PINK☆VANISHER

Ⅲ ~淑女達の談義~

「……大地のマナよ、傷つきし者に癒やしの風を運べ―――。」

彼女がかざす掌が、緩やかに詠唱される詞詩とともにエメラルドグリーンの輝きを放ち始める。
そして、その緑の精霊光を小さな体に浴びた赤い髪の少女が、閉じられていた眼をゆっくりと開いた。

「―――あ……ハリオンお姉、ちゃん…?」
「…良かった。―――あんまり心配かけちゃ、めっめっ、ですよ~?」
浮かべた表情は、彼女にしては珍しい苦笑い。無理もあるまい。意識を取り戻したこの少女は、練習とはいえ、
無謀にもナナルゥ相手に魔法勝負を挑んだのだから。しかも付け焼き刃のアイスバニッシャーで。
「さてと、次はネリーのお仕置きの番ですね~。」
そう言いながら「皆のお姉さん」はゆっくりと首を回した。その視線に捉えられた青い少女がびくっ、と体を硬直させる。
その後方では、先刻この緑のお姉さんにこってりしぼられたナナルゥが、しゅんとうなだれていた。
「あ、あ、違うの!ハリオンお姉ちゃん、オルファがみんなに頼んだんだよ!」
慌てて体を起こしながらオルファが言った。
「いくら頼まれたからって、無茶にも程がありますぅ。ナナルゥの火焔魔法をオルファにバニッシュさせるなんて~。」
いつもより少しばかり早口なハリオンがネリーに向かって言った。

「うーん、でも、もうちょっとでうまく行きそうだったんだけどな~。」
さほど反省している様子もなく、パンパンと焦げ痕だらけの服をはたきながらオルファが立ち上がった。
「ね、どうだった、ネリー?」見事にカールがかかった頭をなで付けつつ、オルファがアイスバニッシャーの師匠に
振り返って、出来栄えを問いかける。

「え…あ、ああ、さっきの?そ、そうね、私が見てる限りじゃそれ程悪い出来じゃなかったと思うけど……」
ちらちらとハリオンの顔色をうかがいながらネリーが答えた。
「え、えーっと…多分、相手がナナルゥじゃなかったら何とかなったんじゃないかなー、なんて…」

「あなた達は、もう~。」
懲りない少女達に心底あきれたように、ハリオンが首を振った。
「さ、ナナルゥ、詰所に戻りますよ~。貴女には罰として、今日の夕食の準備を手伝って貰います~。」
「…は…はあ……」まだ罰は終わっていなかったのか、とでも言いたげにナナルゥが顔をしかめながら、
半ば溜息のような返事をする。
「いいですか~、貴女はもう少し神剣を制御する方法を身に付けないと~…」
「あ、いえ、分かりました。手伝います!」
説教の第2ラウンドに入られてはたまらない。ナナルゥは慌てて二度、三度とせわしなく頷いた。
「……ふぅ。どこかに神剣の力を落とす薬でもありませんかね~。」
肩をすくめるハリオンに、オルファが笑いながら言った。
「あはは、じゃ、オルファがパパにミルク出して来て貰おっか?」
「―――ユートさまのミルク?何の事ですか~?」
オルファの言葉に、ハリオンがピクリと反応した。
「―――え?あ…あのね、この前エスペリアお姉ちゃんがね……」
見慣れている筈のハリオンの微笑にただならぬものを感じつつ、オルファが件の仔細を説明し始める。

「なるほど~。エスペリアったら~~、そんな事を~。」
うんうんと頷きながらオルファの説明に耳を傾けていたハリオンが会心の笑みを浮かべた。


「ハリオンお姉ちゃんの機嫌もなおったみたいだし、良かったね、ネリー!」
オルファが屈託なく笑いながらネリーに言った。
「うん……、でも、あっちってさあ、第一詰所の方向だと思うんだけどなー…」
ハリオンとナナルゥが歩き去った方角を見ながら、ネリーがいぶかしげに答えた。
「そんな事より練習練習!」
地面に転がっていた『理念』を拾い上げたオルファが、師匠に発破をかけた。
「―――オルファ、まだやる気?」さすがにネリーが目を丸くした。
「うん、だって今日はオルファの番でしょ?」
「そりゃそうだけど……うん、よーし、じゃ、くーるに練習再開っ!」
「おう!」
―――無邪気に笑いあう少女達。

そんな二人が、第一詰所の上空に垂れ込め始めている暗雲に気付く由もなかったのである。

「――あら?どうしたのですか、二人とも?」
その頃、エスペリアは突然自室に姿を見せた二人の訪問者を、きょとんとした顔付きで出迎えていた。
「いえいえ~、今日は天気も良いことですし~、ちょっとお部屋でお話を~」
やや脈絡に欠ける事を言いながら、にこやかに入室するハリオン。
そして引き続いて入って来たのはナナルゥ。いつもの無表情な顔貌に、少し困惑の色がうかがえる。
「はあ…別に構いませんが…それでは私がお茶でも入れて参りましょう。」
「ふふふ~、お気遣いなく~」
笑顔を絶やさぬハリオンの視線に得体の知れないものを感じながらも、エスペリアは台所に向かった。
「……一体何を考えているのですか?」
エスペリアが出て行った部屋で、ナナルゥが不審そうに尋ねた。
「別に何も~。ただですね~、以前から気になってる事がありまして~、ひょっとしたら今日それが分かるかも
知れないと思ったんですぅ。」
「……極力、平和にお願いします。」
ハリオンの期待に満ちた笑みを目の前にして、ナナルゥはそれ以上何も訊くことは出来なかった。

「さ、どうぞ。」
台所から戻ったエスペリアがテーブルの上にカップを並べ始める。
「あ、これは良い香りのお茶ですね~。こんな事なら私もケーキを持って来るんでした~。」
「そう言えばハリオン、貴女の焼いたケーキは、とても美味しいそうですね。」
「いえいえ~、ほんのお遊びですぅ。」
嬉しそうに笑いながらもハリオンが謙遜した。二人の様子を見ながらナナルゥがほっと小さく息をつく。
この和やかなムードならば心配したようなケンカ沙汰にはなるまい。一安心したナナルゥは改めて
エスペリアが持って来たハーブティーを口に含んだ。

「ところで~、今日来たのはですね~。」おっとりとハリオンが本題を切り出した。
「実は~、ここにいるナナルゥが~、神剣魔法でオルファに怪我をさせちゃいまして~。」
「ぶっ!!」このときナナルゥの身に何が起こったかについては、彼女の名誉のためにあえて触れないでおく。
「―――え!?」
驚きの表情をもって、エスペリアのライトグリーンの瞳が、完全に油断しきっていた赤の妖精に向けられた。
「そ、それは一体、どういう事なんですか?」
エスペリアの声がみるみる険しいものになった。
「え…あ、えっと、それは…!」ナナルゥが慌てて口の周りを拭きながら答える。
隣に座っているハリオンは相変わらず穏やかな笑みを浮かべるのみである。どうやら助け舟は期待出来そうにもない。
ふぅ、と溜息をついて、ナナルゥが説明し始めた。

「―――実は…オルファリルが最近覚えたアイスバニッシャーを試したいから、協力してくれ、と―――。」
我ながら馬鹿馬鹿しい釈明だと思いつつ、ナナルゥは言った。大体レッドスピリットが凍結魔法を使えるはずが
ないではないか。こんな事を話してもエスペリアがはいそうですかと納得してくれるようには到底思えない。
どうして自分はあの時すっぱり練習相手を断らなかったのだろう。
「そ、それでオルファは…?」急き込んで尋ねるエスペリアをなだめるように答えたのはハリオンであった。
「偶然私が居合わせていたので~、今はもう大丈夫です~。どうやらネリーにバニッシャーを
教わってるみたいなんですけどぉ。」
「―――はぁ。……あの娘ったら、そんな事までして…」
二人の予想に反して、エスペリアは妹の行動にあっさり合点がいったようであった。
「あら~、知ってたんですか~?」意外そうにハリオンが言う。
「ええ。最近どういう訳か、アセリアのマネをしたくて仕方がないようなのです。」

「あらあら~。でも、誰だってお姉ちゃんのマネをしたがる時期はあるものですから~、仕方ありません~。」
そう言ってお茶を口にするハリオンの横顔を見ながら、ナナルゥはふと、彼女の間延びしたこの喋り口も
誰かの真似なのだろうかと、余計な事を思った。

「それにしても…よりによってナナルゥを実験台にするなんて…」
エスペリアが眉をひそめる。
「す…すみません、私もあらかじめ魔法力の微調整は出来ないと言ったのですが…」ナナルゥがうつむきながら言った。
「ふふ~、そこでですね~、今日はちょっとナナルゥを懲らしめるために~、神剣魔法を抑える薬を
飲んで貰おうと思ってるんです~。」相変わらず穏やか~な笑顔を保ち続けるハリオン。
しかし、その笑顔を前に、エスペリアの背中で、つー、とイヤな汗がひとすじ流れ落ちた。
「薬――?い、一体何のことですか?」警戒するような視線を送りながらエスペリアが訊き返す。
「ふふふふふ~、オルファから~、聞いちゃいましたよ~?ユートさまのぉ~、苦ぁ~いお薬の話~。」


―――紡がれる言葉。

―――鮮烈なデジャ・ヴ。

―――そして。
「……完全に凍結してしまいましたね。」
座ったまま硬直しているエスペリアの額をつんつんとつつきながら、ナナルゥがあきれたような口ぶりで言った。
鮮やかなアイスバニッシャーを放ったハリオンは、まるで何事も無かったかのように落ち着き払って、
優雅にお茶の風味を楽しむのであった。

――――夢。

そう、これはきっと悪い夢。緑の魔法使いが青の魔法を遣うなんて聞いた事がない。
きっと昼間からお行儀悪くうたた寝なんてしていたからバチが当たったのだわ。
ああ、夢なら早く覚めて。私はユートさまのために、さっさと夕食のメニューを考えないといけないの。

「……すがに…それは…いのでは…」

―――あれは……ナナルゥの声かしら…?

「構いませんよぉ~、エスペリアだって歴戦の勇士ですぅ~。」

―――ハリオン?二人とも、何故ここに……?

「……了解。ではハリオン、危険ですので下がってください。……マナよ、煉獄の炎となりてかの者を……」

「ハッ!?」
ほとんど本能的に身の危険を察知したエスペリアが急激に意識を取り戻した。
「―――チッ。」構えていた『消沈』を下ろしながら、ナナルゥが小さく舌打ちをする。

「あら~、気が付きましたね~、良かったですぅ~。」
集まり始めていた紅い炎のマナをかき分けながらハリオンが室内に戻って来た。
「―――く。」誰だってあの状況下では目を覚まさざるを得ないであろう。しかし、またしても、そう、いつの間にか
またしても窮地に追い込まれているではないか。
前回はウルカという援護役がいたのだが、今回は残念ながら孤立無援状態である。
しかも、相手がハリオンでは、下手な言い訳は通用しそうにない。――残念だがここは。

 この場から逃げ出す。

 なんとか言いつくろって誤魔化す。

→素直にありのままを話す。


……やはり、さっさと白旗を揚げるべきであろう。

ふうー、と長い溜息をついてエスペリアは語り始めた。
「―――最初は、レスティーナ殿下の命令だったのです。」
「女王の?」ハリオンと並んで席に着いたナナルゥが驚きの声を上げた。
「――ええ。」エスペリアがゆっくりと頷く。
「何と言えば良いのか、その……ユートさまがいわゆる欲求不満の状態だと、神剣に呑み込まれやすくなるから、
私が、あの、夜のお相手をして差し上げるように、と……。」相当言いづらそうにエスペリアが言葉を続けた。
「それでは、貴女が生贄になれ、と?」ナナルゥがいつになく気色ばんで身を乗り出した。
「まあまあ、ここは最後まで話を聞きましょう~。」なだめるような口調のハリオン。
「女王様だってその役目にエスペリアを選んだのには、それなりの覚悟があるんでしょうし~。」
「……!」盟友の、思わぬ鋭い言葉に目を丸くするナナルゥ。
「―――貴女には敵いませんね。」自嘲的に笑いながらエスペリアがぽつりと言った。
「私も自分が犠牲になることで事が上手く運ぶのであれば、と思っていたのです。
それに、もしユートさまが完全に神剣に支配されてしまえばアセリアやオルファの身が危険ですし。」
「貴女のその性格も~、少し問題があるようには思いますけどぉ~。」ハリオンが肩をすくめた。
「――そうかも知れません。ただ、私も初めの頃はなるべくオルファ達をユートさまから遠ざけたかったのです。
オルファはまだ人間の事をよく分かっていませんし、人間が皆ユートさまのように寛大な心の持ち主だと勘違いしたら
どうしようかと...。結局――私が誰も信じられなかっただけなのです。」そう言って、エスペリアは目を伏せた。

「―――という事はエスペリア、貴女は毎晩ユートさまに身を捧げていたのですか?」
固まった空気を振り払うように、ナナルゥが話題を戻した。
「――いえ、毎晩というわけではありません。それに身を捧げると言っても、使っていたのは手と口だけです。」
ハリオン、ナナルゥの両名から、おー、と感嘆の吐息が漏れた。
「でもぉ、興奮したユートさまがぁ、貴女を押し倒したりする事はなかったんですか~?」
「それは一度もありませんでした。それどころか、私は体を触られた事すらないのです。」
なにげに口惜しさを滲ませながらエスペリアが答えた。
「言いにくいのですが…、それはひょっとして嫌がられていたのではありませんか?」
「――いえ、そういう訳でもありません。ユートさまも、口では止めろと言いつつ体はしっかりと反応していましたから。」
ナナルゥの直球な物言いに、少しムッとしたような口調でエスペリアが言い返した。
「やっぱりぃ、殿方のアレは大きくなるのですか~?」興味津々といった口調でハリオンがぐっと身を乗り出す。
「ええ。それに大きくなるほど硬くなるのです。」対するエスペリアは割と平静であった。
「不思議ですね。普通に考えれば大きいものほど柔らかくなりそうですが。」
ナナルゥが小首をかしげて言った。
「ふふ~、とっても勉強になります~。それでですね~、勉強ついでにどうしても聞いておきたいのですけどぉ~。」
「――何ですか?」エスペリアが目を輝かせているハリオンに向き直る。
「やっぱりぃ、男の方のぉ、アレから出て来るミルクはぁ~、ものすごぉ~く苦いんですか~?」
「あ、味…ですか?」
少し拍子抜けしたのか、かくんと肩の力を抜くエスペリアに、笑顔のままこくこくと頷き返すハリオン。

「そうですね…少々苦味はありますが、気になる程ではありません。」
エスペリアは目を閉じて、ゆっくりと記憶をたぐり寄せるように答えた。
「あう~、そうですか~、それは残念です~。」
一体どんな答えを期待していたのか、ハリオンが肩を落とす。

「――私も、最初の頃は恥ずかしくてたまりませんでした。でも、だんだん慣れてくると何だか楽しくなってきて…。
恥ずかしそうにされているユートさまの表情が、実はとっても可愛いとか、ユートさまをうまくイかせた後の、
何とも言えない達成感とか……って、あら?」
うっとりと話し続けていたエスペリアが顔を上げた時。彼女の前のテーブルには、もう誰も座っていなかった。

「いたた、引っ張らないでくださいハリオン。せっかくこれからが面白いところだったのに……」
「これ以上長居は無用です~。早く第二詰所に帰らないと、今日は夕食抜きになっちゃいますよ~?」
名残り惜しげなナナルゥの襟首を引っ掴んで歩くハリオンは何故か、妙に不機嫌であった。
「わ、分かりましたから離して下さい。」
なんとかハリオンの手を振りほどき、身なりを整えるナナルゥ。
「一体何が気に入らなかったのですか?」早足のハリオンに歩調を合わせながら、ナナルゥが尋ねた。
「だって、だって、甘くも美味しくもないミルクなんて~、そんなのインチキですぅ~!」
「―――はぁ。……馬鹿馬鹿しい。」ナナルゥはあきれたようにかぶりを振った。
「もぉ、さっさと歩かないなら、先に行っちゃいますよ~!」
まるで駄々っ子のように手をぶんぶん振り回しながらハリオンが言う。
「了解―――あ。」ふと第一詰所を振り返ったナナルゥの目に、厨房の煙突から上がる湯気が目にとまった。
おそらく今頃エスペリアが大慌てで夕食の支度をしているのだろう。

熱いマナを感じる股間をそっと服の上から手で押さえ、夕焼け空を仰ぎながらナナルゥは呟いた。
「しかし驚きでしたね―――まさかエスペリアが、ヒートフロアを習得しているとは。」

……そこはかとなくお下品なナナルゥなのであった。  続く。