朔望

円舞 Ⅲ

 §~聖ヨト暦331年エハの月黒よっつの日~§

天を焦がす火の柱。舞い上がるマナにも似た火の粉。近づくまでもなく感じる痛いほどの熱、煤の匂い。
壁のいたるところから大量の煙が染み出すようにこぼれ、建物全体を包んでいる。
悠人が辿り着いた時、その勢いはもう防ぎようがない所にまできていた。
「佳織っ!」
「危ないっ! ユートさまっ!」
がしゃんっ!思わず駆け寄ろうとした悠人を、エスペリアが懸命に抑える。
その前方で館の窓が大きく内から弾け、そこから炎の塊が噴き出した。ガラスの破片が舞い散る。
「くっ!……離せエスペリア!あそこにはっ!」
それでも振り払い、飛び込もうと身を捩った拍子に一瞬見えた。屋根部分を覆う煙が、ぶわっと割かれるのを。

『…………上だ』
黒煙よりも尚暗く、闇よりも尚昏き漆黒の翼。その両翼が勢いよく羽ばたき、炎の壁をこじ開ける。
逆巻き靡く銀色の髪。灼熱より赫く、夜を見据える深紅の瞳。いやというほど目に焼き付けられた姿。
そしてその剥き出しの褐色の腕の中。一際白く、小さい手が伸ばされていた。
懸命に身を捩るその姿が目に飛び込んできた時。

「お兄ちゃんっ!」
「…………佳織ぃぃ!!」
怒りが、全身を包んだ。

 ――――――――

「ニムっ!」
「あ、お姉ちゃん」
館から少し離れた所で座り込んでいるニムントールに、ファーレーンは慌てて駆け寄った。
口調から、どこにも怪我をした様子は無い。隣にはレスティーナ皇女。憔悴しきった感じだが、こちらも無事のようだった。
「ニム、何故ここに? それにレスティーナさまも」
「うん、こっちの方が安全だって言われたから。でも……」
ちらっと見たニムントールの表情がやや曇る。目も虚ろに燃える詰所を眺めているレスティーナ。
その気配にまだ話すのは無理だと判断し、ファーレーンはニムントールに向き合った。
「それで、城の方は?」
「判らない。みんな死んじゃってたけど」
「そう……」
聞かれた意図が掴めず、首を傾げながら目を細めるニムントール。強くなった火勢が眩しいのか。
この様子だと、心配されたルーグゥ派の動きは無かったようだ。ファーレーンは半ば安心し、拍子抜けした。
こんな時ですら、その動きは鈍重らしい。事態を把握出来ずに恐れて動けないのか。
それともこの騒ぎの中で、対応も出来ずに全員殺されてしまったのかも知れない。
どちらにしても、彼らの命運はこの時点で尽きた、と言っていいだろう。あとは…………
「…………レスティーナ、さま」
佇む時期ラキオス王を窺う。先程の事を忘れた訳では決して無い。結果とはいえ、その父を手にかけた。
それは血の繋がりなど朧気にしか理解出来ないファーレーンにも、尋常では無い悲しみに思える。
この心優しい少女が、それに耐えられるかが心配だった。
(……それでも今は、立ち直って頂かないといけない)
しかしこんな時一体どんな言葉をかければ良いのか、ファーレーンは判らずに戸惑っていた。

――――佳織ぃぃ!!

「…………ユートさま?!」
向こうで、悲鳴のような声が微かに聴こえた。
こちらからは影になって見えないが、誰かと対峙しているようだ。ファーレーンは咄嗟に駆け出そうとして、
「!あれは…………」
強力な圧力に押されるように押し留まった。悠人の周囲に、巨大なマナが凝縮されようとしていた。
「ユートくん…………」
ニムントールに支えられたレスティーナがよろよろと立ち上がっていた。


 ――――――――

「シュン殿は我等の主。手前どもは『誓い』の下に集う剣……」
ウルカが瞬の名前を口にした瞬間、悠人の中で何かが壊れた。

瞬。ヤツが、この世界に来ている。あの瞬が。佳織を。そんな事は、許さない――

『じゃまだ、どけっ!』
『お前は疫病神なんだよ、佳織にとっては』
『僕の方が、絶対に佳織を幸せに出来る……お前なんかより』

次々とオーバーラップする苦々しい記憶。憎悪のぶつかり合いのみで構成された関係。
少しづつ『求め』の怒りに呼応していくドス黒い感情の昂り。

 ――――佳織は僕のものだ。取り戻したかったら、追って来い――――

『砕けっ……契約者よ、『誓い』を砕くのだっ!』

どくんっ!
蓄積された、そして恐らくは今歯止めを失った、行き場の無い破壊衝動が溢れ出す。
内と外、同時に臨界を越えた憎悪は混ざり合い、遂にその目標を明確にした――「瞬」と『誓い』に。

…………『誓い』を砕け! 『誓い』を滅ぼせっ!

「うぉぁおぅぁぁぁぁぁっ!!!」

悠人の全身に、金色の光が立ち昇った。

 ――――――――


悠然と羽ばたく黒い翼が消え去っても尚、悠人は跪き、消え逝く魔法陣を見つめ続けていた。
信じられない位に広がった紋様。そこから迸った蒼い無数の光の槍。
今も『求め』が沈黙してしまっているほど、その全能力をいかんなく発揮した神剣魔法。それを。

…………俺は、誰に向けて・・・・・放った――――?

地面に突き刺したままの『求め』が、かたかたと震えだす。
奥歯が噛みあわなかった。不規則に鼓動する心臓。恐怖。締め出されるような言葉が漏れる。
「ちきしょう……佳織……かおりぃぃぃぃっ!!」
がっ、と地面に両拳、そして額を打ち付ける。そしてそのまま動かなかった。動けなかった。
全ての力を使い果たし、悠人の意識はゆっくりと落ちていった。


悠人が再び目覚めた時、既に館の消火は終わっていた。兵士達があちこちで忙しく動き回っている。
翳った意識の中、ぼんやりと浮かぶ、覗き込んでくる顔。ロシアンブルーの、見慣れた瞳。
「……ファー、俺…………佳織っ!」
「っ! いけませんユートさま、まだ動かれては……」
「そんな事言ってられるかっ! 佳織がアイツに、アイツにっ!」
「あっ! ユートさま?!」
振り払うように起き上がり、ウルカが飛び去った方角に一歩踏み出し、よろける。
悠人は構わず『求め』を杖代わりに歩き出そうとした。

ばんっ。
急激に頬に痛みが走る。驚き、顔を上げるとレスティーナが立っていた。毅然と悠人を睨みつけて。
「そんな体で……死にに行く気ですか……?」
絞り出すような、苦しいような呟き。その瞳に湛えられている深い哀しみ。理解する前に、膝から力が抜けた。
再びその場に倒れこみそうになる。慌ててファーレーンが脇から支えた。
「……約束します、必ずカオリを助けると」
落ち着き払ったレスティーナの声に、張り詰めた気持ちが少しだけ緩む。悠人は黙って俯き、頷いた。


再び戻ってきた謁見の間。そこに、残った戦力が全て集められていた。
レスティーナは玉座に座らず、上座にも上らず、ただ皆の前に立っている。
正面に、膝をついて顔を上げるスピリット達全員と、エトランジェ。それは、今までとは違う「近さ」。
今更到着し、未だ事態をまるで把握していない重臣達が、置かれている状況についていけずに戸惑っていた。
「…………さて、現状は今話した通りです。王と王妃は帝国の手によって倒れ、更に多くの兵達を失いました」
ざわざわと見苦しい程に動揺する旧ルーグゥ派。その一人、軍を総括していた者が名指しで呼ばれる。
その男はこの混乱の中、城の地下水路で震えている所を“保護”された。
突然の敵襲に動揺していたのか、見つけた味方の兵士に斬り付けようとまでしたという。
汗を拭きつつレスティーナの前に引き出されたその顔は見るも無残な程ひしゃげ、そこからは焦りが滲み出ていた。

「こうも易々と城に潜入された責任、取るべき者が取らなければなりません……わかりますね」
「…………くっ」
「下がりなさい。もはや王宮に、臆病者の腰を温める席など必要ありません」
ぴしゃり、と言い放つレスティーナの口調に、聞こえるほどの舌打ちをした彼は、
ぶるぶると両の拳を握り締めながら謁見の間を後にした。確認してレスティーナが叫ぶ。

「お聞きなさい! 父も母も倒れました。……その志を継ぎ、守る為にわたくしは、我がラキオスの
 正統な継承者として宣言します。帝国を倒し、ラキオスの理想を国の誇りと共に打ち立てると!」

おおー、と歓声が上がる。それは意外にも、後方に控える兵士達の間から始まった。
「レスティーナ陛下!」
「新たな女王にマナの導きがあらんことを!」
一瞬の後、目端の利いたルーグゥ派があっさりと志操を翻した事で、その声は次第に大きくなっていった。

レスティーナの見事な「演技」に感心しながら、ファーレーンは注意深く目線だけで周囲をチェックしていた。
この演説に同調しようとしない、未だ何かにしがみ付こうとしている者達を確認する為に。
そしてこの後、ファーレーンの報告により彼らは次々と更迭される。旧ルーグゥ派はこの日をもって崩壊した。