恋慕

ラキオスの南に広がる広大な森。
その豊富な資源によってラキオスを支えるこの森には
一本の街道が設けられている。
ラキオスからラセリオ、ミネアを経由してダラムへと続く大動脈。
普段は商人の行きかう賑やかな街道なのだが、今は使う者も無くひっそりとしている。
通りすがる人を見かける事も殆ど無いその道を、緑と黒二つの影が疾走していた。

「ねえお姉ちゃん、隊長ってどんな人だろうね?」
「ねえニム、そんな事よりもっと周りに気を配って。
 ここはもう戦場かも知れないんだからね。」
「は~い。・・・んーでも気になるなぁ。お姉ちゃんは気にならないの?」
「もう・・・エトランジェ様は男性だって訊いてるけどあとは知らないわよ。
 会えば判るでしょ。急ぎましょう。」
「え~男なの~。なんかヤだなぁ~。
 ヒミカみたいにカッコいい女の人だったら良かったのに・・・」
「・・・・・・ふぅ・・・・・・。」

軽い溜息を付きながら、ファーレーンは出撃直前に
レスティーナ皇女から言い遣った一言を思い出していた・・・


サルドバルトがイースペリアに攻め込んだ。
ラキオス王が龍の魂同盟によりイースペリアの救援を決定したことで、
悠人達主力部隊はヒエムナからランサへの道を進撃する事になる。
又、サルドバルトがダラムを占拠した以上、
ミネアからラキオス本城が攻められかねない。
そこで先手を打つ意味合いも含めてダラムへの二面作戦が立案され、
ラキオスに後置されていたファーレーン、ニムントールに出撃命令がだされた。
・・・表向きはそういう事らしい。
急遽編成を終え出発しようとしていたファーレーンに
皇女から直々に呼び出しが掛かったのはつい先程である。

「エトランジェの保護を最優先に。それだけを考えて下さい。
 その為ならどんな犠牲も厭わない様に、これは命令です。
 それからこの事は一切他言無用です。いいですね・・・
 ・・・ファーレーン、彼の盾になってあげて下さい。
 敵はサルドバルトだけではないのです・・・」

最後にそう漏らした皇女の少し翳のある表情で
これがただのイースペリア救援ではないのだと気付いた。
でもそれだけだ。敵はサルドバルトだけじゃない・・・?
「お姉ちゃん、ミネアが見えてきたよ!」
ニムの声に我に返ったファーレーンの目前にミネアの街が迫っていた。


戦禍を恐れて閑散としているミネアでファーレーン達を待っていたのはエスペリアだった。
ランサへの進撃が思ったより難航しそうだと判断したエスペリアが
ダラムへの邀撃をより効果的にする為に自分が行くと言い出したのだ。
エスペリアが抜ける事に難色を示していた悠人だが、彼女の押しの強さに最後は折れた。

「でも無茶はするなよ、エスペリア。
 無理してダラムを陥としても包囲されたら意味無いんだからな。」
「ふふ、悠人様こそお気をつけ下さいませ。
 今度は無茶されても守って差し上げられませんよ?」
「・・・・・・うっ、わかった、気をつけるよ、だからエスペリアも・・・」
「それでは御待ちしております、ダラムで!」
最後まで悠人に言わせず飛び出して来たエスペリアだった。

「エスペリアさん、どうしてこちらへ?」
「そんなことよりファーレーン、部隊はこれで全部ね?
 これからすぐにダラムへ向かいます、各部隊の把握を宜しくね。
 総指揮はわたくしが執ります。これはエトランジェ・ユート様の命令です。」
「え?あ、ハイ!今すぐ準備に取り掛かります!行くわよ、ニム!」
素朴な疑問をそんなこと扱いされつつも、畳み掛けるようなエスペリアに
反射的に返事をしてしまうファーレーン。
そんな姉に従いながら、ニムントールはやれやれと思っていた。


「私、てっきりお姉ちゃんが部隊長だと思ってたよ。」
ミネアを出てすぐに、ニムントールは切り出していた。
「え?あ・・・そうね、そういえば・・・なんでこうなったのかしら?」
素で今気付いた、という風なファーレーンにニムントールは心底呆れ返る。
「もーっ、呑気なんだから、お姉ちゃんは。これって
 私達が“えとらんじぇゆーと”とかって奴に全然信用されてないってことじゃん!
 まったく・・・ニム達の強さ、知らないくせにさ・・・ホントムカツク・・・ぶつぶつぶつ・・・」
不機嫌そうに黙り込んでしまった妹を横目で見つつ、
(でもこれでもう一つの役目は果たせ易そうになったわね・・・)
「隊長」という役職に縛られては動きにくいと思っていたのでむしろほっとしてるファーレーンだった。


エスペリア率いる第二部隊の進撃速度は敵の策略を完全に覆していた。
元々彼我の戦力差が大きすぎるのだ。
完成度の高いファーレーンの攻撃、強固なニムントールの防御、
さらにエスペリアのサポートまで加わっては
ただでさえ手薄なこの方面の守備隊はひとたまりも無かった。
そうして狼狽した敵がこちらに兵を割く事も又エスペリアの計算通りだった。
敵をミネア方面へ引き付けた隙に悠人達主力がランサを陥とし、
その勢いのままダラムへと北上したのだ。
サルドバルトはゲリラ作戦を展開、たびたび伏兵で奇襲をしかけたが、
既に大勢を覆せる程の影響力は無かった。

こうしてダラムは陥ちた。


「お疲れ様エスペリア、お陰で皆無事生き残れた。
 ・・・その、いつもだけど、ありがとう。」
「あ・・・いえそんな、ユート様こそ、御無事で何よりです。リュールゥ・・・」

軽く頬を染めながら楽しげに会話をするエスペリアと悠人。
いい雰囲気の二人を、ファーレーンとニムントールは少し離れた所から観察していた。

(あれがユート様・・・)
雷に打たれた様に、とはまさに今のファーレーンの事だった。
すらっと高いやや細身の体。針金の様につんと尖がった髪。意思の強そうな眸。
膝の下まで裾がある、不思議な服を着ている。
あれがハイペリアの衣装なのだろうか。
そして腰に鈍く光っている無骨な大剣。間違いなく神剣だろう。
『月光』の感情が伝わってくる。かなり高位の神剣だ。
それに選ばれしハイペリアのエトランジェ・・・。
そしてファーレーンは、それらの中でも特に彼の眼に惹かれていた。
黒く澄んだ瞳はエスペリアを優しく見つめている。
(でもなんで・・・なんであんなに悲しそうに微笑うんだろう・・・)
何かにじっと耐えているような、見ていると心が潰されるような、そんな微笑み。
そんな笑顔をファーレーンは今まで見たことがなかった。

 ポーーーーーーーーーーーーーー

「あれがユート~?ふ~んなんかぱっとしない奴だね~。ねっ、お姉ちゃん?」
「・・・・・・・・・」
「お姉ちゃん?もう、お姉ちゃんってば!」
「・・・えっ?な、なに、ニム。呼んだ?」
「(じーーーー)・・・・・・なんでもない。お姉ちゃん、顔真っ赤だよ?」
「えっ?えっ?えっ?そ、そんな事・・・」
姉のただならぬ様子に何か嫌なものを感じたニムントールは小さく溜息をついていた。
「・・・・・・めんどくさい。」


エスペリアが悠人に二人を紹介する頃にはファーレーンも大分落ち着きを取り戻していた。
「紹介します、ユート様。こちらが『月光』のファーレーン・ブラックスピリット、
 そして『耀光』のニムントール・グリーンスピリットです。
 二人の活躍無くしてはこの作戦は成功しませんでした。」
「よろしく、二人とも。俺は悠人。ここじゃ一応隊長ってことになってるけど
 皆の方が先輩だから、これからも頼むな。」
そう言って二人にニッと笑い掛ける悠人。
「わっわっわたくしはひゃーれーんとも、も、申す、申します、します!
 はっ、初めまして、こっこっこっ・・・」
「・・・・・・にわとり?」
「お姉ちゃ~ん・・・」
・・・・・・全然落ち着いていなかった。

「こっこっこちらこそ、宜しくお願いしますっ!失礼しますっ!」

 ぴゅーーーーーーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「あっ・・・おーーいっ!」
ぶんっぶんっと勢い良く挨拶をしたかと思うとあっという間に
走り去ってしまうファーレーン。
「あーーーー、行っちまった・・・俺、なんかしたか?・・・」
あっけにとられている悠人にニムントールがしかたなく挨拶を続けた。
「・・・・・・はぁ。私はニム。ニムントール。宜しく。」
「え?あ、おう、宜しくな、ニム。今回は助かったよ。」
そう言いながら、ニムントールの頭をぐしゃぐしゃと撫ぜる悠人。
「妹」的なものへの、悠人にとってはナチュラルな行動だったのだが、
それがニムントールの勘に触った。
「・・・ちょっと、子ども扱いしないでよ!それと、ユートのくせにニムって言うな!」
顔を真っ赤にして怒るニムントール。ばしっと手を払うとそのまま姉の後を追いかけていく。
「・・・・・・あちゃー、嫌われちまったかなぁ・・・」
がしがしと頭を掻きながら悠人が言うと、今までやりとりを見ていたエスペリアが可笑しそうに答えた。
「くすくすくす・・・知りませんよ、ユート様。
 後でちゃんと謝っておいて下さいましね。ニムは怒ると怖いんですよ?」
「おいおい、脅かすなよ・・・それにしても」
(・・・・・・黒スピリットってみんなああなのか・・・?)
何故かヘリオンあたりを連想して苦笑いしてしまう悠人だった。
「ところでエスペリア、特別命令って・・・・・・」

 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・


その頃ファーレーンは逃げ込んできた森の中で激しく落ち込んでいた。
地面に『の』の字を書いている。(注:ヨト語で)
(もう、やだ、私ったら・・・なんであんなに気が乱れたのかしら・・・)
(あんな変な挨拶なんかして・・・変に思われたわよね・・・『にわとり』って言われたし・・・)
(・・・・・・ところで『にわとり』ってなにかしら?・・・ってそうじゃなくてっ!)
器用にも無意識に『月光』で抜き打ちをしながら自分に突っ込みを入れつつ悶えるファーレーン。
周囲の木が音もなく薙ぎ倒されていくが、本人は気付いてもいなかった。
(・・・たとえなのよね・・・やっぱり変なたとえなのかしら・・・)
(・・・でも変に思われてもしょうがないわよね、あんな変な挨拶だったんだから・・・)
「ユート様は私のことを『にわとり』だと思ったのかしら・・・ううん、きっとそう・・・」
妙なネガティブ思考の材料に使われているにわとりこそいい迷惑だった。


「は~~~~~ぁ~~~~ぁ~~~~」
長い溜息をついたかと思うと神剣を収めてしょんぼり立ちすくむ。
「・・・でも素敵な人だったな、ユート様・・・背、高かったな・・・優しそうな眸だった・・・」
思い出すと、また顔が熱くなる。胸の鼓動が激しい。
「・・・・・・わたし・・・どうしちゃったのかしら・・・」
「お姉ちゃん?」
「きゃあ!」
ビュン!
いきなり声を掛けられて動揺したファーレーンは咄嗟に『月光』を振るったが、
あわやという所で剣を止める。そこには立ちすくんだニムントールがいた。
「・・・あ、あっぶないなぁ~お姉ちゃん。もう、ニムを斬る気?」
「ニ、ニム?い、い、いつから居たの!?」
「えっとね・・・『ユート様は私のことを・・・』ってあたりかな?
 お姉ちゃん全然ニムに気が付かないし、居合いの訓練してたから・・・」
「えっえっ?訓練?って、私、声に出してた?」
「うん、ねぇ、『にわとり』って何?アイツが言ってたんだよね、それ。」
「・・・・・・ねえニム、この事はないしょよ。誰にも言っちゃダメ。いいわね。」
「え?『にわとり』の事?それともお姉ちゃんがユートの事を素t」
「きゃあーー!きゃあーー!きゃあーー!!!!」
ニムは今まで聞いた事が無いような姉の大声を聞かされながら口を塞がれていた。
良く見ると涙目になっている。
「むーーーーっ!むーーーーっ!!」
「いいわね、忘れなさい、忘れるのよ、ニム!お願い!!」
「・・・・・・(コクコクコク)」
泣きそうな姉の頭を撫ぜながら、ニムントールは頷いていた。


その夜。
ファーレーンと仮宿舎にあてがわれた二人部屋のベッドの中で、
ニムントールは姉の錯乱?について一つの結論を出していた。。
(どうやらまだお姉ちゃんは自分の気持ちにまだ気付いてないみたいだし・・・
 とりあえず出来るだけユートとの接点を増やさないようにしなきゃね・・・
 お姉ちゃんが好きになる人はもっとカッコイイ奴じゃなきゃ・・・
 ユートなんてダメダメじゃん!まったく見る眼がないんだから・・・)
隣で寝ている姉の後姿を可哀相な者を見るような眼で眺める。
ふと、昼間悠人に頭を撫でられた事を思い出した。
(ふ、ふんっ!なにさ、馴れ馴れしいんだから!ニムを子ども扱いして!
 エスペリアにでれでれしてたくせにさ。・・・くせにさ・・・)
いつの間にか自分の頭に当てていた手に気付くと、振り払うようにベッドに引っ込めた。
「もう!なんか判んないけどムカツク!」
「・・・・・・う~んニム、まだ起きてるの~~?・・・」
「あ、ううん、もう寝るよ。おやすみ、お姉ちゃん。」
「・・・・・・はい、おやすみなさ~い・・・すうすう・・・ユート・・・様・・・・・・」
半分寝ぼけた挨拶を聞きながら、ニムントールは拳を握り締めて決意を新たにした。

(絶っ・・・・・・対に邪魔してやるんだからっ!!!)