エスペリアの家出

1-11

「意外とあっけなかったな。」ノックもせずに光陰が悠人の部屋に入ってくる。
「ま、俺の実力から考えれば当然の結果かな。」

リレルラエル陥落の翌日。当初は難攻不落と思われていたサーギオスの要衝で
あったが、今日子・光陰達エトランジェ部隊の活躍もあり、作戦は予想外と
言えるくらい速やかに終結した。悠人はサーギオス上官が使っていたとおぼしき
城内の一室を使って、明日からの部隊編成に没頭していたところであった。

「あんま油断すんなよ、光陰。」苦笑しながら悠人が答える。全く、コイツと
話していると高校の教室に舞い戻ってきたような錯覚に陥る。二人そろって
学園の制服を着ているせいもあるのだが、やはり何といっても光陰の持つ
独特のマイペースな空気がそうさせるのだろう。
「まだ敵のスピリット達も主力はほとんど無傷で残ってるんだ。」

「なに、どんな奴らが襲って来たって今日子の鬼みたいな顔を見りゃビビッて逃げ出すさ。
それより悠人、お前今日は部屋にこもって何やってんだ?」机の上に置いてあった
カップに無遠慮に手を伸ばす光陰。先刻エスペリアが出前してくれたコーヒーだ。実は
悠人の飲みかけなのだが、そんな事は意に介さないらしい。

悠人のメモを覗き込む光陰に悠人は言った。「これか。これからの戦力配分を考えてたんだ。
今までは総力戦でやってきたけど明日以降は部隊を最低二つに分割しなけりゃならない。
サレ・スニル方面に向かう部隊と、もう一つは南下してゼィギオスに攻め込む部隊。
どうだ、光陰、これを見て何か考えがあれば言ってくれ。こういうアタマを使う仕事は
お前の方が得意だろ?」
「へっ。テストの勉強会じゃあるまいし。そういうのは隊長の一存で決めちまえば
いいんだよ。俺や今日子はあくまでお前の命令で動く部下に過ぎないんだからな。」
皮肉っぽい口調で言いながらも真剣な目でメモを見つめる光陰。
しばらくの間をおいて光陰がゆっくりと口を開く。「――――悠人、お前にしちゃ
上出来だ。なかなかよく考えてるじゃないか。」

悠人の編成案とは現時点でラキオス最大の戦力であるエトランジェで固めた部隊を
ゼィギオス側に向かわせ、残ったスピリットのほぼ全勢力でサレ・スニル方面に進攻
する、といったものであった。そして、やや戦力的に劣ると思われるスピリット達は
伝令・遊撃などを担当する支援部隊に充てる。決して最善の戦略ではないかも知れないが、
光陰が納得してくれるならば悪くないやり方だろう。

「まぁ、アレだな、欲を言えば俺はオルファリルって娘と一緒の部隊がいいな。
おい悠人、隊長権限でそこんとこうまく調整できないか。」ニヤニヤと笑いながら
光陰が悠人にすり寄ってくる。

――― ほんっと、素直じゃないよな、光陰も。
光陰のロリコンじみた言動は昨日今日に始まったことではないが、真意は他のところに
あるのではないか。最近悠人はそう思い始めていた。本当は今日子のことが好きで好きで
たまらないくせにわざわざそういう事を言ってツッコミを食らう。もっとも、こっちの
世界に来てからはそれはもうツッコミなどと呼べる生やさしいものでは無かったが。多分、
光陰以外の人間かスピリットが食らったら瞬時にマナの塵と化すことだろう。
――― 物騒な夫婦漫才だな、まったく。

「なるほど...たとえ隊長命令といえども今日子と一緒に戦うのはゴメンだ、
というわけか。今の発言は軍法会議モノだ、光陰。明日にでも処分を決定する。当然、
議長は今日子に担当して貰うからそのつもりで。」
光陰につられて笑いが浮かびそうになるのをこらえながら、少し芝居がかった口調で
悠人が光陰に宣告する。
「お、おいっ!悠人!俺を殺す気か?いいのか?化けて出てやるぞ!」顔色を変えた光陰が、
およそ仏に仕える者とは思えない言葉でわめき始める。
「俺としても親友のお前を失うのはツラいが、部隊を預かる隊長としては目をつぶる
訳にはいかないんだ、許せ、光陰。今まで一緒に過ごせて楽しかったよ、ありがとう。」
クソ真面目な顔で悠人が光陰に追い打ちをかける。
「お前なぁ...なんて友達甲斐のない奴なんだ。ロクな死に方しねえぞ。」さすがに
からかわれていると気付いた光陰が元の口調に戻って溜息をもらす。
「わかったわかった。隊長殿の御命令にそむいたりしないって。」
「はは。頼りにしてるぜ、親友。」

――光陰がぶつくさ言いながら部屋を出ていってしばらく後。ドアをノックする音が
響いた。
「よろしいでしょうか、ユート様。」エスペリアの声がする。
「お、来たか。入ってくれ。」
エスペリアがドアを開ける。横にはウルカが立ち並んでいた。
「手前もお呼びだと聞いたのですが。」
「そうだ。明日からの事で2人に話がある。ま、とりあえずこっちに来てくれ。」

――光陰とはえらい違いだ。
ふとそんな事を思いながら悠人は2人の方に振り返った。
「とりあえずこれに目を通してくれ。」そう言いながら悠人はエスペリアに
メモ用紙を渡した。2人がそれを見て怪訝な表情になる。
「これは...部隊の編成表でしょうか?」口を開いたのはエスペリアだった。
変だな、さっきコーヒーを持って来た時言った筈なのに何をわかりきった事を...と、
そこまで考えて悠人は、ある事にようやく気付いた。
「あ!ごめんごめん。2人とも日本語なんて読めないよな。」悠人はエスペリアにメモを
返してもらい、言葉を続けた。「うん、そうなんだ、エスペリア。俺が考えた編成なんだよ。
で、こんな感じで部隊を分けて...」悠人は光陰に話した計画の説明を繰り返した。

「―――と、まあこんなところなんだけど、どう思う、エスペリア?」悠人はまず、
これまで参謀を務めてきたエスペリアに意見を求めた。
「はい、戦力配分のバランスも取れているし、問題はないと思います。」エスペリアが
微笑を浮かべて答えた。
「そうか、ウルカはどうだ?」次いで、悠人はウルカに顔を向けた。
「手前も...なかなか良い戦法だと考えますが...」ウルカは言葉を濁した。自分が
呼びつけられた理由がよくわからないのだろう。

「ウルカに来て貰ったのは別の理由がある。」悠人はそう言いながら、エスペリアに
向き直る。
「サレ・スニルに向かう間はスピリット部隊だけの構成になる。戦いの事だから、
途中で場に応じて細かい作戦変更をする事もあるし、あるいはスピリット間の部隊編成を
組み替えることもあるかも知れない。そのあたりの細かい戦術指南はエスペリアに
任せるとして...」
悠人はいったん言葉を切り、再びウルカに視線を戻す。
「ウルカには攻撃前線の指揮をとって欲しい。」
「手前が...ですか?」ウルカが少し驚いたように問い返す。

「そうだ。」悠人はきっぱりといった。「ウルカがいいと思う。俺の考えで行くと多分
攻撃の主体はアセリアとヘリオンになる。アセリアは...まあその、野性的ってのかな、
だいぶ落ち着いては来たんだけど、まだまだ単独行動が多いし、とてもスピリット達を
まとめるタイプじゃない。ヘリオンはかなり剣も上達したけど、それでも全体を見渡す
だけのゆとりは...まだない。」ウルカは表情も変えず悠人の話に聞き入っていた。

「その点、ウルカなら常に冷静な判断を下せるし、それに...何よりリーダーとしての
経験もある。やってくれるよな?」悠人は有無を言わせぬ口調でウルカに告げた。
「―――ユート殿の命令であれば是非もない事ですが...。手前はもともとサーギオスの
出身です...皆がそれで納得しましょうか。」ウルカにしては珍しく自信なさげに口ごもる。
「もういい加減によそ者意識は捨てたらどうだ、ウルカ。心配ないさ、ウチの若い
スピリット達の中でお前の事を悪く思ってるヤツはいないよ。うん、むしろ良い手本に
なってるくらいだと思う。」躊躇するウルカに悠人がたたみかける。

「―――承知しました、ユート殿。手前につとまるかどうか分かりませんが、そこまで
おっしゃって頂けるのならば。」ウルカは深々と頭を下げた。
「――エスペリアも、それでいいよな?」
「あ、はい、ユート様。そうして頂ければ私も助かります。」いきなり話を振られて慌てた
エスペリアが2度、3度と頷く。
「よし、じゃ、これで話はお終いだ。2人とも持ち場に戻ってイオを手伝ってやってくれ。」
「はい。では失礼します。」2人は一礼して悠人の部屋を辞した。去り際に、エスペリアが
悠人を見て、何か言おうとする。「どうした?まだ何かあるのか?」悠人が問いかけるが、
「いえ、何でもありませんユート様。では。」エスペリアはそれだけ言い残して立ち去った。

リレルラエル陥落にともない、急ぎ駆けつけていたイオは休む暇もなく城の改築に
取りかかっていた。改築といっても時間的に城の構造自体を変えるわけにはいかない。
もともとあった城門をつぶして入城出来なくしたり、その代わりに隠し門を作ったりといった
作業であった。たったそれだけの事でも効果は充分にあった。何と言ってもつい先日まで
帝国の拠点だった城である。当然城の見取り図くらいは敵の手中にあると考えてよかった。

―――やれやれ、説得も疲れる。
2人が出て行った部屋の中で悠人は、はあっと一つ大きな溜息をついた。ウルカに
スピリットの陣頭指揮をとらせる、というのは以前から考えていた事だった。どういう
訳か第二詰め所のスピリット達、通称雑魚スピは個性的な者が多く、中にはセリアや
ヒミカのごとく、悠人を隊長として認めない輩までいた。

これまで橋渡し的な役割を担ってきたエスペリアには言葉に出せない苦労もあった事だろう。
今まで上に立つ経験などほとんど無かった悠人には正直もてあます雑魚スピ達であったが、
何故かウルカに無礼な態度を取る者はいなかった。怒らせると恐い、というような事ではなく、
ウルカの持つ威厳とも言うべき雰囲気がそうさせるのだろう。

―――そう言えば。
悠人はふと、以前同じ黒スピリットであるヘリオンについてウルカと語り合った事を
思い出していた。

ウルカがラキオス陣営に来てまだ間もない頃。当時ウルカはまだ本格的に戦列には加わらず、
雑用のあいまに若いスピリットの訓練に当たったりしていた。悠人はベソをかきながらウルカに
シゴかれるヘリオンを見かねて、性格的に戦闘に向かないのではないか、と尋ねてみたのである。
何せその頃のヘリオンときたら度が過ぎるほど臆病な上に、ちょっとした事で動揺するため、
とてもではないが戦場には駆り出せないと悠人は思っていたのだ。

悠人としてはウルカに、だから余り厳しく訓練しなくていい、くらいのつもりで聞いた事だったのだが。

――― なに、臆病なくらいがいいのです、ユート殿。
悠人の心配をよそに、ウルカは笑って答えた。
――― 恐れを知らぬ者は、それゆえに落とさなくてもよい命を落とすことがあります。

そう言った後、ウルカは目を伏せた。かつて自分がサーギオスで隊長を務めていたとき、
守りきれなかった部下の事を思い出したのだろうか。かける言葉を見つけられないでいる悠人に
ウルカは再び笑顔を向けて話し始める。

――― ヘリオン殿はまだ自分の力を出し切れていないだけの事。いずれ手前も太刀打ち
出来ぬ程の腕前になりましょう。
そう言って、ウルカは我がことの様に嬉しそうな表情を見せた。小さな髪留めで束ねられた
ウルカの長い髪が夕風に吹かれ、絹糸の様に舞う。悠人は話を聞きながらもつい見とれて
しまった。自身はハリガネの様な髪質である悠人は一部で噂されている通り、サラサラヘアーに弱かった。

――― どうかされましたか、ユート殿?
悠人の視線があらぬ方向を向いているのに気付いてウルカは不思議そうな顔をする。
――― ウルカの弟子みたいなもんだろ、ヘリオン殿はよせよ、『殿』は。
照れ隠しの苦笑でごまかしながら悠人は言ったものだが、その頃はまだ、攻守に渡って
中核を担う現在のヘリオンの姿など、想像もつかなかった。

それまでは雑魚スピ達の中でもどちらかと言うと孤立する傾向のあったヘリオンだが、
ウルカが来てからというもの、次第に水を得た雑魚の様に生き生きと訓練に励むようになった。
さすがにまだウルカの剣技レベルには達していないものの、最近の訓練では逆にウルカの方が
打ち込まれる事すらあった。そんなヘリオンが、まるでウルカを姉か母親のごとく慕うようになったのも、
あるいは自然な成り行きだったのかも知れない。