朔望

回旋 A

 §~聖ヨト暦332年エハの月赤ひとつの日~§

連日続く敵の反攻に、悠人は閉口していた。
リレルラエルを占拠して、もう4日。飽きることなく、敵の大群が押し寄せてくる。
おかげでスピリット隊は、誰一人ラキオスに帰還して一時休息する事も出来ずに、その対処に追われ続けていた。
「エスペリアっ! どうだ、西のほうは収まったか?」
「申し訳ありません、ウルカがまだ余力のあるアセリアと敵の炎を防いでいますが……」
「わかった、俺もすぐ行く!」
「はい、ではわたくしは東に!」
「ああ、頼むっ!」
悠人は叫びつつ、城の通路を駆け抜けた。
そう、やっかいさはその数だけではなかった。敵のレッドスピリットが放つ、不思議な神剣魔法。
誰も知らなかった詠唱で紡がれるそれが、強力すぎてシールドハイロゥでは防ぎきれない。
初日に遭遇したハリオンがあっという間に瀕死に追い込まれて運び込まれた時、悠人は初めてその存在を知った。

  ――――アポカリプス。

それは、今までの神剣魔法の概念を覆すものだった。その場にいる部隊全体に、襲い掛かる炎の雨。
その威力も桁違いだが、それが空から一斉に降り注いでくるのだ。
ただし、それだけなら例えばアークフレアとなんら変わる所は無い。
今までもなんとか耐えることが出来たし、バニッシュでも対応できた。
ただ今回遭遇した新しい神剣魔法には、唯一違っている特徴があった――“雷を纏っている”という点で。

今日子の雷撃もそうだったが、発動してからそれを防ぐのは難しい。
文字通り電撃の速さで到達する魔法は、容赦なく防御力を削り、抵抗力を奪っていく。
悠人がレジストを張って、ようやく何とか堪えられる程度。
まともに受ければ抵抗力の低いグリーンスピリットなど、ひとたまりも無い。
唯一の救いは詠唱が長い事で、何度か試してみた結果、ネリーやアセリアのバニッシャーが通用する事が判明した。
そこでその使い手がいる部隊には悠人とアセリア達ブルースピリットが当たることとなったのだが、
その分だけ彼女達の負担は増大した。悠人にしても、城の東西を何度往復したかわからない。
何せ敵は攻撃地点を選べるのである。予測が出来ない以上、出現してから対応するしかなかった。

倒しても倒しても現れる敵に、既に力尽きたシアーとセリアは休息中である。
疲れきった彼女達はエスペリアが戦いの合間を縫って回復させていたが、それももう限界だった。

「アセリア! どうだ!」
「ん。間に合った……アイス、バニッシャー!!」
圧縮されるマナが、急速にその温度を下げていく。凍結寸前の塊が、振り切られた『存在』の先で弾け飛んだ。
熱の発生源が一気に沈静化される。詠唱の途中で固まったレッドスピリットにウルカが殺到した。
「ハァッ! 雲散霧消の太刀っ!」
フォローに回ろうとするブラックスピリットより、ややウルカの動きの方が速い。
僅かの差だったが、それがスピリットの戦いでは常に明暗を分けた。切り刻まれ、マナに還る赤髪の少女。
「おおっ!」
それに呼応して、ブラックスピリットに背後から斬りつける。
『求め』の白銀に輝く刀身が、敵をあっという間に消滅させた。

「はぁはぁ……ん?」
ようやく息を付き、辺りを見回す。周囲の敵が、一斉に引き下がっていった。
「……そうか、やっと夜、か……」
どうやら今日も、なんとか防げたらしい。隣で、アセリアが肩で息をしていた。
「ふぅ……でもユート。このままじゃ……まずい」
「ああ、判ってる。……明日、だな」
「やはり攻めるしか、ありませんか……」
二方面に、勢力を割く。無茶ともいえるこの考えに、ウルカは難色を示した。
しかし、他に方法は無い。このままでは、防戦だけでジリ貧なのは目に見えていた。
「……ああ。このままじゃ、キリが無い。アセリアだってもう、バニッシャーを唱えるのには飽きただろう?」
無理矢理に冗談にして、その場を紛らわせる。
「ん?…………ん。飽きたかも」
判っているのかいないのか、アセリアはこくりと頷いていた。

 §~聖ヨト暦332年エハの月赤みっつの日~§

サーギオスには、マナの活発な地域が多い。
特にトーン・シレタと呼ばれる森に近づく程、周囲のマナが密度濃く満ちているのが感じられるようになった。
リレルラエルからの反攻を開始した悠人達は、その森を前方に見つつ、ゼィギオスへと向かっていた。
途中辿り着いたセレスセリスという小さな村で休息をとり、更に南に向かう。
メンバーは、セリア、ヒミカ、ナナルゥ、ヘリオン、ニムントール。
一方シーオスを経てサレ・スニルに向かうエスペリアが率いる部隊には、
アセリア、ウルカ、オルファリル、ネリー、シアー、ハリオンと、どちらかといえば慎重に進める構成。
悠人達の進撃速度を考慮して、確実に拠点を抑える事の出来る主力メンバーを選んでいた。

ゼィギオスとサレ・スニルから東西呼応してユウソカへ向かう。
ウルカから得た情報を鑑みて、一番効率の良い方法に思えた。だが、敵も考えている事は一緒だった。
一気にゼィギオスを陥としたい悠人達の部隊の方へ、敵の主力は殺到したのだ。
レッドスピリットの全体攻撃魔法を主体とし、ブラックスピリットが足止めの様な攻撃を繰り返す。
単調な戦闘に、悠人は次第に焦ってきた。遠目に、『秩序の壁』が見える。
あの向こうに佳織がいると思うだけで、気持ちばかりが先走ってしまう。
そしてその焦りが、あの男にとっては格好の標的になった。

ざわざわと何だか気味の悪い静けさに包まれた森の中を、悠人達は駆けていた。
ようやくセレスセリスでの戦いを終え、ゼィギオスへと急ぐ。
「……待ってください」
その途中で、先行していたナナルゥがぴたりと足を止めた。

「どうかしたの?ナナルゥ」
すぐ後ろについていたヒミカが不思議そうに訊ねる。ナナルゥは黙ってその先を示していた。
隣に立ったヘリオンが、さすがに呆れたように呟く。
「…………川、ですね」
「ご丁寧に橋を壊して下さるなんて、ね」
ヒミカの背後から覗き込んだセリアが、悔しそうにちっと小さく舌を鳴らした。
「なんだ、どうした……うわ、酷いなこりゃ」
「呑気に驚いてる場合じゃないでしょ、どうするのよ、コレ」
一目見て素っ頓狂な声を上げた悠人の脛に、ニムントールが軽く蹴りを入れた。

ようやく追いついた悠人達が見たもの。それは、幅数十メートルほどで左右に横たわる、細い清流。
そして、橋桁の根元辺りに辛うじて痕跡を残し、完膚なきまでに叩き壊された石橋の残骸だった。

ぱしゃっ。
「ん……これならなんとか渡れそうです、ユートさま」
水深を確かめようと足を踏み入れたヒミカが、振り返って判断を仰ぐ。
「そうだな、どっちみちここを通らなきゃゼィギオスには行けないんだし」
悠人は頷いた。元々選択肢などなかった。

「全く何で普通に渡れる川の橋をわざわざ壊していくんだか……」
「嫌がらせじゃない? ニム達に勝てないもんだから」
「……そんな理由で橋を壊したんだとしたら、敵も相当子供っぽいわね」
「冷たっ……ムカつく」
文句を言いながら、めいめいに川を渡り始めた。確認し、悠人も流れに気をつけながら足を浸ける。
水深は大体膝の辺り。ただし小柄なヘリオンとニムントールは腰まで水に浸かっていた。
「まぁまぁ、それより足元に気をつけろよ、流されたらしゃれにならない……ん?」
その時だった。

―――果たして子供っぽいのは、一体どちらでしょうかねぇ

どこかから、不気味な声が聞こえたのは。

「その声……ソーマかっ!」
「っ!……ユートさま、川がっ!」
「……なっ!」
悠人が叫ぶのと同時に、川面が凍り始める。
四方から放射される冷気が、びきびきと音を立てて吹き上げる波飛沫ごと川を凍らせていた。
「これは……アイスバニッシャー!?」
異変の発生した足元に、咄嗟にウイングハイロゥを広げようとして間に合わなかったセリアが狼狽の声を上げる。
「嘘っ……動け、ないっ!」
「ふぇ~ん、こっちもですぅ~」
「……行動、不能」
あちこちで動けなくなるスピリット達を嘲笑うかのように、川底までが白く固まっていった。

そうして川全体が完全に凍りつき、ようやく冷気の放出が収まる。
「くっ、こんなもの……マナよ、燃えさかる炎となれ、雷の力を借りて突き進め……」
「だめよっ! そんなことしたら味方まで巻き込まれるっ!」
苛立たしげにライトニングファイアを唱えようとしたヒミカを、セリアが必死に止めていた。

「くっくっく……いいざまですねぇ、勇者殿」
「くっ……ソーマ、貴様……っ」
忍び笑いと共に、周囲に複数のスピリットを付き従えながらソーマ・ル・ソーマが現れる。
川岸に立ちながら愉快そうに見下ろすソーマを、悠人は歯軋りをして睨みつけるしかなかった。