PINK☆VANISHER

「来やがった!アセリア、頼むぞっ!!」部隊を後退させつつ、悠人が叫んだ。
「――ん。」アセリアと呼ばれた少女が頷き、彼の叫びに応じる。小さく、しかし力強く。

「―――紡がれる言葉。そして、マナの振動すら凍結させよ。」
蒼く、長い髪の少女が、そこにいる全ての者をあやすような声音で詠唱を始める。
「………アイスバニッシャ―――ッ!」
そして、少女の、いつもは静かな声が、僅かにトーンを強めた。

―――その瞬間。

彼女の手掌の、ほんの数メートル手前まで押し寄せていた炎が、簡単に、本当にあっけないくらい簡単に
見えない壁に阻まれた。行き場を失ったマナは、きらきらと金色の輝きを残しながら、天空へと還って行く。
――敵もまさか切り札の神剣魔法が、これほどたやすく阻まれるとは思っていなかったのだろう。
アセリアの向けた掌の向こうで、敵部隊が蜘蛛の子を散らすように退却してゆくのが見えた。
後に残った僅かなマナの風が、すらりとした少女の、まるでスカートのような戦闘服を、ひらひらとたなびかせる。

「アセリアお姉ちゃん、かーっこいい~っ!!」
小躍りせんばかりのはしゃぎっぷりでアセリアのもとへ駆け寄るのは、彼女を「姉」と呼び慕う、
まだ年若いレッドスピリット・オルファリルである。
「凄いよぉ!あ~んなおっきな火をバッシーン!って消しちゃうんだから!」
「―――ルゥ。」
興奮冷めやらぬ様子の「妹」とは対照的に、「姉」はちらりとオルファを見やって小さく頷いただけであった。
たいして嬉しくも無さそうではあるが、いつもよりポーズを決める時間が長めなのは、
アセリアなりの感情表現かも知れない。
「いいないいなあ、オルファもあんな神剣魔法が使えたらいいのになぁ!ね、ね、アセリアお姉ちゃん、
オルファにも教えて~!」
「―――オルファ、それは無理だ。」
ほんの少しだけ、ブルーの瞳に困惑の色を浮かべて、アセリアが答えた。
「え~っ?つまんないの~!」オルファが口をとがらせる。

「ふふふ、我がままを言ってアセリアを困らせてはいけませんよ、オルファ。」毎度の如く、
もう一人のオルファの「姉」が穏やかに微笑みながらやんちゃな「妹」を諭した。

「やれやれ、エスペリアも大変だな。」
傍目には、本当に血が繋がっているのではないかとも思われるような少女達のやりとりを、
この時の悠人はほほえましいものに見つめていた。

――要衝・ランサでの長い戦いを終えて、無言で帰途につくラキオスの戦士たち。
誰もが疲労の極限に達していた。

そんな中、オルファのそばに静かに忍びよるひとつの小さな影があった。
「ね、オルファ、さっきアセリアが使ってたやつ、教えてあげよっか?」
オルファは驚いたように、ひそひそ声の主を振り返った。
いたずらっ子のような笑いを浮かべてそこに立っていたのは、水の妖精特有の蒼い長髪を
頭のちょうどてっぺん辺りででひとくくりにした、オルファと同じくらいの背格好の少女であった。
「...ネリー!ほんとに?」オルファも声をひそめながら少女に尋ね返す。
「ふっふっふ、ネリーにおまかせ!でもね、そのかわり……」ネリーがさらに声を落として
オルファに耳打ちする。「……ね!?」
「へぇ~、パパに?」何を言われるのかと思って耳を傾けていたオルファが、ぱっと顔を輝かせ、
ネリーを見つめ返す。
「う...うん。」少し顔を赤らめながらネリーが頷いた。
「おっけーおっけー。そんなの、おやすいご用だよ!」
「ほんと?じゃあ、約束!」
二人の少女達は顔を見合わせながら、くすくすと忍び笑いを漏らした。

しかしながら、つかの間の勝利に安堵し、帰路を急ぐラキオスの戦士たちが、
幼い二人の密談に全く気付かなかったのも、無理からぬ事であった。

―――数日後の朝。

第一詰所のスピリット達が朝食を終えようかという頃になっても、我らがハリガネ頭の隊長は、
未だ食卓に姿を現していなかった。
「まったく...ユートさまの寝坊癖にも困ったものですね。」
少しばかり眉間に皺を寄せながら愚痴をこぼすエスペリア。
その隣に座っているアセリアは早々に食事を終えていたが、何故かまだ席を立とうとせず、
何となく物足りなさそうな風情で空席を見つめていた。…そこは、いつの間にか悠人の指定席に
なっているテーブルの端の席であった。
「―――仕方ありませんな。では、洗い物がてら手前が起こして参りましょうか。」
苦笑混じりに立ち上がったのは、つい先日所属していたサーギオス帝国を追われ、
ラキオス軍に合流した「漆黒の翼」ことブラックスピリット・ウルカである。
「そうですね。ではウルカ、お願いします。」
「承知です、エスペリア殿。」お行儀良くカチャカチャと自分の使った食器をまとめながら、
ウルカが腰を浮かした。
「あっ、じゃあオルファも一緒にパパを起こしに行って来る!」
それまでつまらなさそうに使い終えたフォークをこねくり回していたオルファが、
勢いよく立ち上がった、――が。
「オルファ、あなたはまだ駄目ですよ。」間髪入れずにそれを制したのはエスペリアであった。
「え~っ、なんでよぉ!もうオルファ『ゴチソウサマ』したのにい!」
むくれる少女をグリーンの瞳で軽く睨みつけながら、エスペリアはオルファの前に置かれてある
カップを指した。「まだ半分以上残っています。」

「う゛え゛~~っ、オルファ、ミルクは苦手だよぉ。」
バタッと大げさにテーブルに突っ伏したオルファが泣き言を言いつつ、「姉」の表情をうかがった。
「いけません。そんな事を言ってると、いつまでたっても大きくなれませんよ、オルファ。ミルクには
成長するのに欠かせない栄養分がたっぷり含まれているのですから。」
いつもはこの上なく優しいのだが、こと食事の好き嫌いになると何故か急に厳しくなる姉であった。
「エスペリア殿の言われる通りです。オルファ殿は今が育ち盛りの大事な時。偏食は、ひいては
貴殿のお遣いになる神剣魔法の威力にも影響しましょう。」
立ち上がりながら、ウルカが諭すような口調で言う。ラキオスに来てからというもの、どうやら彼女は
すっかりエスペリアの流儀に傾倒しているようであった。

「―――はぁ。」観念したようにオルファが起き上がり、カップを手に取った。その時、オルファがふと落とした
視線の先に、まだ全く手を付けられていない悠人の席の朝食があった。
ミルクがなみなみと注がれている彼専用の、やや大きめのカップを見ながら、オルファはぽつんと呟く。
「...あ~あ、パパのミルクだったら、オルファも頑張って飲むんだけどなあ。」
「何を言っているんですか、それはユートさまの分です。特別なものは何も入っていませんよ。」
少しばかり語気を強めてエスペリアが言う。むきになっているところを見ると、多少は甘めに
味付けしてあるのかも知れなかった。

―――途端、オルファの紅い瞳が、悪戯っぽい笑いを含んだ。
「ううん、違うよエスペリアお姉ちゃん。オルファが言ってるのはパパが出すミルクの事だよ。」
「―――え?」エスペリアにはオルファの言っている内容は理解出来なかった。

「オルファ殿、一体何を――?」
怪訝な顔をしながら、ウルカが浮かしかけた腰を再びすとんと椅子に落とした。

この時、起こりつつあるマナの異変をいち早く察知したのは、それまでやりとりを黙って
見守っていたアセリアであった。
「オルファ、まさかここで――?」大抵の事では表情を垣間見せる事のない蒼い瞳が、大きく見開かれた。
「ほら、エスペリアお姉ちゃんが飲んでるパパのミルクだよ!こないだも風呂場で美味しそうに飲んでたでしょ?
オルファ、アセリアお姉ちゃんと一緒に見てたんだよ!」

.....紡がれる言葉。そう、他の誰でもない、炎の妖精オルファリルが紡ぎ出す言葉が、
尋常ではない冷気のマナを纏い、森の妖精エスペリアの動きを凍て付かせた。

―――こ、こんなっ、馬鹿な!
そしてさらに、オルファの発した言葉は、本来ならば凍結魔法ではバニッシュされない筈の
ブラックスピリット・ウルカの動きをも、完全に押え込んでしまっていたのである。
「......ん、完璧だ、オルファ。」
一人アセリアだけは、オルファの紡ぎ上げた魔法の出来栄えに、満足気に頷いていた。
「えへへ、どんな味かなあ?やっぱり、オルファの大好きなネネの実のジュースみたいな味かなあ?」
夢見るように喋り続けるオルファはまだ気付いていない。自らが巻き起こしているマナの烈風に。

「―――ね、エスペリアお姉ちゃん、固まってないで教えてよ。」
ようやく少女のピンク色の瞳が、完全に凍結されたエスペリアへと向き直った。

―――エスペリア殿っ!お気を、お気を確かにっ!!

声にならないウルカの心の叫びは、果たしてエスペリアに届くのだろうか。  続く。