安息

Ⅶ-3

完全に『空虚』に飲まれている今日子に悠人の説得は届かなかった。
『空虚』を前にして、また騒ぎ出す『求め』。
それに対して滅ぼそうとする意志を隠しもしない『空虚』に向かい、悠人は斬りつけていった。
身軽にソレを避わした『空虚』がそれこそ雷の様な一閃を放つ。
刀身より遥かに長いその射程から放たれた閃光は悠人の脇を辛うじてかすっただけだった。
明らかに手加減したと判る攻撃。その攻撃の後、『空虚』は楽しそうに呟いた。

「呼びかけてみるか?それも面白い戯れだ。最後に残った意識を、返してみてやろう。」

 …………………………

久し振りに感じる空気の匂い、風の流れ。自分が確かに自分自身で立っているという感覚。
一瞬感じた爽快感は、しかし悠人を認めたとたん消し飛んでいた。代わりに訪れる後悔と絶望。
どす黒い感情と失っていた記憶がみるみる心の中に広がる。半ば発狂しながら今日子は叫んでいた。
「アタシ……いっぱい殺しちゃったよ。スピリットたち、いっぱい。いっぱいだよ!それに、人だって……!」
戦いの中で損なってきた命の数々が、昔の思い出と重なって畳み掛けてくる。
悠人が何か叫んでいるが、なにも聞こえなかった。今日子は半狂乱で声を絞り出した。

「アタシ、生きてちゃダメ、だよ…………」

心の底からの悲鳴だった。
既に生きることを放棄したような言葉の、しかしその裏に隠された本当の思い。
以前の悠人なら気付かなかったであろう助けを求めるその声が、今は確かに届いた。
『友達がピンチのときは助けるのが当たり前』。そんなヒミカの言葉が思い出される。
ちらっと後ろで戦っている三人を見た。あの三人が示してくれた友達同士の絆。
それを知らなかったら、適当に慰めの言葉を掛けるだけだったろう。そしてずっと後悔する結果になったかも知れない。
しかし今の悠人は知っていた。絆が、神剣から心を救い出すことも可能だという事を。
まだ取り戻せる。三人の想いに後押しされて、悠人はゆっくりと語りかけた。
「俺達にできることは、償うことだけだ。生きて、それで……なにか、償おうぜ。俺を、信じてくれ!」
「悠…………」

悠人は罪に立ち向かう事を示してきた。そして、自分を信じろと。
あえて困難な道を自分と歩こうと諭す悠人に今日子の表情がふっと緩む。しかしそれも僅かな間だった。


一瞬悠人に応じたかと思った今日子が険しい顔に戻る。
予想外にも立ち直ろうとしていた今日子の心に危険を感じた『空虚』の支配が強まったのだ。
抵抗も出来ずに『空虚』の意識に引きずり込まれる。その前に、今日子はありったけの声で叫んでいた。

「おねがいっ!悠っ。アタシを殺してぇぇっっ!!」

『空虚』の力が膨れ上がるのを、悠人もまた感じていた。

「諦めるなっ、今日子ぉぉッッ!!」
思わず叫んだ悠人に今日子は弱々しく微笑み……そして囁いた。

「…………約束だから……ね」

その瞬間、今日子の躯から、紫電の柱が空へと落ちた。
「時間切れだ。」
つまらなそうに『空虚』が呟く。同時に『求め』の声が頭に響いた。
『ダメだったようだな。』
決定的な二本の神剣の宣告に、しかし悠人は諦めなかった。とっさに目標を切り替える。より困難な目標に。
「くそっ!こうなったら『空虚』だけを破壊してやる。やるぞっ!!」
親友との約束。仲間の後押し。そして、自分の「求め」。叶える為に、悠人は諦めなかった。

「お前は許せないっ、『空虚』ぉぉぉぉっっ!!!」
互いに防御よりも攻撃を得意とするエトランジェ同士の戦いは、すれ違いざまの一瞬だった。
スピードで明らかに差のある『空虚』が悠人の叫び終わるのも待たずに殺到する。
雷を纏った神剣の三段突き。イクシードと呼ばれるその技を、避わし切れば悠人に反撃のチャンスが出来る。
初撃と二撃目は同時だった。突きどころか引き手すら見えない。驚くべきそのスピード。
残像のような攻撃はしかし急所を狙い過ぎたのか、勘だけでかろうじて避わせた。
放電が痺れるような感覚を残して空気中に散っていく。触れてもいない部分が麻痺していた。
異様な感覚に少しよろけた悠人の隙を『空虚』は見逃さなかった。…………確かに『空虚』は見逃さなかった。
止めを刺そうとした三撃目の切っ先。それが僅かに鈍った。
(?…………!!!)
考えるより先に体が動いていた。悠人は身を捻りつつ、『空虚』に『求め』を叩きつけていた。


『求め』に確認する。確かに、『空虚』の意識だけを斬った感覚があった。

『最後の最後で、この娘が『空虚』の意識を切り崩した。』

先程の三撃目が思い出される。確かに一瞬『空虚』の動きが鈍った。そうか。あれはやっぱり今日子だったのか……
倒れている今日子に悠人は急いで駆け寄った。
「う…………」
今日子の意識は無いものの、神剣の気配ももう無かった。ほっとしたが依然危険な状態に変わりは無い。
『求め』に斬られた傷からは今も血が溢れていた。