相生

Nerium indicum Mill Ⅰ

「あ、見て見て~。この敵さんまだぴくぴくって頑張ってるんだ、面白いよね~」
「はぁ、……馬鹿みたい」
気配で味方と判断したのか振り向きもしないで『理念』を掻き回しているオルファリルに、ニムントールは心底呆れて溜息をつく。
しかしそれは、その残虐ともいえる行為に対してではない。
「あのね。まだ敵はいるんだから、抜けられると困るんだけど。こんなとこで、遊んでないで」
「え~!? ……ん~わかったよ」
ちら、とようやくニムントールを窺ったオルファリルは一瞬不満そうな表情を見せる。
が、彼女のややつり目がちな翡翠の瞳が細く光るのを見てそれ以上の抗議は潔く諦めた。
まだ息のあるブラックスピリットの顔に近づき、囁くように詠唱を唱え始める。
「じゃ、そゆことだから、さっさと死んじゃってね。――――ファイアボルトッ!」
「……ふぅ」
オルファリルの手元で赤く膨れ上がったマナがぱんと弾けるのを背中で感じながら、ニムントールは改めて周囲の様子を確認する。
比較的見通しの良い街道には、敵はもう居ない。しかし両脇の森の中では、まだ幾つかの敵の気配が明滅しながら飛び交っていた。
味方の気配も混ざっていて、その中に一人だけ、極端に突出しているものがある。
「はぁ……面倒」
ニムントールは細長く束ねた後ろ髪を一度軽く梳き、オルファリルを放置してそちらに駆け始めた。
日の届かない鬱蒼とした森に飛び込むと、そこはまだ薄暗い。
視界の利かない中で丈の長い草叢を掻き分け、手にした『曙光』に力を篭める。
するとすぐに頭上のハイロゥリングが淡く輝き、呼応するように槍状の神剣にも光が宿り始めた。
そして半月状の刃先から緑色のマナが森の水蒸気に反射し始めたと同時に、頭上からは明確な敵意が降り注ぐ。

「ハァァアアアアッッ!」
濃く繁った広葉樹。元より良くなかった視界の更に上。影から躍り出るブルースピリットがいた。
細身の刀身からは蒼い粒子が舞い上がり、唸りを上げた全身から引き起こされた風に、周囲のマナがかき乱される。
「……ふん」
ニムントールは構えもせずにそれを微細に観察し、最小限の動きだけで身を捩る。
直後そのすぐ側を敵の刃先が全身ごと地面へと炸裂し、小爆発を起こしたブルースピリットはそのまま跳ねた。
少し離れた場所で細身の神剣を握り直した彼女は軽い達成感と共にたった今攻撃した箇所の様子を窺う。
しかし、満足気なその表情はすぐに驚愕のものへと変わっていく。
「……服、破けた」
「――――ッッッ?!」
抉られたクレーターのような地面と土煙の中で、ニムントールの周囲だけは何事も無く残されている。
彼女は平然と立ち、目の前の敵を無視して、いかにもつまらなそうに自分の身体を観察していた。
瞬時に張ったシールドハイロゥが完璧に身を守ったところまでは計算通りだったのだが、
急激な気圧の変化で折れた木の枝が意外な方向から膨らみ始めた胸の辺りを掠っていってしまっているのが気に入らない。
鮮やかな萌黄色の戦闘服。その胸元の一部が鋭利な刃物を当てられたように斜めに切り裂かれている。
柔肌に傷などはない。しかしそんなものは論外と言える程、傷つけられたものがある。
「……」
すっ、と目元が細くなる。
と同時にニムントールは凹凸の出来た地面を力強く蹴り、ブルースピリット顔負けのスピードで跳躍していた。
「……ムカつく」
あっという間に間合いを詰めたニムントールは事態も理解出来ず棒立ちのままの敵へ、くるりと軽く回した神剣を捻れた軌道で下から振り切る。
マナが篭められたままだった『曙光』の刃先は敵の剣と身体の隙間を滑るように潜り込み、
次の瞬間には脇から斜めに吸い込まれ、そして反対側の肩口から飛び出していた。
ブルースピリットの少女は剣を手にした上半身を吹き飛ばされ、悶絶の声も出せずに朝霧へと同化して逝く。

同時にニムントールは左手の草叢へと駆け込んでいる。
「――――ッヒッ!」
「悪く、思わないで」
そこに、奇襲の機会を窺っていたレッドスピリットの狼狽しきった表情がある。
驚き、咄嗟に振りかざそうとした両刃の神剣は『曙光』であっけなく払いのけられた。
隠れて詠唱を行なっていたその口をニムントールは片手で塞ぎ、勢いのまま樹木へと押し付け、
まだ抵抗しようとする敵の放った蹴りを間合いを詰めて殺し、ついでに鳩尾へと膝蹴りも当てる。
「……グゥッ!」
「しつこい」
そうしてまだ唇を押さえ込んでいる片手越しに眼前で怯える紅い瞳を覗きこむように囁く。
「ニム今、機嫌悪いから。邪魔しないで」
「ンッンッンンンーーー ……ッッッ!!!」

 ――――ぐしゃっ

少女はそのまま、シールドハイロゥを膨張させた『曙光』に全身を押し潰された。
背後の樹木との間でもがきながら、まるで圧搾機にでもかけられた取るに足りない軽石のように。
“ひしゃげた”敵の姿が輪郭を保てずマナに還る。撓んだ樹から降り注ぐ大量の落ち葉がその痕跡すらも隠していた。
「ふーん……」
だがそんな光景にも既に興味を失っていたニムントールは不愉快そうに肩にかかる葉を払い落とし、
まだ煌いている『曙光』を軽く振り切りながら別の方角を眺めている。
「……あっちか」
油断するとどこへ迷走してしまうか分らないような、高揚した気配。それはちぐはぐに飛び跳ねながら、こちらに向かってきている。
ニムントールはちょっと考え、そして手頃な樹を見つけ、ややささくれた幹にもたれかかった。
「どうせ来るしね。行くの面倒だし」
半ば欠伸を噛み殺したような呟き。退屈を全身で現しているような気だるい口調だった。

やがて前方の繁った枝々の隙間からは、戦場にはおおよそ似つかわしくない明るい声が木霊のように聞こえてくる。
「ふっふ~ん逃がさないんだからぁ~っ! 覚悟してッッ!!」
敵を追い詰めたらしいネリーの蒼いポニーテールが風にたなびいていた。