朔望

円舞 Ⅱ

 §~聖ヨト暦331年エハの月黒よっつの日~§

地下道を駆けながら、ニムントールは黙り込んでいるレスティーナに落ち着かなかった。
俯いたまま引かれるままに手を引っ張られ、躓きよろける姿には、普段の毅然とした様子が欠片も無い。
「……………………」
虚ろな瞳をどこか遠い所に飛ばし、茫然自失、といった雰囲気。
先程寝所に駆け込んだとき、その惨状には確かに目を見張った。王と、王妃が殺されていたのだ。
ただ感じたのは、任務が半ば失敗したという失望感。他には何も無い。
後は、ファーレーンの指示通り、レスティーナ皇女を守る。それだけに気持ちを切り換えた。
「…………もうすぐ、出口だよ」
だから、ニムントールには理解出来なかった。今のレスティーナの心境などは。
こくり、と僅かに頷く気配。ニムントールはこっそりと溜息を付いた。

上手く敵には遭遇せずに第一詰所に辿り着いた時、そこはまだひっそりとしていた。
「えっと地下室は…………」
扉に手を伸ばす。ノブを掴み、捻った時。

――――どおおおん……

中で、巨大な爆発音がした。
「なっ…………!」
咄嗟に皇女の身を庇うように背中を向ける。防衛本能からか、勝手に楯状に変化するハイロゥリング。
ばっ、と背後が急に明るくなった。館は、燃えていた。火の粉が舞い、ニムントールの周囲を照らした。

 ――――――――


当たらない。いかに攻撃力を増強しても、当たらなければ意味が無い。ファーレーンは唇を噛んだ。
その代償に失った右足とマナは、神経を削り身を喰らい、衝動だけを訴えかけてくる。
神剣本来の欲求。『月光』の干渉。激痛で意識が刈り取られる。
「か、は…………」
どん、と叩きつけられた大木から、背中に痛みが走った。ずるずるとその場に沈み込む。
詰まった息を無理矢理吐き出すと、赤い霧が細かく散った。
苦痛に耐えながら顔を上げた先。そこに、飛来する焔の熱が迫った。
「……!」
詠唱は、無かった。確かに避わしたファイヤーボール。それが何故、今頃になって――――

ファーレーンは、知らなかった。高位の神剣魔法の中には、連続して放てるものがあるという事を。
威力が小さいからといって、決して油断してはいけない、という事を。
それは皮肉にも、自分達ブラックスピリットが得意としている連撃が教えてくれていた事。
「…………ユート……さま…………」
一杯に広がる朱を前に、ファーレーンには最早、なす術が無かった。

――――あらあら~。

覚悟を決め、目を閉じた瞬間、突然上空から落ちてくる声。同時に軌道を変えて消滅する脅威。
どこから現れたのか、巨大な緑の盾が神剣魔法を弾き飛ばしていた。
「大丈夫ですかぁ、ファーレーンさ~ん?」
振り向き、ニッコリと微笑むハリオンがそこにいた。手にした『大樹』が陽炎のように揺らめいている。
穏かな口調とは裏腹に、目が笑っていない。敵に再び対峙した時、その後頭部に「♯」マークが浮いていた。
「ハ、ハリオン、あの、どうして…………」
「もおぅ、寄ってたかってファーレーンさんをいぢめて~! めっ、めっですう~!」
突然のことに事態を把握できず、目を丸くしているファーレーンの前で、『大樹』が唸りを上げる。
増援に、一瞬動きの止まった敵。再び殺到しかけたその足が、ハリオンの迫力にぴたりと止まった。
同時にひゅん、と風の切るような音が、ファーレーンの両脇から聴こえる。横から飛び出して来た二つの影。
「これで3対4だけど……卑怯なんて言わないわよね」
「手加減はしません……」
ルージュのマナを纏った『熱病』。紅蓮に燃える『赤光』。セリアとヒミカが怒りの口調で呟いていた。


 ――――――――

「…………ぐぅっ!」
初手、僅かに数合を交えただけで、悠人達は血塗れになっていた。
致命傷は避けている。それでも、あちこちに出来た斬り傷から、マナがどんどん抜けていく。
金色に舞うそれは、ゆっくりとウルカの神剣に吸い込まれ、その黒い輝きを闇の中に浮かび上がらせていた。
「ふ……手前が初手で決着をつけられぬとは。流石は名高きラキオスのスピリット」
まだ余裕のある口ぶり。まるで剣術の師範のような態度。悠然と構えた神剣が、しかし突然に下ろされた。
「……?」
「…………ここまでとしよう。手前には別の使命があるゆえ」
「せやぁっ!」
力を抜いたウルカに一瞬の隙を見つけたのか、エスペリアが『献身』を突き出す。
一気に間合いを詰めての、緑色の粒子を纏う、最速の突き。
「フッ…………」
「…………ッ!?」
だがそれは喉元を捉える寸前、僅かに身を逸らしただけのウルカに避わされていた。
突きの間合いを完全に見切った動き。瞬間動きの止まった二人の視線が合う。
「……ハッ!」
即座に踏み込んだウルカの剣が、エスペリアの肩口をざっくりと斬り裂く。
「あ、あくっ!」
動きについていけず、甘んじて受けたエスペリアが傷を押さえて後退した。
「…………またの機会を、待つ」
ウルカの背中に、闇の翼が大きく広がる。次の瞬間、その姿は既に虚空に飛び込んでいた。
「待てっ!使命ってなんだっ!!」
空中で、一度振り向いた瞳に、哀しみの色が浮かぶ。しかしそれきり、ウルカの背中は夜に消えていった。
(…………?)
「館の方角ですっ!ユートさま、カオリさまがっ!!」
エスペリアの声にはっと我に返って見つめた先が、ぱっと明るく輝いた。第一詰所の方角だった。
「っ!? 佳織が危ないっ! みんな、行くぞっ!!」
悠人は全速力で、詰所に向かって駆け出した。


 ――――――――

ファーレーンの横をすり抜け、殺到した相手はブラックスピリット。
速さで劣る分は、一撃の重みでカバーすればいい。踏み込んだセリアの体が大きく撓った。
「ハァッ!」
振り下ろす『熱病』。同時に繰り出される敵の神剣。それを攻撃に使えば、或いは相撃ちだったかもしれない。
ばきんっ。
「…………!」
防御に回したそれはあっけなく砕かれ、そして一言も発せず倒れた主と同じようにマナの霧に還って行った。
「マナよ、炎の槍となって敵を貫け……フレイムレーザーッ!」
同時に襲い掛かってくるのは灼熱の槍。一旦後退したレッドスピリットが再び唱えた神剣魔法。
地面を嘗め尽くし、燃え上がらせながら迫るそれに、しかしセリアは冷静に対処していた。
「マナよ、我に従え彼の者を包み、深き淵に沈めよ……」
面倒臭そうに掌を持ち上げ、『熱病』を振りかざす。その先に、極端に分子運動の少ないマナを靡かせて。
「……エーテルシンク」
滑らかに、紡ぐように打ち出された氷のマナは、放たれようとした次弾をも含めて、炎を一気に消滅させた。

両刀型の神剣に炎のマナを纏わせた時、ブルースピリットが迫ってきた。青白く光る刀身とウイングハイロゥ。
全体重を加速に乗せて打ち込むその技にヒミカは敢えて逆らわなかった。
がん、と鈍い音を立てて、二つの神剣が衝突する。
「…………甘いっ!」
削られ、火花を散らすそれを挟んで向かい合いながら、ヒミカは膝を蹴り上げた。
反射的に身を捻るブルースピリット。その戦士なら当然の反応が、今は致命傷になる。
「…………はぁっ!」
一瞬緩んだ敵の剣をいなし、フェイントの蹴りを畳んだ反動で『赤光』を振り切る。
頭蓋を割られ、ひゅう、と風の漏れるような音を立てて、ブルースピリットは沈んでいった。

どすん、という鈍い音。緑雷を纏い放たれた『大樹』は、残ったレッドスピリットの心臓を的確に貫いていた。


「これで全部かしら」
「そうね、後は館に向かってみないと……」
呆然と二人の会話を聞いていたファーレーンは、ようやく我に立ち返った。
「強い…………」
もちろん、倒されたソーマズフェアリー達のことではない。
先程までの凄まじい戦い。終えてなお、平然と立ち話をしているヒミカとセリア。
いつの間に、二人はこれほどまでの力を身につけたのか。あの妖精部隊を退ける、そんな力を。
個別に戦えたというのは些細な理由付けにしかならない。それほど、一蹴ともいえる鮮やかさだった。
「はい~、痛いの痛いの飛んでいきましたぁ~」
「…………あっ! ありがとうございます、ハリオン」
思考は、間延びした声に中断された。ファーレーンは慌ててぺこぺこと頭を下げる。
自分は既に、彼女達に「凌がれて」いるのかもしれないと思いながら。

「拙い、わね」
「急ぐわよ、ハリオン、ファーレーン!」
ヒミカの叫びが事態の急変を端的に示す。館の方角から、どん、という爆発音。
同時に詰所の方角の空が焦がすような朱色に染め上げられていた。
「…………カオリさまっ!」
ファーレーンはまだ少し馴染まない感覚に逆らいながら、無理矢理に膝を伸ばした。