相生

Anthurium scherzerianum Ⅰ

年間を通じて温暖な気候が保たれているこの世界ならではの広葉樹や草花。
それらが思い思いに林立したり咲き乱れたりしている中で、一本の広い街道が中心を貫くように延々と続いている。
遥か上空から見下ろせば平凡で、そして単調なL字型の一本道。
さして整備も行なわれていない、土が剥き出しのままの間延びした茶色い地面は起伏も曲折も少なく、
平時は退屈すぎる景色に商隊の連中が欠伸をしながら通り過ぎる、そんな何の変哲もない田舎路。
水蒸気に覆われた朝靄の空気のせいか、その背後に聳え立っている筈の古城の姿は、今は見えない。
まだ眠りの中にあるのか、それとも煩わしい危険を察して翼を広げた後なのか。
いつも旅の者にささやかな憩いを与えてくれる鳥の囀りですら完全に吸い込まれてしまった森の中で。
動物達は一斉に息を潜め、ただひたすらに嵐が過ぎ去るのを待ち望み、塒(ねぐら)に篭り、様子を伺う。
そう、ここは戦場だった。

 ――――ガ、キィン! ガ、ガガッッ!!

「ん~……そこっ!」
霧に紛れた敵の気配が左右から複数迫るのを感じたオルファリルは、
『理念』を水平に翳し、その両先端へ淡く緑色に灯る球体を展開させた。
ハイロゥリングを変化させたそれを自分の頭ほどの大きさまで膨らまし、不規則な動きで漂わせる。
レッドスピリット独特のスフィアハイロゥ。彼女のそれは、才能のせいか特別に大きい。
グリーンスピリットが使う盾状のシールドハイロゥのような防御力は無いが、
乳白色にけぶる視界の中で朧に彷徨うそれに気を取られた敵の動きには、一瞬とはいえ戸惑いが走る。
そしてその僅かな躊躇いが、オルファリルにとっては絶好ともいえるタイミング。
中途半端に勢いを半減させ吸い寄せられるように近づく敵を見計らい、
一気に後方へと跳躍し、同時に手放した『理念』を前方へと浮かび上がらせる。
すると主の命に忠実に従い、紫の刀身はその内に秘めたマナを瞬時に紅く染め上げていく。

「マナよ神剣の主として命ずる、その姿を火球に変え――――」
朗々と語られる、慣れた詠唱。伸ばした手の先でややだぶついた服の袖口が激しく波立つ。
急激なマナの流れが風を生み、細く頭の両脇で束ねた長い髪が後方へと流れてゆく。
整った双眸の奥深くで髪色と同じ深いPeigon's Blood(鳩の血の色)を爛々と輝かせ、
くすっと口元を小さく歪め、軽く舌なめずりをして、オルファリルは昏い悦びの堰を切って落とす。
「――――敵さんたちの逃げ道、ぜ~んぶ焼き尽くしちゃえ! ファイヤーボールッッ!!」
詠唱が、完了する。
と同時に爆発的に放たれる、『理念』から生み出された複数のマナの塊。
巨大な火球へと変化して膨れ上がり、獲物を求めて飛来する獰猛な牙の群れの前に、
目標を失ったまま迂闊にも一箇所に集められてしまった敵達には既に生贄と化する運命しか残されてはいない。
逃げようと背中を向けたブルースピリットはそのままウイングハイロゥと共に頭部を焼き払われた。
左手の森に逃げ込もうとしたグリーンスピリットは蹴りかけた軸足を根元から噛み砕かれ、
衝撃で捻った脇腹をごっそりと半分以上灼熱の槍に貫かれ、独楽鼠のように宙を舞った。
そして唯一そのスピードを生かして避わした"つもりになっていた"ブラックスピリットは
詠唱完了と共に跳躍したオルファリルの体重と加速度を全て乗せた体当たりをまともに受け、
心臓を巨大な『理念』の鑿(のみ)のような剣先で磨り潰された挙句路肩の大木まで弾かれ、
磔にされてしまったような格好のままありったけの血を惜しげもなく辺りの雑草の上へと放射状に撒き散らかしていた。

「――――グ、ガハァァッッ!!!」
「あれ、まだ生きてるの? ……あははッ! おっもしろ~いっ!!」
そのブラックスピリットとオルファリルの年恰好は、さほど変わらない。
人間ならば、会って数刻もしないうちに打ち解けあえる年齢である。
だが、痙攣しながらもまだ動く敵に、オルファリルは容赦をしない。
胸を貫いたままの『理念』を捻じ込むように回転させ、更に深く抉り込む。
「アッ、アッ、アアアァアァアアッッ!!」
ブラックスピリットの少女はその度にお下げの黒髪を激しく振り乱しながら、
まだ幼い四肢を極限まで引き攣らせ、身を襲う苦痛から懸命に逃れようと暴れまくる。
陸に上げられた魚のようにぱくぱくと開閉する口元からは桜色に濁った泡のような唾液だけが間断なく飛び散り、
それでいて懸命に乞おうとしている止めの一言だけは言語化する事を許されない。
ただ声帯を通しているだけに過ぎない、意味の成さない音だけが虚ろに垂れ流され続ける。
「アアッガ、アギ、ハア゙ア゙アアッ!」
「ほらほらほらぁ~! まだ? まだぁ~?」
大量の血が吐き出される様子を眺め、飛び散ったその一部が頬に当る感触に、オルファリルは全身をぞくぞくと震わせる。
歓喜の感情に共鳴した『理念』が増々その刀身を赤く眩しく輝かせていく。
「……なに遊んでるの?」
唐突に、背後から冷ややかな声。
霧に混ざり放散していく金色のマナを殊更不快そうに見つめたまま、ニムントールが呟いていた。