いつもいっしょ

序章

「――お国のスピリットが『白い』ままとは、まったく意外でしたな。バーンライトはともかく、北方五国のうちでは最強と目されていた我がダーツィを平らげたラキオスのスピリットはどれほど『黒い』手練れかと思えば……と、これは失礼」
 いやしくもラキオス王家の一員である自分の前で、忌憚どころか遠慮会釈もない見解を店ざらしにしてみせる壮年のダーツィ人に、佇んでいた窓辺から振り返ったレスティーナは、優雅に微笑んで見せた。
「構いません、剣士ジャドー・ロウン殿。事実を事実のまま述べたからとて、何の不都合がありましょう。御指摘の通り、我が国のスピリットはまだまだ未熟なのです」
「――恐れ入ります、殿下」
 と、殊勝に頭を垂れて見せたのは、ほんの瞬きの間に過ぎなかった。
「ときに、ダーツィの禄を食んでいたこの私をお召しになられたからには、お国はさらなる壮図を企てておられる、と解釈してよろしいか?」
 ジャドーは挑戦的な眼差しを年若い王女にぶつけた。ダーツィ大公国を併呑したラキオスは、今やかの神聖帝国と直接に境を構えてしまったのである。
 今度の戦役に対しては中立を保っていたとはいえ、大陸随一の超大国であるサーギオスが事実上の属国を目の前で落とされて、このまま座視し続けるとは思えない。
 ラキオスは、戦勝をもってこの難局を乗り切ったがために、対サーギオス帝国という途方もない難局に直面する羽目になった。その落としどころに苦慮せねばならないことを、暗に含めてのものである。
 値踏みするかのようなぎらついた視線に晒されたレスティーナは、臆した風も見せず、淡い薔薇色の唇をわずかに綻ばせ、ジャドーに向けて一歩踏み込んだ。
「バーンライト、ダーツィの二国は、我らが龍の魂同盟の積年の怨敵。ラキオスは盟約に従い、それを討ち果たしはしましたが、未だ平和の兆す気配もありません。我々は、今後もせいぜい寝首を掻かれないために、軍備の弛みを戒めるのみです。
 座して滅亡を待つ国家などどこにありましょう。生き残るために剣士殿のような人材が必要とあらばそれを求めること貪欲であって当然のはず。是非とも当家、いえ、ラキオスの国民のためにお力添えを賜りたく存じます」

「そのラキオスに滅ぼされた私には、随分虫のいいお話に聞こえますがな」
「故国の人々も、今では愛すべきラキオスの国民に相違ありません」
 それは、レスティーナの本心であった。
「ふむ――建前論ではありますが、奢らず臆せず、理に適う。噂通り、当座を見誤らない聡明な殿下はいずれ史書に名を残す名君におなり遊ばすに違いない」
 その途端、部屋の隅に控えていた侍従たちがざわめいた。
「なっ!?……言葉を慎まれよ、剣士殿……」
「構いません。剣士殿、痛み入ります」
 色をなして詰め寄らんばかりの侍従を制し、レスティーナは、深々と頭を下げた。
むしろ彼女こそ、この人を食った男を今すぐこの部屋からつまみ出してやりたいところなのだが、王国のために資する人材と見込めばこそ、この程度の腹芸なぞ造作もない。
「これは恐れ多い。私は一介の剣士に過ぎません、頭をお上げくだされ。そこまでされては否やは申せません。どうぞこの武骨を、お国のためにお使いください」
 レスティーナの大度に自尊心を満たされたか、ジャドーは手の平を返したかのように腰を低くした。「言葉多く、慇懃無礼」と言われるダーツィ人の典型のような男である。
「感謝いたします、ジャドー・ロウン殿。我がラキオスをよりよき道へお導き下さい」
 頭を上げたレスティーナは、洗練された笑みを口元に貼り付けた。
 公務という名の茶番は、ここに幕を引いた。
「それでは、早速明日より訓練を始めましょう。なに、ものの一月もあれば、連中も立派に黒く染まって、一層お国のために……」
 意気揚々と所信を述べつつ立ち上がりかけたジャドーの背中に、レスティーナが声をかけた。
「率爾ながら、その儀には及びません」 
「……今、なんと仰せられた?」
「我がラキオスの精兵には、帝国の流儀など無用に願います」
 もはや大陸の主流となったサーギオス式の訓練法は、帝国に近しいダーツィ人、ジャドーの得意とするところ。
 促成的にスピリットの自我を神剣に「食わせ」ハイロゥを黒く染め上げる。神剣の本来的な攻撃性向を解き放ち、「感情」という不安定要素を取り除き、兵器としての洗練を極める。
 早い話が、スピリット同士を殺し合わせ、人為的に淘汰を行うバトルロイヤルに他ならない。
 レスティーナは、それを拒絶したのである。

「……本気で言っておられるのですかな、殿下。スピリットになまなかな人間性など残しておいては、戦場における采配の妨げにこそなれ、何ら益するところはありませんぞ?」
 レスティーナに向けられたジャドーの砂色の双眸には、驚きよりもむしろ呆れの色が見て取れた。
「もとより承知の上。サーギオス式を実践できるほど我が国のエーテル貯蔵は潤沢ではありませぬゆえ、貴重なスピリットを一兵たりとも損なうわけには参りません。
「それにこれは、我がラキオスの誇るエトランジェ、『求め』のユートの意志でもあるのです。訓練法は、旧態依然たる聖ヨト式で結構」
「なっ……馬鹿げている! スピリットの補充などさしたる難事ではありますまいに。スピリットを百体鍛え上げるよりも、九十九体を犠牲にして最強の一体を作り上げる方が遥かに効率的です。お国のエトランジェは、兵法に昏いとしか思えませんな」
 この時レスティーナが浮かべた笑みは、同席した侍従たちの溜飲を大いに下げるに足りた。
「ふふ。よもやお忘れではないでしょうが、先般ラキオスのスピリットは、『白』のままながら、ダーツィの『黒』を破りました。帝国式合理主義の理論的優位性を覆す絶好の反証ではありませんか。
 剣士殿は、元来聖ヨト式の泰斗であったと聞き及んでおります。その御令名を慕えばこそ、この席にて我が国への出仕を切望して止みません。それに旧法即ち悪法と限ったわけでもありますまい。
 これを奇貨として、剣士殿が革新的な訓練理論を編み出されるならば、その堯名は永く史書に語り継がれるものと確信します」
「ううむ……」
 レスティーナは絶句するジャドーを置き去りに、悠然とドレスを翻して客間を辞した。

 数刻後、レスティーナの私的な客室にて。
 部屋に軟禁されている佳織に楽しげに語りかけるレスティーナは、柔らかな物腰といい、くつろいだ雰囲気といい、先刻の彼女とはまるで別人だった。
 公人としての威儀を脱ぎ捨てた彼女は、年相応の少女なのである。
「そうそう、そう言えばユートのことなんだけど……」
 兄の近況に飢えていた佳織は、その名を聞いた瞬間、手にしたカップを握りしめた。
「ラキオスにはスピリットの詰め所が第一、第二と二つあるのだけれど、今日、彼が第二の方に臨時隊長室を開設したいって言ってきたのね。
 隊長室は第一の方にちゃんとあるし、そこが使用不能になったわけでもないのにどういうことかって問いただしてみたら、『第二詰め所の隊員達と親睦を深めるため』ですって。
 日替わりで二つの詰め所を行き来して、スピリット達と寝食を共にしたい、なんて、そんなことを言い出した隊長は今まで一人もいなかったのよ? 
 彼に妖精趣味が芽生えたんじゃないかって、言い出す大臣もいたけど、そう言われても仕方ないくらいおかしなことを考える人ね、カオリのお兄さんって」
 と、呆れたようにレスティーナが肩をすくめてみせ、喉を湿らすべくお茶を一口飲み干す傍で、佳織は口元に手をやり、含み笑いをこらえた。
「うふふ……」
「でしょ? まったくユートは何を考えてるのやら……」
「あ、いえ、ごめんなさい。そのことはおかしくないと思います。ただ、とてもお兄ちゃんらしいな、って思ったら、それがおかしくてつい」
 レスティーナはカップをソーサーに戻し、怪訝そうな眼差しを佳織に向けた。
「お兄ちゃん、らしい?」
「はい。お兄ちゃん、昔から仲間っていうか、友達のために何かしないではいられない人ですから」
「……友達?」
「ええ。だって、みんなお兄ちゃんと一緒に戦ってくれてるんですから。それはお兄ちゃんのためじゃなく、単に国のためなのかも知れません。
 でも、理由はどうあれ一緒にいて、一緒に行動しているから、みんなと仲良くしたいというのはお兄ちゃんにとっては当然のことなんです」

 言葉を選んで、佳織は兄の謎を解題してみせた。その言葉の端々から滲み出る兄への思慕の念が、レスティーナの心根にちくりと突き刺さった。
「ふうん……私たちのスピリットに対する認識からすれば、ユートの態度は奇矯に映るのだけれど、あなた達エトランジェには、そう言う感覚はないということなのでしょうね」
 佳織は微かに首を横に振って、その憶測を否定した。
「いえ、悲しいことですけれど、私たちの世界にもそういうのはあります。多分、人が集まって社会を作る以上、それはどうしようもないのかも知れません。
 ただ、お兄ちゃんにとっては、オルファたちは大事な仲間だって、たったそれだけのことだと思うんです。どこかおかしいでしょうか?」
「――でもね、カオリ。あのような姿形をしているから、あなた達エトランジェは混乱するのでしょうけど、こちらの世界では、スピリットはあくまで兵器……戦争のための道具に過ぎないのよ?
  そのようなものに対して感情移入が過ぎると、とんでもない過ちが起きるかも知れないのに」
 だから、「思い違い」してはいけないとレスティーナは一般論をもって諭したかったのだろう。
 しかし不幸なことに、佳織とって、それは辛辣な皮肉にしか聞こえなかった。
「それなら、同じ事じゃないですか。あなた方にとって、エトランジェも兵器に過ぎないんですから……」
 そこまで言って、佳織は言葉尻を飲み込んだ。「同類相哀れむ」というハイペリアの格言に該当する聖ヨト語を知らなかったせいもある。
「カオリっ!?」
 レスティーナが、不意に席から腰を浮かしかけた。テーブルが揺れ、白磁のカップとソーサーが甲高い金属音を掻き鳴らす。その目を見た佳織は、はっと息を呑んだ。
 驚きと、非難とが混ざり合ったその瞳が今にも泣き出しそうに見えて、佳織はやるせなく目を手にしたカップに伏せる。琥珀色の澄んだ液体が、わずかに揺れていた。
「ごめんなさい、レスティーナさん。あなたが、私たちによくしようとしてくださってることは、分かってるつもりです」
 と、一端言葉を句切ったあと、佳織は縋り付くような目をレスティーナに向けた。

「それに……さっきの言葉、レスティーナさんの本心じゃ、ありませんよね?」
「……え?」
「スピリットが兵器だって言う……」
「あ……その……」
 レスティーナは、バツが悪そうに口をつぐんだ。
 気まずい沈黙が室内に充満する。
「――あの、お兄ちゃんには、お兄ちゃんなりのやり方で頑張らせてあげてください。私からは、それだけです。その……お願いします……」
「……わかりました。私に出来る限りのことは、果たしてみせます」
 兄妹を持たないレスティーナには、兄のために頭を下げてみせる佳織を目の当たりにしての、不分明なその感情を言葉にするための適切な語彙がついに見つからなかった。
 スピリットを「モノ」として扱うジャドー・ロウンと、「ヒト」として扱うユート。
 レスティーナの理性は、ジャドーの見解を「是」とするが、つい先ほど佳織によって、その前提の内包する大いなる矛盾を再認識させられた思いがした。
 レスティーナは、すっかり冷えたお茶を飲み干して、そのまま席を立った。
「それと、カオリ……」
「……はい?」
 扉の前で立ち止まったレスティーナの華奢な背中を、佳織は熱の冷めた目で見やった。
「……もう二度と、あんなことは言わないで。お願いだから……」
「…………はい」

 レスティーナが佳織の部屋を辞すと、冷涼な夜風に流されて甘く香ばしい匂いが漂ってきた。
「……いい匂い」
 レスティーナは、ふと回廊の外に目を向けた。すっかり夜のとばりが降りた王城の中庭は、星明かりと、各所に点在するエーテルの常夜灯によってほのかに照らし出されていた。
 その子細を見渡すのは人の身として困難であったが、レスティーナには匂いの元の、おおよその見当はついていた。
 きっと「彼女」たちも、自分と同じものを美味しいと感じているに違いない。
 王女である自分と、スピリットである彼女たちと、それは何ら変わるところがないという確信は、レスティーナに新鮮な感慨をもたらした。
「……また食べたくなってきちゃったな。明日は久しぶりに時間が取れそうだし…」
 もう一度、その微かな香ばしい匂いを胸一杯吸い込んで、レスティーナは足取りも軽く自室へと戻っていった。