PINK☆VANISHER

―――夢。

そう、これはきっと悪い夢。赤の魔法使いが青い魔法を使うなんて、常識外れもいいところ。
ああ、夢なら早く覚めて。私は、早く起きてユートさまのために朝食の準備をしないといけないの。

「……ちゃん、エスペリアお姉ちゃんってばぁ!」
ほら、お腹をすかせたオルファが起こしに来た。本当にしょうのない妹。いつまでたっても私がいないと駄目なんだから。
――でも、このまま眠ったふりを続けてもう少し困らせてあげようかしら?

「……無理だ、オルファ、完全に決まっている。」
――アセリア?

その透き通った声に呼び覚まされるように、エスペリアの意識が現実に引き戻された。
周囲を見渡す彼女の視界に飛び込んできたのは、興味津々の顔で自分を覗き込んでいるオルファ、
顔を引きつらせつつも心配げな表情を浮かべているウルカ、そして、エスペリアが比較的早期に復活したことが
ちょっと意外だったのか、いつものポーカーフェイスに少しだけ驚きの色をまじえて見せるアセリア。
…そうだ、あれは、夢などではなかったのだ。

大ピンチ、そう言って差し支えなかった。
あまたの戦場、そして死線をくぐり抜けて来た歴戦の勇士・エスペリアの額に玉のような汗が光り始める。
しかし、この窮地に追い込まれてなお、彼女の明晰な頭脳は素早く計算を開始していたのである。
「ラキオスの名参謀」の通り名は伊達ではなかった。

―――そう、そうよ、エスペリア。考えて。全てはそこから始まるのだから。
気力をふりしぼり、どこかで聞いたような台詞で己を奮い立たせる。まさにスピリットの鑑と言えた。

――こういう時には...そう、まず戦況を分析するのよ。

「ね、エスペリアお姉ちゃん、どんな味だったの?」
「―――くっ」
エスペリアの返答を待ち構えているオルファの気をそらすのは生半可ではない。
だが、そのオルファの攻撃さえうまく凌ぎきれば良いのだ。後に控えているアセリアがさらに追い打ちをかけるような
マネをするとは考えにくい。では、ウルカはどうか。彼女はどうやら事態の本質を理解しているようである。
しかしあの視線は追い込まれた者を気遣っている目だ。
恐らく援護に回る事はあっても、敵側に与する事はないと思われる。ならば。


速攻でこの場から逃げ出す(Nモード)

→何とか適当に誤魔化す(Hモード)

率直にありのままを話す(SHモード)


……多分これが無難な選択であろう。

「ん、こほん。」
おもむろに一つ咳払いをして、エスペリアは話し始めた。
「―――良いですか、オルファ、よく聞きなさい。知っての通り、ユートさまは異世界から来られたエトランジェです。
そして、私が浴場で飲んでいたもの…残念ながら、あれはユートさまのミルクなどではありません。」
そこで一旦エスペリアは言葉を切り、周囲のリアクションをうかがった。
今の所彼女の言っている事に言葉を差し挟んでくる空気はない。オルファは目を丸くして説明に聞き入っているし、
アセリアも一見無関心を装いながら聞き耳を立てている。
ウルカは時おり頷きながら祈るような表情でこの場を見守っている。―――大丈夫、きっとこの調子なら、うまく行く。
「あれは―――そう、例えて言うならばユートさまの放出する情熱のオーラなのです。
そしてそれを取り入れることによって、私達グリーンスピリットの魔法力は格段に上昇するのです。」
「何と...手前もそのような話は耳にした事がありません。いや、さすがは謎に包まれたエトランジェのユート殿。
全くもって不思議な事があるものです。」
エスペリアは、援護射撃全開のウルカに向かって、感謝の念もこめて、にっこりと微笑んで見せた。
「へ~え、パパってやっぱり凄いんだぁ...じゃあ、じゃあ、そのオーラって美味しいの?」
テーブルの上に半ば身を乗り出しているオルファも、疑っている気配は無い。
「いいえ。その苦くてまずい事と来たら、この世のものとは思えないくらいです。」
エスペリアは沈痛な面持ちで首を振った。
「しかも、グリーンスピリット以外の者がそれを口にすると逆に神剣魔法の威力が落ちてしまうという言い伝えです。」

「え~っ、それじゃオルファ達はパパのミルク飲んじゃだめなのぉ?つまんなーい!」
ぷうっと頬を膨らませるオルファ。
「どうしても飲みたければそうしなさい。ただし、後でどうなっても私は知りませんよ。」
そう言いながらエスペリアは目の前に置かれてあるカップを手に取り、ハーブティーで喉をうるおした。
「む~~」オルファは頬を膨らませながらも、納得したようだ。現に今エスペリアが美味しそうに飲んでいる
セロリのお茶のようなハーブティーは、自分にとってはとてつもなくまずい物である。
オルファが悪戯をした時には、それがお仕置きに使われる事さえあるのだ。
「なるほど、毒と薬は表裏一体であります故。手前も気を付けねば。」
どうやらオルファの何気ない一言に端を発したマナ嵐も収束する気配であった。一安心、といった風情でウルカが
食器を手に立ち上がる。
「あ、ウルカ、それはそのままで構いません。貴女はユートさまを起こしてあげて下さい。」
「それはかたじけない、エスペリア殿。では。」一礼してウルカが食堂を出て行った。
引き続いて何事も無かったかの如く、アセリアが立ち去ってゆく。
後に残されたのは、カップにたっぷり注がれているミルクとにらめっこをするオルファと、
平和な風体でお茶を飲むエスペリアだけであった。

「ふ、不覚――!はあっ、はあっ...て、手前とした事が...ッ!」

平静を装って退室したウルカではあったが、オルファの放った魔法(?)が彼女に及ぼしたダメージは、
思いのほか大きかったのである。
「ま...まさか凍結魔法を使いこなせる炎の妖精がいようとは――!」
サーギオスの遊撃部隊長として戦っていた時から感じてはいたが、つくづくこのラキオスという国のスピリットというのは
底知れない、そう思うウルカであった。――しばらくの間、廊下の壁に寄りかかって肩で息をしていた黒い妖精は、
突然何を思ったか、悠人の部屋には向かわず、自分の部屋へと戻っていった。

―――数分の後。
ウルカは神剣・『拘束』を携えて館の外に出た。
彼女が向かった先は、いつも一人、訓練をしている場所であった。
「これも、まだまだ手前の精進が足りぬという事...ユート殿、お許し下さい。」
歩くたびに気になる股間のぬめりに泣きそうになりながら、ウルカは呟いた。
オルファの目撃証言を聞いているうちに、つい想像してしまったのだ。…風呂場で彼の前にひざまずいて、
いきりたった肉茎に口を寄せ、はしたなくも、ちゅうちゅうとそれを吸い立てている自分を。

「哈―――ッ!!」
まるで目の前に浮かぶ幻影を振り払うかのように、ウルカは一心不乱に中空に向かって打ち込み続けた。
しかしどうしても、いつもより深く食い込んでくるレオタードの違和感に、踏み込みが甘くなってしまうのであった。

「――ずいぶん体が重そうだな。」
予期せぬ背後からの声に、ウルカの心臓は跳ね上がった。
ギョッとしたように振り向く彼女へ、その声の主はさらに言葉を掛けた。
「あ、驚かせちゃったか、悪い悪い。いや、あんまりいい天気なんでメシの前に朝の空気を吸っとこうと思ってさ。」
その男は照れくさそうにハリガネ頭をぼりぼり掻きつつ、こちらへ近付いてくる。
「練習熱心なのは良いけど、無茶はするなよ。まだ体調戻ってないんだろ。」
「―――ふ」がたがたと震える体で立ち尽くしながら、ウルカの、僅かに開いた唇の端から声が漏れた。
「………ふ?」
ウルカの手前まで歩み寄った悠人が怪訝な表情で訊き返す。――と、次の瞬間。
「不潔――――ッ!!!」
バッシィ――ン!!

―――平手一閃。
それまでの動きの不調がウソのような、見事なウルカの一撃が炸裂した。
哀れ、悠人の身体は春風に舞う桜の花びらのように、彼方へと消え去って行った。
「嫌っ、いやっ、嫌あ~~~っ!!」
悠人の飛び去った方向には目もくれず、子供のように泣きじゃくりながら駆け去ってゆくウルカであった。

「ねえ、本当にやるの?」
「……良いのですか?」

半ばあきれ、半ば心配そうな二つの声。
「あったり前じゃない。秘密特訓でパパたちを驚かせてやるんだから!」
その二人に向かって元気よく答えたのはオルファである。
「うーん、まあそりゃ、いつまでも詠唱の練習だけじゃいけないんだけどね...
でもさあ、実戦形式はまだ早いんじゃないかなあ。」
腕組みをして唸っているのは「静寂」のネリー。ここ数日、オルファに凍結魔法を伝授していた犯人もとい師匠である。

「そう滅多な場所で練習など出来ませんから、私としては願ってもない事ではあるのですが…」
赤と青の幼い妖精を交互に見比べながら、言葉尻を濁しているのは、赤いストレートの髪を腰まで届くほど見事に伸ばした
レッドスピリット、「消沈」のナナルゥである。大事な用事があるから、と、オルファ達に訓練場の外れに呼び出されたのだ。
「心配ないってば、ナナルゥお姉ちゃん!オルファ、もうかんっぺきにマスターしたんだから!」
「はあ...」困ったようにネリーの方を振り返るナナルゥ。
「―――ま、おんなじ火に強いレッドスピリットだし、失敗しても何とかなるんじゃない?」
蒼い瞳をくりくりさせながら、ネリーは不安げなナナルゥに向かって、無責任に請け合った。

「…了解。」
ふっ、と小さく溜息をつきナナルゥが間合いを開けるべく歩き始めた、が。「――あ、一つだけ。」立ち止まり、
二人に顔だけを向けた。
「なあに、ナナルゥ?」
「ヒミカやハリオンと違って、私は神剣魔法の威力を微妙に調整するすべを知りません。」
「――どういう事?」オルファとネリーがそろって首をかしげる。
「要するに、―――手加減というものが出来ない、という事です。」
それだけ言って、ワインレッドの長髪を揺らしながら少女は背を向けた。

「………」
オルファとネリーは無言で顔を見合わせた。
「…だ、大丈夫だよ…ね?」
突然不安に襲われたのか、先刻まで自信満々だったオルファが師匠に念を押す。
「う...今さら何言ってんのよ。こうなったらやるしかないじゃない!」
内心アイスバニッシャーを伝授するなら、オルファよりもむしろナナルゥの方が素質があったのではなかろうかと
思いつつも、ネリーは強がって見せた。

「いい、オルファ、集中して。後は私が言ったとおり…」
「うんっ!『くーる』に、だよねっ!」

「では……行きます」
距離を開けたナナルゥが体勢を整え始めた。
「…マナよ、怒りの炎へと変われ。そして、かの者どもを焼き尽くせ。」

「う、うわ、ナナルゥお姉ちゃんもう詠唱始めてるよ!」慌てふためくオルファ。
しかもそれは、ナナルゥが誇る最大級の神剣魔法であった。
「落ち着いてオルファっ!型どおりやれば消せない炎はないんだからっ!!」
「う、うんっ!…え、えーと、――マナよ、我に従え。氷となりて、力を無にせしめよ。」
「そうそういい感じ!氷のマナが集まって来てるよ!」
ネリーは声援を送りながら、前方のナナルゥの様子をうかがう。彼女はたった今、詠唱を終えたところであった。
「―――アポカリプス」
地鳴りのような音とともに、出現する巨大な魔方陣。真っ赤に燃え上がる紋様に照り返されて浮かび上がった
ナナルゥの顔は、己が魔力に陶酔しているかの如く、凄艶な笑みをたたえていた。
「クク―――死ね。」
艶やかなナナルゥの朱唇から、うっとりした笑みとともに、そんな呟きが漏れる。

「くっ、オルファ、急いで!!」
とりあえず氷のマナがシールド状に集結している事だけを確認し、ネリーは素早くその場から離脱した。
「うん!――アイスバニッシャーッ!!」
雷鳴のような音が聞こえたかと思うと、幾筋もの火柱が天空からオルファに降り注いだ。
「んきゃあ~~っ!!」

「オ...オルファ...?」おそるおそる近付くネリー。

―――もうもうとたちこめた火煙が消え去ったあと。
慌てて駆け寄ったネリーが見たものは、両目を渦巻き模様にして、自慢のロングヘアをすっかりアフロにされ、
大の字になって延びている少女であった。

「めっ!!」ゴイン。
「あ痛っ!」ナナルゥが頭を抱えた。

「まったく~、隠れてこそこそしてると思ったら~、小さな娘たち相手に何て事するんですかぁ!
お姉さん、許しませんよ~!」突然背後から鉄拳制裁を加えたのは、通称「みんなのお姉さん」こと、
『大樹』のハリオンである。「本当にもう、貴女の魔法はすぐに暴走するんですからぁ~!!」
「す、すみません、どうしてもと頼まれたので、つい……!」

腰に手を当てて仁王立ちしている「お姉さん」に、ぺこぺこと平謝りするしかないナナルゥであった。  続く。