寸劇@第二詰所

寸劇@第二詰所

 アンニュイな午後。第二詰所の面々は食堂に会してお茶を飲んでいた。対マロリガン戦へ向けての準備期間であったが、建築や訓練の予定も順調に終了し、現在は万全の体調で開戦を迎えるための休息期間であった。
(のどかな午後、か…)
ヒミカは手にしたお茶から立ち昇る湯気の向こうを見やる。ニムントールがぐったりとテーブルに伏せている。お茶を飲むのも面倒だというその風情はアンニュイというよりも無気力に近いかもしれない。
ニムントールのテンションの起伏の激しさを思うと、冬眠のようにテンションを溜めているのではないかと思えてくる。その隣に座ったファーレーンが髪を梳いてやると至福の表情を浮かべる。悠人が見ていたら「猫」と評することだろう。
(まぁ、いつものことだ。こんな午後には似合ってすらいるかもしれない)
視線を滑らせると、シアーがお茶請けのヨフアルを食べている。そのもきゅもきゅと食べる仕種は見る者の心に暖かいものを呼び起こす。ヒミカの口元が自然と緩んだ。
隣のネリーはヨフアルをまるまる一つほおばっている。これはこれで気持ちのいい食いっぷりだ。その向こうには惚けているヘリオン。こちらは夢見心地といった風情だ。
「はぅ~、ユートさま、かっこいいですぅ~」
何やら悠人の様子を妄^H回想しているらしい。
(…これも、いつものことだわね。想像力があるというのはいいこと…のはずなんだけど、いいのかしら、これで? ま、少なくとも幸せを感じることができるというのはいいことか)

 ヒミカは自らの育成期間を振り返る。通常、赤スピリットには強力な神剣魔法が期待されるが、ヒミカは神剣魔法が好きではなかった。
使えないというわけではないのだが、使いたくないと思っている。ヒミカは神剣に呑まれることを恐れる。神剣に呑まれるということは自分が自分でなくなるということ。
神剣に動かされるだけの生ける屍になるということ。それはヒミカにとってマナに還ることよりも恐ろしかった。
神剣魔法を使うということは神剣の力を引き出すということであり、即ち神剣に近づくことを意味する。
無論、剣撃でも防御でも神剣の力無くしては充分な効果を得ることは難しいが、技術の介入する余地がある。
育成期間からずっとヒミカは剣技を磨いてきた。神剣の力を引き出すことではなく技術を。
その甲斐あって自我を保ったまま育成期間を終え配属を迎えることができた。

 短い育成期間で配属されてきた幼いスピリットたちがヒミカには眩しい。この子たちに神剣を使わせたくない。このまま、真っ直ぐで、幸せで、輝いていて欲しい。儚い願いだと自分でも思う。
それでも。この子たちが幸せになれる世界、その可能性がある限り、この子たちの心を守るために戦おうとヒミカは思う。ヒミカ自身の幸せというものは思い描けないが、この子たちなら幸せになれるはずだ。それは希望というより信仰に近い。
そのためには生き延びるだけでは足りない。生き延びてかつ神剣に呑まれてはならない。かつてはただ恐怖からであったが、今では目的を帯びている。
レスティーナ女王はスピリットの解放を掲げているし、隊長の悠人は以前からスピリットを人間と同じだと言って憚らない変わり者だ。ヒミカはそこに希望を抱く。

 決意を新たにしたヒミカは自分の隣に座るナナルゥに視線を移した。ナナルゥは剣技こそ不得手だが、神剣魔法は並みのスピリットの比ではない。赤スピリットとしては理想的とも言える。だがそのせいか、ナナルゥは配属されてきた時から既に自我が薄かった。
大陸全土で見れば決して珍しいことではないだろうが、比較的スピリットが少なくそれ故に育成期間が短いラキオスでは珍しい。ナナルゥ以外ではアセリアぐらいか。
その強力な神剣魔法と引き換えにナナルゥは神剣に自我を喰われたのだろう。ヒミカにはそれがわかる。剣技がなければヒミカとて同じ道を辿ったに違いないのだから。だからこそ、ナナルゥを見ると胸が痛む。
喰われてしまった分の自我をナナルゥに取り戻して欲しい、どうにかして取り戻せないものかと願わずにはいられないのだ。
神剣に喰われてしまった自我を取り戻すことが可能なのかどうかはわからない。スピリットはマナの霧となるまで戦い続け自我を喰われ続けるのが常だから。
それでも、とヒミカはアセリアのことを考える。このところアセリアは口数が増えてきている気がする。ごくわずかではあるけれども。
それはアセリアの自我が回復してきていることを意味しているのではないか、それならば、ナナルゥにも可能性はあるはずだ、ヒミカは縋るようにそう考える。儚い、希望というよりもそれは祈り―――

「あぁん? ユートがカッコイイ? 何言ってんのよ?」
ニムントールの声が思いに耽っていたヒミカを引き戻した。回想に浸るヘリオンの呟きに反応したらしい。
「そりゃーもう、あの時のユートさまのかっこよかったことといったら」
同じくニムントールに現実へ引き戻されたらしいヘリオンが主張する。
「あの時ぃ~?」
「あ、ニムントールさんはあの時にはまだ配属されてなかったんでしたっけ」
「あの時っていうのはいつのことだ?」
放っておくと話が進まない気がしてヒミカは口を挟んだ。
「サモドアを制圧した後に―――」
それだけでヒミカには見当がついた。その時のことはヒミカも印象に残っている。それはヒミカにとって、ひとかけらの希望。まぁ、かっこいいというのはヘリオンの欲目だとは思うが。
「あぁ、アレね。ま、かっこいいかどうかは置いておいて、一見の価値はあったわね。」
ヒミカはとりあえずそう評しておく。
「?」
シアーが首を傾げる。
「あぁ、シアーはあの時あの場にいなかったっけ」
そう、第二詰所であの場にいたのはヒミカ、ヘリオン、ハリオン、ネリーの四人だけだった。
「もう、見せてあげられないのが残念ですよ~」
それさえ叶えばユートさまのかっこよさが証明できるのに、と言わんばかりに残念がるヘリオン。
「むぁあ…(ングッ)、見せてあげればいいじゃない」
「?」
口の中のヨフアルを飲み込んで言葉を発したネリーの言いたいことが一同理解できない。
「えっと、カオリから聞いたの。ハイペリアでは、昔のこととか、ほんとはなかったこととかを、誰かが真似してたくさんの人に見せる行事があるんだって」
「ネリー、“エンゲキ”?」
「そうそう、それそれ」
ネリーの説明を聞いてシアーも思い当たったらしい。
(ふむ――これはうまくすると…)
「ネリー、シアー、その“エンゲキ”というやつについて詳しく教えてくれないかな?」

 しばらくして、ヒミカは“エンゲキ”について概要を把握することに成功していた。ネリーの説明は要領を得ない部分があったが、シアーの補足で補うことができた。
ネリーは思考が先走って言葉が足りないことがよくある。対してシアーは言葉数は少ないが要点を突く。お互いを補い合う良いコンビだ。
(なら、あれをああして、これをこうして、それからそうして……)
「よし、わたしたちでサモドアの場面を“エンゲキ”してみよう」
頭で計算を組み立ててからヒミカはそう提案した。
(上手くいこうがいくまいが失うのは時間ぐらいだ。幸い今は時間がある。そして上手くいけば…)
「異議または質問は?」
「…はぁ、面倒」
ニムントールだ。これは予測の内だ。
「言うと思った。ニムントールは観客でいい。観るだけでいいわよ」
「……ふぅ」
ニムントール制圧。
「他?」
「あの、準備が大変だと思うんですけど?」
ヘリオンだ。浮かない顔をしている。
「別にそんなに本格的なものをやろうってわけじゃないわよ。そんなに長い話じゃない…というかすごく短いわけだし、台詞を覚えられないなんてことはない。舞台もなしでいいでしょう、居間の壁際で充分。背景も大道具も当然なし。どう、大変?」
「はぁ、それなら大丈夫だと思いますけど…」
ヘリオンの表情は晴れない。
「あなたの心配はわかってると思うわよ? まぁ、任せておきなさいって」
「はぁ…?」
とりあえずヘリオンも制圧。
「他にある? ……ないわね? それでは、決定ということで」
「なんでヒミカさん、そんなに気合入ってるんですか?」
ヘリオンが不思議そうに尋ねてくる。
「フフン。ちょっと思うところがあってね…」
ヒミカは面々を見回してみる。ヘリオンはヒミカの思惑がわからないのだろう、首を傾げている。ニムントールは観るだけということで妥協したのかダレっ放しだ。
ネリーとシアーははしゃいでいる。他は特にどうということはない。ハリオンがニコニコしているのはいつものことだ。
(ま、役割分担がまだだしね。これを乗り切らないことには話が進まない)

「それでは、役割分担を決めましょう。仕事は…監督、脚本家、ユート様役、アセリア役、エスペリア役、オルファリル役、以上六つね。
基本的には実際に見た人がやるのがいいと思うけど四人しかいないので、足りない分については見てない人でもやってもらうしかありません。
その場合はできるだけ楽な仕事を回すということで。異議は? ……はい、ないわね。それでは、最初に監督を決めて、他の仕事は監督が指名することにしましょう。監督、やりたい人?」
「はいはいはーい、ネリー、やりたーい!」
「ネリー、監督って予定立ててみんなの調整してどうしたら“エンゲキ”がよくなるか考えるんだよ? ネリー、できるの?」
「うぅぅぅぅ……できない」
お調子者ネリー、シアーの的確なツッコミに撃沈。
「他には?」
ヒミカは一同を見回すも挙手はない。
「なし、か。……それでは、わたしがやろうかと思いますが、反対は?」
ヒミカはしばし待つ。
「まぁ、ヒミカさんしかできる人いないと思いますよ? 結局」
ヘリオンが「ヒミカは監督がやってみたかったのだ」と納得した様子で言う。
(ま、当たりと言えば当たりなんだけど、ね)
「それでは反対意見もないようですので、わたしが監督を務めさせて頂きます。では、監督として演出の都合を考慮して他の役割を指名したいと思います」
場に少し緊張が走る。例外はハリオンとニムントール。ハリオンは…まぁ、ハリオンだ。ニムントールは既に観客の地位を約束されている。
(ニムントールが積極的に参加するとは思ってない。観ることを了承させた時点でこちらとしては充分だったりするのよね)
「まずは脚本家だけど…ハリオン、お願いできる?」
「はい~」
「あなたのことだからきっと覚えてるとは思うけど、忘れてるところがあったらわたしに聞いて」
「りょーかいです~、監督~」
「次、オルファリル役、ネリー、お願いね」
「えー、ネリーがオルファの真似するのー?」
「ノリ的にネリーしかいないのよね」
深く頷く他の面々であった。
「うー、わかった」
「それでは、アセリア役なんだけど…」
ヒミカは席を立ち、ゆっくりと歩く。そして、目的の場所につくと、アセリア役の両肩に手を置いて告げる。
「あなたです」

「え、え? わ、わたしが? アセリアさん?」
驚きで立ち上がりかけるヘリオンの体をその両肩に置いてある手で押し留める。一応テーブルを見回してみるが、お茶はすべて無事のようだ。
「そう、あなた。だいたい実際に見た人で残りはあなただけでしょうが」
「でもでもでも~、ナナルゥさんとかの方がよくないですか?」
(出てしまったか、その名が―――それができるくらいならどんなにか…)
一瞬天を仰いだヒミカだったが、思いを振り切りヘリオンの耳元に口を寄せると
「いい? ヘリオン。あなた、本気でナナルゥが演技なんてできると思ってる?」
それだけ言うと頭を戻した。
「そ、それは、そのぅ…」
「大丈夫。あなたの妄想^H^H想像力があればできるって」
これまたやっぱり他の面々は深く深く頷くのであった。
「あうあぅあぅ~」
「というわけで、お願いね」
ヘリオンは表情を引き締めると
「ん」
と一言だけ言って頷いた。
(あは、入ってる入ってる)
ヒミカの口元に笑みが浮かぶ。が、すぐに引き締める。そう、次は―――
「さて、と。今度はエスペリア役ね」
努めて気楽な口調を作って言うと歩き始めた。
(さて、ここがちょっと難所かしらね…)
相手の両肩に手を添え、告げる。
「あなたにお願いしたいの」
一拍、二拍、三拍…
「え? え? …………い、異議ありっ!」
セリアは叫んでテーブルを叩いた。ニムントールが飛び起きる。その背中をファーレーンの手が掴んでいる。テーブルではニムントールのお茶がこぼれていた。
(ふむ、緑スピリットの防御反射+黒スピリットのスピードか…しかしセリアのこの反応は読めなかったな。反発自体は予想してたけど)
「あらあら」
ハリオンが布巾でこぼれたお茶を拭いている。もう片方の手にお茶を持って。ニムントール以外はテーブルにお茶を置いていなかったらしく、他に被害はない。
(え?)

ヒミカは自分の席に目をやるが、そこにお茶は見当たらない。…と思ったら、そこにお茶が置かれる。ナナルゥだ。
「あ、ありがと。ナナルゥ」
ナナルゥは無言で頷くだけだ。そう、それだけのこと…
(それだけのことだけど…)
ヒミカの目頭が熱くなる。
「ど、どうしてわたしがっ!?」
ようやく我に返ったらしいセリアの声がヒミカの思いを中断する。
(おっと、今はこっちに集中しなきゃね)
「一、現場にいた人は売り切れです。
 二、監督と脚本家は現場にいた人でないとできません。
 三、アセリアはユート様の手を取って……あなた、できる? 
 四、あなた、オルファリルのあのテンションを真似できる? 
 五、あなた、ユート様の真似できるほど知ってる? 
 六、ファーレーンには、演出上非常に重要であり、ファーレーンにしかできないことをお願いします。
 では、反論を承りましょうか?」
「…………クッ、やられましたね」
テーブルに突っ伏すセリア。さすがにナナルゥやシアーに押しつける気にはなれなかったらしい。
「それでは、よろしくお願いしますよ。…と、あ、ファーレーン、そういうことなんで、後でちょっとお願いするけど、たぶんあなたなら頼まれなくてもそうするだろうことだから、安心して」
「何だかわかりませんがそういうことならば」
「ありがとう」
(やれやれ、やっとここまで来たか…)
ヒミカはヘリオンのところへ歩いて戻って後ろに立つと、最後の仕上げに取りかかる。
「いよいよ最後のユート様役ですが、これはユート様にお願いしようと思います」
「え?」
異口同音。
(そんなに驚くことかなぁ…?)

「『わたしたちで』やると言いませんでしたか?」
反論はセリアからだ。
「ま、そうなんだけどね。でもねぇ、元々の目的は『ヘリオンの言うところのユート様のかっこよさ』とやらを再現してみることなわけで。だったら、せっかく本物が近くにいるんだから、使わない手はないでしょう」
「だったらっ」
「あー、はいはい。『エスペリアも本物を使え』と言いたいんでしょう? でもね、『あの』エスペリアがこんな話に乗ると思う?」
セリア、沈黙。
「でも、ユートさま引き受けてくれるかなぁ?」
ネリーの疑問はもっともと言えるだろう。
「ま、それは大丈夫だと思うよ。問題がないわけではないけど、一応対策も考えてあるから」
「…って、え? え? てことはわたしとユートさまが…? はぅうぅうぅ~」
(っと、今頃来たか)
ふらふらと倒れるヘリオンを抱きとめる。
「おい、ヘリオン、大丈夫か?」
こくっ、こくっ。
「いや、まだアセリアにならなくていいから」
「はう~、わかりましたぁ」
ヒミカはヘリオンの体を起こしてやり、会議を締めくくる。
「ということで、この件については第一詰所には秘密にしておいて下さい。これ以上の詳細なことについては台本ができ次第、また適宜ということで、今回のところは解散としたいと思います。」
一同が引き上げ始める。
 ヒミカはお茶の片づけを始めたハリオンへ近づいた。
「というわけで、この後さっそく取りかかって欲しいんだけど、大丈夫?」
「はい~、だいじょうぶです~」
「それで、ちょっと頼みたいこともあるから、後であなたの部屋に行くわね」
「わかりました~、お待ちしております~」
ハリオンの了解を取りつけると、ヒミカはファーレーンの部屋へ向かった。

 コンコンッ
「ヒミカさんですね。どうぞ」
ヒミカがファーレーンの部屋のドアを叩くと、声をかける前にファーレーンが応えた。ヒミカは中へ入ると尋ねる。
「足音か何か?」
「いえ。ニムはもうしばらくはここに来ませんし、ハリオンさんはまだ片つけをしているでしょう。他の方がここへ来ることはまずありません。今ここへ来る可能性が最も高いのはヒミカさんでした」
「わたしが来ることがわかっていた?」
「えぇ。わたしのすることは簡単なことだと言ったにも拘らず、その場ではなく後でと言いました。誰かに聞かれたくなかったのでしょう? …おそらくはニムに。」
「はは、さすがだね。ということは、ニムントールが来ないというのは…」
「えぇ、わたしがそのように仕向けました。あなたの思惑通りに」
「お見通しだね。ま、期待通りだわ」
「それで?」
「うん。まぁ、あなたに頼むというのは、ほとんどセリアを納得させるための方便なんだけどね。まぁ、確認しておきたいことはある。」
「なんでしょう?」
「ニムントールにちゃんと“エンゲキ”を観せて欲しい。もちろん、ニムントールが来ないなんてことはないでしょう。仮にも妥協した以上、ニムントールは来る。そういう子でしょ?」
「えぇ」
「ま、あとは居眠りしたりしないように祈るのみってこと。ということで、よろしく、というわけ。ね? 言われなくてもあなたならそうするでしょう?」
「まぁそうでしょうね」
「それじゃ、そういうことで」

ヒミカはドアへ向かったが、ファーレーンが呼び止める。
「ヒミカさん、あなたは何を企んでいるんですか?」
「企む?」
「“エンゲキ”を行うことの決定、そして役割分担の決定。あなたの行動は強引だったと言ってもいいと思いますが?」
「ま、強引だったのは認めるわ。“エンゲキ”というのがおもしろそうだったから」
「………」
「なんて言っても納得しないか、あなたは」
「もちろん」
「あの場面をあなたたちに見せてみたい。いえ、見せておきたい。感じて欲しい。これからの戦いのために。いえ、戦いの向こうのために。それは、ただ話して聞かせるとか本とかでは伝えられないもの。
でも、“エンゲキ”ならば伝えられる可能性がある。特に今回は一部本物だしね」
「戦いの『向こう』?」
「そう。戦いの、その先」
「その先…」
「見て、感じて、そして考えてくれれば、私の考えてることがいくらかはわかると思うわ、
あなたなら。…そう、ニムントールの『姉』である、あなたなら」
「…いいでしょう」
「じゃ、そういうことで、ニムントールだけじゃなくて、あなたも、ね」
「わかりました」

 ヒミカはファーレーンの部屋を辞した後、自室のベッドに転がって天井を眺めていた。心情の一部を吐露させられたせいか、少し精神的な疲れを感じたからだ。
戦闘と違って、「とにかく自分が」というわけにはいかないせいもあるかもしれない。戦闘でのヒミカは非常にアグレッシブだ。幼い者たちに神剣を使わせたくないという思いが、戦闘を早く終わらせようと動かす。
それは戦闘にとっては積極的な行動であっても、ヒミカの思いにとっては消極的な守りの行動でしかない。だが今回は、ヒミカの思いにとって積極的な効果を見込める行動だ。まわりくどかろうがじれったかろうが耐えなければならない。
(…さて、そろそろハリオンのところへ行かなきゃね)
ヒミカは軽く頭を振ってから立ち上がり、ハリオンの部屋へと向かった。

 コンコンッ。キーッ。ヒミカがドアを叩くとそれは少し開いた。ドアがきちんと閉まっていなかったようだ。
「ハリオン?」
部屋の主の応えはない。ドアの隙間から中の様子をうかがうと、机に伏しているハリオンの背中が見える。ヒミカはドアを開け部屋の中に入った。机に近づくと、ハリオンの寝息が聞こえてくる。
(…まだ陽も高いうちから…)
「ん~、あら~、あらあら~?」
「おはよう、ハリオン」
「あ~、ヒミカさん~、おはようございます~」
「台本を書いているかと思って来てみれば…」
「はい~、書いてたんですよ~。そしたら~、なんだか眠くなってしまいまして~」
「…で、そのまま寝た、と」
「そのとおりです~」
(……まぁ、ハリオンだから…)
「どうせ寝るならベッドに行ってから寝るようにね」
「はい~、なんだかベッドに行くのも面倒なほど眠かったんです~」
「いや、ニムントールじゃないんだから…。で、台本はどのくらい進んだの?」
「はい~♪」
と、ハリオンが台本を差し出してくる。
「え? もうできてるの?」
「そうですよ~」
ヒミカは台本を受け取り、目を通して行く。

「……ふむ。問題なし、ね。よくできてる。それじゃ、同じのをあと三つ作ってもらえる?」
「三つですか~? 四つじゃないんですか~?」
「わたし、あなた、ヘリオン、ネリー、で四つ。だからあと三つ。ユート様の分はたぶん無駄になるでしょうし、セリアの分はちょっと変えたいのよ」
「そうなんですか~、それでは~、お渡しするのはあと二つでいいんですね~? では~、どうぞ~」
と、ハリオンが台本を二つ差し出す。
「って、え? もうできてるの?」
「はい~♪」
(…そこまでの時間はなかったと思うんだけど…考えたらダメね、相手はハリオンだもの)
「…問題があったらどうするつもりだったの?」
「でも~、問題なかったじゃないですか~」
「…ま、そうね」
ヒミカはハリオンが差し出す二つの台本を受け取った。
(…さ、さすがハリオン…)
そう、ハリオンは普段のほほんとしているが、時々、時間や仕事量から見て不可解なことをやってのける。普段ののんびりとした姿の下に恐ろしいほどの能力を隠している。
いや、本人には隠しているつもりはないのだろう。のほほんとした姿もまたハリオンの真実なのだ。どちらにせよ、通常の見積もりが通用する相手ではない。
(ま、今回はこのハリオンの超常的な能力に頼る部分もあることだし)
「それじゃ、次のお願いがあるんだけど…」
「なんですか~?」
「あのね…」

「…というわけなんだけど、お願いできる?」
「はい~、わかりました~、やってみますね~」
「ありがとう。じゃ、よろしく。…っと。セリアには台本の内容は秘密ね」
「りょうかいです~」
ヒミカはハリオンの部屋を出て、ヘリオン、ネリーの部屋を回って台本を渡す。対セリア緘口令も忘れない。自室に戻るとヒミカはセリア用の台本の用意を始めた。

 コンコンッ。
「セリア、いる?」
「はい。どうぞ」
ヒミカはセリアの部屋へ入った。
「台本できたよ」
「そうですか」
返答はそっけない。
(ま、しかたないか)
「とりあえず読んでみて」
「わかりました」
ヒミカは台本を開くセリアを眺めながら待つ。
「…なんですか、この空白は?」
ヒミカが用意したセリアの台本では、悠人とアセリアの台詞と動きを示す部分の内のかなりが空白になっていた。
「うん。本来はセリアも観る側のはずだったから、できるだけ新鮮な状態で臨んで欲しいのよ」
「意味がないのではありませんか?」
「いいえ。あなたは稽古はなしで、いきなり本番でやってもらいます」
「えぇっ!?」
「見ての通り、とても短いもので、動きもほとんどない。台詞もまぁ、覚えられないというほどのものでもないでしょう」
「しかし、わたしがこんなことを言うのですか? いえ、あのエスペリアさんがこんなことを言ったのですか?」
「えぇ、言ったのよ。…どう? 反応が楽しみじゃない?」
セリアは答えず、台本をめくった。
「それじゃ、がんばって覚えておいてね」
そう言い残してヒミカはセリアの部屋を辞した。

「はい、ま、こんなものでしょ」
夕食までの時間を有効に使うべく、ヒミカは居間でネリーの稽古の相手をしていた。そばでシアーが見物していたが、オルファリル役は動きも台詞も少ないから問題ないだろう。稽古と言ったところで確認程度のものだ。
稽古の終了を告げたにもかかわらず、ネリーはヒミカにしがみついたまま怪訝な顔をしていた。
「どうした、ネリー?」
「うーん…なんかね、ヒミカのこと『パパ』って呼んでも違和感がないんだよね…どうしてだろ?」
「?」
珍しく考え込みながらネリーが説明するが、ヒミカにはよくわからない。ヒミカまで考え込み始めたがそのとたん、
「パパ~♪」
そう言ってシアーが飛びついてきた。
「おっ、おい」
突然のことにヒミカは抗議するが、シアーはスリスリと頬をヒミカにこすりつけると、
「…ほんとだ~、違和感ないね~♪」
とネリーの感覚を肯定した。どうやら自分で検証してみたらしい。
「おいおい、『パパ』って男の親のことなんでしょう? 男か女かで言えばわたしは女のはずなんだけど」
(それに……)
スピリットには親というものが存在しない。スピリットの生まれる過程はよくわかっていないが、人間のように親から生まれるわけではないらしい。
「それじゃ、セリアはどうなのかな?」
「違うよー」
試しに聞いてみるも、ネリーはすぐに否定した。
「うーん…ファーレーンは?」
「やっぱり違うと思うなー」
これまた否定だ。どうも年長者が該当するというわけでもなさそうだ。それでも一応、と思い聞いてみる。
「それなら、ハリオンは?」
「ぜんっぜん違うよーっ」
力強く否定されてしまった。と、ここでシアーが口を挟む。

「ハリオンさんは、『パパ』じゃないけど、『ママ』かな?」
「『ママ』かー。…うん、ハリオンは『ママ』だねー」
今度はネリーがシアーの感覚を肯定した。
「えーと、その『ママ』というのは何?」
「女の親のことだってー」
その『ママ』というハイペリアの言葉はヒミカにとって未知のものだったが、ネリーの説明でヒミカは理解した。スピリットであるから親というものについて実感はないが、知識として人間の生態はある程度知っている。
「それならわたしも『ママ』じゃないの?」
とヒミカは聞いてみるが、
「違うよー。ヒミカはやっぱり『パパ』だよー」
「ヒミカさんは『ママ』だと違和感あるよ~」
二人同時に否定されてしまった。
「ううん、何だかなぁ…」
シアーを見ると何やら考え込んでいる。ヒミカがしばらくその様子を見守っていると、やがてシアーは「うん」とひとつ頷くと結論を告げた。
「あのね。きっと、『パパ』と『ママ』の違いって、男か女かだけじゃ、ないんだよ。それで、そこが、ヒミカさんが『パパ』で、ハリオンさんが『ママ』なんだよ。きっと」
ゆっくりと自分で確認するようにそう言って最後にまた頷くシアー。
(…まぁ、シアーがそう結論を出したのなら、きっとそうなんだろうな)
ヒミカは二人の感性に信をおくことにしている。特に、そこからシアーが考えて出した結論には。
「…もぅ、好きにして」
じゃれついてくる二人の頭を撫でてやりながらヒミカは考える。親というものを持たないスピリットではあるが、二人はその鋭い感受性で「親のような何か」を感じ取ったのだろう。それならそれでいい、ヒミカ自身にはそれが何だかわからないとしても。
 そんな思いに耽っていたヒミカを引き戻したのは戸口からかけられた声だった。
「そろそろお夕飯ですよ~」
見ると開けられたドアのところにハリオンが立っている。ネリーとシアーは駆けて行くとハリオンに飛びついた。

「ママー」
「ママ~」
「あらあら~♪」
ハリオンは動じることもなく二人を受け止めて告げる。
「さぁ~、食堂へ行って下さいね~。もう他の方はそろってますから~」
「はーい」
「は~い」
よいこのお返事をして駆け出す二人を見送って、ハリオンはヒミカを促した。
「さ~、パパも早く来て下さいな~♪」
「なっ…」
(…聞いてたのか)
ヒミカはガックリとうなだれた。
「さぁさぁ~、ヒミカパパ~♪」
「やめて。『ママ』にまで『パパ』と呼ばれると洒落にならないから」

 ボフッ。
ヘリオンの部屋から自室に戻ったヒミカは仰向けにベッドに転がる。
ヒミカは夕食後の時間をヘリオンの稽古に当てていた。稽古といってもヘリオンの場合、妄想^H^H想像力の暴走で倒れないように、というのが主な課題だったが。何度か繰り返すことによってどうにか耐性がつき、アセリアっぽさも向上を見た。
「あとは本物相手で大丈夫かどうか、ね…。ま、準備としてできるのはここまででしょう」
 そしてこの後のことに考えを転じる。休息期間であるとはいえ、悠人には会議等の職務もあることを考えると、説得を行う前に他の準備は終わらせておき、スケジュールに柔軟性を持たせておきたい。
そのためには、セリアにはぶっつけ本番と言ったが台詞を覚えたことの確認ぐらいはしておくべきか。
「あとはハリオンがあれを完成させれば残るは説得のみ、ね」
検討を終えて、ヒミカは眠りに就いた。

 翌日、昼食を終えて自室へ引き上げようとしたヒミカをハリオンが呼び止めた。
「ヒミカさん~、あれできましたよ~」
「えっ、もう!?」
「はい~。まだ覚えたわけではありませんが~、昨日の内に対応表ができましたから~」
(いや、それも早いでしょ)
ハリオンの不可解な瞬間最大風速は納得はしないまでも、そういうものだと思うことにしている。しているのだが、こうも続けてだとさすがに不安になる。
「あなた、体は大丈夫なの?」
「はい~? わたしは~、元気ですよ~?」
昼食の前にヒミカはセリアの部屋へ行き、セリアが台詞を覚えたことを確認してあるから、これで悠人を説得できればいつでも決行可能な状態になったことになる。
(…決行は明日以降にした方がよさそうね)
ハリオンの場合、倒れるときもニコニコしたままで「あらあら~♪」とか言いそうな気がしてしまう。
「それじゃ、ユート様の説得にかかりますか」
「はい~」
決行はともかく、スケジュールの確保は早めにしておくべきだろう。

 ヒミカとハリオンが第二詰所の玄関を出た所で悠人が歩いているのが目に入った。幸いエスペリアはいない。これぞマナの導きと声をかける。
「ユート様、こちらへ」
「?」
悠人は怪訝な顔をしたが第二詰所へ足を向けた。
「何だ? 今度はヒミカか?」
どうやら悠人は誰かに呼び出された戻りだったようだ。
 悠人を第二詰所へ引き入れるとヒミカは切り出した。
「ユート様にお願いしたいことがありまして」
「何だ? 第二詰所の運営についてだったらエスペリアの方が…」
「いえ、そういうことではないんです。第二詰所の親睦を深めるために、ユート様にご協力頂きたいんです」
「俺? どうして…というか、何をするんだ?」

「はい、実は“エンゲキ”というものをやってみようと思っていまして、ぜひユート様にやって頂きたい役があるんです」
「演劇!? 何だってまた……ファンタズマゴリアにまで追いかけて来るとは…」
「?」
悠人がガックリとうなだれるが、もちろんヒミカたちにその理由がわかるはずもない。
「いや、俺には演劇なんてできないよ。台詞とか覚えられないし」
「いえ、そんなに長い話ではないんです。話というより一場面ですから」
「だいたい何をやるんだ?」
「題は『陥落したサモドア王城にて、その一場面』で、内容はサモドア陥落後のユート様とアセリア、エスペリア、オルファリルの会話です」
「そんなの演劇でやるようなことか?」
「もちろん、意味があるからやるんですよ」
悠人が心底不思議そうな顔をするが、ヒミカは即答でねじ伏せる。
「それでいったい俺に何をさせる気なんだ?」
「もちろん、ユート様役です。せっかく本人が近くにいるわけですから」
「俺が俺役? それって演劇になるのか?」
「もちろん、他の役は第二詰所の者が担当します。しかし、唯一の人間かつ男性であるユート様の役はユート様にやって頂かねばならないのです」
「人間とかスピリットとかは関係ない。だいたい演劇なんだから誰がやったっていいじゃないか」
「いえ。これは演出上、非常に重要なのです」
「やらなきゃだめか?」
「だめです」
「はぁ、仕方ない、か…」
最終奥義「演出上の都合」に悠人が折れる。
「それで、稽古はどうするんだ?」
「いえ、ユート様は会議等もあるわけですからあまりお時間を頂くわけにもいきません。
というわけで、直接本番でやって頂きます」
「おいっ、いくらなんでもそれは無茶だろ!?」
「人は同じ状況にあれば同じ判断をして同じ行動をする、と言います。同じ状況のつもりになって頂ければ同じような行動をして頂けるはずです。それに、細かい言葉は問題ではありません。大事なのは気持ちと雰囲気です。」
「しかし…」
「それに、こちらで指示を出させて頂きます」
「って、俺、ヨト語の文字なんて読めないぞ? いちいち声で指示してたら演劇にならないだろ」
「それは大丈夫です。ハリオン、あれを」
「はい~」

ハリオンが丸めて脇に抱えていた大きな紙を広げると、そこには大きな片仮名で何やら書かれていた。
「これは…片仮名、か。…しかしデタラメだな……ん? これはもしかして?」
「はい。聖ヨト語の文の読みをハイペリアの文字で表わしてあります」
「……一昨日のはこのためだったのか」
一昨日ハリオンが「ハイペリアの文字を教えてくれ」と言ってきたときは「ユート様が読める書類を書けるようにするため」と言っていたが、目的はこれだったらしい。
「そうだったんです~♪」
少なくとも半ばは騙されたことになるのだが、あっけらかんとしたハリオンの笑顔の前に悠人は怒る気力を失くしてしまう。
「でも、俺、大勢の前に立つのは苦手だし…」
「大丈夫です。観客は第二詰所の数名だけですから」
悠人の最後の抵抗もあっさり突破されてしまった。
「というわけで、ご協力頂けますね?」
「……わかったよ」
「それでは、明日以降でお時間を頂けそうなのはいつですか?」
「う~ん、明日は晩に会議があるからその前に準備をしなきゃならないな……明後日の午後なら大丈夫なはずだ」
「では、明後日の昼食後にしばらくお時間を頂くということで」
「あぁ、そうしよう」
「それと、いろいろ面倒ですので、この件については第二詰所以外にはお話しにならないようお願いします」
「ん、まぁそうだな」
「それでは、明後日の昼食後にこちらへお越し下さい。本来ならばお迎えに上がるべきではありますが、注意を引かない方がよろしいと思いますので」
「あぁ、わかった」
「ありがとうございます」
ヒミカは一礼して悠人を見送った。
(やれやれ。これでどうにか準備は終わったな…)
 自室へ向かうべく振り返ると、ハリオンの姿がない。
「ハリオン?」
「すぅ~」
辺りを見回すと、座り込んで寝息を立てるハリオンの姿があった。
「おやおや。やっぱり昨日今日とハード過ぎたみたいね。…決行が明日じゃんくて明後日になったのは好都合だったかな」
ヒミカはそっとハリオンを抱きかかえると、起こさないようにゆっくりとハリオンの部屋へ運んで行った。

 翌々日、演劇決行時刻。
悠人は第二詰所の居間の外で待機させられていた。ドアは開け放たれていたが、悠人がいる所からは部屋の中は見えない。悠人とドアの間にはハリオンが立っている。ハリオンには部屋の中が見える位置だ。
待機している間に、ヘリオンがアセリア役であること、セリアがエスペリア役であること、ネリーがオルファリル役であること、台があるわけではないが入ってすぐが舞台であること、入って斜め奥の観客の後ろにヒミカがいて指示を出すこと、等を説明された。
(しかし、こうまで徹底して出たとこ勝負ってのは、ある意味普通の演劇よりも緊張するな…)
悠人が手のひらに「人」という字を書いて飲み込む仕種を繰り返していると、ヒミカの声が聞こえてきた。
「聖ヨト暦330年 スリハの月 青ひとつの日 昼、ラキオス王国スピリット隊は激しい攻防の末、ついにバーンライト王国首都サモドアを陥落せしめました。
後方で控えていたラキオス王国兵士が駆け込み勝どきを上げる中、戦いを終えてその場にうずくまるアセリア。ユート様は急いでアセリアに駆け寄ります」
その前口上が悠人の記憶を呼び起こしてゆく。
「さ~、ユートさま~、出番です~」
 ハリオンに促され、悠人は覚悟を決めて居間へ入る。と、服を血に染めたヘリオンの姿が目に飛び込んで来た。咄嗟に駆け寄る悠人。
「大丈夫かっ、ヘ……アセリア!」
思わずヘリオンと呼びかけそうになったが、どうにかこれが演劇なのだと思い出した。ヘリオンの服の血からは金色の霧が出ていない。どうやら染料か何かのようだ。悠人はほっと胸を撫で下ろす。
(ふぅ、心臓に悪いぞ)
悠人の後から中に入って移動したらしいハリオンとヒミカの方をジロリと睨んでやるが、ヒミカが手にした指示書には「演出です」と書いてあった。
(演出って…悪趣味だぞ)
怒鳴ってやりたいところだが、そういうわけにもいかない。
(えーと、たしか手を差し伸べたんだったよな…)
「……ん。べつに」
ヘリオンはそっけなく答えた。声も姿もヘリオンに違いなかったが、その口調と表情はアセリアを思い起こさせ、いつものころころと表情を変えるヘリオンの面影はない。
(…すごいな、ヘリオンにこんな才能があったとは…。えーと、次は…)
ちらりとヒミカの方に目をやり確認して続ける。

「いくらなんでも無鉄砲すぎるぞ!」
「…………」
「あんなことを繰り返してたら……いつか死ぬぞ」
「別に、いい……」
ヘリオンは無表情のまま『失望』を握りしめ、横を向く。いつものヘリオンならこんなことは言わない、これは芝居なのだ、とわかっていても、その言葉は悠人の胸に哀しみを送り込む。芝居であることを忘れそうになる。
「アセリア、ユート様に対して失礼でしょう。ユート様はわたくしたちの主人なのですよ。ユート様の言うことには従わなければなりません」
客席――といってもすぐ側の床に座っているだけだが――にいたセリアが立ち上がって台詞を口にした。
と、これもいつのまにか立ち上がっていたネリーがオロオロしている。その目にうっすらと浮かぶ涙は演技ではなくセリアの迫力を受けてのものかもしれない…
「いいんだ。俺は気にしないから」
「しかし、隊長命令を、主の命令を聞かないのは、スピリットとして許されないことです。わたしたちは戦うための存在なのです」
セリアの言葉が素になっていた。その芝居ではなく本心からの言葉が悠人の哀しみをかき立てる。セリアがなおも言葉を重ねようとするのを腕と視線で止める。
「いや、いいんだ…悪いけど、黙っていてくれ」
ハッと我に返るセリア。
「…は、はい、申し訳ありません」
心なしかその頬に赤みがさしているように見えるのは気のせいだろうか。
「なぁ、アセリア……俺はまだみんなのことは良く分からない」
演目が何故この場面なのか、何故ヒミカが悠人にこだわったのか、悠人はようやくわかった気がした。
「でもさ、俺、この世界に来て。みんなに助けられて、励まされた。こうしていま、俺が生きていられるのはみんなのお陰なんだ」
「ユート様…」
「パパー」
みんなの顔を見回す。ヘリオン、セリア、ネリー、シアー、ナナルゥ、ファーレーン、ニムントール、ハリオン、ヒミカ――
「まだ出会ったばかりだから、俺はみんなのことをもっと知りたいと思う……ええと、何て言ったらいいのかな」
そうだ、あの場にいなかった者たちにも伝えておかなければならない。
「確かに俺たちは、戦うことができる。でも、それだけじゃないはずだ。お前の手だって、剣を握るためだけにあるんじゃないと俺は思う。」
「…………わたしの、て?」

ヘリオンが片手を剣から離して、ジッと手のひらを見つめる。セリアもまた、手のひらを見つめている。悠人は心の中でその場の全員に語りかける。
(そう…スピリットも人も同じなんだよ、何も違わないんだよ)
「俺たちはこの世界の人間の言うままにたくさんの殺し合いをしてきている。そんな俺たちがこんなことを望んじゃいけないのかもしれない……でも、俺はみんなに死んで欲しくないんだ。これ以上大切な人を失いたくないんだ、もういやなんだよ、近くの人が死ぬのは…」
「ユート……。ユートは、わたしに生きていて欲しいのか?」
アセリアの口調でそう言って視線を悠人に向けるヘリオンの表情はかろうじて不思議そうな表情を浮かべていたが、その瞳にはじわりと涙が見える。
「…わたしは、…戦うことしか知らない。…そのために生きている。マナの霧になるまで、戦う……それが、わたし」
微かに声が震え、途切れがちになりながらも演技を続けて頷くヘリオン。
「そんな寂しいこと言うなよっ! 戦うために生まれて…死ぬために生きるなんて……そんなの、哀し過ぎるだろ?」
「戦うこと…それ以外にも…わたしが…生きる…理由が…ある?」
既に半泣きで、それでも必死に堪えて問いかけるヘリオンに、力強く頷く。
「ああ、きっと、きっと何かあるはずなんだ」
もはや、悠人にとってこれは芝居ではない。
「じゃあ…わたしは…何を…すれば…いい?」
「それは、俺にもわからない。きっとお前自身にしかわからないことなんだと思う。俺は大切な人たちを幸せにするために生きようと思う。今は守るために、剣を振るう。
でもお前には、お前の何かがきっとある。戦い以外の何のために生きているのか…とかさ。だから、簡単に命を捨てるようなことはやめてくれ」
「…………」
ヘリオンはしばらく自分の手をみつめ、やがてゆっくりと顔を上げた。その瞳からは涙がこぼれる。
「ん。わかった。…ユートさまがそう言うなら…わたしは、生きてみます」
悠人の手にそっと自分の手を重ねるヘリオンは、ここにきてついに演技が崩れてしまったことも気づいていないだろう。
「ああ、俺たちは生き延びようぜ。この先に何があっても。どんなことがあっても」
「…はい」
その瞳からはとめどなく雫が溢れ続ける。

「…ユート様…ユート様は、変わりませんか? …力を持ったことで、変わって行きませんか?」
問いかけるセリアの声は僅かではあるが震えている。
「スピリットは戦うためだけに存在している…それは事実です。…それでも、ユート様は、戦い以外に生きろ、と?」
「わからない…俺はスピリットじゃない。だけど俺は、みんなが戦うためだけに生きるなんて、嫌なんだ。俺にとって、みんなは、人間とかスピリットとかじゃない、そう、仲間、なんだから。人間もスピリットも関係ない」
「…………」
セリアは俯いて考えている。その視線の先には手のひら。
「だからさ、無茶はしないでくれ、な?」
笑顔をヘリオンに向けて、だが心は全員に向けて、諭すように言う。
「……ん」
アセリア風に戻って、ヘリオンは頷き、悠人の手を取って立ち上がる。
「ユートの手……あったかい……」
「はは、そんな籠手つけててわかるのかよ」
「……ん。なんとなく……」
ヘリオンは小さく呟いて悠人の手を放す。
「アセリア、エスペリア、オルファ、行こう。ラキオスに帰ろう」
こくっ。ヘリオンが頷く。セリアが我に返って頷く。
「うん♪」
ネリーがその場で力一杯飛び跳ねる。

(…さて、これでこの演劇じゃない演劇も終わりだな。ヒミカには感謝するべきかもな)
と悠人はヒミカの方を見やり―――見てしまったことを後悔する。
(…な、何を考えてるんだっ! 感謝は撤回だっ!!)
ヒミカは指示書をペシペシと叩いて「ほれほれ」と言わんばかりにニヤニヤしていた。となりにいるハリオンのこちらはいつもと変わらないはずの笑顔にも、今は悪意を感じずにはいられない。その指示書には…「アセリアを抱きしめてキス」という指令が……
(んなことできるわけないだろっ、断じてできんっ!)
と思いつつも、エンドコールがかかっていない状況で感動に包まれた観客の雰囲気をぶちこわしにする度胸もない。あのいつもアンニュイなニムントールまで瞳を潤ませているという状況なのだ。
しかしエンドコールをかけるべき者は無茶な要求――少なくとも悠人にとっては――をつきつけニヤついている。
(あぁっ、ここで怒鳴れない俺はやっぱりヘタレなのか? そうなのか?)
そう自問する悠人の頭に選択肢が浮かんだ。
    1.しちゃう
    2.なにがなんでもしない
    3.妥協してごまかす
しかし、選択もなにも答えは決まっている。それがヘタレのヘタレたる所以。
(えぇいっ、ままよっ)
悠人は一瞬ヒミカを強く睨んでから、両手でヘリオンの頬を包むと、その額に口づけた。
「…へ?」
素の声を上げるヘリオン。まだ何が起きたのか理解できていない。悠人は当然として、ヘリオンもまたこの展開は知らなかったのだから無理もない。
 と、そこで、ヒミカが演劇のエンドコールがかかった。
「こうしてラキオス王国スピリット隊は帰還の途に就きました。以上で『陥落したサモドア王城にて、その一場面』は終わりとさせて頂きます」
満場の――といっても少人数だが――拍手が降り注いだ…