癒えぬ病

第二章

念の為、ラセリオにはヘリオンとシアーが待機している。無いとは思うが、奇襲部隊が
何処かに潜んでいた場合、再び都合よく防げる保障はないのだから。
『ユート様。情報に無い部隊があるとのことなので、その部隊には特に警戒が必要です』
エスペリアが、作戦前夜に言っていたことを思い出す。――情報に無い部隊。一体、どんなスピリットなのか。
首都サモドアが見えてきた。サモドア平原の方を見遣ると、エスペリアたちが
陽動を行っているらしく、何人かのスピリットが戦闘を行っていた。
そろそろだな、と悠人は呟く。これ以上の悠人たちの進軍は、バーンライト王国にとってマイナスでしかない。
仕掛けてくるなら、今。『求め』も永遠神剣の気配を知らせてくる。距離は判らないが、数は二。斜め右方向――
「……行く!!」
そこまで悠人が察知した時、距離も掴んだのか、アセリアがウイングハイロゥを
展開し跳ぼうとしている所だった。止めようとした悠人に、微塵も注意を払わずアセリアが跳ぶ。
「ちっ!!」
思わず舌打ちをした悠人は、セリアを見遣りアセリアを追う。
残像すら残して駆ける悠人をチーターと称するなら、ウイングハイロゥの推進力を生かして
跳ぶアセリアは、まさしくミサイル。
そのまま敵陣に突っ込むと思われた飛翔は、敵スピリットに阻まれた。
居合の構えから繰り出される神速の一撃を、アセリアは瞬間的に作り出した水の壁で相殺する。
居たのは、ブラックスピリットとレッドスピリット。飛び出してきたアセリアを驚く事も無く迎撃したその
手法は、まさに芸術。
けれど、アセリアにはそんな事どうでも良かった。タン、と着地するやいなや地を這う蛇のように
ブラックスピリットへと肉薄する。しかし、既に鞘へと永遠神剣を収刀したブラックスピリットは、
不用意に間合いへと侵略する痴れ者へと、死の制裁を加えた。
――ように、見えた。

「――――な」
驚愕の声は、知らず悠人の口から漏れた。
どう見ても避けられるとは思えない必殺の一撃は、なぜかアセリアを断つ事はなく、逆にブラックスピリットを
マナへと帰した。もし悠人がアセリアより前に居たのなら、驚愕の声を漏らすこともなかったろう。
ブラックスピリットの永遠神剣は総じて刀の形をしている。自然、ブラックスピリットの行う技も抜刀術に
近いものとなり、剣の軌跡さえずらすことが可能ならば、致命傷にはならない。アセリアはそれを
行ったのだ。自身のウイングハイロゥを使い。
たった一瞬の出来事で仲間をマナに帰されたことに、何の感慨も浮かばないのか、漆黒のスフィアハイロゥを
展開しているレッドスピリットは、
「すべての根源であるマナよ。マナの支配者である永遠神剣の主として命ずる」
永遠神剣をアセリアへと向け、言葉を紡いでいた。
――ヤバイ!
ブラックスピリットを屠ったばかりのアセリアは体勢が崩れていて、レッドスピリットの駆る
魔法の標的にされている。
反射的に駆け出そうとする悠人を留めるように、セリアが前にでる。必死の形相の悠人を冷めた目で見ると、
「……無駄。紡がれる言葉、そしてマナの振動すら凍結させよ……アイスバニッシャーッ!!」
腕を突き出し、レッドスピリットよりも先に己の魔法を行使した。
効果は顕著だった。一気に絶対零度まで下がったと錯覚させるようなソレは、レッドスピリットを一瞬で
凍結させた。凍りついた状態はすぐに戻ったが、その時にはレッドスピリットの命運は決まっていた。
レッドスピリットの体勢は大きくずれていた。それは、隙。アセリアがそれを逃すはずがなく、『存在』が
風を切る音だけが空しく鳴った。回避不能の一撃は、やはりレッドスピリットを金色のマナに帰した。

は、と悠人は息を吐いた。時間にして十秒も経っていない。まさに刹那。ブラックスピリットを
技量のみで屠ったのがアセリアならば、そのアセリアを完璧にサポートしたのがセリア。悠人に出番
は無く、ただただ現前の光景に圧倒されるだけだった。
それで、気づいた。エスペリアが、アセリアとセリアを組ませる事を、なんであそこまで
こだわったのかという事に。
おそらく、アセリアとセリアは共同で何らかの任務、あるいは訓練を行っていたのだろう。
でなければ、あそこまで完璧なコンビネーションは不可能に近い。
放心状態の悠人を無視し、アセリアがサモドアへ向かって駆けて行く。
その表情は真剣そのものであったが、悠人にはこの上も無く恐ろしいものに思えた。自分の命を全く顧みることなく
行動するアセリアは、喩えるなら戦場を駆ける死神。悠人は、アセリアを含むスピリットの異常性を、再認識せざる
を得なかった。
「……あなた、なんの為の隊長なの?」
セリアが、問い掛けてくる。鷹揚がないその口調に含まれるのは、明らかに軽蔑。そこに含まれる意図に
悠人は気づいていた。悠人は、アセリアがブラックスピリットに殺されるのではないかと
あの瞬間、恐れた。それゆえ、冷静な判断を下せなかったと、セリアは糾弾している。答えない悠人と、駆けて行く
アセリアを見て、
「今は作戦中だから、別にどうこうしないわ」ジロ、と悠人を睨みつけ「けど、役立たずなら
ソレらしくしてなさい。リクディウスの魔竜を倒した勇者と讃えられている様だけど、今必要なのはそんな
ハッタリじゃなくて、正真正銘の力よ」
辛烈な口調で告げ、まるで悠人を空気のように無視し、セリアはアセリアを追いかけていく。
セリアの背中を見ながら悠人は。「正真正銘の、力」『求め』を強く握った。

サモドア平原で陽動を行うエスペリアが、そのスピリットに気づいたのは本当に僥倖だった。
気配は言うに及ばず、永遠神剣――『献身』――もそのスピリットを察知していなかった。敵味方入り乱れる
戦場において、そんなことは普通ありえない。けれど、ファンタズマゴリアにおいて強力なスピリット
こそが戦力。個人は団体に勝てないという地球の常識は、こと異世界であるファンタズマゴリアには
当てはまらなかった。
そのスピリット――エスペリアは、ブラックスピリットだと予測した――は、不利になっていく
バーンライト王国所属のスピリットたちを意思の無い目で見ながら、何をするでもなくただ立っているだけだった。
『献身』を振るいながら、エスペリアは後退する。戦況は圧倒的とまではいかないものの、それに近い戦果
は出せている。特にナナルゥの駆る神剣魔法は、ブラックスピリット主体のバーンライト王国にこれ以上
ないほど有効だった。ラキオスにもヘリオンというブラックスピリットがいるが、ブラックスピリットは他のスピリット
に比べ運用が難しい。
だからこそ、今回はシアーという護衛をつけてまで、ラセリオに待機させている。表向きは再び現れるかも
知れぬ奇襲部隊に備えて。実際は、まだ運用は無理だと判断を下した悠人によって。
良い判断だとエスペリアは思っていた。失礼だと思うが、ユート様はまだ隊長として未熟という以前に、経験が
足りない。カオリ様を助けたいというユート様の願いは、これからも戦争という形で襲い掛かってくるだろう。

ブラックスピリットの特色を理解し、運用するのはバーンライト王国を破ってからでも遅くは無いのだから。
そんなことを思いながら、エスペリアは、はるか現前に佇むブラックスピリットをどうしたものかと考えていた。
エスペリアが気づいた後に、遅れて察知した『献身』は警告を示していて、けれどエスペリアは倒した
ほうがいいのでは? と考えていた。
あのブラックスピリットがバーンライト王国所属なら、遅なかれ激突するはずだし、参戦前に聞かされた所属不明
スピリットだったとしても、竜の魂同盟を含めた味方スピリットである可能性はゼロに近い。
けれど、エスペリアは『献身』の警告も理解出来ていた。エスペリアは、あのブラックスピリットを
倒せない。それは、サードガラハムと戦ったときのような感覚。あの時の事は、言うなれば破れかぶれとも
説明できる。それに、ユート様も居た。
エスペリアに戦術を教えた師――ズキリ、と胸が痛む――の教えでは、どうだっただろうか。周りに細心の
注意を払いながら、思考する。と、
「……居ない?」
一瞬目を離した隙に、ブラックスピリットは掻き消えるように居なくなっていた。

疾走していくセリアを追いかけながら、悠人はセリアの言葉を思い返していた。
『正真正銘の力』。それは、リュケイレムの森で、悠人が望んだものではなかったか。足手まといに
なるのが嫌で、『求め』という永遠神剣を持ちながら佳織を救うことが出来ないのが嫌で、けれどもそれを
可能にする力を持ちながら。
其の為に、悠人は危険を侵してまで力を手に入れた。言うなればそれは、他人のために振るう力だ。佳織のために
悠人は力を振るうことは、客観的に見れば恐ろしく自分本意で、だからこそ躊躇い無く力を振るう。
言い訳にもなるその考え方は、悠人の脆さでもあった。
――幼い頃両親に死なれ、引き取ってくれた佳織の両親でさえ、まるで悠人が疫病神であるかのように
死んでしまう。佳織だけでも生きていて欲しいと願った悠人は、『佳織を助ける』という奇跡を願う。願いは
聞き届けられた。だが、無償の奇跡など存在しない。願いを聞き届けた『求め』は、悠人にその代償を求める――
悠人の人生とは、つまるところ佳織のための人生だと説明できる。自分を顧みる事無く佳織を優先していく
生き方。そこには義妹という関係があったけれど、広義で示してしまえば、他人でしかなかった。
その『他人』の為に行動するのが、高嶺悠人という人間の在り方。
そこには、打算は無い。ただ純粋に、佳織の将来を願う悠人。そして、佳織の為だけに消費されるはずだった悠人
の人生は、ファンタズマゴリアに召喚されたことで変わった。
それは良いことなのか、悪いことなのか。少なくとも、佳織が人質である以上悠人に選択権などありはしないのだけれど。
セリアは、整地されているはずも無い山道を駆けて行く。それを追いかけるように、悠人も続く。
障害物が無く見晴らしの良い山道は、敵に発見されやすく、また敵を発見しやすい諸刃の剣のはずだった。

「――――!!」
最初に気づいたのは悠人。地面を陥没させるほど力で蹴り、セリアに追いつく。
セリアも気づいたのか、無視するような雰囲気は霧散し、悠人のほぼ真横に構えた。
ラセリオとサモドアを繋ぐ山間の道。その終着地点に、一体のブラックスピリットが佇んでいた。
漆黒のハイロゥを展開していているのは、先程のスピリットと同様。違うところと言えば、構えもせずただ立っている
事くらい。何処も映さないその瞳に宿るのは影。銅像のように不動のスピリットは、殺気を微塵も出さず、それ以上の
重圧を悠人に与えていた。
『求め』を強く握る。横目で見れば、セリアも『熱病』を構え、鷹を思わせる厳しい目線でブラックスピリットを
射抜いていた。
それでも佇むは、ブラックスピリット。此処より先は通さない、とばかりに不動。
セリアがウイングハイロゥを展開した。タイミングを見計らい、
「――っ!!」
声にならない音を発し、悠人が一瞬で間合いを詰めた。ブラックスピリットは意思の無い目で悠人を見遣ると、振るわれた
『求め』を鼻先で避け、悠人に打撃を加える。けれど、オーラフォトンに触れた拳は弾き飛ばされた。
その隙を見逃さず、悠人の背後から『熱病』を構えたセリアに、
「………………テラー」
呟くように詠った言葉は、セリアを影から表れた無数の槍が貫く。一撃一撃がエーテルを離反させる。
動きが鈍ったセリアの『熱病』は、ブラックスピリットを傷つけることがなかった。
ス、とブラックスピリットが永遠神剣を構える。流れるような動きは、不自然なほどに自然すぎて、セリアには
反応することが出来なかった。

放たれた軌跡は三つ。首、胴体、足。全てが必殺であるが故に、避けることが不可能なブラックスピリットの
抜刀は、吸い込まれるようにセリアを襲った。
それに悠人が飛び込む。一瞬、そのブラックスピリットに、アセリアを幻視した悠人は、
「―――――っつああああああ!!」
気合のみで、全ての攻撃を叩き落した。
一瞬、ブラックスピリットの表情が歪むが、それもまた無表情という仮面に隠される。
タタン、とリズムを取るようにブラックスピリットが離れる。セリアを背中に庇う悠人は、眼光だけをランランと
輝かせて睨みつける。
「オーラフォトン……エトランジェ……」
機械のようにぎこちなく、ブラックスピリットが言葉を発する。
「――退く」
発した言葉が空気を震わせ、悠人に届いたときには、ブラックスピリットの姿はどこにもなかった。

バーンライト王城の制圧は、セリアが到着したときには佳境に入っていた。
サモドアに到着したときには、陽動を行っていたはずのエスペリアたちが、バーンライト王城を守る
スピリットを駆逐していて、ラキオス王国の兵士たちが雪崩れ込むだけだった。
ラセリオとサモドアを繋ぐ山間の道に現れたブラックスピリットは、まるで力試しでもするかのように
セリアと悠人を襲い、満足したのか掻き消えてしまった。
何処かに潜んでいるかもしれないから、セリアは慎重にサモドアまでやって来たが、ついに
ブラックスピリットは現れなかった。
髪を掻き揚げて、セリアが溜息をつく。悠人を役立たず呼ばわりしておきながら、結局、悠人に助けられた。
そして、セリアを助けた悠人は一言。
『アセリアが心配だから、行ってくる』
なんとなく気に入らなかった。ライバル意識とでもいおうか。セリアは断じてそんなことを認めない
だろうけれども。
ラキオス王国の兵士たちが王城に雪崩れ込む喧騒を一瞥し、セリアはアセリアと悠人が居る一帯を
目指して歩いて行く。
「俺はまだ、アセリアのことはよく分からない。エスペリアのことも、オルファのことだって……」
声が聞こえてくる。悠人の声だった。そこにはラキオススピリット隊の面々が居た。
「でもさ、俺、この世界に来て。アセリアとエスペリアに助けられて、オルファに励まされた――――」
――セリアを含むラキオススピリット隊の面々は、それから続く悠人の言葉を、一字一句噛み締めるように聞いた。

戦争はまだ始まったばかり。その時にはもう、ダーツィ大公国が宣戦布告をしていたのだから。