黎明

序章

「はっ!」
 一呼吸の間に二度の斬撃を放ち、金色のマナが散っていくのを背中越しに感じる。
 それがミネア-ダラム間の街道警備隊の最後だった。

 ふぅ、と一息ついてから後を振り返る。
「さて、ここからが正念場よ。気をつけてね」
「…ん」
 それだけ言うと私達はダラムに向かって駆け出す。

 冬を終え、草木の芽がようやく目覚め始めた季節。
 湖からは心地よい冷たさを含むそよ風が頬を撫でてゆく。
 このあたりは湖が点在し、水のマナが豊富に満ちた風光明媚な地域だ。
 街道の脇には清流が流れ、その水辺では草花が空を仰いでいる。
 今でこそ新緑の鮮やかな光景だが、いずれはこの小さな草木が青々と茂ることだろう。
 そんな様子を想像して、思わず私も笑みがこぼれる。
(…いつか、こんな所で――)
「こんな所で、ピクニックでも出来たら良いよね」
 思わずニムを振り返ってしまう。
「エスペリアとハリオンにお弁当作ってもらってさー」
「ふふっ、良いわね…。でもセリアがなんていうかしら」
「野外訓練って言っておけば良いよ」
 もう…、と苦笑いを浮かべながら軽く嗜める。
 これから戦場に向かう会話にしては相応しくないが、私は嬉しくなった。
 同じ物を見て、同じ事を考えた事に。
 そして、戦場の私を見ても態度が変わらない事に。
(今度の戦争が一段落したら、本当に提案してみようかしら)
 覆面の内側で口元を緩ませた時、ダラムの門が遠く目に入った。

――綺麗…。
 それが、私の感想だった。
 戦場に立つお姉ちゃんは、しなやかに優雅に、受け流し切り返す。
 金色に散るマナの霧の中で、まるでダンスを踊っているかのように敵の中を駆け抜けていく。
 
『ランサ方面から進攻する本隊を援護するために、側面からダラムを突き撹乱せよ』
 これが私達に与えられた任務らしい。
 ダーツィ戦の時も参加していない私達は伏兵としてはもってこいだ。
 ダラムに駐留していた敵部隊は、突如側面から襲い掛かった私達に混乱している。
 あっという間に数人をマナに返され、動揺はさらに伝播するだろう。

「ニムはサポートをお願い!」
「うん。全力で、行く」
 お姉ちゃんが走っていく。その先に緑、赤、青。右から黒がこっちに向かってくる。
「邪魔させない!」間に割り込み『曙光』を振るう、が受け流される。
 返す刃で矢継ぎ早に切りかかられる。お姉ちゃんより遅い。2撃目までは裁けた。
 ただ最後の突きを避けきれず、左腕を僅かに切られる。何度も教えられた事なのに。
「…っ、…ムカつく…!」
 
 戦闘訓練を受けるようになって、私はずっとお姉ちゃん教えられてきた。
 神剣での戦い方、ハイロゥの使い方、魔法を唱えるタイミング。
 敵の特徴に合わせた戦い方や、戦いながら状況を見る事、仲間を支援する事。
 1対1での戦い方はもちろん、ヘリオンやオルファと組んでの訓練もした。
 相手もお姉ちゃんだったり、セリアだったり、ハリオンだったり。
 …そう言えば訓練中のお姉ちゃんは怖かった。
「これができなかったら素振り100回ね?」
 …なんて事をいつもの笑顔で言って来るのだ。
 何度脱走しようとしたか覚えてない。
 でも、その度にお姉ちゃんは私を連れ戻して、何度も何度も同じ事を丁寧に教えてくれた。
 私が、ちゃんと出来るようになるまで。
 そんなお姉ちゃんに鍛えられたんだから――。

 目前の敵を片付てからニムの方を窺うと、丁度壁に叩きつけられた黒スピリットがマナに還る所だった。
 戦場で自分の身が守れる程度の技術を教えられたことに私は少し安堵する。
 私だって所詮はスピリットである以上、いつ斃れるか分からない。
 そう簡単にマナに還る気もないが、万が一そうなった時にニムには一人でも生きていける強さを持っていて欲しい。
 戦場で生き残るための術は、その第一歩とも言え――「っ!!」
 突然『月光』の発した警告に反応して石畳を蹴りつけた。一瞬前まで立っていた場所で爆炎が立ち上る。
 視線を上げると、魔法を撃った姿勢のままの赤スピリットが街道の向こうに立っている。
(アレが指揮官ね!)
 纏っている雰囲気が違う、本能的にそう感じた。
「お姉ちゃん!」
「ニムは引いて!」
 駆け寄ってくるニムに厳しく叫び返すと私はそのまま敵に向かって走りこむ。
 こちらに向けて片手を上げるのが目に入る。
(――高速詠唱!?)
 咄嗟に全力で横に跳ぶ。肌に感じる爆風。壁を足場にして更に飛び込み切りつける。
 首筋と左腕を狙った斬撃を裁かれ、思わず私の口元が歪んだ。
(この人、強い!)
 腹に向かって振るわれた神剣を跳び退って避けると、相手も飛び退いていた。
 間合いを詰めながら私も詠唱を開始する。
「『神剣よ、我が求めに応じよ…』」
 敵の放ったファイアボルトを地面を這うようにして避けながら、神剣魔法を開放。
「アイアンメイデン!」
 地面から黒色の槍が赤い妖精を貫かんと襲い掛かり、「っ――!」たまらず空中へ跳び上がる。
(チェックメイト!)
 空中戦において赤スピリットと黒スピリットでは機動力が違いすぎる。
 再び詠唱を開始してはいるが、勝負は決したと言えるだろう。
 止めを刺すために構え直し――(……射線が私に向いてない!)
「いけない! ニム!!」「ライトニングボルト!」
 私の悲痛な叫びと、赤スピリットの声が重なった――。

――何というか、それはあっという間だった。

 私は妙に冷静で、でも身体は動いてくれなくて。
 そこへ突然何か大きいものが割り込んできて。
 魔法があんまり得意じゃない私にも分かるくらい、大量のマナが集まってきて。
 地面に見慣れない、複雑な魔方陣が浮かび上がってるのが見えて。
 すぐにまた跳んでいって、お姉ちゃんを狙っていた敵を神剣ごと真っ二つにして。
 私は、ぺたんと尻餅をついたまま、ぼんやりと眺めていた――。

「ニム!」
 がば、とお姉ちゃんに抱きつかれてようやく我に返った。
「ニム、…大丈夫…?」
「…うん、大丈夫」
 少し震える背中に手を回してぽんぽんと叩いてあげと、ぎゅっとされる。
 誰かが近寄ってくる気配に、私はのろのろと視線を上げた。

「大丈夫か?」
 そこに、見慣れない格好をした、妙に無骨な剣を持った人が手を差し伸べている。
 優しい表情を浮かべた、針金みたいな髪の男の人。
 咄嗟に言葉が出てこない私は、とりあえず無言で、こくんと頷いてみる。
――その人からは、なんとなく、優しい匂いがした。

 指揮官を失った防衛隊は撤退を始め、ダラムはラキオス軍の手に落ちた。
 私とニムは側面から敵軍を撹乱した功労者として、臨時の隊長室に呼び出された。
 功労者と言っても命令に従ったまでだし、実際危ない所だったから素直に喜べない部分もある。
 そう、もし彼が来てくれなかったら今ごろ私もニムもマナの霧に返っていた所だろう。
 その彼は今――。

「隊長自らが単独行動なさるとはどう言うおつもりですか?」
「救援に向かわれるのでしたら、我々にお申し付けくださいと…」
「そのような事では隊の指揮系統が…」
「ユート様はご自分の身が…」

 エスペリアとセリアに問い詰められている。
 誰にでも優しく厳しいエスペリアはともかく、あのセリアまでが感情を露にしている事に少し驚く。
 それにしても…。
(妙に息が合っていると感じるのは気のせいかしらね…)
 絶妙のコンビネーションで言葉を紡ぐ彼女らを見やり、ふぅとこっそり息を吐く。
 私達を救ってくれた彼が責められるのを見ているのは、少し居たたまれない。
「失礼いたします、エトランジェ様」
 気炎を上げる彼女らから逃れる切欠と見たのか、少し露骨に助かった、と言う表情を浮かべて彼がこちらに振り返る。
「先程は危ない所を助けて頂きまして有難うございました。この子の分もお礼申し上げます」
「いや、怪我とかしてない様で良かったよ…えっと…」
「あ、申し訳ございません。私、『月光』のファーレーンと申します。こちらが…」
「…ニム。『曙光』のニムントール」
「俺は悠人。一応隊長って事にはなってるけど、新米だからそんなに畏まらなくて良いから。二人とも、これからよろしくな」
 頭を下げる彼に、ユート様、と後ろの二人が声を揃える。
 少し驚いた。スピリットに頭を下げる人間は初めてだ。
 今の行動と彼女らの態度で、なんとなく彼の人柄が分かった気がする。
「はい、こちらこそよろしくお願い致します」
「二人とも、今日は疲れただろ。見張りとかは良いから休んでてくれ」
「はい、ではお言葉に甘えて失礼いたします」
 セリアに目線で、程々にね、と伝えると少しむくれて、分かってるわよと返された。
 それを確認してから私はその場を離れ――ようとした。

 特に何を考えてたワケでも無かった。
 ユート…様?の手に小さなキズを見つけた。
 単に、私が初めに気が付いた。ただそれだけの話だと思う。
 
「…ん? ニムントール、だっけ。何かあったの……か…」
 
 特に何を考えてたワケでも無かった。
 私は回復魔法があんまり得意じゃないし。面倒くさいし。
 小さなケガでも、一応消毒しておかなきゃと思っただけだ。
 …昔、お姉ちゃんがしてくれたやり方で。
 
 れろ、ぺろっ…ちゅっ、ちゅぴ。
「…ん…ん、ふ…」
 ちゅ、ちゅっ……ちゅぷ。
「…んふ……ん…」
「………………………」
 なんとなく視線を感じて、傷口に唇をつけたまま横目で見てみる。
 エスペリアとセリアが、( ゚д゚)ポカーンな顔で固まっていた。
 反対側ではお姉ちゃんが呆けていた。顔見えないけど。
 最後に、目線を上に上げてみる。
「…あ………あ……」
 何故か顔が赤くなってる。ちょっと面白い…れろ。
「……うっ…」

 お姉ちゃん達が同時に吼えて、そこでようやく私は自分のしでかした事に気が付いた。

「ここ、こ、これは、お礼…そう! 助けてもらったお礼だからね! 別にヘンな意味とかないんだから!!」
「…ヘンな意味…」
 セリアの小さな呟きは、顔を真っ赤にしてまくし立てるニムの耳には入らなかったらしい。
「あ、ああ…。気持t…いや気を使ってくれたんだよな、ウレーシェ、ニム」
「ニムって呼ぶな!」
 うがーっ、と叫ぶとそのまま走り去る。
 ニムの背中を見送り、私は一つため息をついてから隊長に向き直る。
「…ニムの所に行きます。いくら占領したと言ってもまだ危ないですし」
「…あ、あぁ…そうだな。頼む」
「では、失礼致します」
 一礼した後、エスペリアとセリアを一瞥する。…二人とも眼の奥に青い炎が見えた。
 背を向けた私を、妙に底冷えのする声が追いかけてくる。
「…さて、ユート様?」
「お覚悟は、よ ろ し い で す か ?」

 外に出ると、既に日が傾き薄闇が辺りを覆っていた。
 アセリアやヒミカが未だ警戒を続けてるとはいえ、襲撃が無いとも限らない。
(うちのお姫様はどこに行ったのかしらね…)
 辺りを見回しながら見当をつけて歩き出す。
 ダラムの町は比較的大きい方で、設備もそれなりに整備されている。
 にもかかわらず家々にエーテル灯の明かりがあまり見えないのは、さすがに占領区だからだろうか。
 少し物寂しい路地を進むと、町の中を通っている小川に掛かる橋に座っている影を見つけた。
 二つに縛った頭が下がり、上がり、ぶるぶる振られ、また下がる。
 少しだけ苦笑いしながら、私はその背中に近づいていった。

「……はぁ…」
 深いため息がせせらぎに流れていく。
 勢いに任せて飛び出して来たは良いが、このままではみんなに合わせる顔が無い。 
 さらさらと音を立てる水面に自分の顔がぼんやりと映っている。 
 冷たい空気が頭を冷ましてくれた今となっては、自分でも何故あんなに頭に血が上ったのか分からない。
(…失礼なコトしちゃったし…怒ってないかな…)
 相手は人間、しかも隊長に対してあの態度はいくらなんでも酷すぎる。
 私だけ叱られるならまだ良いけど、お姉ちゃんに迷惑を掛けるのは嫌だ。
(でも、優しそうだったし、ありがとうって言ってくれたし…)
 少し元気が出てきた。
(…手暖かかったし、大きかったし…)
 一度あんな手で髪を撫でられながらお昼寝してみたい。
 お姉ちゃんの細くて優しい手も捨てがたいけど…ってそうじゃなくて!
「……はぁ…」
 今度は少し自己嫌悪交じりのため息を河に流す。

「どうしたの?」
「おっ、お姉ちゃん…」
 突然声がして、少しお尻を浮かせる程びっくりした。
 私の隣に座ると、兜と面を脱ぎ、涼しげに目を細める。少し目元が赤い。
 お姉ちゃんは何も言わない。少し迷ったけど、聞いてみる。
「……怒ってた?」
「ん? ううん、怒ってはいらっしゃらなかったわよ。逆にニムを心配していたわ」
「…そう…」
 それを聞いて、またため息を一つ。何故だか浮かんでくる笑みを噛み殺しながら。
――思った通り、優しい人だ。

「良かったわね、優しそうな人で」
 安心したのか、ため息をついたニムに声を掛ける。
「……まだ、わかんないよ」
「そう? …そうね、そうかもしれない…」

――敵指揮官との戦いの中で、私はニムの存在を完全に忘れていた。
 あの時の口元の歪みは、一撃で仕留められなかった悔しさか、強敵との戦いに寄る歓喜か。
 ニムに抱きついた時、仮面の奥で私は安堵と、そして懺悔の涙を流した。
 私が太陽の下で生きていけるのはニムのお陰なのに――。

 すっかり夜の帳が下りた空を見上げる。
 ネセスン座が高く見える。
 帰らぬ夫を待ち続けた娘が、星となって未だ待ち続けていると言う。
 悲恋と取られがちだが、私はそうは思わない。
 信じるものを守り続けた彼女は、きっと幸せだったのだろう。
「明日、ちゃんと謝る」
「えぇ、それが良いわね」
 上目遣いのニムに微笑み返す。
 そうして私達は立上がり、歩き始めた。

 足元を照らすのは、人工の灯りではなく夜空に浮かぶ星々と下弦の月。
 そんな光すら眩しく感じる私と、こんな光では全然足りないニム。
 私達二人には、これくらいが丁度良いのかもしれない――そんな事を思った。

「…ニムントール、寝るならベッドへ行くべきです」
 ナナルゥの声で、はっと目が覚める。
 目の前にはナナルゥとヒミカ。見慣れない部屋に一瞬ここが何所だか分からなかった。
「疲れてるでしょ? 明日も早いからもう寝たら?」
「…あ、うん。そーする…」
 ここはダラム駐留軍の兵舎で、規模も設備もラキオスの物とほぼ同じだったから臨時の詰所として借りている。
 お腹が一杯になったせいか、食後のお茶を飲みながら居眠りしていたらしい。
 私はふらふらと椅子から立ち上がる。半分夢の中だ。
「…おやすみー…」
 みんなが口々におやすみー、と返してくれるのを背中で聞きながら寝室へ向かう。
「ネリーももう寝よっかな~…ってシアーもう寝てる!」
「…くー…」
「こらシアー起きろー…!」

 一番初めに目に付いたベッドにもぞもぞと潜り込む。
(さっきまではそんなに眠くなかったのにな…)
 布団の中でごそごそと丸まりながら、今日一日で有った事を思い出す。
 初めての戦場、お姉ちゃんの勇姿、向かってくる閃光。
 そして――大きな背中と、手と、優しい匂い。
 …余計なことまで思い出して頬が熱くなった。
 緩んだ口元を押しつぶして目を閉じる。
 あっという間に襲ってくる睡魔に無条件降伏。

――今夜は、なんとなく、幸せな夢が見られそうな気がした。