朔望

円舞 Ⅰ

 §~聖ヨト暦331年エハの月黒よっつの日~§

より強い敵の気配を追いかける。微弱になっていくそれが向かう方向。
踏み込む木の枝が撓る。反動で風を切り、流れる景色の中、森が左右に割れる。
第一詰所。確かに敵はそこに向かっている。鞘の中で『月光』が淡く告げていた。

「…………!」
正面に、認識した。こちらに背を向け、駆けている見慣れぬ後姿。3人。
周囲に味方の気配は無い。ファーレーンはきゅっと唇を噛み締め、覚悟した。
ウイングハイロゥを細く窄める。前に引っ張られるように加速していく体。
鞘を滑らす神剣が、音も立てずにその内の一人に斬り付けていた。

が、ぎぃぃん!
削れるような音で、避わされた初撃。それでも構わなかった。勢いを殺さず、前に出る。
驚くようにこちらを向く残りのスピリット。レッドスピリットの初動が遅い。
駆け抜けた勢いをそのままに、幹にめり込むほど強く大木を踏みしめた。
水平方向に流される体を無理矢理縮め、反発力を一気に開放する。ばさばさと舞い散る木の葉。
既に鞘に収めた『月光』。頭から敵の懐に潜り込む。伸び上がりざま、見上げた。
敵の胸に刻まれた三首蛇と、振りかぶろうとしたまま静止した神剣と。そして。
「こんな…………」
何も映していない瞳が発する、酷く無機質な気配。思わず背中にぞっとしたものが走る。
その予感は、正しかった。自分が鞘を抜いた後に動いた、もう一人のブルースピリット。
死角から飛び込んだ影が、一瞬後には『月光』を受け止め、刃の上にその神剣を滑らせていた。


 ――――――――
              
陽動を終え、いよいよ本命・・に向けて森の中を駆けていたウルカは、先程からの違和感に首を傾げていた。
城を押さえていた部下達の気配が、一瞬にして消えうせたのだ。それは、まるで自然の理のように。
滑らかに、当たり前のように失った為か、一瞬それに気づかなかった程だった。
「あの、エトランジェ殿か……?」
一瞬そんな思いが浮かんだが、あのイースペリアでの出会い以来、それほどまでに急成長したとも考えにくい。
素養はあるとは感じているが、それもまだ将来のこと。今はまだ未熟の域を踏み越えてはいない。

……妖精部隊の精鋭を、造作も無く消滅させる。
大体そんな芸当が出来る存在を、ウルカは知らなかった。彼女の主である、『誓い』の持ち主以外には。
第一、エトランジェは先程から捕捉している。
真っ直ぐに“本命”に向かっている気配。このままでは先に到着される可能性があった。
「……足止めが、必要か」
呟き、丁度良い幹を見つけ、大きく反動を付ける。方向を転換しながら、漆黒の翼を羽ばたかせた。

 ――――――――


ざくり、という音が聴こえたのは、咄嗟に逸らした腕からだった。
「……あぅっ!」
口元から、悲鳴が漏れる。迸る血が深手を認めていた。逆胴に薙がれた肩口。
距離を稼ごうとバックステップしながら、敵の神剣に吸い込まれる金色のマナを感じる。
強い。先程から振るっているのは利き腕。手加減をしているつもりは全く無い。
ダラムで会った敵。あの時は不覚を取ったが、それでも「戦い」にはなった。
それが今回は、まるで通用していない。3人いるとはいえ、敵が速すぎる。
ファーレーンは兜の奥から流れる冷たい汗を感じながら、周囲の気配を油断無く探った。

「…………くくく」
背後で、忍び笑い。勢いを殺せない。諦め、体を捻る。そこにブラックスピリットが迫っていた。
「くっ!」
瞬間、地面を蹴り上げ、ウイングハイロゥを羽ばたかせる。同時に来た斬撃が、下方で唸った。
巻き上がる空気の渦。衝撃が遅れて来る。木々を越え、月が浮かぶ真っ暗な空へと逃げながら口を開く。
「神剣よ、我が求めに応えよ、この身を糧にして力とせよ……くぅっ!」
必死で紡ぐ高速詠唱。今使える、最大の神剣魔法。『月光』が、一気にマナを吸い込んでいく。
自分が消えていくような錯覚。使いたくは無かった、自らを糧にして自らを高める、諸刃の剣。
「マナよ、炎の槍となって敵を貫け……」
「マナよ、黒き衝撃となれ 彼の者に破壊の力を……」
同時に始まったのは、またもや知らぬ敵の詠唱。ダラムの時と同じだった。
ただ今回は、自分と同じブラックスピリットまでもがそれを準えていた。

振り向かなくてもレッドスピリットの神剣に火球が、ブラックスピリットの周囲に黒い霧が発生するのを感じる。
ブルースピリットが銀色に輝く神剣を翳しながら飛び上がろうとしている気配。
「ぐ、く…………ブラッド、ラストっ!!」
構わず、詠唱を完了した。とたん、湧き上がる殺意。闇の力が体を満たす。純粋な破壊の衝動が心に響く。


 ――――――――

「……っ! みんな、気をつけろっ!」
第一詰所まであと僅か、という所で悠人は突然立ち止まり、叫んだ。
その視線の先、森の奥から浮かび上がる褐色の肌。赤い瞳。そして銀色の髪。
細身の剣を鞘に収め、やや伏せ目のまま、『漆黒の翼』がそこに居た。

「再び見(まみ)えることになるのも、また縁……」
静かな、それでいて力の篭められた抑揚が響き、神剣に纏わり付く黒いマナが蛇のようにうねる。
「……みんなは先にっ! ここは俺が抑えるっ!」
両手で握り締めた『求め』が、薄く光り出す。オーラを展開しつつ、悠人はもう一度叫んでいた。
時間が惜しい。しかし、この敵はそう簡単に通してはくれない。
ばらばらっ、と背後で駆け出す複数の足音を確認することも出来ず、悠人は正面の敵に対峙した。
追撃が出来ないのかしないのか。立ち去るのを黙殺した後、『漆黒の翼』は静かに呟く。
「ラキオスのユート殿、アセリア殿、手合わせ願おうか……手前はウルカ、『漆黒の翼』ウルカ」
そう言って漆黒の翼――ウルカは、ゆっくりと前傾姿勢を取った。
それだけで、身震いするほどの殺気。悠人はその自然な動きに、力の圧倒的な格差を感じた。
「…………全開でいくぞ、バカ剣」
集中し、目を細める。無言の『求め』から伝わってくる歓喜。
その刀身から溢れる青白いオーラを見て、ウルカが嬉しそうに呟く。
それはまるで、『求め』の心情を見透かしたような言葉。
「これほどの使い手たちと戦えることに感謝する…………参るっ!!」

 ――――――――


ファーレーンは異色の攻撃を同時に相手しなければならなかった。
「……フレイムレーザーッ!」
「ダークインパクトッ!!」
「我がフューリーを受けて……死ねっ!」
地上で詠唱を終えたレッドスピリットの神剣から、火球が迸る。
あまりにも膨大な熱量は放出する際に歪んだ形状として表れ、細長く槍のように直線的に飛来する。
一方のブラックスピリットが放ったのは、周囲から光を奪う、拡散された霧。
形成された魔法陣が黒光りの中でマナを蝕みながら、信じられないスピードで増殖する。
そして飛び込んできたブルースピリットの斬撃は、空気との摩擦で眩いばかりの残像を残して襲い掛かった。
「…………負けませんっ!」
どれも、見たことのない技だった。そして、どれも遥かに自分を凌ぐ、強大な力を感じた。
三方から迫る、死。絶対に思える絶命。それでも。
「わたしにだって…………戦う理由があるんですっ!!」
ファーレーンは、歯を食いしばりながら叫んでいた。

規模の少し・・違う、アイアンメイデン。熱量の少し・・違う、ファイアボール。少し・・速いだけの、インパルスブロウ。
そう、思い込んだ。あらん限りの力で。意地に呼応して収縮したハイロゥが、シールドに変化する。
落下しながら、火の槍を防いだ。抵抗の少ないこの状態で、これだけはまともに受けるわけにはいかない。
鋭角的に弾いた衝撃で、体が揺れる。落下しながら、あらぬ方向を焼き尽くす炎の蛇の熱さを感じる。
がくん、と一瞬力が抜けた。霧に喰われたマナが、右足の感覚を奪っていた。
迫る地面。真正面に、逆さに迫るブルースピリット。浮いた体勢で、籠手を翳す。
微妙に角度を付け、再び展開したウイングハイロゥでその柄辺りを押さえた。
だが衝撃は、あきれ返る程だった。軌道を逸れ、なおかつ防がれてさえ、それでも全身を吹き飛ばされる。
離れざま、渾身の一撃を振り切った。が、それでも『月光』に手応えは無かった。