朔望

arioso

 §~聖ヨト暦331年エハの月黒よっつの日~§

ぱたん、と背中で扉が閉まる。
薄暗い部屋はどこか余所余所しく、冷たく重い空気で満たされていた。
窓際に歩み寄り、そっと振り返る。いつもの、何の変哲もない自分の部屋。この世界での、仮の部屋。
「…………くそっ!!」
ばん。激しい音を立てて『求め』が床に転がる。ついさっきまでは、この空間に温もりがあった。
大切な、守りたい妹がいた。安心できる、優しい佳織の笑顔。やっと取り戻したと思っていた、日常。
「瞬…………瞬っ!!」
苦しい位の憎しみが走る。ぎりぎりと歯噛みした口が破れ、滴り落ちる鮮血。
耐え切れず、壁を叩きつける。どん、と鈍い音が鬱積された感情を冷ますことなどない。
それでも今の悠人にとって、怒りのぶつけどころが他に無かった。
「許さない…………許せない…………」
肉が破れ、傷ついた拳をじっと見つめながら呟く。最後に見た佳織の表情が咄嗟に思い浮かんだ。
「それなのに……俺は…………何を…………」
許せない。それは、瞬に対してか。それとも妹に向けて神剣の力を解放した自分自身に対してなのか。
答えは、出なかった。

 ――――サクキーナム カイラ ラ コンレス ハエシュ……

「え…………?」
不意に遠くから流れてくる詩。ゆっくりと窓の外に目を向ける。大きく浮かぶ月。求める姿はしかし見えない。
『大丈夫ですよ……』
そうしてまた脳裏に浮かぶ、いつか聞いた声。こういう時、決まって思い出される穏かな微笑み。
繰り返し流れる旋律のように沁み込んで来る言葉が、いつしか心の拠り所になりつつある。
荒々しかった呼吸がいつの間にか静かに落ち着いてくる。悠人は月を見上げ、呟いた。
「そうか……そうだよな……もう少し頑張ってみるよ、ファー……」
自分に、言い聞かせるように。