エスペリアの家出

12-27

無論雑魚スピの中で進境著しいのはヘリオンに限ったことではなかった。それぞれが
持ち前の個性を生かしながらぐいぐいとその実力を伸ばす。悠人はさほど自覚して
いなかった事だがこれには悠人自身が作り出した自由な空気も大きく影響していた。
特にヘリオンはじめネリー、ハリオン、ナナルゥ、ニムントールといった面々は、
もはや雑魚と呼ぶのがはばかられる程であった。

そう、まるで海中を自由に泳ぐマグロの如き大魚へと成長した雑魚スピ達はいつしか
ラキオス軍内でも畏敬の念を持って「スピツナズ」と呼ばれるようになっていた。

「―――スピツナズ、か。」悠人は誰もいない部屋の中で呟いた。聖ヨト語で「特別な
任務を完遂させる者」とかいう意味らしいが、ヨト語にも米ソ冷戦時代の情勢にも
明るくない悠人にはよく分からなかった。

「そう言えばエスペリア、何か話があったのかな。」
ふと悠人は先ほどのエスペリアの物言いたげな風情を思い出した。
「よし。ちょいと見回りがてらエスペリアんとこに行ってみるか。」


「あっ、ユート様!」
神剣「求め」を携えて部屋から出た悠人に背中から呼びかける声があった。
やや幼い顔立ちにあまり似つかわしくない戦闘服。
「聞きましたよ!ウルカ様が部隊長になるって!」
声の主は嬉々とした表情を隠そうともせず、トレードマークのツインテールを
なびかせながら、振り返った悠人に飛びつかんばかりの勢いで話しかけてくる。

「おお、黒マグロ...じゃなかったヘリオン。もう聞いてたのか、早いな。」
「はいっ!さっきエスペリアさんにお会いした時そう言われました!」
「ま、ウルカのいう事をしっかり聞いて、怒られない様にな。」
「任せてください!私っ、頑張りますから!ユート様も見ててくださいね!」
―――うんうん。ヘリオンもずいぶんウルカが来てから変わったなあ。
以前のオドオドした態度がすっかり無くなり、頼もしく感じる反面、少し寂しい気も
する悠人であった。

「...ところでユート様、さっきおっしゃってた『くろまぐろ』って、何ですか?」
不意うちのように、ヘリオンが形の良い眉をひそめて悠人に尋ねる。

―――聞こえてたのか。なんて耳のいいやつ。
「す...素晴らしい女性の事をハイペリアではマグロと言うんだよ、ヘリオン!特に
黒マグロなんて寿司屋でも最高級のネタで俺たち一般庶民には高嶺の花だっ!!」
必死に意味不明の言い訳を重ねる悠人であった。
「うう、よく分からないけど、褒めてもらえて嬉しいです、ユート様。」
疑う事を知らぬヘリオンに心の中で詫びながら、今度ヨフアルでも奢ってあげようと
悠人が思ったその時。

「あっ、ああっ!そういえばエスペリアさんに用事を頼まれてたんだった!」
わざとらしく手を打ち、ヘリオンがまわれ右をして、今来た方へ逃げるように去ってゆく。
「お...おい、突然」どうした、と喉まで出かかって言葉を呑みこむ。
背後から肌を刺すような不穏なオーラが漂って来たのだ。

「ずいぶん仲良さそうじゃない?悠!」

「...明日からの事で少し話をしてただけだ、今日子。それと、悠って呼ぶな、
ちゃんと隊長と言え、隊長と。」小さく溜息をつきながら悠人は振り返った。
「あっらー、ずいぶんエラくなったのねー。ねえ、そんな事より光陰知らない?
確かこっちの方に逃げてったんだけど。悠の部屋に行かなかった?かくまってたりしたら
承知しないわよ。」

悠人の話など聞いてはいない。
「光陰なら...来たには来たけど...だいぶ前に俺の部屋から出てったきりだぞ。」
「そう?じゃ、ちょっと部屋ん中見せてもらうけど、いい?」

返事も待たずに、悠人を押しのけて前進する今日子。悠人と同じハリガネの様な
頭から電流がパリパリ音を立てて光っているのが見える気がした。当然その右手には
「空虚」が、しっかりと握られている。悠人はあきらめ顔で今日子に従う事にした。
そういえば昔見たマンガかアニメで、浮気者の男に毎日電撃制裁を与える宇宙人の
女の子がいたなあ、などと思いながら。

「やっぱり...いないわね。」あちらこちらと部屋の中を捜索して、今日子が首を傾げる。
「言っただろ?人を疑うのもいい加減にしろよ。」少し怒った口調で悠人が説教を始めた。

「大体なぁ、お前達は痴話ゲンカが多すぎだよ。」
「ち...痴話ゲンカってなによぉ。」ソッポを向いて今日子が口をとがらせる。
今日子の反論は無視して悠人は続けた。
「お前達のケンカは危ないんだよ。これまでどんだけケガ人が出たか分かってんのか?」
―――さすがに最近はスピリット達も心得たもので身の危険を察知するとすぐに避難する
ようにはなっているが。

「俺たちのオーラフォトンはこっちの世界じゃデカい爆弾みたいなもんなんだからさ。
これからはせめて誰もいない広い所でやれ、広い所で。」

「...わかったわよ。」
まるで窓ガラスを割って叱られる野球少年の如くうなだれる今日子。ついさっきまでの
勢いがウソのようだ。

「うん...分かってくれればいい。まあ、ほどほどにな。」
少しかわいそうになって悠人は語気をやわらげた。余り長話をして
この前のようにヘンな雰囲気になるのもマズい。光陰と今日子が
ラキオスに来た日の夜の事は、悠人の心にトゲとして今でも残っている。

「じゃ...。押しかけてゴメンね、悠。」
トボトボと部屋から出て行こうとして今日子は出口に立てかけてあった「求め」に
目をとめて立ち止まった。

「あのさ...悠...」
「どうした?」
「悠のこの神剣は...あんまり話しかけてきたりとか...しないの?」
今日子は遠慮がちに尋ねてくる。つい最近まで「空虚」に心を支配されていた今日子は、
神剣の干渉を受け付けなかった悠人や光陰に引け目を感じているのだろう。

「そいつか...まあ、かなり静かにはなってるけど...こっちに来た頃は
話しかけるなんてもんじゃなかったな。直接頭の中に入り込んでくるって言うか...」
当時のひどい頭痛を思い出し、悠人は目を閉じた。
「そっか...。悠たちは、克服したんだよね...。」

―――克服した。
本当にそうなのだろうか。悠人は自問する。
「...やり方を、変えてきている。」独り言のように悠人は呟いた。
「―――え?」今日子が驚いたように訊きかえす。
「どういう事?」

「俺の神剣の「求め」の目的はマナを吸い上げることだ。
今のところその目的はスピリット達を斬り殺すことでそれなりに達成されている。
―――ただ、それだけが目的じゃないとしたら...」悠人は続けるべきかどうか迷い、
目を開けて今日子を見据える。今日子は視線をそらすこともなく黙って続きの言葉を待っていた。


「...今日子がさ、前に言ってただろ、スピリットを殺す時に何だか気持ちが良かったって。」
「―――あ。」悠人が言おうとしている事がおぼろげながら分かったのか、
今日子が短く声を上げる。

「もし、神剣の狙いがマナだけじゃなくて俺たちの精神そのものだとしたら...」
考えたくもなかったが、―――その快感が神剣の糧になるのなら。
脳裏に笑みを浮かべながらスピリットにとどめを刺すオルファの姿が浮かぶ。
悪夢のような光景。そして、殺したスピリットの数を嬉しそうに報告するオルファに、
自分は何と言っていた?

「―――俺の心は喰われかけてるってわけだ。」吐き捨てるように悠人は言った。

「やめるわけには...いかないわよね?まだ。」しばらく間をおいて今日子が悠人を見上げる。
「当たり前だ。佳織を、アイツから取り返すまでは。」悠人が静かに今日子に答える。
「それまでは...神剣を...このバカ剣を、こっちが利用してやるさ。」

―――俺の心は、俺のものだ。
悠人は自分に言い聞かせた。

一人になった部屋で、悠人は長椅子にゴロ寝した。
今日子の騒ぎに巻き込まれて、エスペリアと話をするつもりだったのが、
すっかり出鼻をくじかれてしまった。今は何だかスピリットと顔を合わせづらい、そんな気がした。

―――スピリットも人間も同じ。
悠人がかつて言ったその言葉がエスペリアに重くのしかかっていた。
「生きる、意味。」エスペリアは誰もいない部屋で力なくつぶやく。
スピリットは人に尽くすもの。今まではそれだけを考えていた。

悠人がラキオスに来た日からも、人間である悠人の為に動けばいい、
そう思っていた。悠人が望むことは何でも出来る――はずだった。

体を開けと言われればそうするつもりだったし、戦いで悠人の盾に
なって死ぬのならばそれこそスピリットとしての本懐――そう信じていた。
オルファ達若いスピリットの指標となるべき存在。それが自分だと。

―――楽な生き方だった、とも言える。
ただひたすら人間の言う事に従っていれば良かったのだ。


しかし、悠人の望みはどうやら違っている。最近になってようやく
その事が分かってきた。

結局これまで悠人に呼びつけられ、体を求められる事はなかった。
しかもエスペリアが動こうとすればするほど悠人はそれを封じ込めようとする。
今まで考えたことも、考える必要もなかったことを考えろという。

あろうことか、新たなスピリット達がエスペリアの知らない方向に向かって
進み始めているようにすら思えた。そして、そういったスピリット達のほうが、
これまでの殻をうち破り成長をとげているようにも。
人間のため以外に生きる意味を考えるというのは、エスペリアには
思いもよらない事だった。もし、エスペリアが生きる意味を考えることが
悠人の望みなら――それに応えることは出来ない。エスペリアには
それがくやしかった。

「私が、したい、事―――?」
そうつぶやくエスペリアの深緑の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「パパー、めしだよ、めしー。」ドアを開けてオルファが悠人を呼びに来た。
悠人は長椅子から飛び起きた。どうやら知らぬ間に
居眠りをしていたらしい。「お、悪い悪い。今行くよ。」

悠人は神剣を手にとって、オルファと食堂に向かった。
「オルファ、『めしー』なんて言ってたら、またエスペリアに叱られるぞ。」
跳びはねるように横を歩くオルファに悠人は言った。
「あっ、そうか。エヘヘ。」笑いながらペロリと舌を出すオルファ。
その仕草はやはり年相応の少女の姿だった。

「あ...でもねー、エスペリアお姉ちゃん、何だか具合が悪くて
もう寝てるんだよー、パパ。」
「へえ?珍しいな。うーん、まあ、エスペリアっていつも目まぐるしく
働いてるからな。たまにはゆっくり休むのもいいかもなあ。」
確かに、夕食にも、その後の作戦の打ち合わせにもエスペリアの姿は無かった。

「ねえ、悠、エスペリアどうしちゃったのよ?」
打ち合わせが終わった後、今日子が悠人を呼び止める。
横には焦げ臭い匂いを放つ光陰。あれほど言ったのに
またライトニングブラストをぶっぱなしやがった、今日子のやつ。
さっきの態度は何だったんだ?にらみつける悠人に今日子は平然と言う。
「大丈夫だってば。ちゃーんと、周りに誰もいないのを
確認してからやったんだから。」

...まともな説得は無理だ。あきらめて悠人は話を戻した。
「エスペリアならもう寝てるよ。体の具合が悪いらしい。
疲れがたまったんじゃないのか?」
「ふーん...ならいいけど。悠、あんた、また何かデリカシーの無いこと、
言ったりしてない?」横目で悠人をにらみ返して今日子が言う。

―――う。

思い当たるフシがある悠人は言葉に詰まった。

「ほら、やっぱり!あとでキチンと謝っときなさいよ。」
勝ち誇ったように今日子が胸をそらす。
何いばってんだよ!...とは言い返せなかった。
「べ、別に..謝るようなことは、何も...」

光陰がゆっくりと口を開く。
「―――ウルカが部隊のリーダーになるって、さっきの
打ち合わせんとき言ってたよな。」
いきなり核心だ。
「そ、それは...エスペリアの負担を減らそうと思って...」
悠人の答えはどうしても歯切れが悪くなる。

「隊長はお前だ、悠人。お前が決めることにケチをつけるつもりは
ない。ただ、俺がエスペリアの立場なら、
『ユート様のお役に立てなかった』って、思うかもなあ。」
光陰は笑いながら言うが、目だけは笑っていない。

「エスペリアは...俺の召使いじゃない。」
悠人はそれだけ言うと二人に背を向けた。

「やれやれ、悠人のヤツ、かなり意地になってんなあ。」
眉を吊り上げて今にも悠人を追いかけて行きそうな今日子を、
光陰が苦笑しながら制止する。
「もうっ、何でとめるのよっ、光陰!」今日子が鼻息を荒くして抗議する。
「これ以上言ってもますますムキになるだけだ、今はほっとけ。」
光陰が今日子をなだめにかかる。

「うー...もうっ、わかったわよっ!」少し息を整えてから、
今日子が悠人の去って行ったほうを見つめて、言った。

「悠って、結局世話女房タイプに弱いのよねー。」少し寂しそうな口調。
光陰が少しだけ力をこめて、言う。

「俺は、そういうのは好みじゃないなあ。」ハッとしたように光陰を見る今日子に、
こう続けた。
「オルファもいいけど、ニムントールやヘリオンも捨てがたいしなあ。」
「光陰、ほんっとうに、あんたって奴は...」
今日子のハリガネ頭がスパークする。遠巻きに見ていたスピリット達があわてて散開した。

―――自室に戻ってフテ寝する悠人。
「なんだってんだよ、光陰も今日子も。」
いや、自分の言い方にも問題があったのかも知れない。

そういえば、つい最近もエスペリアとこんな事があった。
自分の舌足らずを気にして、いじらしくも作戦解説の練習をしていた
エスペリアに、悠人はいたわるつもりでこう言ったのだ。
「あまり無理はしなくていいぞ、エスペリア。解説係くらいは
誰かに代わってもらってもいいんじゃないか。聞いたところによると
ナナルゥあたりなんて滑舌が良いらしいし。」
――― その後しばらくエスペリアは口をきいてくれなかった。

「うーん、やっぱり謝っといたほうがいいのかなあ。」
うじうじと悠人が悩んでいたその時だった。

「パ、パパー!!大変だよおーっ!!」けたたましい声で赤い疾風が部屋におどりこむ。
「エスペリアお姉ちゃんが、いなくなっちゃったのおーっ!」
「お...落ち着け、オルファ。トイレとか、よく探したのか?」
オルファのタックルをくらい、バランスを崩しながら、悠人が何とかなだめようとする。
「ちゃ、ちゃんと見たもんっ!ねえっ、パパ、これ見て、これ!」

オルファがポケットから取り出した小さな紙切れ。
「エスペリアお姉ちゃんの机の上に置いてあったのおー。」

ヨト語で何やら書いてある。
―――うーん、さすがはエスペリア、達筆だなあ。
字の読めない悠人にもそれくらいは分かる。しかし今はボケている場合ではない。
「なあ、オルファ、これ何て書いてあるんだ?」
「パパ、読めないのー?だめだよ、ちゃんと勉強しなきゃ。」オルファが小さな胸を張る。
「ごめんごめん、で、オルファは読めるのか?」悠人はポリポリと頭をかいた。
「うん、読めるよ、パパ。あのね、えーと...『じぶんをさがしにたびにでます、
さがさないでください』だって、パパ!」


「―――反抗期の女子高生かよ。」