『The Spirit BR』

chapter.1

どしゃぶりの雨の中、一人の男が立っている。

引き締まった彫りの深い顔。紺色のブレザーの上にカーキ色のコートを羽織
っている。背中に背負っているのは男の背丈ほどはあろうかという巨大な双剣。
その扇風機の羽を一枚?ぎ取ったような剣は、無機質な、けれどどことなく生命
を感じさせる気配を放っている。

雨を防ごうともせず濡れるがままに任せている男の腕の中には一人の少女。

腕から零れ落ちる艶やかな髪は曇天の空よりも暗い黒髪。人形のような顔に
生気はなく、意識がないのか、絶え間なく降り注ぐ雨にピクリともしない。

男が立っているのは、本来、雨とは無縁のはずの砂漠であった。特にマナ消失
地帯であるこの場所では当然のことながらマナが希薄であり、雲ひとつないとい
うのが普通なのである。それが、何故か豪雨なのであった……男の周りだけ。

けれど、男はそのことを気にした様子もなく腕の中の少女を見つめる。
ニヤリ、と一瞬、エロい邪笑を浮かべると曇天の空に顔を向けた。

ポツポツと男の顔に幾つもの雨粒が当たっては弾ける。

「……こりゃ、一雨来るかな」
どしゃぶりの雨の中で、男がポツリと呟いた。

ピカッ!!「え……ピギャァァアァァァァ!!」

雷が落ちた。

さて、超大型ハリケーン「キョ○コ」がマロリガン領を蹂躙している中、
そこから遠く離れたラキオスは平凡そのものであった。

空は実に快晴、洗濯日和。詰め所の庭に広がるのは一面の白い海。
優しい風が吹き抜ける度にシーツは軽く揺らめき、差し詰めそれは
波打ち際の白い泡のよう……。

そんな、陸に広がった白い海の中を茶色の物体と赤色の物体が泳いでいる。

茶色の物体は軽やかに動き、赤色の物体は茶色の物体の後をちょこちょこと追っている。
二つの物体がまだ何も掛かっていない物干し竿の所に来ると、途端にそこにも白い海が生まれた。

ふぁさ、と白いシーツが宙に舞う。

次々と生まれていく白い海はやがて庭を埋め尽くすとピタリと止まった。

「これでおわり~~~!はふぅ……つかれたよぉ~」

元気なのか疲れてるのかよく分からない声をあげながら白い海から
飛び出してくるのは先程の赤色の物体―――『理念』のオルファリルである。

そのまま、ばたっと青草の上に寝転がるとごろごろ転がり始める。

「こら!オルファ、いけません!」

続いて、叱責の声と共に出てくるのは怒った顔をしながらも優しげな瞳を湛えた『献身』のエスペリア。
空っぽになった洗濯籠を両手で抱えながらゆっくりと歩み出てくる。

「えー……」

怒られた為かもの凄く不満そうな声を出しながらも、オルファは渋々と立ち上がる。
裾についた土埃や草の葉を手で払い落とすとちょこちょことエスペリアの方に駆けてくる。

それを見届けてから、ポスッと空の洗濯籠をハーブが植えられた花壇の横に置いた。

「地面に寝転がっちゃ駄目ですよ、オルファ」

服が汚れてしまいます、と付け加えるとエスペリアはオルファの頭にのった葉を
丁寧に取り除いてあげる。それを不満そうな顔をしながらもくすぐったそうに受けるオルファ。

いつもの日常なのであった。


「ッ…………ハッ!!」
所変わって、城内にある屋内訓練場。
本来は人間の兵士用に設けられたこの場所で二つの影がぶつかりあっていた。

一つは黒の影、駆けるその姿は神剣強化されたスピリットの眼でも見切れるものではなく、
固い石床を蹴る音と辛うじて見える残像だけが存在を証明していた。

もう一つは青の影、黒の影には速度で劣るもののその動きは洗練されていて無駄はなく、
展開されたウィングハイロウを駆使して縦横無尽に舞い踊っている。

二つの影が互いにぶつかり合う度に虚空に火花が散り、甲高い金属音が響き渡る。

互いの力は互角……そんな二人の激突を見守る三対の眼。

「うわぁ……、ねえねえ!シアー、どっちが勝つかなぁ~?」
興味津々、眼を輝かせて見守るのは『静寂』のネリー。
「え?ん~…と……え~とぉ……」
少々舌足らずな声で律儀にネリーの問いに答えようとするのは『孤独』のシアー。
そんな二人の傍で一言も喋らず、食い入るように固唾を呑んで見守る『失望』のヘリオン。

訓練所の壁際にある休憩用のベンチに座り、一心不乱に対決を見守る姉妹。

と―――空気が動いた。

「はぁっ!!!」
「……ふっ!!」

ガキンッ!と一際高い金属音を最後に音は止んだ。

互いに自分の得物を振りぬいた姿勢で停止している。

青の影が扱う大剣のような剣は黒の影の首筋に触れるか触れないかの位置で
停止し、一方黒の影が扱う細身の刀は青の影の喉元に寸分の狂いもなく突きつけられている。

互いに無言。張り詰めた空気の中、鋭い視線が宙でぶつかり合う。

と、黒の影が先に動いた。

喉元に突きつけていた切っ先を下げ、スッと音もなく鞘へと仕舞う。

それにあわせて、青の影も突きつけていた剣をゆっくりと引き戻した。
張り詰めていた空気も和やかなものへと変わる。

「……いい鍛錬になりました」
一歩下がり、礼をすると『冥加』のウルカが呟いた。
「……ん」
なんだかよく分からないが小さく頷く『存在』のアセリア。

そんな二人に興奮冷めやらぬまま、駆け寄るネリシア姉妹とヘリオン。

こちらも、またいつもの日常なのであった。


またまた所変わって……。
城内の一角にある木彫りの大扉。その奥に広がる少しホコリっぽい空間。
外壁に沿ってみれば一部、突出しているようにも見えるその部屋は『資料室』であった。

大きめの本棚に無数に納められた書籍の数々はレスティーナ女王によって各地から
収集されたものである。『聖ヨト初代王』や『歴史年表』、『四英雄伝説』などなどその量
は膨大な数となる。それに伴い、書庫、本棚の数も膨大になっている。

が、一見日当たりの悪そうに見えるこの空間は、実のところそれなりに日当たりが良かったりする。

他の各部屋よりも多めに設けられた窓、加えてこの部屋が北向きに少々突出しているため
日中は絶え間なく陽光が降り注ぐのである。

気持ちのいい風と穏やかな陽光に照らされるこの場所はお昼寝スペースとして有名なのであった。

現に今も寝ているものが二人。

本棚の間を貫くように出来た通路の先には、シンプルなテーブルにイス、
簡素なソファーなどが置かれ、申し訳程度の観葉植物が鎮座している少々広がった空間がある。

そこのソファーに腰掛け、窓から差し込む陽光と穏やかな風を受け、
うつらうつらと船を漕いでいる妖精が一人。

おでこから頭部全体を覆うようにデザインの整ったプロテクターをつけ、
目から下を黒い布で覆った不審人物丸出しの―――『月光』のファーレーンである。
唯一、プロテクターと布の隙間から覗いている瞳も今は気持ちよさそうに閉じられている。

そんなファーレーンの膝元……ピッタリと閉じられたふとももに頭を乗せて
惰眠を貪っている妖精が一人。

窓から広がる景色と同じ緑色の髪、まだあどけなさの残る顔にやや切れ長の瞳、
大好きな姉の膝枕で気持ちよさそうにしているのは『曙光』のニムントール――通称『ニム』である。

さて、そんな一枚絵にもなりそうなほのぼのとした二人から少し離れたイスに腰掛け、
静かに本を読んでいるのは『熱病』のセリアである。

ページをめくる乾いた音。

ほとんど無表情で次から次へとページをめくっていくセリア。
別に、何かを探しているわけでも読んでいないわけでもない、彼女としてはこれが普通のペースなのであった。


ちらりと見えた本の題名は―――『ツンデレ理論』。

「『ツンデレとはツンツンしていたキャラがあることをきっかけに―――』……ふぅ」

小さく溜息をつくとテーブルの上に置かれていた紫のしおりを本に挟み、パタリと閉じる。

閉じた本は横へ……見れば幾つかの本がそれぞれバラバラのページに紫のしおりを
挟まれて積まれている。そして、反対側にはまだ手をつけていない二、三冊の本。

その一冊を手に取るとまたページをめくり始める。

今度の本の題名は―――『百合の生態』。

一瞬ちらりと見えたページでは
『百合の生態を観察する為、私は二人の女性を一つの部屋に閉じ込めた。結論から言えば……』
と、なんとも卑猥なことがつらつらと……。

しかし、どこから見つけてきたのか怪しげな本を無表情で、
けれど熱心に読んでいるセリアの姿はちょっと滑稽であった。

しばらくの間、ページをめくる乾いた音と静かな寝息だけが辺りに響いていた。

と、ちょうどセリアが今読んでいた本にしおりを挟み、次の本へと手を伸ばした時、小さな異音が聞こえた。

ピタリと動きが静止する。
そっと腕を引き戻し、少々きつめな視線を部屋の片隅へと向ける。


「………ナナルゥ、出てきなさい」
部屋の端、何もない空間に向かってセリアが言う。

無言、小さな寝息以外は静かな静寂が辺りを包み込む。

と、コトッという小さな音と共に天井の板が外され、そこから赤の影が床に降り立った。
腰まで届くロングな紅の髪、セリア以上に無表情な顔には少し気まずそうな雰囲気。
以前は神剣に呑まれかけ感情を失っていた『消沈』のナナルゥであった。

その姿を視界に納めるとセリアは大きく溜息を吐いた。

「何してるの?ナナルゥ」
セリアが問いかける。

「……隠密行動、しいて言えば覗きですが?」
ナナルゥが答える。

セリアが額に手を当てて、微かに首を振った。

神剣の支配を脱し、僅かながらに感情が戻ってきたのはいいのだけれども、
以前のあの従順な頃が良かったと思うのは間違いなのか、と思うセリアなのであった。

「あのね――――」
「あ、セリア……とナナルゥもここにいたの?」

セリアが言葉を繋げようとしている時に入った割り込み。

声に振り向けばちょうど扉を開けて二つの影が部屋に入ってくるところだった。

ナナルゥと同じ燃えるような真紅の髪、けれどこちらはざんばらに
切りそろえられたショートヘア。第二詰め所では姉御的存在な『赤光』のヒミカである。

もう一人はニムと同じ深緑の髪、グラマーな肢体を窮屈そうなメイド服に包み、
おっとりとした雰囲気を漂わせている。いつでもおっとりニコニコな『大樹』のハリオン。

ハリオンの腕の中には幾つかのティーカップに大きめのポット、
そして某少女の大好物である数個のヨフアル。

「お茶に~、しませんか~?」

そう言いながらヒミカの後をよたよたと歩いてくるハリオン、危なっかしい事この上ない。
けれど、無事テーブルまで辿り着き、ティーセットを広げ始める。

「ん?セリア……何読んでるの?」

テーブルに辿り着いたヒミカが積まれた本に手を伸ばそうとする―――が、
それよりも早くセリアの腕が本を奪い取る。……ちょっとばかし焦っていた。

「む……分かった分かった。見ないからそんなに睨まないでよ」

それでも、本を隠し終わるまでセリアの視線がヒミカから離れることはなかったのだった。
「読んでいたのは―――」ナナルゥの口を塞ぐのも忘れない。

これも、また……たぶん日常なのであった。

ちなみに、悠人はというと――。

「…………Zzzz」

エスペリアに昼食の知らせで起こされるまで爆睡していたのであった。


何の変わりもない、いつもの日常を彼女たちは過ごしていく。
戦いのない平和な時間、ほのぼのとした仲間達と過ごす時間。

けれど、その日常は自分が持っている発言力というものを甚だ理解していない、
一人の男の言葉によって簡単に崩れ去るのであった。

                           Next Stage coming soon.....