ただ、一途な心

第Ⅰ章─悲劇、覚醒、そして邂逅─

────あれから数年の月日が流れた。
ヘリオンは『家』での生活にも慣れ、言葉も理解できるようになった。

よく晴れた朝、陽の光がまぶしい。
『お姉ちゃん』の作ってくれる料理の匂いが流れてくるころ、ヘリオンは目を覚ます。

「ん~、ふぁ~あ~」
瞼をごしごしとこする。本当はまだ寝ていたかったが、
さっさと起きないと『お姉ちゃん』が金属製のバケツとおたまを持って現れる。
以前一度思いっきり寝坊したことがあり、そのときに恐ろしくやかましい目にあい、
もう二度と『お姉ちゃん』のいるところでは寝坊はしまいと、心に誓っていた。

ヘリオンはベッドから跳ね起きると、とことこと洗面所に向かい、顔を洗う。
今日は少し暑いから、きんきんに冷えた地下水で顔を洗うと気持ちいい。
顔を洗ったあと、部屋から持ってきた髪留めで、きゅきゅっと手馴れた様子で
左右の髪を留め、ツインテールの髪型にした。

それから、さっきからおいしそうな匂いを放つ部屋、食卓へと向かう。
食卓の扉を開けると、いつもどおり、そこには『お姉ちゃん』が朝食を並べていた。
溢れんばかりの陽の光を背に立つ『お姉ちゃん』は、見ているだけで暖かかった。

「おはようございま~す」
「ふふ、おはよう、ヘリオン」
ヘリオンが挨拶をすると、『お姉ちゃん』は笑顔でそれに応えてくれた。

だが、何処を見渡しても、ヘリオンにとってのもう一人のお姉ちゃんはいなかった。
「ハリオンさんは、どこですか?」
「今日も、朝早くから訓練です」
「またですか~?」
「でも、夕方には帰ってきますから~・・・」
「はい!楽しみにしてます」

ハリオンが朝早くから訓練に出かけるのは今に始まった事ではない。
とはいえ、ヘリオンはまだ幼く、訓練に参加することはできなかった。
だから、陽のあるうちは『お姉ちゃん』と二人だけで生活していた。
それ故に、ハリオンが色々な土産話を持ってくるのを、ヘリオンは楽しみにしていたのだ。

「今日の朝食は、あなたの好きなスープですから、沢山食べてください」
「やったぁ!」
ヘリオンは改めてテーブルの上を見る。
好物のスープに、幾つにも切り分けられたパン、スクランブルエッグのような料理等々。
ぴょこんと椅子に座ると、ヘリオンは早速スープを啜る。

「はぁ・・・おいしーです!」
「よかった~」
スープ以外にも手を伸ばす。スープに負けず劣らず、どれも納得のいく味付け。
ヘリオンにとって、おいしい料理はこれ以上無い目覚ましだった。

ドンドン!
せっかくおいしい料理を食べているのに、乱暴に叩かれる玄関の扉。
気持ちいい目覚めの朝、幸せな気分はどこかへ飛んでいってしまった。

ドンドン!
「はいはい、今行きますから・・・ヘリオン、ここにいてくださいね~」
「わかりました」
『お姉ちゃん』はばたばたと急いで、玄関に向かった。
もう一口、ヘリオンはスープを飲む。その味は、何があっても落ち着けそうな、そんな味だった。

「(お姉ちゃん・・・遅いです)」
ヘリオンは思った。今まで客が来て、これほどまでに長く自分の元を離れたことは無かった。
なにか、ただ事ではないことが起こったのではないかと。

ヘリオンはそ~っと食卓の扉を開けた。
すると、玄関のほうから二人分の声が聞こえてくる。
・・・片方は、紛れも無く『お姉ちゃん』の声。もう片方は、聞いたことの無い乱暴そうな声だった。

「・・・無理です。あの子はまだ、戦えません」
「スピリットに戦わせないでどうする。できないなら、やらせるまでだ」
「まだ、神剣すら満足に扱えないのです。もう少し待ってください」
「・・・貴様には任せておけんな。ハリオンとかいう奴のときもそうだった。
そんなに悠長にしてはいられないのだよ・・・。ヘリオンとかいうスピリットはどこだ!」
「!!」
「ま、待ってください!!」

どすどすと、重い足音が近づいてくる。
逃げなきゃ。逃げないと酷い目に遭う。そういった危機感がヘリオンの思考を染める。
「(ど、どうしよう・・・どうしよう!)」
そして、そこから逃げ出すべくヘリオンの目に入ったのは・・・


ばん!
食卓の扉が勢いよく開かれる。
無理矢理上がりこんできた兵士が辺りを見渡すが、そこにヘリオンの姿は無い。
テーブルの下、棚の中など、隠れられそうなところを探すが、やはり見つからない。

きぃ・・・きぃ・・・
窓枠が痛々しい音を立てる。その音が、ヘリオンの行方を暗示させてしまった。


「ちっ・・・逃げたか」
「ああ、ヘリオン・・・」
悔しそうに舌打ちをする兵士。当然だろう。
自分とは格が違う(と思い込んでいる)少女に出し抜かれたのだから。

「貴様・・・責任は取ってもらうぞ」
「!・・・・・・・・・はい」


「はぁ・・・はぁ・・・」
食卓の窓から逃げ出したヘリオン。
全力で草原を疾走するが、神剣の力を使っていない以上、
いかにスピリットとはいえ、身体能力は人間の少女のそれとなんら遜色は無かった。

すぐに息が上がる。苦しい。胸がはちきれそうだった。

でも逃げなきゃ。
酷い目になんて遭いたくない。
助けて。
誰か助けて!

走りながら、様々な思考が頭の中を駆け巡る。
だが、走っても走っても、そこは地平線の果てまで続く草原。
ただ多少環境がいいだけの陸の孤島。
方向がわからなくては、そこに食料も持たずに飛び込むなど、自殺行為だった。

「たすけて・・・だれか・・・・・・たす・・・け・・・」
一気に喉が渇き、声がかすれる。膝がガクガクと震える。
・・・もう、走れない。

どさっ
ヘリオンはその場に倒れこんでしまった。

「(あ・・・・・・れ?)」
前にもこんなことがあった気がする。
草原に倒れこみ、体全体をクッションのように受け止める草の感覚。
決定的に違うのは、あの時は雨が降っていたこと。

あの時は意識は無かったはずなのに、覚えていないはずなのに、
鮮明に記憶の奥底から蘇る、自分が助かった時のこと。

「ハリオン・・・さ・・・ん」
人影が見える。目の前がかすんで、誰だかはわからない。
だが、記憶はこう告げている。
その人は、フードをかぶって、大きな槍を持っていて、緑色の髪の優しそうな・・・


─────ヘリオンの意識は、そこで途切れた。

「ただいまぁ~」
同日、時は夕方。
ハリオンはようやく訓練を終え、ラキオス城から『家』に帰ってきた。


「・・・・・・!?」
『家』に入った瞬間、ハリオンは己の目を疑った。
家具という家具は破壊され、あちこちが完膚なきまでに荒らされ、
テーブルの上に乗っていた数々の料理は、食卓のいたるところに散乱していた。
おまけに、何処にも行く筈が無いヘリオンの姿も無い。

「!!!」
───そして、ヘリオンの部屋に入ると、そこには信じられない光景が広がっていた。

ベッドの上に乗っていたのは、自分を、ヘリオンを、助け、育ててくれた恩人。
『お姉ちゃん』が、全裸で、ぴくぴくと痙攣していた。
その目からは涙が流れているが、目そのものに、光は無かった。
今部屋に入ってきたハリオンすら、その目には映ってはいないだろう。

あちこちに飛び散っている血、立ち込める強烈な精臭。
それらの意味するものは一つしかなかったが、ハリオンにはそれが理解できなかった。

朝、起きてすぐまでは暖かかった『家』。
人が死ぬと運ばれると言う楽園<ハイペリア>と比べても、こっちのほうがいいと思った位の場所。
それなのに、訓練を終えて帰ってくると、そこは地獄と化している。
これなら、まだ話に聞く地獄<バルガ・ロアー>のほうがマシだった。

「何が・・・・・・なにが、おこったん・・・ですか?」
【大樹】がからん、と音を立てて転がる。
ハリオン自身の体もがたがたと震えだす。目から涙が溢れ出す。
強烈な吐き気がこみ上げてくる。

「お姉ちゃん・・・答えてください・・・なにが・・・・・・おこったんですか?」
ハリオンは『お姉ちゃん』の体をゆする。
生きてこそいるが、その心はどこかへ行ってしまっていた。
「ハリオ・・・ン、・・・ヘリ・・・オン」
『お姉ちゃん』はうわ言のように、少女たちの名前を呼び続ける。
・・・・・・まるで、役目をなくした機械人形のように・・・


───ハリオンもまた、その場で『お姉ちゃん』と、呼びかけ続けることしかできなかった・・・。

『起きて・・・・・・』
ここはどこだろう?
真っ暗闇で、何も見えない。
でも、誰かがヘリオンに呼びかけてくる。

『起きて・・・早く』
「(あなたは・・・誰、ですか?)」
ヘリオンは声に向かって呼びかける。
すると、妙に大人びた、自分と重なるような声が聞こえてきた。

『私は、あなたです・・・』
「(へ?)」
『それよりも、早く起きて・・・お姉ちゃんたちが、危ない・・・』
「(お姉ちゃん!?何かあったんですか!?)」
『それは・・・行けばわかります。
すこし、あなたに私の力を分けます。それを使って、早く・・・早く・・・家に戻ってください』
「(ま、待ってください!)」

その声の主が遠ざかっていくのがわかる。
目覚めなくては・・・

「あ・・・あれ?」
気がつくと、時はもう夕方。場所は、あの時倒れた草原だった。
どういうわけか、のどの渇きも、体の疲れもすっかりと取れていた。


「な、なんですか?これ・・・なんだか、体がむずむずして・・・」
『開放するのです・・・翼をイメージして・・・』
さっき、暗闇の中で聞こえてきた声。それの『断片』が、頭の中で話しかけてきた。
「つ、翼?いめーじ??」
幼いヘリオンには、何のことやらさっぱりだった。

『考えるのです・・・鳥の翼を』
「と、鳥ですか?鳥・・・鳥・・・」
よくわからなかったが、ヘリオンはとりあえず、空を飛ぶ鳥をイメージする。すると・・・・・・

キイイイィィン・・・・・・!
ヘリオンの背中から、光を放つ翼が姿を現す。
「はうっ・・・!これ、何ですか!!?」
『よくできました・・・それは、あなたのハイロゥ・・・それを使って、はやく・・・』

何が起こったのだろう。
体が軽い。感覚的に、そのハイロゥとかいうのの使い方がわかる。
なぜか、『家』のある方向がわかる。

「と、とにかく、家にもどるんですね!?」
『そうです・・・いそい・・・で・・・・・・』
声が完全に聞こえなくなった。
急がなくては。ヘリオンの心はそれ一色になったのだ。

バサァッ!
ウイングハイロゥをはためかせ、家のほうに向かって低空飛行をする。
朝に走った時とは比べ物にならないスピード。強烈な風がヘリオンの顔に押し当たる。

「お姉ちゃん・・・!!」

あっと言う間に『家』に着いた。
玄関の扉を開けると、そこには塞ぎこんだハリオンがいた。
「ヘリオン・・・!」
「は、ハリオンさん!!」
ヘリオンを見るなり、ハリオンは、その深緑の瞳から大粒の涙を流し始める。
「ハリオンさん・・・一体、何があったんですか?」
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがあぁぁ・・・」
ハリオンはヘリオンに抱きつき、自分が見て、感じたことの全てを、悲しみを泣くことで消化しようとした。
しかし、それは誤魔化せるものではない。すぐ傍に、現実として在るのだから。

ハリオンは大泣きした後、自分の見た全てをヘリオンに明かした。
その日の出来事は、まだ幼かった二人には残酷な事件となったのだった───

ヘリオンも泣いた。だが、泣いても泣いても、込み上げてくる悲しみと悔しさは拭い取れない。
ただ、廃人のようになった『お姉ちゃん』の前で泣きじゃくることしかできなかった。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。

私が逃げたから?
私が戦えないから?
私が弱いから?
私が幼いから?

あの兵士はヘリオンを探しにきた。

だから、自分さえよければ、『お姉ちゃん』はこんな目には遭わなかった。
それなのに、自分のことだけを考えて逃げちゃったから、だから、『お姉ちゃん』がこうなっちゃった。

激しい自責の念がヘリオンに重くのしかかる。
自分のせいでこうなった。自分のせいで『お姉ちゃん』が廃人になった。
・・・もう、それしか考えられなかった。
ヘリオンの瞳からも光が失われかけた、その時・・・

りいいいぃぃぃん・・・

何処からとも無く、清らかな鈴のような音が聞こえてきた。
『こんばんは』
その音とともに、そういう声が聞こえたような気もする。
「あなたは・・・さっきの?」
『私を手にとって・・・・・・私はここです』

頭の中に響く、透き通るような自分と同じ声。
手にとって・・・どうやって手に取れというのか。そもそも、この声は何なのか。

だが、なんとなくそれがあるところがわかる。
ヘリオンは、自分のベッドの下に、小さな手を伸ばした。こうしなくてはいけない気がしたから。
・・・そして、それを手に取った。

「あ・・・!!」
それは、どこかで見たことがあった。
まだ幼い少女が扱うものとは思えない業物。
柄についている、黒いような、紫のような宝石が、妖しく光を放っていた。

りいいいぃぃぃん・・・
頭の片隅にズキン、と痛みが走る。
同時に、さっきまでぽっかりと空いていた心に、パズルのピースのようなものがはまるのを感じた。

「こ、これ・・・なんですか??」
『やっと一つになれました・・・・・・始めまして。私は永遠神剣【失望】・・・』
「え、えいえんしんけん?し、しつぼう???」
何を言っているのかわからなかった。
なぜなら、神剣の存在も、ヘリオンがそれの主であることも、
『お姉ちゃん』たちが、そのときが来るまでヘリオンには黙っていたことだからだ。

『私は、あなたと一緒に生まれた剣。そして、あなたは私の主』
「え、え?」
何もわからずおろおろしていると、【失望】は呆れたように話してくる。
『・・・つまり、あなたは目醒め、戦う力を手に入れたのです』
「たたかう・・・ちから?」

戦う力。それはいまのヘリオンが喉から手が出るほど欲しいもの。
だが、時はすでに遅し。もっと早くこうしていれば、『お姉ちゃん』だって助けられた。
・・・そのはずだった。

「どうして・・・どうして、もっと早く言ってくれないんですか?」
『それは、ついさっきまであなたが目醒めていなかったからです』
「それって、私のせいなんですか?」
『・・・そういってもいいかもしれません。
もっとも、いつ神剣の声が聞こえるかどうかは、個人差がありますが・・・』
「・・・やっぱり、わたしのせいなんですね・・・お姉ちゃん・・・」

また涙が溢れ出す。
どうにかなりそうだった。助けられたはずの『お姉ちゃん』を助けられなかった。
自分が目醒めるのが遅かったから。やっぱり自分のせいだった。
自分が、『お姉ちゃん』を殺したようなものだった。

「い、いやあぁ・・・そんなの、いやああぁぁ・・・」
ヘリオンは頭を抱え、ぶんぶんと横に振る。完全に混乱していた。
『落ち着いてください!ハリオンさんまであなたと同じ目にあわせるつもりですか!?』
「・・・え?」
言っている意味がよくわからない。
自分より遥かに強いハリオンが自分と同じ目に遭う?
そんなわけない。ヘリオンは勝手にそう思い込んでいた。

『あなたは、このままではそこのお姉ちゃんと同じ状況になってしまいます!・・・はっきり言いますが、
あなたまでいなくなっては、ハリオンさんまで殺すことになります・・・それでもいいんですか!?』

ヘリオンは幼すぎた。言っている意味が全くわからない。
だが、はっきりしたのは、自分はここからいなくなってはいけないということ。
ハリオンの傍から離れてはいけないということだった。

『ハリオンさんと・・・一緒に、戦って、生きて。残された家族を守るために・・・』
「戦う・・・家族を、守る・・・」

───ヘリオンの中で、ある種の決意が形作られていった。
その意思は神剣のものであると共に、ヘリオン自らの、最大の望みでもあった。

「・・・・・・もう誰も、失いたくありません。大事な人のために、私は戦います!」

年端も行かない少女の口から飛び出したのは、決して揺らぐことが無い誓いだった───

りいいいぃぃぃん・・・
頭の中に澄み切った音が響き渡る。
その音は、聞き慣れているはずの【大樹】の干渉音。それなのに、今日ばかりは寂しげな音だった。
「【大樹】・・・私たち、どうしたらいいんですか~?」

あまりにも突然で、凄惨な現実を目の前にして、ハリオンの判断能力は無に等しくなっていた。
【大樹】に呼びかけるも、その問いに答える声は無かった。
「答えてください・・・私たち、どうしたら・・・」

何も解らない。考えられない。
誰かに答えを求めても、誰もわからない。誰も教えてくれない。
今ハリオンが感じているのは、孤独という名の恐怖。
例えヘリオンが傍にいようと、その恐怖は拭い取ることはできない。
それに限っては、自分の力で打ち破るしかないから。自分で答えを見つけるしかないから。

『・・・・・・ハリオン、あなたは、どうしたいのですか~?』
「・・・え?」
さっきまで呼びかけてもうんともすんとも言わなかった【大樹】が、重い口を開く。
『あなたはどうしたいのですか、と、聞いているんです』
「・・・わかりません」

突然廃人になってしまった『お姉ちゃん』。地獄と化したハリオンにとっての楽園。
今まで持っていた幸せが、どこかへ飛んでいってしまった。
・・・・・・残ったのは、まだ幼いヘリオンだけ。

『ヘリオンのことは、どうでもいいんですか!?』
「そ、それは・・・」
『私は、覚えていますよ・・・あの子を拾ったときの、あなたの嬉しそうな心を・・・
ですから、安心していました。あの子はあなたが守ってくれるって・・・
でも、今のあなたは、あの子どころか、自分の身すら守れません・・・・・・あの子を、殺す気ですか?』

「い、いやですぅ!ヘリオンまで失いたくありません!!」

やっと飛び出した、妹を守りたいという本音。
【大樹】は、うなだれるハリオンがそう言ってくれるのを、ずっと待っていた。
・・・この二人は、どちらかが欠けると寂しくて死んでしまうから。
ずっと家族という暖かさの中で生きてきた二人にとって、それは無くてはならないものだから。
いつか、それから離れなくてはならないと解っていても、二人で一緒に生きていて欲しかったから。

『そうです。あの子を死なせてはいけません・・・共に戦い、生き延びるのです・・・』
「・・・はい。私は、ヘリオンを守り、生き延びます・・・」
ハリオンは決意を新たにする。おもわず握った左手に力が篭る。
『どうか、その心を忘れないでください』


【大樹】から、暖かい波動が流れ込んでくる。
それは、今のハリオンにとって、『お姉ちゃん』に負けず劣らず、気持ちのいいものだった───


────あの事件から、また何年も経った。
『お姉ちゃん』は、あの事件以来、何をしゃべるとも、動くことも無かった。
ハリオンとヘリオンの懸命の看病も虚しく、あれから3年程でその生涯を終えた・・・

優しくて、暖かかった『お姉ちゃん』。それを奪ったのは、弱すぎる自分。
ヘリオンはずっと強くなろうとしていた。
もう一人の『お姉ちゃん』、ハリオンを助けられるように。
もう二度と、あんな悲劇は起こさせない。その決意だけが、ヘリオンを動かしていた。


今日も、ラキオス城で訓練。
神剣を扱えるようになった以上、ヘリオンも、ハリオンと一緒に訓練に参加しなければならない。
だが、それはヘリオンにとって願っても無いこと。
強くなれるなら、大事な人を守れるなら、どんな訓練にも耐えてやるつもりだった。
・・・が、

「・・・そこ、隙だらけです~」
「ひゃあうっ!」
どかっ、と、ハリオンの攻撃が腹部に食い込む。
【失望】を落とし、げほげほと咳込むと、ハリオンはすっと手を伸ばしてくる。
「・・・今日は、これくらいにしましょう~」
「は、はいぃ・・・」
ヘリオンはハリオンの手をとって、お腹を押さえながら立ち上がった。

どうも、やる気が空回りしてしまう。そのせいで、なかなか思うように強くなれなかった。
動きがやや緩慢なグリーンスピリットに対し、最速を誇るブラックスピリット。
常識的に言えばブラックスピリットの方が強いのだが、
数年というギャップと、キャリア。さらに、肝心なところでドジを踏むせいで、その常識は逆転していた。

「・・・ですからぁ、ここは常に動き回って敵を振り回すのが効果的なんですよぅ・・・」
「うぅ、スタミナがついていかないです・・・」
「でも、止まっていたら、戦いでは生き残れません!」
ハリオンはびしっと教育をする。
やはりそこは先輩肌。丁寧かつ厳しく教えてくれていた。

・・・しかし、やっぱり何か悔しかった。
強くなるためには、どうしたらいいんだろう。
ハリオンにとって、まだヘリオンを相手にするのは赤子の手を捻るようなもの。
最低でも、実力を並べなくては、ハリオンを助けることなど夢のまた夢だった。


「じゃあ、ヘリオン。この報告書を、王女様に届けてください~」
「あ、はい!」
「私は、先に家に戻って食事の用意をしていますので~」

報告書・・・内容は、今日行った訓練のメニューと、それを行った結果どれだけの実力がついたかの報告。
国の主な政治は国王が行っていたが、スピリットの総合的な管理はレスティーナが行っていた。
正直、あの国王は好きにはなれない。
逆にレスティーナは、なんだか馴染みやすいような感じがするので、抵抗も無く会いにいけるのだった。

ハリオンの書いた報告書を手に、ヘリオンは王座の間に入る。
そこには、悠然とした構えのレスティーナが立っていた。

「お、王女様、今日の訓練の報告書ですっ!」
「ご苦労、ヘリオン。そんなに堅くならなくても良い」
「は、はいっ!」


ヘリオンが報告書を手渡すと、レスティーナが真面目な顔で話しかけてきた。
「・・・ヘリオン、間もなく、大規模な戦争が始まります。
あなたたちがラキオスのスピリット隊のメンバーになる日もそう遠くは無いでしょう」
「やっぱり、戦争になるんですか・・・」
「今頃、おそらくスピリット隊の隊長になるであろう者が訓練しているころでしょう」
「隊長さん、ですか?」
「ええ、話には聞いたことがあるでしょう。エトランジェです」
「エトランジェ・・・」

噂には聞いていた。どこからともなく現れたエトランジェの青年。
この国を救うために、ハイペリアからやってきたという神剣の勇者。
今、ラキオスに伝わる神剣を手に、様々な任務をこなしているという話だ。


「今後、長い付き合いになるでしょうから、訓練所で見てきてはどうですか?」
「は、はいっ!そうさせてもらいます!」
一体どんな人なのだろう?期待で心が膨らんでいった。

訓練所につくと、そこではレスティーナの言ったとおり、誰かが訓練していた。
片方は、見かけやハイロゥから見てもわかる。ブルースピリットだ。
もう片方は見たことが無い。ラキオス城の兵士が着ている白い衣に、ツンツンした黒い頭髪。
展開しているのがハイロゥではなく、光の魔方陣であることから、おそらくあの人がエトランジェなのだろう。

見た感じ、ブルースピリットの方が押し気味のようだ。
エトランジェは、その攻撃を防ぐのがやっと、といった動きをしている。

・・・結局、エトランジェはほとんど攻撃に回れず、スピリットのラッシュに耐えかねて倒れてしまった。
少しして、スピリットはその場を去っていった。

ヘリオンは思っていた。この人は自分に似ていると。
満足に戦えていないその姿は、さっきまでの自分と被っていた。
「(この人が、隊長さん・・・・・・なのかなぁ?だ、大丈夫かな・・・)」

しばらく心配そうに見ていると、こちらの視線に気づいたのか、エトランジェはこちらを向いてくる。

「ひゃ・・・!」
思わず隠れてしまった。こうなっては出るに出れない。
とりあえず、あのエトランジェはそうとうなダメージを受けているようだったから、
何か手当てをできるものを持っていったほうがいいと思ったのだった。
そうと決まれば実行あるのみ。ヘリオンは、水道に向かって走り出す。

訓練所の水道に行き、そこにかけてあったタオルを濡らす。
見た感じ、切り傷は無く、打撲っぽかったから、こういうのがいいと思った。

きんきんに冷えた水で濡らしたタオルを持って、ヘリオンはエトランジェに駆け寄る。

「あの、大丈夫ですか?」
「え・・・?」
「たくさん、怪我、してるみたいなんですけど・・・」
「大丈夫・・・じゃないな。・・・・・・実際自分で見てびっくりしているくらいだ」

そのエトランジェは、あちこちに青痣や内出血を起こしていた。
早速、ヘリオンはタオルをエトランジェに手渡す。
エトランジェはそれで体中の汗を拭い、痣になっているところに押し当てる。

「ふ~、生き返る~」
「本当に、大丈夫ですか?あんなにやられちゃって・・・」
「うう、見てたのか・・・まあ、アセリアも手加減はしてくれていたみたいだけど」

あのブルースピリットはアセリアという名前らしい。
それよりも、あれで手加減していたとは。またもや実力差を見せ付けられてしまった。
「(うう・・・やっぱり私、だめですぅ・・・あ、そうです)」

ヘリオンは、エトランジェにいつか他人に聞いてみたかったことを聞いてみた。
「あの、どうして、そうなってまで戦っているんですか?」
それは、戦う理由。今、ヘリオンは家族・・・つまりはハリオンを守るために戦っている。
だが、今はまだ力足らずで、逆に足を引っ張ってばかり。・・・でも、
この人にも、自分が弱いって解っているからこそ、強くなって戦いたい理由があるはず。それが、一番知りたかった。

「ああ・・・守りたい人がいるからかな」
「守りたい人・・・?」
「うん、俺の大事な人。その人がいるから、がんばろうって思えるんだ」
声は疲労で弱っているけど、はっきりとした芯の強さが感じ取れる言葉。
そのエトランジェの目には、その理由に対する曇りはなかった。

「大事な人・・・そうですよね!はい、よくわかります!」
やっぱりだった。この人は自分によく似ていた。
自分と同じ理由で戦いに身を投じている。それだけに、他人とは思えなかった。

内心大喜びしていると、エトランジェは立ち上がった。
「さて、俺はそろそろ戻ろうかな」
「あ、はいぃ・・・」
「じゃあ、またな」
そういって、エトランジェはその場を去って行ったのだった。

「・・・・・・って、あの人の名前聞くの忘れてました~!!ふえぇ~ん、私のばかぁ~!」
そう言って、ヘリオンは自分の頭をぽかぽかと叩く。
自分に近しい人だっただけに、名前を聞けなかったのは致命傷だった。
「(うう・・・しょうがないです。今度聞くことにしましょう)」
心なしか、【失望】がくすくすと笑っているような気がする。
『ぷ・・・ふふふ』
・・・・・・実際笑っていた。
「はうっ!わ、笑わないでください~!!」


その後、満足感と後悔に包まれながら、ヘリオンは『家』へと帰っていった。
食後のお茶を飲みながら、訓練所でのことをハリオンに話す。

「そうですか~、そのお方が、私たちの隊長さんになるかもしれないんですね~」
「はい!そうなんです」
「それで、そのお方の、お名前はなんというのですか~?」
「そ、それが、聞き忘れちゃいまして・・・」

ヘリオンがそう言った瞬間、ハリオンの表情が強張った。
周りの緑マナがびしびしと音を立てて、僅かに振動を起こしている。
「駄目じゃないですか~。肝心なことを聞き忘れるなんて~」
「はうぅ、ご、ごめんなさい~」

ヘリオンは許しを請うが、とても許してくれそうには無かった。
「許しませんよ~。後で、思う存分に『めっ』てしちゃいますからね~♪」
心なしかハリオンは楽しそうだった。
輝くような笑顔をこちらに向けている。この笑顔が時々恐ろしい。
「そっ、そんなぁ!ふえぇ~ん、許してくださいよぅ~」

その後、ハリオンのせっかんを受けたヘリオンは、もう二度とドジは踏むまいと誓った。
・・・・・・当然、その誓いが守られることはなかったが。

────数日後

ハリオンとヘリオンは、一つの通達に目を通していた。
その内容は、二人に対する、ラキオス王国からの辞令。
・・・・・・そう、いよいよ、ラキオスのスピリット隊のメンバーになる日がやってきたのだ。

「・・・・・・以上の二人を、第二詰所所属、ラキオス王国スピリット隊として認める。
   詳細を伝えるため、明朝、玉座の間に出頭せよ。って書いてありますね~」
「戦争が、始まるんですね・・・・・・」

本当は戦争なんてしたくなかった。誰も死なずにすむから。
たった一人の家族とだって、ずっと一緒にいられる。
・・・だが、もうそうは言っていられない。戦わなければ、家族は殺され、自分も死ぬ。
生き残るためには、戦って勝ち残るしかない。

「あれ~?」
「ハリオンさん、どうしたんですか?」
ハリオンは、その辞令を最後まで読むのを忘れていた。
その辞令の下端には、小さな、汚い字でこう書いてあった。

「・・・・・・ラキオス王国スピリット隊隊長 エトランジェ 『求め』のユート・・・・・・」

「ユート・・・それが、あの人の名前ですか」
「ユート様ですね~」
二人は同時に顔を見合わせてうなずく。

「頼りになる人だといいんですけどねぇ~」
「だ、大丈夫ですっ!あの人は信頼できますから!」
同じ理由で死地に赴くユートに、しっかりした信頼の念を持つヘリオン。
実際に会ったから信頼できるってわかる。実際に会ったからこそ言える言葉だった。

────翌日 早朝

ついに巣立ちの日。もう、この『家』に戻ってくることはないだろう。
ヘリオンとハリオンは、今まで自分たちが生活してきた空間に、別れを告げていた。

・・・そして、『家』の裏手に回る。
そこには、粗末なものであったが、『お姉ちゃん』の墓があった。
「お姉ちゃん・・・私たち、戦争に行くことになりました」
「ずっと、ハイペリアで、見守っていてください~」
「絶対・・・絶対、生き残りますから。ハリオンさんと一緒に、生き延びますから・・・!」

二人は『お姉ちゃん』に向かって、胸に手を当てて祈りをささげる。
スピリットにそういった風習は無かったが、そうすると、なんだか落ち着くような気がしたから。

『二人とも、がんばっていってらっしゃい・・・』

『お姉ちゃん』が、そういってくれたような気がした。
生き残りたいっていう心が生み出した幻聴かもしれない。
でも、この上なく心強いエールであることに違いはなかった。
「・・・さ、ヘリオン。行きますよ~?」
「は、はい!・・・さようなら、お姉ちゃん・・・」

二人は、しっかりと神剣を握って、ラキオス王国に向かう。
その足取りは、戦争に赴くものとは思えないくらいしっかりとしていた・・・・・・

────こうして、着々と戦争の時は迫るのだった。
        家族を守るために戦うスピリットの姉妹と、家族を救うために戦う悠人。
                                     彼らの運命の歯車は廻りだした───