朔望

nocturn Ⅷ

 §~聖ヨト暦332年エハの月緑よっつの日~§

まだざわめいている人並み。その中にユートさまの気配を感じ、思わず隠れてしまった。
後手に縛り付けたままの男が軽く呻き声を漏らす。
「しっ……静かに」
まだ燻ぶっている建物の影で、『月光』の刃先を喉元に突きつける。
暫くして、ユートさまの気配は遠ざかっていった。
「くっ……妖精の分際で、このようなことが許されるとでも……」
「貴方にそのような事を言われる筋合いはありません。今更このような扇動をして、なんになるというのですか」
更迭された、「元」重臣。追われ、行方不明になっていた彼は、意外にもこんな所で見つかった。
「扇動……扇動だと? では親愛なる女王陛下が今なさっている事とは一体なんだというのだ?」
「…………」
「大陸中を巻き込み、一体何を考えておられるというのだ!……まぁそのような事、只の道具には答える事叶わぬか」
「…………っ!!」

りぃぃぃぃん…………


くく、と喉の奥で笑いを堪える彼に、瞬間的に殺意が湧いた。『月光』の強制が頭痛を呼び起こす。
そんな様子を察したのか、彼は震えながらも気丈に喋り続けた。
「殺したいか?……そうだろう、お前達妖精は、正にその為の道具。世界にとっては歪んだ存在なのだからな」
「っっ違います!貴方のような考えの人がいるからわたし達は戦いに……」
「何が違う? お前達の中に、戦う意味があるとでもいうのか? 戦い以外に何も知らぬ、人形のようなお前達に」
「…………」
「忌まわしき妖精よ、良く聞け。この世界は「人」のものだ。……共存?ハッ、笑わせるな」
「…………」
「これだけは言っておく。妖精などがいなければこんな争乱など起こらなかったのだ、とな」

ぎっ。口の中が、破れた音。全身が、震えと怒りで染まっていく。『月光』の強制力が、ぐっと弱まった。
少し。ほんの少しだけ力を入れれば、この不愉快な存在はこの世から消え去る。そんな衝動が駆け抜ける。
(…………ユートさまっ!!)
必死に名前を呼んで、耐えた。少なくとも自分には、戦う意味がある。それを懸命に思い出す為に。
やがて鎮まっていく、鼓動。流れる汗を拭い、冷静な声を出すように努めた。
「否定するだけの貴方に理解してもらおうとは思いません……ただ、このように」
通りの方に顔を向ける。未だに聞こえて来る、怒号、悲鳴、泣き声。
「同じ“人”をあてつけの為だけに巻き込んでしまった貴方に、戦う意味などと語る資格はあるのでしょうか」
自らを投じて戦う覚悟。覚悟を問うだけの価値がある、守りたいもの。

「貴方には…………守りたいものは、ありますか?」

問いかけに、ついに答えは返ってこなかった。