SALVAGE

1-13

『無償の奇跡などというものはない、
―――契約の代償を支払う時が来た』

脳天に突き刺さるような声が悠人を襲う。

『マナを...マナをよこせ!』


「ははは、そうか、守護神とは名ばかりの、あの役立たずの魔龍を、エトランジェが倒したかっ!」
ラキオスの国王、ルーグゥ・ダイ・ラキオスは報告を聞き、高笑いした。

聖ヨト暦330年、エクの月、青みっつの日。

ラキオスに召還されたエトランジェ、高嶺悠人は永遠神剣「求め」の力により、
リクディウス山脈に潜むサードガラハムの魔龍を屠った。これにより、ラキオス王国は眼下の敵、
バーンライト王国に先んじて、膨大なマナを手中に収めた。だが、それは、新たな戦いの幕開けでもあった。

「失礼いたします、ユート様。」

数日後の深夜、エスペリアが悠人の部屋に入って来た。
「あ...なんだ、こんな時間に?」
「どうか...そのまま、楽にしていてください...」
エスペリアの柔らかい手が、触手の様に悠人の股間に伸び、這い回った。
「何を...止めろ、止めてくれ!」しかし、エスペリアに軽く押さえつけられただけで、
悠人は起き上がることすら出来なかった。昼間のアセリアとの模擬戦で、
身動きできないくらい力を使い果たしていたのだ。――やがて、悠人はエスペリアの口の中で、果てた。

――なにやってんだ、俺は。

エスペリアの出て行った部屋で、悠人は快感の余韻に浸るよりも、
どうしようもない敗北感に打ちのめされていた。傍らの「求め」があざ笑うように青白く光った。

―――数ヶ月が過ぎたある日。。
悠人はラキオスの国王に呼び出され、スピリット部隊の指揮を執る事を命ぜられた。
「スピリット達はお前の好きにしてよいぞ、エトランジェよ。」国王はそう言って皮肉な笑みを浮かべた。
悠人は、しかし、ニヤつく国王の顔を正視出来ずにいた。

部屋に戻った悠人のもとへ、ノックとともにエスペリアがやって来た。
「ユート様。我がラキオス王国は、バーンライト王国に対して正式に宣戦を布告しました。」
そう言ってエスペリアは今後の作戦の内容、悠人に与えられた権限などを説明し始めた。

「―――以上です。ここまでは宜しいでしょうか?」
「ひとつ、――訊きたい事がある。」椅子に座ったまま悠人はエスペリアを見上げた。
「エスペリア達は、それでいいのか?一度戦争が始まってしまえば、エスペリア達だって、ただじゃすまなくなるぞ。」
エスペリアは哀しげに目を伏せる。

「―――私達は、人間にお仕えする道具です、ユート様。」
悠人がファンタズマゴリアに召喚されてから何度となく聞かされた言葉で、エスペリアは答えた。
「道具、―――か。」これ以上は水掛け論になる、そう思った悠人は腕組みをして目を閉じた。気まずい沈黙が流れる。
「わかった。説明はもういいよ、エスペリア。」悠人はゆっくり立ち上がった。
「ただ、これだけは憶えといてくれ。」そう言って悠人はエスペリアを見据えた。
「――なんでしょうか、ユート様?」

「道具だって言うんなら、俺の命令以外のことはするな。」
悠人が語気を強めて、言った。エスペリアの肩がビクリ、と動く。
「返事はどうした?」
「――わかりました。それではこれで失礼いたします、ユート様。」
エスペリアは、逃げるように悠人の部屋から出て行った。

―――これで、良かったんだ。

悠人は窓の外の景色に目を移した。
多分、これでもう夜中にエスペリアが訪れて来ることもないだろう、悠人はそう思った。

バーンライト王国との決戦に備え、新たなスピリット達が配属されたのは、その翌日の事だった。
「あなたが、新しい隊長ですか?」
燃えるような瞳をしたレッドスピリット、「赤光」のヒミカが悠人をじろじろ見ながら尋ねる。
「そうだ。まあ、よろしく頼むよ。」悠人は愛想笑いを浮かべた。
「何だか、頼りないわね。」無遠慮に横槍を入れたのはブルースピリット、「熱病」のセリアだった。
「あらあらー、そんな事言っちゃ、めっ、ですよー。」
間延びした声で悠人をフォローしたのはエスペリアと同じグリーンスピリット、「大樹」のハリオンである。

「確かに、みんなと比べると戦闘経験も少ないし、頼りないかも知れないけど、
俺もどうしても戦わなきゃならない訳があるんだ。」
悠人は第二詰所の前に並んだスピリット達を見回しながら、言った。
妹の佳織が人質となっている事は、スピリット達も知っているはずであった。


「ま、邪魔をしない程度に頑張ってね。」
そう言い放ってセリアは、無造作にくくったポニーテールをなびかせ訓練場に向かった。
「失礼ですよ、セリア!」叱責するエスペリアの声にも振り返ることはない。

「ねーねー、これがユート様の神剣なのー?触ってもいい?」
「だ、だめだよぉ、ネリー。」
先刻から悠人の腰の周りに興味津々でまとわりついているのは「静寂」のネリーである。
同じブルースピリット、「孤独」のシアーがそれをはらはらした目付きで見ていた。

――何だか、想像していたのと違うな。
悠人は苦笑した。これほど個性派ぞろいのスピリット達の隊長としてやって行けるのか、
不安もあったが、少なくとも、ただひたすら人間の命令に忠実に従うだけのスピリットばかりではない。
その事は悠人にとって好ましい事に思えた。

「ほら、あなたもユート様に自己紹介をしなさい。」
溜息をつきながらエスペリアがもう一人のレッドスピリットにうながす。
引っ張り出されるように悠人の前に進み出たのは先程から無言で突っ立っていた、おかっぱ頭の少女だった。


「――ナナルゥです。」

ゾクリ、と悠人の背筋に冷たいものが走る。
ちらりと悠人に向けられたその瞳は、ヒミカと同じ深紅だったが、そこには人間らしい感情を垣間見る事は出来なかった。
スピリット達は総じて人形のような整った顔立ちをしている。それだけに、表情の乏しさは、不気味さと直結していた。
これまで接触のあったスピリットの中で言えば、アセリアが近いのかも知れないが、
アセリアには、それなりにすっとぼけたような感情表現があった。
だが、目前の、ナナルゥと名乗った少女からは、それすら感じられない。

「お、おう、よろしくな、ナナルゥ。」悠人は思わずそのスピリットから目をそらし、助けを求めるようにエスペリアに尋ねた。
「こ、これで全員かな、エスペリア?」
「――いえ、もう一人います。今は訓練の最中だと思いますが。」
「そうか、じゃ、そっちに行ってみるか。」悠人は訓練場に向かって歩き始めた。
そのとき、ヒミカがどことなく悲しげな視線を悠人に向けている事に気付く。

―――?

なんとなくヒミカにとっつきにくさを感じていた悠人は、その時は、余りその事を気に留めることもなかった。

「はは、はいっ、先生!ご、ごめんなさい!」
草野球のグラウンドのような訓練場の真ん中で指導を受け、オーバーアクションで謝っている黒髪の少女。
それがもう一人のブラックスピリット、「失望」のヘリオンであった。
エスペリアによるとまだ実戦に出られるほどの能力ではない、との事だったが、
その動きは、悠人の目には充分すぎる程のスピード感が有った。

――全く、お笑いぐさだぜ。
悠人には、ヘリオンに「先生」と呼ばれ、偉そうに訓示を垂れている訓練士が、いっそ滑稽なものに映った。
ラキオスにはその訓練士をふくめて3人の指導者が在籍していたが、
実際のスピリット達の戦場ではその全員を束にして並べたとしても、5分と立ってはいられないであろう、
悠人はそう思っていた。それ程人間とスピリットの間には、その能力に開きがあった。
訓練といっても、戦いの場での精神論を唱えたり、こんな時はああしろこうしろと言うだけで、
スピリット相手に模擬戦をする事すらない。いや、出来ないのだ。

―――どこの世界でも、無能な奴ほど他人に教えたがるもんだよな。

そんな訓練士達でも、悠人やスピリット達よりは、はるかにいい暮らしをしている。
それでもまだ戦いに関わっているだけマシなのかもしれない、悠人はそう思った。
大多数の人間はスピリット達が従順なのをいい事に、汚れ仕事を全て押し付けてのうのうと生活しているのだ。
エスペリアが訓練場の中央に進み、何事かを訓練士に頼んでいる。
多分、訓練を中断して挨拶させて欲しいと言っているのだろう。
フン、と蔑んだような目で訓練士が悠人を見る。悠人は下げたくもない頭を下げた。

「あの、あの、ヘリオンです!あ、新しい隊長様ですね!いっぱい訓練して早くお役に立てるように頑張りますっ!」
悠人のもとに駆け寄って来たブラックスピリットの少女が、緊張でガチガチになりながらツインテールの頭を振り下ろす。

「様は付けなくてもいいって。俺も昨日隊長になったばっかりの新米なんだ、よろしく頼むよ、ヘリオン。」
悠人は笑って言った。
「はは、はいっ!では、私はまだ、訓練がありますのでっ!」
悠人の笑顔を見て、真っ赤になったヘリオンが疾風のように去ってゆく。訓練場の片隅で、アセリアが、
小気味良い金属音を響かせながらもう一人のブルースピリット、セリアと剣を交えている姿が悠人の目に入った。
模擬戦といえども、双方とも熱の入った練習である。恐らく悠人でも、神剣の力を借りなければ、
その動きを目で追うことすら困難であろうと思われた。

先に城に向かったエスペリアと別れ、訓練場を後にした悠人を待っているスピリットがいた。
「えっと――、ヒミカ、だったかな?」悠人が声を掛けると、そのレッドスピリットは一礼した。
些細な動きにも隙がなく、いかにも戦士、という印象を受ける。
「はい。――あの、ユート様、少しお話しする時間を頂けますか?」
頭を上げながらヒミカが言った。その口調から、ついさっき挨拶したときのよそよそしさが、少し消えていた。
「ああ。いいけど、――歩きながらでもいいか?」
二人は詰所に向かって、並んで歩き始めた。

「実は、ナナルゥの事なのですが――」ヒミカが切り出す。
「ナナルゥって、――ああ、もう一人のレッドスピリットか。」
悠人の脳裏に、無表情な長髪の妖精の姿が浮かんだ。
「そうです。ユート様は、どう思われましたか?」喋り口ははきはきしていたが、ヒミカの口調には翳りがあった。
「うーん、どうって言われてもなあ...俺も今日初めて会ったばっかりだしなあ。」
悠人は言葉を濁した。何となく、ナナルゥから受けたイメージをそのまま話せばすべて悪口になりそうだった。
「――ヒミカは、仲がいいのか?ナナルゥと。」
「仲が良い、というほどのものでは無いのですが――。」今度は逆にヒミカが口ごもった。
「ユート様の――目が、気になったものですから。」

―――気付いてたのか。

悠人にとってはヒミカの鋭い洞察力の方が驚きだった。悠人は、自分でも知らないうちに、
スピリットの感受性、そういったものを侮っていたのかも知れない。

「いや、別に嫌だとか、そんなんじゃないんだ。ただ、今まで俺の知ってるレッドスピリットっていったら、
オルファリルくらいだからさ、ちょっとびっくりしただけだよ。」

オルファは、戦闘をゲーム感覚で楽しんでいるような所を除けば、どこにでもいるような活発な少女だった。
炎の妖精である事を考えると、レッドスピリットはみな、情熱的なのだろうなどと、悠人も勝手な先入観を持っていたのだ。
ただ、これまで戦ってきた敵のスピリットは、確かに表情に乏しいものが多かった。
その点で言えば、ナナルゥはむしろその典型に近いとも言える。ラキオスに来てまだ日の浅い悠人には、
どちらがスピリット本来の姿なのか、よく分からなかった。

「そうですか、変な事を訊いてしまってすみません。」
悠人の答えに納得したのか、ヒミカは立ち止まって悠人に敬礼した。
「ヒミカは――心配してるのか?ナナルゥの事を。」
このまま話が終わりそうな気配を感じた悠人は、ヒミカを引き止めるように尋ねた。

「え――?」今度はヒミカが驚く。
「心配――、そうかも知れません。ナナルゥは―――呑まれかけているのです、神剣に。」
そう言って、ヒミカは口をつぐんだ。
あるいは、これまでにナナルゥとの間に何かあったのかとも思ったが、さすがに気が咎め、
悠人は、それ以上問いただす事はしなかった。

「神剣に呑みこまれかけている、か。」
ヒミカと別れて戻った詰所の自室で、ベッドにごろ寝をしながら、悠人はつぶやいた。
もしかすると、平然と戦っているように見えるスピリット達も、悠人の知らないところで神剣の干渉に耐え続けているのだろうか。

「――にしても、スピリットも同じ色同士のほうが気が合うのかなあ。」
まさかスピリットの間で色の優劣があるとは思えなかったが、今日出会ったスピリット達は全体的に同色コンビが多かった。
悠人はふと、セリアとアセリアが並んでお茶を飲んでいる姿を想像して苦笑した。