら、緊張を取り戻す。
そうして改めて警戒を続けていると、ふと視界の端に人影を見たような気がした。
――キィン!!!
それを確かめようと身を乗り出そうとした時、腰に佩いた永遠神剣<失望>が警戒音を鳴らした。
そして間を置かず死角から襲い来る斬撃!!
「わっ・・・と・・・・た・・・・!!?」
「・・・チィ。」
ウィング・ハイロゥを展開しながら、持ち前の素早さで塔から離脱することで、間一髪難を逃れる。
ようやく空中で体勢を整えた時には、既に襲撃者は飛び退いた後だった。
「ふ、ふぇ~~~か、かわせて良かった・・・。」
気配を感じ取らせずにこれほどまでに接近してくるとは、かなりの手練れに違いない。
見れば相手は黒塗りの神剣(小太刀のような形状をしている)を構え、間合いを計っているようだった。
・・・奇襲の為か、身を包む黒装束は露出が極めて少ない。
頭巾から零れる黒髪とそのハイロゥから、恐らく自分と同じブラックスピリットであると思われた。
見張り塔にはある程度の灯りは確保されていたので、そこまでは判別する事ができた。
しかしこのまま闇夜の空中戦となれば、相当不利な状況に追い込まれてしまう事だろう・・・。
「・・・小娘にしてはやる。」
事も無げに呟く。
「こ、小娘って、確かに私はちっちゃいですけど!」
日頃から気にしている為か、こんな時でも反応せずにはいられない。
だが当然敵がいちいち取り合うわけもなく、すぐさま次の攻撃をしかけてきた。
「シッ!」
「きゃうっ。」
やはり間合いを取りづらい。咄嗟に横にかわしたが、今度は左腕に浅手を受けてしまった。
自分の役目としては、すぐにでも警鐘を鳴らして来襲を知らせなければならないのだが、どうやらそれは
させて貰えそうになかった。
例え隙を突くことができたとしても、灯りを背にすればますます不利な状況に追い込まれてしまう。
当然、襲撃者は一人ではないだろう。
今となっては近くの仲間が、神剣同士の衝突による波動を察知してくれることを祈るばかりだった。
「うぅ。ユートさまがいたらすぐに助けに来てくれたかなぁ・・。」
確かに彼女が敬愛する悠人と<求め>ならば、気配を抑え忍び寄る襲撃者をも察知できたかも知れない。
しかし彼は報告事務の為にラキオスへと飛んでおり、明日の昼にならなければ帰還しない予定だった。
既に数合切り結び、深手こそないものの、その度にヘリオンは傷を増やしていった。
今こうしているうちにも、新手がやってくるかも知れない。
これ以上の時間のロスは、致命的な結果を招くことになるだろう。
――覚悟を決めるしかなかった。
何度目かの攻防の後、お互いに飛び退いて距離を取る。
そしてヘリオンは呼吸を整え、黒スピリットだけに許された極限の集中の世界へと入っていった・・・。
「とうとう観念したか。」
次を最後の一撃とするつもりなのだろう。襲撃者は神剣を構え、不敵に言い放つ。
気押されそうになりながらも、精一杯の声を振り絞って反駁するヘリオン。
・・・この状況を打開できるのは、自分自身しかいないのだ。
「あ、貴女の太刀筋は大体読めました・・・・・行きます!」
ハイロゥの推進力を全開にし、砦の屋根を足場として踏み込む。
そしてその突進は、襲撃者の予想を大きく超える速度を持っていた!
「な・・・!」
襲撃者は驚愕に眼を見開きながらも神剣を振るうが、それを身をよじる事によってかわす。
「はぁぁぁぁ!!」
そして次の瞬間。<失望>は襲撃者の肩口を突き通していた。
・・・寸分違わず、急所をわずかに"外して"・・・。
襲撃者は痛みのあまり神剣を取り落としてしまい、呻きを上げながら落下していった。
「い、生きていますか・・・・?」
落下はかなりの衝撃だったようだ。土煙が上がる街道に、警戒しながら降り立つ。
戦わねばならなかったとしても、できれば殺したくはないのだ。
捕虜となったスピリットがどんな扱いを受けるのか想像はできなかったが、きっとマナの霧へと
還るよりはマシだろう・・・生きてさえいれば、また明日はやって来るのだ。
普通のスピリットであれば、そんなことは考えもしないのだろう。
それがヘリオンが他のスピリットと大きく違う点であり、彼女を悩ませる欠点だった。
――そう、それは欠点なのだ。
彼女が生きる、このファンタズマゴリアに於いては。
襲撃者・・・黒スピリットは、仰向けに倒れながらも、起き上がろうとしている様だった。
彼女の神剣はヘリオンから見て右斜め前方、丁度二人から同じくらい離れた地点に突き刺さっていた。
「お願いです・・・これ以上抵抗しないで下さい。」
・・・<失望>を突きつけて呼びかける。
襲撃者はヘリオンに射る様な眼差しを投げかけながら、決して外しはしなかった。
ゆっくりと立ち上がると前屈みになり、ヘリオンの様子を窺っている。
手負いの今、相手に勝ち目はないはずだ。
・・・仮に神剣を取りに走ろうとも、到達する前に止めを刺せるはず。
「そ、そのまま両手を挙げて下さい・・・早く!」
それが相手にも解っているはずだと、ヘリオンは思いたがっていた。
実際その事に間違いはなかっただろう。
・・・これが、1対1の戦いだったならば。
今度はヘリオンが驚愕する番だった。
あろうことか勝ち目のない筈の襲撃者は、何の工夫もなしに一直線に神剣の元へと駆け出したのだ。
(斬らなきゃいけないんですか・・・!?)
躊躇しながらも接近するヘリオン。しかし彼我のスピードの差は明らかだった。
・・・落下した際に骨折でもしたのだろうか?
こちらが神剣の落下地点まで到達した時、まだ襲撃者はその半分程度しか進んでいなかった。
(殺さずに済ませられないかなぁ。)
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。今ならば、まだ間に合うかも知れない。
そうして目の前の相手にばかり集中していた為に、ヘリオンはついに気づくことはなかったのだ。
背後から、別の襲撃者・・・青スピリットが接近していたことに。
ヘリオンには、目の前の相手、黒スピリットがにやりと笑ったように見えた。
実際には相手の顔は頭巾に覆われていたのだから、そんな事が解る筈はなかったのだが。
・・・違和感を覚えた時には、既に自分の体は衝撃を受けて吹き飛んでいる最中だった。
「・・・痛たたた。一体何が?」
転げ周り砂だらけになった頭を抑えながら、状況の把握に努める。
体は節々痛むが、幸い大きな怪我はないようだ・・・所々、打撲くらいはしているかもしれないが。
「何をしているの、早く次に備えなさい!!」
「す、すみません!・・・て、あ、セリアさん!?」
怒鳴られて初めて、目の前で新手の襲撃者と対峙する女性に気が付いた。
配置が近かったセリアは、いち早く襲撃に気づき駆けつけてくれたのだ。
そうしてみると、今のは自分を助ける為に彼女が突き飛ばしてくれたのだろうか?
(もしセリアさんが来てくれるのが、もう少し遅かったら・・・。)
ヘリオンはそう想像すると、ブルルと震えた。
視線を戻すと、セリアは青スピリットの猛攻を何とか凌いでいたが、形勢は悪い。
青スピリットの相手をしている間に、神剣を取り戻した黒スピリットが横槍を入れる。
更に後方には、いつの間に侵入して来たのか赤スピリットの姿までが見えた。
(早く加勢しなきゃ!)
慌てて立ち上がると、自分が<失望>をしっかり握っていることを確認して駆け寄っていく。
襲撃者達は一旦飛び退くと、素早く散開し二人を包囲した。
「セ、セリアさんその腕!?」
・・・自分を庇うために負傷したのだろう。
鮮血に染まるセリアの左腕に気付き、ヘリオンの瞳に後悔の色が広がっていく。
(私の為に・・・すみません、セリアさん。)
「この程度のダメージ、大したことはないわ!・・・それよりもしっかりしなさい。切り抜けるわよ!」
「はい!」
そうだ、今は考える時ではない。3対2。気を抜ける状況ではないのだ。
二人はお互いを庇い合いながら、必死の抗戦を続けていた。しかし、セリアの動きが悪い。
気丈に耐えてはいるが、これ以上の出血は危険だった。
何回目かの衝突の際、意識を失いかけたセリアがふらついて隙を見せる。
咄嗟にヘリオンがフォローに入るが、攻撃を受け止めるその背で、とうとうセリアは膝をついてしまう。
好機と見た赤スピリットが詠唱を開始すると、それを合図に襲撃者達が飛び退いた。
「くっ・・・マナよ、我に従え・・・氷となりて・・・。」
セリアがバニッシュを試みるが、それよりも先に相手の魔法が完成する。
間に合わない・・・ヘリオンは、来るべき衝撃に備えて身を縮めた。
「くらえ!ファイア・・・」
――ボガォン!!
そう唱えようとした瞬間。
赤スピリットは魔法が発動する前に業火に包まれ、何が起こったのか理解する間もなく、その身を金色
の霧へと変えていった・・・。
「え・・・え、え、え!?」
「・・・後の先です。」
二人の窮地を救ったのはナナルゥが得意とする、イグニッションの魔法だった。
機先を制する高速詠唱魔法ならばこそ可能な芸当である。
「ナナルゥさん・・・来て下さったんですね!」
「敵レッドスピリット、沈黙。引き続き迎撃にあたりましょう。」
「もう・・・遅いじゃない。待ちくたびれた・・わ・・よ・・・。」
それだけ言うと、セリアは糸の切れた人形のようにその場に倒れ伏した。
最後に試みた魔法の為に、気力を使い果たしてしまったのだろう。
今の今まで戦い続けられたというだけでもさすがと言うべきだった。
続いて駆けつけて来たハリオンが、慌てずに治療を開始する。
・・・遠くからは、他の仲間達の声も聞こえてきた。
襲撃者達は状況を見て取ると、すぐさま撤退に移ったようだ。
(助かったんだ・・・・。)
全身から力が抜けていくのを感じながら、ヘリオンはへなへなと崩れ落ちるのだった。