癒えぬ病

第一章

セリア・ブルースピリットがエトランジェ悠人率いるラキオススピリット隊に配属されたのは、
拠点となるリモドアの制圧を成功させ、サモドア山道からの奇襲部隊を退けたときだった。
同時に配属されたナナルゥ・レッドスピリットとの働きが無ければ、
奇襲部隊を退けることなど出来ず、バーンライト王国に白旗を上げていたといっても過言ではない。
ファンタズマゴリアにおける戦争とは、スピリットの運用なのだ。代理戦争を行うスピリットは、
まさに使い捨ての兵器。あるいは、人間のためにしか働けぬ哀れな奴隷か。
その現実を改めて知らされ、高嶺悠人は深いため息をついた。
「はぁ……。みんな命をなんだと思ってるんだよ」
答えなど決まっている。
悠人がスピリット隊隊長になってから、他人行儀になったエスペリアなら、
――私たちは戦いの道具です。
震える声で、そう主張するのだ。自身さえ納得していないのに、どうして悠人が納得できよう。
自身さえ嘘だと理解しているのに、どうして悠人がその嘘に引っかかるのか。
思い出すのは、リモドアの制圧の際に自分の言うことを聞かず、
敵陣に突っ込んでいったアセリア。サモドア山道からの奇襲部隊との戦闘で、
明らかに敵スピリットを屠ることを楽しんでいたオルファ。
やはり、自分が隊長として未熟なのか。悠人はそう思わざるを得ない。
アセリアやオルファ、エスペリアたちに信用されてないのでは……?

そんな考えが浮かんでは消え、また浮かぶ。堂々巡りの思考は解決策が全く見当たらず、悠人はそのたびにため息をついた。
「考えてもしかたない。……行動あるのみか」
ベッドから立ち上がり、『求め』を背負う。『求め』からの干渉は酷いが、
まだ我慢できる範囲だった。元々、永遠神剣がなければ悠人は普通の人間でしかない。どんなに酷くとも、
『求め』の干渉には耐えなくてはならなかった。
ドアを開け、廊下に出ようとする。と、
「セリア……?」
セリアがドアの前に立っていた。
なにやら苦悩していたようで、ドアを開け、話し掛けてきた悠人をじと目で見て、
「……エスペリアが呼んでるわ。緊急だそうよ」
「緊急……?」
「詳しいことは聞いてない。……けど、レスティーナと話していたから、バーンライト王国に関連しているのは確かね」
一種の軽蔑を含んだ視線でそう言うと、
「急いだら?」
「あ、ああ。さんきゅ」
セリアの物言いに戸惑った悠人は、片手を上げ走り去った。
悠人の背中を眺めながらセリアは、
「莫迦莫迦しい。なんで、わたしがあいつの部屋に入るのに戸惑わなくちゃいけないのよ」
そう吐き捨てると、悠人とは逆方向に歩きだした。

悠人が向かっているのは謁見の間。会いたくもないどころか、
殺意さえ消えぬラキオス王の前に跪かなければならない現実は、
悠人にとって悪夢でしかなかった。
その悪夢は佳織という存在が多分に関与しており、悠人は佳織を、佳織は悠人への
罪悪感を少なからず抱いていた。兄は義妹を守ることが出来ぬ歯がゆさを。義妹は己のせいで戦場へと赴く兄に。
けれど、二人は救いがあった。佳織はレスティーナ、悠人はエスペリア。
ファンタズマゴリアという現実に打ち勝つための救い。
永遠神剣第四位『求め』。エトランジェ。スピリット。
不安材料こそあるものの、悠人は自らが行うべき事柄が理解でき始めていたし、
佳織はレスティーナの元で知識を高めていた。
だけれども、
「ユートさま。ラキオス王から、バーンライト王国陥落戦の説明がなされます」
斜め後ろをぴったりとついて来るエスペリアは、どこか他人行儀で、
以前のような暖かさは感じられなかった。それは態度からも明らかで、何かと距離を置きたがり、
悠人を避けているとも言えた。
「ラキオス王はリモドア制圧。奇襲部隊戦の成果に大変満足されているご様子です。
……バーンライト王国陥落戦の指揮は、引き続きユートさまに任せると仰られております」
「だったら、いちいち謁見の間に向かう必要あるのか?」
ラキオス王にも敬語を使うエスペリアに、何故か嫉妬心を感じた悠人はそれを押し隠すようにして尋ねた。

「ラキオス王は、帝国のスピリットに酷い危機感を抱いております。……その忠告も含めて、
バーンライト王国陥落戦の最終決定を行うのでしょう」
慇懃無礼なエスペリアの答えに、「酷い危機感か……」と悠人は呟いた。
ラキオス王にとって、自分を含めたスピリットたちは利用するための道具でしかないと、
悠人は思っていた。そして、それは間違いではないとも悟っている。
あの他人を見下したような目。自分が頂点とでも誇示するかのような態度。
思い出すだけでも気分が悪くなるソレは、確かにラキオス王の本性。
それが、帝国のスピリットに酷い危機感を抱く? 解釈は二通りある。
帝国のスピリットがラキオスのスピリットより強力で、保有マナをエーテルに変換しよう
とも太刀打ちが出来ない場合。もう一つは、
「ユートさま。謁見の間に着きました。……前にも説明しましたが、
今は耐えるときです。どんなに辛くとも、耐えてください」
――ラキオス王の狙いが、帝国のスピリットに阻まれるかもしれぬ、ということ。
答えなんて決まっている。前者と後者を量りにかけたときに、傾くのは確実に後者。
だったら、ラキオス王の狙いは何なのか。バーンライト王国? それからのダーツィ大公国?
全てが正解で、誤りのような気がする。それが意味するのはつまり、
「考えても判んないよな」
達観するように悠人は呟くと、
「判ってる、あの時は助かった。あんな風になったら、また助けてくれ」
悠人はエスペリアの方を向き、「エスペリア。行こうか」
悪夢へと続くドアを開けた。

謁見はそれほど時間が掛かるものでは無かった。
呆気ないといえば呆気ない終わりに、不審感を覚えたほどだ。
ラキオス王は終始ご満悦で、その下衆のためにスピリットを殺し戦争を指揮して
いかなければならない事は、やはり悠人にとって苦痛でしかない。
そこには佳織のためという大義名分があったが、悠人も気づかずにいるほど間抜けではなかった。
それは言い訳。この世に残った唯一人の肉親を守るためとはいえ、殺人は許されぬ行為だ。
それでも悠人は、許されぬ行為を続けるしかない。義妹を守る方法が他には皆目検討もつかないのだから。
そんな訳で、悠人は七日後から開始されるバーンライト王国陥落戦――サモドアの制圧――について、
エスペリアと作戦を確認し直そうと考えていたのだけれど、
「まいったなぁ。エスペリアは何処に行ったんだよ……」
ラキオス王の謁見が終わった途端、掻き消えるように居なくなってしまったのだ。
第一詰所に戻っているのかと思い、急ぎ足で帰って見てもエスペリアは居なかった。
買い物に出た可能性もあるから、部屋に居たアセリアに聞いてみたが、誰か帰ってきた気配は無かった、
と言っていた。永遠神剣の雰囲気に、過敏に反応するアセリアのお墨付きだ。エスペリアが
第一詰所に戻っている可能性は無いに等しい。
ならば、すれ違いになったのかと謁見の間に戻り、近くを歩いていた
兵士――サードガラハム討伐から少し態度が変わっている――に聞いてみても、知らない、見ていないとの一点張り。
心当たりを回って見てもエスペリアの姿は無く、最後の場所として、悠人は第二詰所の前に立っていた。

「確か、造りは第一詰所とほぼ同じはずだったよな」
少しドキドキしながら、ドアを開ける。バーンライト王国戦が始まってから、第二詰所
のスピリットも少なからず悠人率いるラキオススピリット隊に配属されている。けれど、
悠人は第二詰所に来たのは初めてだし、こうして入るのも初めてだ。
よし、と決心して踏み出そうとした瞬間――
ちゃきという音ともに、首元に永遠神剣が突きつけられていた。
「……なんのよう? 内容如何によっては、このまま突き刺すわよ」
溢れ出す殺気を微塵も殺さず、セリアが問い掛けてきた。その目は本気であることを告げていて、
だから悠人は微塵も動けず、息を詰まらせるだけだった。
冷や汗が流れ出し、背中を濡らす。しどろもどろになりながら、
「えっと、あー、……エスペリアを、探していてさ。いろんな場所回ったんだけど、
いなくて、……第二詰所にいるかな、と思って」
拳銃を突きつけられた犯罪者のように両手を挙げ、悠人は弁解する。
その弁解を聞いたセリアは、緊張を解かず、
「……来てないわ」
簡潔に、悠人の弁解に対する答えを発した。

「んじゃ、……永遠神剣外してくれないか?」
「……出来ないわ。あなたの事信用していないし、そもそも第四位ならわたしの第七位くらい
軽くいなせるはずよ」それにね、とセリアは付けたし、「ドアの前でも十分に殺気を放っていたのよ?
あなたの『求め』から忠告、もしくは警告が出ていたはず。それでも、のこのこ入ってきた輩
を信用しろと? わたしには無理ね」
バカ剣がぁ……、と悠人は歯噛みした。ある意味八つ当たりに近かったが、
この状況で『求め』を恨まずにいられるほど悠人は人間が出来ていない。
「……だったらさ、どうしたらいい?」
「さあ? わたしに聞かないで欲しいわ。それよりも、いつまで騙し続けるつもり?」
「騙し続ける?」
何言ってるんだ? とばかりに悠人は目を見開いた。
それをブラフだと受け取ったのか、セリアは声をすこし荒げて、
「ふざけないで! 技術が未熟だという事を踏まえても、エトランジェとしてあなたは弱すぎるわ。
今もそうだし、どう考えてもサードガラハムを倒せるとは思えない。……だったら、わたしたちを騙している
と考えるのが当然でしょう?」

そう言われてもな、と悠人は思った。サードガラハムを倒せたといっても、その後の『求め』の干渉は
本当にギリギリだった。いつもあんな風に戦えと言われても、許容できるわけが無い。
だが、そこら辺をセリアに説明する事は出来ない。そんな事をしたら、エスペリアに
心配掛けまいと努力したことが水の泡だし、疑心暗鬼とも取れるセリアが納得してくれるには
あまりに都合が良すぎる。
苦悩する悠人を睨み付けたセリアは、『熱病』を逆手に持ち、腰に着けた。
「……わかったわ。今のところは、あなたに従う」
次は殺す、とも取れる言葉を発し、くるりと反転したセリアはそのまま第二詰所の中に入っていった。
それを、未だに両手を挙げたままの悠人は眺めながら、
「バーンライト王国陥落戦は、俺とアセリアと、……セリアがメンバーなんだけど」
ポツリと、呟いた。

エスペリアは、第一詰所に帰っていた。