破壊の死神

前編

 高嶺悠人とファーレーン・ブラックスピリットは恋に落ちた。
 二人はどこか似た者同士だったから、自然と惹かれ合ったのかも知れない。

 高嶺悠人は高嶺佳織を、ファーレーン・ブラックスピリットはニムントール・グリーンスピリットを守る為に剣を振るっていた。
 優しいが不器用で、恋愛というものに不慣れな二人は、共感に始まり、共にラキオススピリット隊としてたくさんの戦場を駆け抜けた。
 アセリアやヒミカ、オルファ達、突っ走りがちな面々に隠れてはいたが、悠人も十分に突っ走りがちなリーダーで、彼女らの突撃に「ああもう、待てったら」等と言いながら続いてしまう。
 そんな中で常に冷静な状況判断をし、的確な指示を出す事が出来るファーレーンは、悠人にとって非常に頼りになる存在だった。
 ファーレーンにとっても、どんな辛い時も、むしろ辛い時ほど笑顔で仲間を鼓舞する悠人に幾度励まされたかわからない。
 そして何より、二人には守るべきものがあった。
 悠人は佳織を、ファーレーンはニムントールを守る為に、どんな逆境でも決して諦めるという事をしなかった。
 悠人にとってファーレーンは、自らの命を投げ出す事を是としない、悠人の常識からすれば当然ではあるがこの世界では非常に珍しいスピリット。
 ファーレーンにとって悠人は、自分たちを道具扱いせずに仲間として捉えてくれる、初めて見るタイプの人間。
 二人は最後の最後まで自分を含めた皆で生き延びる事を最優先に考えながら、どんな厳しい局面をも打開した。
 それがたとえ自分の為では無く、守る者の為の行為であったとしても、お互い頼りに出来る相手である事に間違いは無い。
 ラキオススピリット隊が、その全てが首の皮一枚でつながるような戦いを勝ちぬけたのは、この2人の力によるものが非常に大きい。
 決して折れない、挫けない。諦めない。その心の強さが、ラキオスを勝利へと導いた。
 その戦いの中で、お互いに守るべきものが増えた。とても頼りになる、でもどこかちょっとだけ危なっかしい背中。
 自分の背をあずけ、相手の背を守る。
 命のやり取りをする戦場でのそれは、相手に100%の信頼を置いていなければ出来ない事。
 心から相手を守り、慈しみ、同時に相手に自分の全てを委ねる事を愛と呼ぶのならば、二人は愛でもって2年近くに渡る大陸統一の戦いを勝利に導いた。

 帝国は倒れた。
 高嶺悠人は、高嶺佳織を助け出す事に見事成功した。
 けれどもそれは、より大きな戦いの前哨戦に過ぎなかった。
 『求め』は砕け『誓い』と一つになり、上位永遠神剣『世界』へと進化した。
 エトランジェ・誓いのシュンもまたエターナル・統べし聖剣シュンへと変化し、より強大なファンタズマゴリアの敵となった。

 聖ヨト暦332年レユレの月。
 圧倒的な力を前に、悠人とファーレーン、二人の運命が揺らいでいた。


 今日のユート様はどこか様子がおかしい。
 いつもどおりに振舞おうとしてはいたのだろうけれど、基本的に嘘や隠し事が苦手なユート様の態度は、傍から見れば何かを隠そうとしているのがバレバレだ。
 カオリ様から話を聞いていた私は、すぐにぴんと来た。
 ユート様はエターナルになるべく、今日、この世界を離れるのだと。


「ユート様、お待ち下さい」
 リュケイレムの森の中、第一詰め所を抜け出したユート様に追いつき、声をかける。
「!? ファーレーン?」
「やはり来てしまいましたか、ファーレーン」
 ユート様の近くにはトキミ様もいる。
 それを見て、やはりユート様が今日、この世界を離れてエターナルとなるという推測は間違っていなかったのだと今更ながらに確信した。
「ユート様はエターナルになるおつもりなのですね」
「……ああ。でもどうしてそれをファーレーンが知ってるんだ?」
 今更ごまかしても仕方が無いと悟ったのか、すんなりとユート様は肯定する。
「カオリ様に伺いました。ユート様がエターナルになろうとしている事を」
「そうか。佳織に」
「ユート様。どうか私を一緒に連れて行って……」
「駄目です」
 ぴしゃりと私の言葉を遮ったのはトキミ様だった。
「ファーレーン。あなたはエターナルになるという事をどのように捉えているのです?」
「上位永遠神剣を手にし、強力な力を手にする事だと伺っています」
「それも佳織ちゃんに聞いたのですか?」
「はい」
「他には?」
「エターナルはどこの世界にも属さず、永遠に戦い続ける存在であり、エターナル以外の全ての存在の記憶から消えるという事を」
「なるほど。それを知ってなおかつここに来るというのは、その覚悟は出来ているという事ですか」
「はい。私はユート様と共にありたい。仲間達をそして、この世界を守りたい。例え永遠の戦いであろうとユート様となら……」
「しかしそれは、エターナルになった後の問題です。あなたはそこにすら辿りつけない」
「え?」
「一般に、位が上がるほど永遠神剣が強い自我を持つ事はご存知ですね?」
「は、はい」
「エターナルになるという事は、上位永遠神剣を手にする事。その為には上位永遠神剣に認められる必要があるのです。あなたは、自分が上位永遠神剣に認められる資格があると思っているのですか?」
「認められる……資格……」
「あなたの今の神剣である『月光』は第六位のもの。ですが、あなたはその第六位の神剣の能力すらも引き出せていない」
「そ、それは……」
 確かにその通りだった。戦争の初期の頃はまだ良かった。元々の神剣の位の高さゆえの能力か、実力は他を圧倒していた。
 しかし、戦闘の中で皆が成長してくるにつれ、追いつかれ、追い越された。
 そして今では……。
「同じブラックスピリットとしての戦闘力では、第九位神剣の使い手『失望』のヘリオンにも劣るのではないですか?」
「……」
 ヘリオンが第九位神剣の使い手としては類を見ないほど優秀な使い手に成長していた事も一因ではあったけれど、それが追い越される言い訳にはならない。
「おい、時深。そんな言い方は……」
「悠人さんは黙っていて下さい。それとも悠人さんは、希望という名の幻想を見せてファーレーンを惑わすつもりですか?」
「惑わすだなんてそんな!」
「悠人さん。優しさは時に残酷なものです。今ファーレーンに必要な事は盲目となって優しさにすがる事では無く、現実を直視する事です。
 悠人さんもそれは解っているのではないですか?」
「……それは……」
 ユート様の方から再び向き直り、トキミ様は断言した。
「はっきり言います。ファーレーン。あなたが上位永遠神剣に認められる可能性は皆無に等しい。
 仮に認められたとしても能力を引き出せない足手まといにしかならない」
「……」
 ぐうの音も出ない。
 握り締めた拳が痛かった。しかしそれよりも、己の情けなさがただひたすらに辛かった。
 涙が出そうになり、歯を食いしばって耐える。
「あなたが今まで誰よりも努力してきた事は知っています。しかしそれでもあなたは神剣の力を引き出せなかった。それは才能が無いという事に他ならない。あきらめなさい」
 ユート様も辛そうな顔をして黙っている。
 それは、トキミ様の言葉の肯定。
 そう、自分でも解っていた。自分ではユート様の隣に立つには力不足だ、と。
 トキミ様に告げられるまでも無く、それは自分で気付いていた。
 気付きながらも必死で剣を振り、乗り越えようとずっと足掻いていた。
 そして今まで結局乗り越えられなかった。
 ユート様はいつも優しく「努力すれば叶う」と励ましてくれていた。それに甘えてしまっていた。
 頑張れば、もう少し頑張れば、明日こそは。
 そう思い続けてどれくらい経ったのだろう。
 現実は、気持ちだけで何とかなるほど甘く無い。
 死に物狂いの努力は、結局結果に繋がらなかった。それが、現実。
「行きましょう、悠人さん」
 トキミ様が私に背を向ける。
「ファーレーン。俺はお前を、この世界を守って見せるから。戦わなくてもいい世界を作って見せるから。……すまん」
 解ってしまう。
 ユート様がどれだけ私を好いて下さっているか。
 戦いになれば、トキミ様の言うように私は足手まといにしかならない。
 だから、ユート様は私を置いていく。私の幸せを願って。
 本当に、優しさは時に残酷だ。
 涙が、押さえ切れない。
「謝らないで……ください。……全ては……私の力不足のせい……なのですから。
 ……お役に……立てなくて……申し訳……もうし……わけっ……」
「ファーレーン……」
「もう、行って……ください……お願いですっ……泣き顔を……見ないでっ……!!」
「……すまん」
 最後に、そう言って、ユート様の足音は遠ざかっていった。
 足音がだんだん小さくなり、そして聞こえなくなった時、心の堤防が決壊した。
「うっ……うわああああぁぁぁぁぁーーーーーーーっっ!!!!」
 泣いた。
 悔しくて、情けなくて、寂しくて、苦しくて、切なくて。
 森の中で私は一人泣き続けた。


 部屋の戸をノックする音が聞こえる。
 返事をすると、ニムが入ってくる。
「起きたんだ。お姉ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ、ニム」
「本当に大丈夫? どこか痛いとこない? 無理してない? お姉ちゃん、すぐに無理するから……」
「本当に大丈夫よ。どこも何とも無いわ」
「そう。それならいいんだけど」
「ごめんなさいね。心配かけたみたいで」
「いいけど。……本当の本当に大丈夫なの?」
「ふふっ、うん。本当の本当に何とも無いわ」
 今、私は自室のベッドで横になっている。
 記憶が無いのだが、私は森の中で倒れていたらしい。
 昨日の朝、私を起こしにきたニムが私のいない事に気付いてみんなで探し、リュケイレムの森の中で私がひとり倒れているのを見つけてくれたのだそうだ。
 申し訳無い気持ちで一杯になる。
「でも、何で森にいたのか、まだ思い出せない?」
「うーん。何でなんだろう。大切な何かがあったような、そんな気がするんだけど……」
「もう。お姉ちゃん、しっかりしてよね」
「ん。ごめん」
「解ったからもう休んで。今日は念の為に安静にしててよね」
「休まなくても大丈夫よ。体はどこも何とも無いのに」
「だから念の為だってば。大体本当に何とも無い人は、森の中で倒れてたり、何しに森に行ったのか忘れたりしないんだから」
「……それもそうね。じゃあ、休ませてもらうわ。お休み、ニム」
「うん。お休み、お姉ちゃん」
 パタン、と軽い音を立てて扉が閉まる。
 本当に体は何とも無かった。
 ただ、何か大切なものが無くなってしまった様な大きな喪失感があった。そして、無気力感。まるで心にぽっかりと大きな穴が開いたみたいに。
 本当に、私は一体どうしたというんだろう。
 治療をしてくれたエスペリアやハリオンは、疲れが溜まっていたんだろうと言っていた。
 帝国との戦い、勝利。そしてエターナルの出現。
 肉体的に、そして精神的に疲弊していた事は否定出来ない。
 でも、それだけじゃない気がする。もっと何か、大切なものがあったような……。
 とはいえ、そんな気がする、というだけで何の根拠も無い。
 今日はみんなの好意に甘えてもう寝よう。明日になれば、何か思い出すかも知れないから……。


「ファーレーンの奴、ほんとにどうしちゃったんだか」
 ぱちぱちと爆ぜる焚き火をぼんやりと見つめながら、ヒミカがぼやく。
 近くにはハリオンが横になり、幸せそうな寝息を立てていた。
 ファーレーンが森で倒れているのが発見されてから数日。状況は悪化の一途を辿っている。
 新たな敵エターナルの出現、エターナルミニオンと呼ばれるエターナルの眷属達の出現。
 エトランジェである因果の光陰と、空虚の今日子、そしてこの世界を救うべくやって来たというエターナル時詠の時深の活躍で何とか敵を抑えてはいるものの敵の数と力は圧倒的で、このままでは遠からず敗北するのが確実な状況だ。
 唯一の希望はトキミの言う助っ人の存在だが、それも現れるのはもう少し先だという。
 それまで、何とかもちこたえねばならないのだが。
「あの日、森で何があったのかしらね」
 セリアがヒミカのぼやきに答える。
 ファーレーンは森で発見されてからどこかおかしい。
 皆を指揮する冷静な状況の分析力、判断力は以前と変わらない。
 けれど最後の一線、危なくなった時、ここぞという時にファーレーンに諦めがちらつく。
 今までには無かった事だ。
 ファーレーンはどんな危機的状況でも、決して諦めない。折れない心を持っていた筈だった。
 それが、皆の大きな心の支えになっていた。
 たとえ退くにしても、それは反撃のための撤退だったのだが、今は違う。ただの逃げでしかない。
 指揮する者の弱気は、部隊全体に伝染する。
 攻めるにも攻めきれず、守るにも踏ん張りきれない。
 いざというときにこそ頼りになる筈のファーレーンの影響は、今のような状況では良くも悪くも非常に大きいものなのだ。
 それは戦闘力というよりも、戦いの根底となる、常に前を向いて戦う意思とでもいうべきもの。
 それを失ったラキオススピリット部隊の支柱が揺らいでいた。
「指揮から降りてもらう?」
「多分、本人は反対はしないでしょう。でも、指揮する立場じゃなくても、ファーレーンの影響はきっと変わらないわ」
「そうね。みんなが最後に頼る場所が無くなった様なものだもの。
 いざというときに絶対的に頼れるものがあるのと無いのとじゃまるで違う。踏ん張りが利かないのもそのせいか。はぁ」
 思わずといった感じでため息をつくヒミカ。
「こういう時にこそ私達が頑張らなきゃいけないんでしょうけど。だめね、私達まで弱気になっちゃってる」
「やれやれ。剣でも振って一度頭を空っぽにするのがいいのかも知れないけど、それもなんかやる気が、ね」
「ふふっ、自分が情けないわ。今までどれだけファーレーンに助けられてきたのか。身につまされるわね」
 セリアが思わずといった感じで自嘲の笑みを浮かべる。
 今やヒミカも、そしてセリアも、突如目標となる存在を見失い、自分まで訓練に気が入らない状態なのだ。
 ファーレーンの中からは、向上心も失われてしまっていた。
 卓越した剣技を持ちながらも、誰よりも早く訓練所に入り、誰よりも遅くまで刀を振り続けていたファーレーン。
 暇さえあればトレーニングをし、ベッドの枕元には戦術関連の本が常に高く積まれていた。
 皆の前では一言の弱音も吐いた事の無いファーレーンだったが、セリアはたった一度だけファーレーンの本音を垣間見た事がある。
 それは帝国戦を控えた深夜。
 なかなか寝付けず外に散歩に出たセリアは、訓練所から光が漏れているのに気付き近づいていった。
 そこにいたのがファーレーンだったのは半ば予想通りだったが、そこにあった光景はまるっきり予想外のものだった。
 ファーレーンは悔し涙を流しながら、刀を振るっていた。
「何で……何で上手く出来ないの!? 何で!? 何でよおっ!! こんなんじゃ、みんなを守れないっ!!」
 自分に対する悔し涙を堪え、それでも涙を抑えきれず、泣きながら刀を振り続ける。
 そこにいたのはいつも冷静沈着な指揮官でも、一片の容赦も無い戦士でも、頼りになるみんなの姉でも無い、ただ頑張り屋なだけの一人のか弱い女の子。
 ファーレーンがこのところずっと伸び悩んでいるのは気付いていた。
 純粋な戦闘力だけならば、今やヘリオンにも抜かれているかも知れない。
 それでもファーレーンは部隊に欠くべからざる存在だった。
 皆の心の支え。どんなに辛く苦しい状況でも常に前を向き、進み続ける。その姿勢は皆の目標であり、手本であり、憧れなのだ。
 だからこそ、見てはいけないものを見たような気がして、セリアはファーレーンに気付かれないように訓練所を立ち去った。
 まるで秘め事を覗き見てしまったような気まずさ。
 強く気高い皆の目標である筈の女性の内面、ただの一人の女の子である部分という意味では、秘め事となんら変わりの無い光景だったかも知れない。
 翌日。ファーレーンはいつも通りのファーレーンだった。
 皆にいつもと変わらぬ笑顔を見せるファーレーンを、セリアは心の底から尊敬した。
 もがき、苦しみ、でもそれは自分の力で乗り越えねばならない事を知っている。
 本当に強いというのは、ファーレーンのような者を指すのだと思った。
 しかし……。
 今のファーレーンは、どこかで自分に見切りをつけてしまっている。
 努力しても無理なものは無理と、自分を納得させてしまっている。
 それはセリアが、そしてラキオススピリットの皆が手本とし、目指したファーレーンでは無い。
「ホント、どうしたのかしらね」
 セリアのつぶやきは闇に消え、誰も答えるものはいなかった。


 戦況は目に見えて悪化していた。
 光陰も今日子も時深も、ぼろぼろになりながらも回復を繰り返して戦っている。
 瀕死の重傷を負って、仲間に担がれて戻って来た事も一度や二度では無い。
 エトランジェやエターナルですらそうなのだから、スピリットの状態は知れようというものだ。
 体力も気力も、皆限界に近い。いや、すでに限界は超えているのかも知れない。
 スピリット隊にまだ犠牲が出ていないのが奇跡だった。
 その奇跡は決して代償無き奇跡では無く、皆が死に物狂いで起こしている奇跡ではあったが。


「お姉ちゃーん、ご飯まだー?」
「もうすぐ出来るわ。ちょっと水汲んできてもらっていい?」
「うん。わかった」
 スープをかき混ぜながらニムを待つ。
 ラース近郊、リュケイレムの森の外れ。
 エターナルミニオン達の襲撃からラースの町を守るべく私とニムはここで見張りをしている。
 たった二人というのが不安だが、贅沢は言えない。
 毎日がぎりぎりの戦いの連続で、こちらの戦力は全然足りていないのだ。
 まともに休息を取る暇も無く、皆疲弊した体をおして戦闘を繰り返している。
 今も各地で戦闘が起こっており、他の仲間たちは皆命がけで戦っている。
 見張りが幾ら重要な役割とはいえ、人数をさけないのも仕方が無い。
 そんな状況にも関わらず、理由の解らない無気力感は、森で倒れていたというあの日からずっと続いていた。
 それが部隊に良くない影響を与えているのも気付いている。
 だからこそ、戦闘ではなく見張りを命じられたのだろう。
 以前であれば申し訳無く思い、こんな時こそ前向きに努力した筈だ。
 けれど、今は皆に対し申し訳無いとは思うものの、どんなに期待をかけてもらっても私には無理、私が幾ら頑張ってもどうせ無駄、そんな思いが私を捉えて離さない。
 私の才能の無さにみんな気付いていない筈は無いのに、どうしてさっさと見切りをつけてくれないんだろうと、周りの期待を鬱陶しく感じる事すらある。
 幾ら頑張って手を伸ばしても届かないものならば、初めから下手な希望を持たず、手を伸ばすのをあきらめた方が、絶望しない分だけマシではないか。 
 そんなネガティブな思いが頭をずっと支配し続けている。
「……はぁ」
 本日何度目になるか解らないため息。
 絶望しない為には希望を持たなければいい。立ち上がって踏み出さなければ転ぶ事は無い。
 だけれども、今の希望も絶望も無い状況はただひたすらに空虚だった。
「お姉ちゃん。水、汲んできた」
「あ、ありがと」
 はっと我に返る。
 目の前でニムが、笑顔を見せてくれている。
 ニムは私がこんな状態になっていても、態度を変えることは無い。少なくとも表面上は。
 ヒミカやエスペリアの様に注意するでもなく、オルファリルやネリー達の様に色々と気を使って慰めてくれるでもなく、セリアやヘリオンの様に腫れ物に触るように接してくるのでも無い。
 今までとなんら変わる事無く笑顔で接してくれる。
 それがとても嬉しく、同時に酷く苦痛だった。
 ニムの笑顔を見るといたたまれなくなる。私はそんな好意を受けるに値する存在では無いと叫びたくなる。
 でもそれが出来ないのは、私がニムの笑顔をこの上なく価値あるものと感じ、絶対に失いたくないと思っているから。
 結局のところ、私はニムに笑いかけてもらっていたいのだ。
 自分の情けなさに、ほとほと愛想が尽きる。
「じゃ、ご飯にしましょうか」
「うん」
 太陽のような笑顔でニムが私の隣に座ろうとしたその時、キィン、と神剣が警告を発した。
「!!」
「敵!?」
「お姉ちゃんとゆっくり食事を取る暇も無いなんて……」
「戦いが終わったら幾らでもそんな時間がとれるようになるわ」
「……はぁ、面倒」
 愚痴をこぼすニムをなだめながら、急ぎ神剣を構える。
 エターナルミニオンが二体、青のエターナルミニオンと黒のエターナルミニオンが禍々しい気配を伴って姿を現した。
 数で言えば互角。
 だが、戦力で言えば向こうの方が遥かに上。
 迷う。
 戦ってもどうせ勝てないのだから、ここは退いて仲間に任せるべきだろうか。
 自分でも弱気になっているのが解るが、ネガティブな思考は止まらない。
 気持ちが前に進まなければ、体も前には進まない。
 どうしようもないのだと、自分に言い訳をする。
「ここは……退きましょう」
 エターナルのトキミ様か、エトランジェのコウイン様、キョウコ様に任せよう。
 私じゃどうせ勝てない。
 しかし、ニムから返ってきたのは予想もしなかった答えだった。
「ダメ、退かない」
「ニム!?」
「ダメだよお姉ちゃん。ここで退いたらラースに大きな被害が出る。ラースを奪われたら私達は負ける。解ってるんでしょ?」
 そう、解ってはいる。
「でも……」
「お姉ちゃんは私が守るから」
「え!?」
「いつもいつだっておねえちゃんは私を助けてくれた。
 戦いの時だけじゃない。辛い時はいつもそばにいてくれたし、悲しい時はいつも優しく頭をなでて慰めてくれた。
 嬉しい時は一緒に喜んでくれた。
 お姉ちゃんが隣にいてくれるだけで、私は幸せになれる。
 私が今生きていられるのはお姉ちゃんのおかげ。私が神剣に飲まれなかったのもお姉ちゃんがいたから。
 だから今度は私がお姉ちゃんを守る番。
 お姉ちゃんが辛い時は、苦しい時は、私がお姉ちゃんを守る!! また一緒に笑えるように!!」
 緊張感に汗を浮かべながら、ニムが神剣『曙光』を構える。
「ニム……」
 ニムは私が守らなきゃと思っていた。
 ずっと私の後ろに付いてくるものだと思っていた。
 でも、違った。
 ニムは強くなっていた。
 力だけじゃなく、心も強くなっていた。
 私の予想なんかを遥かに越えて。私なんかよりずっと強くなっていた。
 逆に私を守ってくれるくらいに。
 翻って私はどうだ?
 才能が無い? 結果を出せない? 努力しても無駄?
 そんなくだらない事にいつまで捕らわれている?
 自分の何が信じられない?
 ニムが信じてくれているものは何だ?
 ニムが信じてくれているのは、私自身。
 才能が無く、結果を出せず、努力が無駄に終わっても、ニムは私を信じてくれている。
 情けなさ無様さをも全部含めて、ありのままの私を信じてくれている。
 何から、私は逃げてる?
 何から目を逸らしてる?
 自分の心はどこにある?
 答えは、目の前にある!!
 逃げるだけの私など、ニムに守ってもらう価値すら無い!!
 自分を見つめろ。ニムが信じてくれている私自身を見つめろ。自分は何がしたい?
 結果を考える必要は無い。大切なのは自分が何をしたいか。結果を恐れて自分を殺すな。
 私が今、心から成すべき事は唯一つ。ニムの笑顔を絶対に、守る!!

 深呼吸を一つ。もうため息はいらない。
 成すべき事が見えた今、心には一片の迷いも存在しない。
「ニムは青をお願い、黒は私が倒す」
「お姉ちゃん!?」
「私が逃げてちゃ、ニムは心から笑えないでしょ?」
「お姉ちゃん!!」
 ニムの本当に嬉しそうな笑顔。
 そうなのだ。ニムは本質的に感情を抑える事が苦手なのだ。
 ひねくれて見せても、どこかに本当の感情が見え隠れするし、先ほどまでの私に向ける笑顔には心配してくれている事が現れていた。
 なんだか、ニムのこんな心からの笑顔を久しぶりに見た気がする。
 私が私らしくあれば、それだけでニムは心から微笑んでくれる。
 私もふっと笑って、敵に目を向けた。鞘に納まっている『月光』の柄に手をかけ、腰を低く落とす。精神を集中する。
 ニムも『曙光』を構えなおす。先ほどの構えからも十分な強さを感じられたが、今、隣にいるニムからは一片の不安も力みも無い、威風堂々とした美しさがある。
「お姉ちゃん、いこう!!」
「ええ!!」
 動かなければ、勝ちは無い。
 私達は、敵に向かって飛び込んだ。

「雲散霧消の太刀ッ!!」
「……」
 キキキキンッ!!
 刀と刀のぶつかり合う金属音が、刹那に四拍。
 スピードはほぼ互角か、相手の方がやや上。そしてパワーは相手の方が圧倒的に上。一撃の重さが違いすぎる。
「居合いの太刀ッ!!」
「……」
 キインッ!!
 刀を持つ腕に痺れが走る。打ち合っているだけで、体力がどんどん奪われる。
 敵は私よりも遥かに強い。
 しかし、そんな事は初めから解っている事。
「……」
 キンッ!!
 目にも止まらぬ速度で迫る相手の刀を辛うじて防ぐ。力負けして肩口が斬られ、鮮血を噴き出す。
 連続して打ち込まれる攻撃。
 霞む刀が風を切り裂きぶつかり合い、弾き合い、火花を散らす。
 ゼロコンマでも反応が遅れればその瞬間に勝負は決まる。
 考えている暇は無い。考えてから動くのでは遅すぎる。
 生まれてからずっと繰り返してきた訓練の成果を、自分の反応を信じる。
 ただひたすらに全ての感覚を研ぎ澄ます、そしてただひたすらに無心に。
 奇跡を繰り返すような攻防。
 防ぎ、避け、受け流す。傷を受けるのは当たり前、致命傷だけを避けながら相手に攻撃を打ち込んでいく。
 それでも実力の差は明白で、私の放つ全ての攻撃は防がれ、どんどんと押し込まれる。
 刀が追いつかない攻撃が、首筋に迫る。
 迷う事無く左腕の小手で防御。
 ガキィッ!!
 小手にヒビが入る。衝撃が小手を貫き、腕に鈍い痛みが走る。
 多分骨にもヒビが入った。
 もう一撃、左腕に強烈な斬撃。
 一瞬前に攻撃を受けた箇所から、少しずらして受ける。
 そうしなければ小手は完全に破壊され、腕ごと首を持っていかれるだろうから。
 ガキィッ!!
 腕の骨が折れたのが感じられた。小手も限界で次の攻撃は防げない。だが、構わない。
 痛みはある。
 しかし、今の私にとって、痛みは怪我の箇所を示すだけの意味しかない。
 これで左腕はまともに動かせなくなった。ならばそれに即した行動をとる。
 それだけだ。
 横薙ぎに刀を走らせる。
 ヒュン!!
 左腕を犠牲にし、攻撃を阻んだ隙を狙った攻撃も、僅かな傷をつけただけでかわされる。
 さすがに反応も動作速度も恐ろしく速い。
 が、僅かに間合いが離れた。
「月光の太刀ッ!!」
 ハイロウを展開。思い切り踏み込み、飛び込みのスピードを加えての居合い斬り。
 ガキイイィンンッ!!
 突進の勢いをのせた一撃は、相手の刀にあっさりと阻まれる。
 慌てる事など何も無い。刀が止められる事は、考えるまでも無く解りきっていた事。
 刀は完璧に止められた。しかし、相手はよろける。
 それは、斬撃と同時に繰り出していた起死回生の回し蹴りが、狙い違わず相手のわき腹に突き刺さっていたから。
 相手の体勢が崩れる。
 殺し合いにおいて、勝機は一度、一瞬で必要十分。
 躊躇無く刀を振り下ろし、相手の左の首筋から右腹にかけて袈裟斬りに一閃。
 心臓を斬り裂かれ、鮮血を噴水のように切断面から噴き出しながら相手は倒れた。
 紅い鮮血の噴水が黄金色の霧に変わっていく。
 目の前の敵は倒した。
 けれど、私の目的はこの敵を倒す事では無く、ニムの笑顔を守る事。
 相手の死を確認すると、ニムを探す。
 瞬間、もの凄い爆発音が響いた。


「……ッッ!! 勝負はこれからッ!!」
 ガードの上から、もの凄い威力の攻撃が強引に打ち込まれる。
 一般に緑の属性は青の属性に有利って言われてる。
 戦術の時間に習ったし、お姉ちゃんに聞いた事もある。
 それは青属性の持つ攻撃力を、緑属性の防御力が防ぎ、癒せるから。
 緑属性の攻撃力が、青属性の防御を打ち崩せるから。
 そんなふうに習った。
 けど、そんな理屈なんて、今は何のイミも無い。
 敵の攻撃は私の防御の上からも平気でダメージを与えてくるし、私の攻撃は敵のガードにいとも簡単に阻まれる。
 もう私はボロボロなのに、相手はまともなダメージも受けてない。
 回復しようにも、神剣魔法は相手に打ち消されて隙をつくるだけなのが目に見えてる。
「……ムカつく」
 八方塞がりだ。
 だから、攻める。
 そこから無理矢理突破口を開いてやる!!
「ニムは負けない……絶対に生き残る!!」
 『曙光』を振りまわす。半端な攻撃力じゃダメ。それは既に経験済み。
 遠心力を乗せ、一気に叩きつける!!
 ブンッッ!!
 全力を込めた一撃。
 ガキイィンッッ!!
 敵の神剣とぶつかり合う。
「くうっっ!!」
 あっけないほどにあっさりと弾き飛ばされる。
 体勢が崩れる前に自分から力の方向に体を回転させる。
 そのまま一回転して勢いをつけた『曙光』を、相手の追い討ちの攻撃にぶつける!!
「やられる前に、先に潰す!!」
「……」
 ガギイィンッ!!
 明らかにリスクの高い予備動作をしてまで繰り出してるハズの私の攻撃は、それでも相手の攻撃に軽く弾き返された。
「きゃああっ!!」
 『曙光』が弾き飛ばされ、私も吹き飛ばされる。
「痛ぅッ!!」
 立ち上がろうとしたら、右足に激痛が走った。
 よろけるけど何とか踏みとどまる。
 『曙光』は遠くに吹き飛ばされて、地面に刺さってる。
 大ピンチ。
 相手は次の一撃にゆっくりと力をためる。腰を低く落とし、マナを集中させてる。
 チャンスだっていうのに、敵の表情には何の変化も無い。
 淡々と作業をこなしてるだけみたい。
「ホント、ムカつく」
 バッ!!
 敵の真っ黒なハイロゥの翼が広がって、溢れるほど大量のマナを神剣に集中させた敵が、私に止めを刺そうと襲い掛かってきた。
 冗談じゃない。『曙光』も無いのに、そんな攻撃防げる訳無い。
 だから、無事な左足を思い切り使って、飛んでくる相手に向かって突進した。
 意外だったんだろうか、敵は初めて驚いた表情を見せた。
 いい気味。それに、バカなヤツ。
 私があきらめるとでも思ったの?
 私は、お姉ちゃんの背中をずっと見てきたんだよ?
 相手が神剣を振り下ろしきる寸前に、敵の懐に飛び込む。手を相手の胸元に添える。
 ゼロ距離からのエレメンタルブラスト!!
「砕け散れ!!」
「!?」
 爆発。
 世界が光で白く染まる。
 相手はアイスバニッシャーを使う間も無く、吹き飛んだ。
 私も派手に吹っ飛んで地面に叩きつけられる。
「かはあっ!!」
 肺の中の空気が全部搾り出された感じ。一瞬息が止まりかけた。
 でも、生きてる。
「へへ……お姉ちゃん。やったよ」
 体中痛くて体を起こすのもままならないけど、何とか生き延びた。
 お姉ちゃんを探す。
 見つけた。
 お姉ちゃんも傷だらけだったけど、私の方を向いて笑ってくれた。
 ほっとする。やった。
 そう思った。
 その瞬間、お姉ちゃんの顔が驚愕に染まった。
 お姉ちゃんが叫ぶ。
「ニムッ!! 危ないっ!!」
「え?」
 痛みに軋む首を後ろに向けると、そこには敵のエターナルミニオン。
 新しく現れたんだろう赤いヤツが、今まさに魔法を唱える寸前だった。


 もの凄い大音響、大爆発。
 ニムと戦っていた青エターナルミニオンは爆散し、金色の霧と成り果てた。
 ニムもかなりの勢いで吹き飛ばされたけど、何とか生きているみたいだ。
 良かった。心の底からほっとする。
 ニムが危なっかしくよろけながら起き上がり、きょろきょろと周りを見回し私を見つける。
 笑いかける。ニムもにっこりと笑い返してくれた。
 すぐに駆け寄りたいところだけど、お互いに満身創痍というのも控えめな位にボロボロで、動く事もままならない。
 じれったい。
 でも、良かった。本当に良かった。
 けれど安心したその次の瞬間、ニムの後ろの木の陰から、何かが飛び出してきた。
「!?」
 それは新たな敵。
 しかもその赤エターナルミニオンは、神剣魔法の詠唱をたった今にも完了し、発動するところ。
「ニムッ!! 危ないっ!!」
 叫ぶ。
 でも体は上手く動かない。
 突然すぎる展開に、思考が千々に乱れる。

    圧倒的な魔法力   あれは……アポカリプス!!
         今の状態では食らえない、食らったら……間違い無く死ぬ
何とか防ぐ方法は?     体はまともに動かない
        ニムは緑スピリット        緑属性は魔法抵抗力が低くて……
  ニムももう限界      私は……    ニムは……

 一瞬の思考がただ一つの結論を導き出そうとする直前、突然に頭の中に声が響いた。それは『月光』の声。
『くそっ、やるしかないな』
 『月光』の声が今までに無くはっきり聞こえる。こんなにはっきりと聞こえたのは初めてだ。
『俺の力を一部解放する。後はお前次第だ』
 !? 私に……出来るの?
『考えるな!! お前の心は何を望むのか、感じるままに動け!!』
 そうだ。今は余計な事を考えている時じゃない。
 私は……ニムを、助ける!! 出来る出来ないじゃない、絶対に助ける!!
『急げ!!』
 体中に恐ろしいほどの力が漲る。思い切り足を踏み出す。体中がぎちぎちと軋みをあげるが、躊躇いは無い。
『可能性は否定した時に閉じる』
 ハイロゥを展開、大気の壁を邪魔に感じるほどの高速飛翔。これなら、間に合う!!
『お前の望む道はどこにある? お前はそれをもう見つけている筈だ。なら、そこから目をそらすな』
 鞘に納めた『月光』の柄を握り締める。
『自分自身を貫け。お前がお前である為に!!』
 神速の抜刀術。一撃必殺の月輪の太刀!!
『お前の信念の前に立ちはだかるものを……』
「はあーーーーっ!!」
『破壊しろ!!』
 ヒュンッ!!!
 間違い無く、今まで何千何万回と放ってきた中で最速の一撃。
 エネルギーは速度の2乗に比例する。
 有り余るエネルギーは『月光』の切れ味をもって、手応えも感じぬままにエターナルミニオンを真っ二つにした。
 繰り出した技のあまりの勢いに腕が耐え切れず、ぶちぶちと腕の中で何かが切れる感覚がある。
 突進の勢いを止める事も出来ず、真っ二つにしたエターナルミニオンであったモノにぶつかり、形を失い金色の霧になりゆくモノと共に、私は地面に倒れこんだ。
 かなりの勢いで地面にぶつかった筈なのだが、痛みもどこか虚ろだ。
「お、お姉ちゃん?」
 何が起こったか解らないといった感じの、ニムの声。
 ニムが無事だった事に心から安堵する。
「お姉ちゃん!!」
 ニムが足を引きずりながらも、慌てて駆け寄ってくるのがおぼろに感じられる。
 霞む視界で涙をぼろぼろとこぼすニムを確認し、自然と笑みが浮かぶ。
「ああ、私、……ニムを守れ、たんだ。……良かった」
「うん。うん! お姉ちゃんが守ってくれたんだよおっ」
「あはは、……うん、泣かなくても……いいから」
 体中がだるくて痛い。おまけに何だかふわふわする。
 ニムの涙をぬぐってやろうと思ったが、腕に力が入らない。そればかりか体全部が全く言う事をきかない。
 今の攻撃に、自分の体が耐えきれなかったのだろう。
 特に一撃を放った右腕は、もはや痛みどころか感覚も無い。
 見ればびくびくと痙攣し、赤黒く変色してしまっている。多分筋繊維やら神経やら血管やら、全てが破壊されてしまっている。
 自分の腕なのに自分の腕じゃないみたい。痙攣してるのすら分からないというのもこれまた妙な感じ。
 気が抜けたのか、そんなどうでもいい事を考える。
「お姉ちゃん。今度は私がお姉ちゃんを助けるからっ!! 絶対、絶対に助けるからっ!!」
「……ん」
 言って、目を閉じた。もう目を開けているのも辛かったから。
「お姉ちゃん!? お姉ちゃん!!」
 ニムの声を聞きながら、意識がふわりと、途切れた。


 ファーレーンが次に意識を取り戻したのはそれから丸一日後。
 時深に言われて二人を探しに来たエスペリアが、倒れているファーレーンと半狂乱になって泣きながら回復魔法をかけているニムントールを見つけ、大急ぎでラキオスへと連れ帰った。
 ファーレーンの怪我は見た目も酷かったが実際はそれよりも遥かに深く、特に外傷よりも筋や神経といった部分の損傷が激しかった。
 どうすればこんな怪我になるのか、エスペリアが不思議がるほどに。
 けれど、ニムントールのかけ続けていた回復魔法の効果もあり命に別状は無かった。傷痕も後遺症も残す事は無くてすんだのは本当に幸いと言える。
 一方のニムントールの怪我も相当に深く、それでも泣きながらファーレーンに付き添っていたのだが、ファーレーンの命に別状が無い事を聞くと気が抜けたのだろう、文字通りそのまま倒れるようにして眠ってしまった。
 翌朝、二人は示し合わせたように同時に目を覚まし、お互い微笑み合うとまた眠りについた。
 それから2日の間、二人が体を休めている部屋には笑い声が絶えず、休息にラキオスに戻っていたメンバーも、自分の部屋では無く二人の休んでいる部屋で気力を養い、元気を分けてもらう事になる。

 ラース近郊でのファーレーン達の戦いから3日。ファーレーンとニムントールの体力が回復し、戦列に復帰する。
 絶望の陰りが見え、もう玉砕覚悟の特攻で敵を減らすしかないというところまで追い詰められていたラキオススピリット隊は、それだけで息を吹き返した。
 どんな逆境でも決して諦めず、絶望しない。この大陸を統一した強いラキオススピリット隊が戻ってきた。