ただ、一途な心

序章─初めての光─

────轟々と降りしきる大雨。時折落雷が耳を劈く。
そこは北方五国のうちの一つ、ラキオス周辺の街道。
その道は満足に整備されているわけではない。ぬかるみが歩く者の体力を奪う。

ぴちゃ、ぴちゃと音を立てて歩く二つの人影。
一人は、大人の女性。もう一人は、その体に似合わない大きさの槍を持つ少女。
雨よけのコートをかぶって、ゆっくりと街道を進む。
フードから時々見せる白い吐息が、寒さを強調していた。

「もうすぐ、家に着きますから、がんばって」
大人の女性が、やや辛そうな少女を励ます。
「はい、大丈夫です~」
少女は笑顔でそれに応える。
まるで、こんな雨へっちゃらだと言わんばかりの、こぼれそうな笑顔で。

ぬかるみの中、しっかりと、一歩一歩踏みしめて歩く。
彼女たちの『家』は、あと500mほどだった。

りいいいぃぃん・・・
「あれ~?」
「・・・?どうしたのですか、ハリオン?」
ハリオンと呼ばれた少女は、『何か』を感じ取っていた。
ひどく自分に近しい、『何か』を。

りいぃぃ・・・ん
その『何か』は次第に弱まってゆく。
ハリオンは、それが助けを求めていることを、直感的に感じ取っていた。
「こっちで・・・誰かが呼んでいます~」
「・・・もしかして、神剣ですか?」
「そうみたいです~」

スピリットが感じることができて、人間には感じ取れないもの。
それは様々だったが、その代表格として、神剣の気配があった。

神剣の気配がある・・・それはすなわち、そちらの方にスピリットがいるということだった。
もし敵国のスピリットだったら、逃げ場は無い。
ハリオンもスピリットだが、まだ幼く、ろくに戦えないから、たちまち殺されてしまう。

助けなければ、ハリオンはそう思っていた。そうしないと、後悔する気がしたから。
「・・・大丈夫ですよ~、敵意は、感じません」
「そうですか?気をつけて・・・ハリオン」

ハリオンは、その神剣の気配に向かって歩み始めた。
程なく、雨に浸かりきった草の上で、誰かが倒れているのを発見する。

「あ・・・」
それは、自分によく似た少女だった。顔が似ていると言うわけではない。
だが、よく似ているということが、自然と脳裏には浮かんでいた。

大雨のせいでぐしょぐしょに濡れた黒髪の少女。その傍らには、一振りの太刀。
決定的だった。その少女は、自分と同じ、スピリットの少女だった。

「た、大変~」
ハリオンはすぐに、女性の方に戻っていった。助けを呼ぶために。

すぐに二人は駆け寄ってくる。女性がその少女を調べると、顔が強張った。
「衰弱していますね。すぐに対処しないと、危険です」
言葉の内容とは対照的に、やけにのんびりした口調。
「急いで帰りましょう。私はこの子を運びますから、ハリオンは、神剣を運んでください」
「はい~」

女性は自分のコートをはずし、それで少女の体を包む。
女性は、ハリオンが太刀をしっかりと抱えるのを確認すると、
少女を抱えて、『家』に向かって走り出した。ハリオンもそれに習い、駆け足で女性の後を追う。

3分ほど全力で走る。『家』はもう目と鼻の先。
二人が玄関先に着くと、女性は少女を抱えたまま、器用に扉を開ける。
そのままの勢いで二人は中に飛び込む。

バタン。

ハリオンが玄関の扉を閉めたときには、もう女性は部屋に上がり、暖炉に火を付けていた。
女性は傍らにあったタオルで少女の体の水滴をふき取る。
一通り拭き終わると、別のタオルで少女の体を包み、暖炉の近くで少女の体を温める。

「ハリオン、仕上げに回復魔法を・・・できます?」
「はい~、大丈夫です」

本当はまだ未熟だったが、余程の致命傷でなければ、少しずつでも回復させることはできた。
ハリオンは槍を構え、呪文を詠唱する。
「あ~すぷらいや~」

癒しの緑マナが少女を包む。
女性がその少女の首筋に指を当てると、安心したような、柔らかい表情になった。
「よかった~、これで大丈夫です」
「それよりも、この子、どうするんですか~?」
「この子も、スピリットみたいですから、お城に報告しなくてはいけませんね・・・」
「そうですか~」

ハリオンは嬉しかった。今までこの『家』には、スピリットは自分しかいなかったから。
まるで、道端に捨てられた仔犬を拾ったかのように、
突然、妹ができたかのように、他人とは思えない親近感を持っていた。

だが、それと同時に、ひどく悲しくもあった。
スピリットであるということは、いずれこの少女も剣を持ち、命果てるまで戦う宿命にあるということ。
『戦争』とかいうくだらないことで、大事なものを失いたくは無かった。
ただそう願っていた。決して叶うことの無い願い事だとわかっていても。

────豪雨の一夜が明けた。窓から朝日が差し込み、部屋の中を明るく照らす。
その陽の光が、少女の目をこじ開ける。

「・・・・・・!」
「あ、目が覚めました?」
少女の目の前には、女性がいた。誰だかは判らないが、少女はなんとなく判った。
この人は自分を救ってくれたと。

「私の言っていること、わかりますか?」
「え・・・う?」
当然、わからなかった。
少女は、まだこの世界に『生まれた』ばかりだったから。

「やっぱり、新しいスピリットなのですね~」
「・・・?」
何を言っているのかわからない。でも、この女性は少女に向かって笑顔を送る。
何もかもを包み込んでくれそうな、柔らかい笑顔。
少女がそれを見ていると、次第に少女の顔も笑顔になっていった。

きゅううぅぅ~
少女のお腹が、警鐘を鳴らす。
それを聞くなり、少女は反射的に顔を赤らめていた。どうしてなのかわからないのに。
「ふふ、おなかがすいたんですね。今、食事を持ってきますから~」
女性はぱたぱたと、スリッパの音を立てながら部屋を出て行った。


女性は台所で手際よく、幼いスピリット用の食事を作り始める。
とんとんと野菜を刻むうちに、ある考えが頭の中で渦巻いていた。
「そうそう、あの子の名前を考えてあげないと・・・」

女性は調理をしながら、むにゃむにゃと考え始める。
心は名前を考えることに集中しているのに、体はしっかりと調理している。
こんなことが日常茶飯事なのだろうか、立派なながら族だった。


やがて、女性の中で一つの名前が形作っていった。
「・・・・・・・・・ヘリオン。ヘリオン・ブラックスピリット・・・ふふ、いいですねぇ、この名前でいきましょう~」


こうして、ここにまた一人、スピリットが誕生した。
しかし、ヘリオンと名づけられた少女がどういう運命を辿るのかは、まだ知る由も無かった・・・