PINK☆VANISHER

Ⅳ ~大人の階段のぼる 君はまだシンデレラさ~

「では行って参ります。オルファ、ハクゥテのお世話を忘れてはなりませんよ。」
「分かってるってば。ほら、女王様が待ってるんでしょ?早く行っておいでよ!」

――翌日の昼下がり。
エスペリアはオルファに詰所の留守を託し、城へと出掛ける事になった。
料理などの家事系統に関しては、オルファでも充分こなせるのでこれ自体はそう珍しい事ではない。
だが、ここ最近オルファの飼い始めたエヒグゥが、エスペリアの悩みのタネであった。
ひとたびオルファが餌をやり忘れようものなら、それこそあっという間に野生化して、エスペリア自慢の
ハーブ畑を蹂躙するのである。

「―――では、本当に宜しくお願いしますね。」
「大丈夫大丈夫。『オニノイヌマニ ココロノセンタク』なんだから!」
佳織にハイペリアのことわざを習って、そして憶えたものをすぐに使いたがるオルファ。
しかし意味を充分に理解していないためか、そぐわない場面でそれを用いては、悠人にたしなめられる事が多かった。
だが、残念ながら悠人が居合わせない今、そのことわざが適切な意味なのか否か確認するすべは無い。
後ろ髪を引かれるのか、しきりに振り返るエスペリアに元気良く手を振り見送った後、
オルファは詰所の陰に振り返って言った。

「もういいよ!二人とも出ておいで!」

「やっと行ってくれたねー。」
「ね~。」
オルファの呼び声を合図に、建物の陰からひょっこりと並んで顔を出したのは、背格好のよく似た
双子のブルースピリットであった。蒼い長髪を頭頂部でポニーにくくっているのは、
このところオルファの陰の師匠として暗躍(?)していた『静寂』のネリー。
そしてそのネリーの後ろから隠れるように付いて来たのは、同じく蒼い髪の毛を
短めのおかっぱに切り揃えた『孤独』のシアーである。
「オルファ先生、よっろしく~!」
「あの~、シアーにも、教えてくれるの…?」
意気揚々とやって来たネリーとは対照的に、遠慮がちに尋ねるシアー。
「心配ないって。一人教えるのも二人教えるのも一緒なんだから!さ、早く早く!」
一瞬顔を見合わせた後、二人の蒼い少女は微笑を交わし、オルファを追うように詰所へと駆け込んでいった。


「第二詰所の台所でも良かったんだけどこっちの方が材料が揃ってるからねー。」
二名の生徒を前に厨房に立ったオルファが、腕まくりをしながら言った。
「うわぁ、ホントだー、調味料がいっぱい揃ってる~」
シアーが周囲を見回し、所狭しと並んだ瓶の多さに目を丸くした。
「エスペリアってば……これって差別じゃないの?」ネリーが並んだ瓶の一本を手に取りながら
恨めしげに言った。
「あはは……まあ、エスペリアお姉ちゃんも、パパのことがカンケルゥだからねー。」
苦笑しながらも姉をかばうオルファ。「さ、そんな事より始めるよ!シアー、そっちの赤塩の瓶持って来て!
ネリーは買ってきた魚をそのまな板の上に並べて!!」

―――こうして秘密特訓の火蓋が切って落とされたのである。

「違う、ネリー!もっと野菜は細かく切るの!そんなんじゃパパは食べてくんないよ!
あ~っシアー!鍋にお塩入れ過ぎ~っ!!」厨房の中で、オルファの絶叫とも叱咤とも判別しがたい声が響き続けた。
「ふぇ~、オルファって、結構厳しいんだね~。」シアーが半泣きの表情で野菜のみじん切りと格闘中のネリーに耳打ちした。
「うぅ、まさかこないだのバニッシャーの特訓のお返しかなあ…」ネリーがぼやく。
「ほら!また手が止まってる、ネリー!それとナイフ使う時はちゃんとハクゥテの手でって言ったでしょ!!
そんなに指先伸ばしてたらケガするよっ!」
「あ、は、はいっ、オルファ先生!!」ネリーが慌ててまな板に視線を戻した。

……数時間の後。
三人の少女は神妙な面持ちで目の前にあるシチュー(らしきもの)を見つめていた。
「……じゃ、味見、しよっか。」
何故かぐっと肩に力を入れながらオルファが言った。
「え?味見するの?」これまた何故か額に冷汗を浮かべながらネリーが言った。
「シ、シアーはぁ、ちょっと、体調が……いたた」突然襲ってきた頭痛にお腹を押さえるシアー。
「―――何言ってんの、二人とも。」はぁ、と溜息をついてオルファが言う。
「自分達で食べられないハトゥラをパパに食べさせるわけにいかないでしょ?」
「…そ、そうだよね」ゴクリ、と喉を鳴らして、覚悟したようにネリーが匙を握りしめた。
「じゃ、みんなで一斉に行くよ?せーの、スート!」
「ラ、ラートォ」ネリーに続けてシアーが掛け声を発した。
「「「モート!」」」

――ぱくり。
匙にすくった一塊のシチュー(のようなもの)が、同時にそれぞれの少女達の口の中へと入って行く。
…そして、一瞬の、静寂。
「「「ん~~~~~っ!!」」」
立ち上がった少女達は口を押さえながら、われ先にカップの並ぶ食器棚へと駆け出した。

ぱりんっ!

三人が争ってカップを取り出したはずみに、その中の一つが少女達の手を滑り落ち、派手な音をたてた。
「!」一瞬オルファ達の動きが止まった。が、カップ一つにいつまでも気を取られているわけにはいかない。
「んっ!ごくごくっ...ぷはぁっ!」
「はぁっ、はぁっ!…か、からかったぁ~」
「ふぇぇ~、し、死ぬかと思ったぁ~。」
水差しの水を一気に空けて、ほっと一息入れる三人。

「あ~あ…割れちゃったねぇ…」シアーが床に目を落としてつぶやいた。
「あ、あはは……後でエスペリアお姉ちゃんに謝っとくから心配しなくても良いよ。」
苦笑いを浮かべてオルファが片付け始める。ネリーとシアーが慌てて手伝った。

「……それにしても、料理って難しいんだねえ。」
欠片を集めながらネリーがぽつりと言う。
「ま、誰でも最初はあんなもんだってば。二人ともオルファがこれからびしびし鍛えてあげるんだから心配ないよ!」
意気消沈する双子を励ますようにオルファが明るい口調で言った。
「…え?あ、あのぉ、まだ特訓するの~?」やや不安そうにシアーが尋ねる。
「あったり前でしょ~、まだ練習は始まったばっかりだよ?それともパパに料理作ってあげるのはあきらめちゃうの?」
しばらく顔を見合わせるネリーとシアーだったが、やがて二人とも気を取り直したように力強く答えた。
「ま、まだまだこれからだもん!」
「だもん~」
むっとした弟子達の顔を見て、オルファは笑いながら頷いた。
「そうそうその意気!『ヘタノヨコズキ』だよ!」
「へ?なにそれ?」聞き慣れぬ言葉にネリーが小首をかしげる。
「ハイペリアの言葉なんだよ。何ごとも努力すれば何とかなるって言う意味らしいんだ。」
得意満面でうろ覚えの知識を堂々と披露してみせるオルファ。
…ファンタズマゴリアで日本語が崩壊する日も、そう遠くはないことであろう。

「じゃ、また今度!明日はネリーが先生だよ!」
溌剌とした口振りでネリー達が手を振る。第二詰所に去ってゆく二つの影を見送った後、
独りになったオルファは、はぁっ、と溜息をついた。
「……やっぱり、お仕置きかなぁ~?」
先刻割れてしまったカップは、よりによってエスペリアの大のお気に入りのものであった。
「……ま、壊れちゃったものは仕方ない、か。」
かぶりを振りながら振り返ったオルファの紅い瞳に、しかし、追い討ちのような惨事が飛び込んで来た。
「あ………っちゃあ~……」
絶句し立ち尽くす少女。「そう言えば、ハクゥテのごはん、忘れてた……」
時既に遅し。散々に食い荒らされたハーブ園の真ん中で、当のハクゥテはうららかな午後の日差しを浴びながら、
悠々と昼寝を決め込んでいたのである。
大抵の事では快活さを失わぬオルファの額に冷汗が滲む。と、その時。

「よっ!」
凍り付いた少女の小さな頭上にぽふっ、と大きな手が置かれた。
「ひゃっ」びくん、と一瞬体を硬直させたオルファであったが、じきにその声の主に気付き、
満面の笑顔を見せた。
「―――パパ!帰って来たんだ!」
ランサでの哨戒任務を終えて、ラキオスに戻ってきたばかりのエトランジェの姿が、そこにあった。

「何だ、そんなにびっくりして。また悪戯でもしたのか?」
にこにこと笑いながら悠人は、オルファのピンク色の頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「え…えへへ。またハクゥテにやられちゃった…」バツが悪そうな照れ笑いを浮かべるオルファ。
彼女が指差した先に視線を移し、一瞬苦笑いを浮かべた後、悠人はスタスタとその方向へ歩き出した。

「仕方ない奴だな。―――よっ、と。はは、全然起きそうにないなこいつ。」
悠人は畑の中から爆睡中のハクゥテを拾い上げ、抱きかかえた。
「……で、エスペリアは?」
「あ、エスペリアお姉ちゃんなら、女王様に呼ばれてお城に行ったよ。」
エスペリアの姿を探してきょろきょろと辺りを見まわす悠人の姿に、一抹の寂しさを覚えながらオルファが答える。
「―――そうか。じゃ、報告は後でいいや。とりあえずひとっ風呂浴びて来るよ。…ほれ。」
ハクゥテをオルファに渡しながら悠人は顔をしかめた。「砂と埃と汗でドロドロになっちまったよ、全く。」
「あ…ありがと、パパ。」浮かぬ顔でオルファがハクゥテを受け取る。
「――なんだ、オルファ、ずいぶん元気が無いな。心配するなって。エスペリアには後でパパが一緒に謝ってやるからさ。」
もう一度くしゃりとオルファの頭を撫でた悠人は、踵を返して浴場に向かって行った。

「―――ハクゥテの、バカ」
悠人の大きな背中を複雑な気分で見送りつつ、オルファは呟いた。
エスペリアの事だからハーブ畑やカップの事で悲しむことはあっても、それ程怒りをあらわにはしないだろう。
それを考えれば、わざわざ悠人にとりなして貰う必要性も無い。
「――うぅ~~。」だが、オルファの胸の中に渦巻き始めた得体の知れないもやもやは、
このとき既に、後戻りの出来ないレベルに達していたのである。

―――気が付いてしまったのだ。いくらネリー達に先生などと呼ばれて浮かれてはいても、
悠人やエスペリアからは自分は所詮、子供扱いしかされていないという事に。

「ほらぁ~、早く歩かないと置いてっちゃうよ、シアー?」
二人で並んで歩いているとシアーが遅れがちになるのはいつもの事であったが、
今日のシアー歩みははそれに輪をかけてスローテンポであった。
「――うん…あのね、ネリー……」来た道を振り返りつつシアーが言う。
「な~に?」痺れを切らして舞い戻ってきたネリーがシアーの顔を覗き込む。
「今日割れちゃったカップなんだけど……あれ、エスペリアの一番のお気に入りじゃなかったかなぁ~……」
懸命に記憶の糸をたぐり寄せながらシアーが続けた。
「――え?」
ネリーの額につー、とひとすじの冷汗が流れた。確かに、言われてみればそんな気がする。
「オルファはぁ、大丈夫って言ってたけどぉ~...」シアーが不安そうな面持ちで今来た方を振り返った。

「――シアー、戻るよ。」シアーの後ろ姿をしばらくじっと見つめていたネリーが決然と言った。
「え…?」
「このまま知らんぷりしてたら『くーるな女』になんてなれないよ!」
言うが早いかウィングハイロゥを展開させてとんっ、と軽やかに地を蹴るネリー。
「ま、待ってよぉ~、シアーを置いてかないでぇ~!」
シアーが慌てて「姉」の後を追う。…胸のつかえが取れたような、ほっとした表情を浮かべながら。

……ばしゃーん、かこーん。

「ん~~っ、やっぱこれだよ!」
威勢よく掛け湯をした悠人は思わず唸った。この世界に来てからというもの、心休まるひと時があったとすれば、
それはこの大浴場で汗を流す時間をおいて他にはない。欧米風の殺風景なユニットバスなどとは
比べ物にならない開放感。湿った木の香り。目に沁みこむ湯気すらが心地よかった。

残念ながら要衝の地・ランサは水が豊富ではなく、そのため悠人をはじめとする防衛部隊は、
簡単な水浴びですらままならなかったのである。
「――赤い道、か。」
悠人はこれから先続くであろう過酷な進軍を思いながら呟いた。
その脳裏に、はるかスレギトへと続く荒涼とした一本道が浮かび上がる。
砂煙の合間を縫うように延びているその道は「ヘリヤの道」、そう呼ばれているのだとエスペリアが教えてくれた。
今でこそランサでの散発的な防衛戦に徹しているだけであるが、いつまでもこの膠着状態が続くとは思えなかった。
炎天下での本格的な戦争が始まるのも時間の問題なのだろう。

がららっ!

気が滅入り始めていた悠人の後方で突然、扉が元気な音とともに開かれた。
悠人の背中に湯気を押しのけた冷気が漂って来る。振り返らずとも音だけで、誰が入って来たのか予想はついた。

「パパが居る時は入って来ちゃダメだって言ったろ。」
苦笑しながら悠人は言った。初めてオルファが入浴中に闖入してきた時には度胆を抜かれたものだが、
最近ではすっかりこの状況に慣れてしまっていた。
元来女性しか居ないスピリット達の風呂を使わせて貰っているのは自分である。
ましてや男湯や女湯の概念が無い彼女達に向かって「混浴が恥ずかしい事だ」などと説明してもピンと来ないであろう。
流石にエスペリアがメイド服を着たまま入って来た場合であれば、男として余裕を持って構えてはいられないが、
オルファやアセリアが悠人と一緒に食卓を囲むのと同じ感覚で入って来ることに対しては、それほど意識せずに
すむようになっていたのである。多分、光陰には一生かかっても到達出来ない「悟りの境地」、とでもいうやつなのだろうか。

「背中…流したげる。」
だが、いつもよりも張り詰めたオルファのその声に、思わず悠人は振り向いた。   …続く。