『失望』の道行

第二幕

サルドバルトとの開戦を直後に控え、通常の訓練にも激しさが増すラキオススピリット隊。
その疲れから居間で悠人がぼんやりと椅子に体を預けていた。
これから夕食までは特に何もすることなく自由に過ごせるのだが
かといって何がしたいということも無く、明日の予定や夕食後の自由時間について
適当に考えをめぐらせる。と、ふとしたことで立てていた予定を思い出した。
自分の体調を省みて疲れ気味であることを自覚すると、
台所でお茶の準備をしていたエスペリアに声をかける。
「悪いけど、晩飯になったら呼んでくれないか。ちょっと部屋で休んでるから」
台所からわざわざ姿を現して、エスペリアは答えた。
「構いませんけれどユートさま、お疲れなのでしたら先にお風呂に入られてはいかがですか」
「いや、ついさっきアセリアが入りにいっちまったから駄目なんだ。
ぼんやりしている位だったらちゃんと休んでおいたほうがいいと思って」
「……わかりました、それでは夕食の用意が出来ましたらお呼び致します」
悠人の言葉を聞くと少し考え、そう答えた後、くすりとからかうような笑みを浮かべて、
「ですけれど、あまり根を詰めるのも良くありませんよ。お二人とも」
と付け足した。
「じゃ、じゃあ晩飯まで部屋にいるから」
「はい」
背中に送られる視線が妙にこそばゆい。悠人はそそくさと自室へと戻っていった。


変わってこちらは第二詰所。
「ヘリオン、ちょっとそこのリクェムを取ってちょうだい」
「はい、これですね……って、ヒミカさん、リクェム使うんですかぁ?」
「なに、あなたも駄目なの」
「いえ、わたしは平気ですけど、ネリーやシアーがあまり食べなくなるじゃないですか」
「でも使わないと無駄になるでしょ。……そうね、リクェムの肉詰めにしようかと思ったけれど、
細かく刻んで見えないようにしちゃいましょう」
「はい、じゃあ洗って刻んできますね」
台所では、本日の料理当番、ヒミカとヘリオンが全員分の夕食を用意している所だった。
第一詰所よりも人数が多いため下ごしらえなどにより多くの時間をとられてしまうのだ。
それにしても、とヒミカはツインテールをピコピコ揺らしてリクェムのみじん切りにかかっている
ヘリオンに視線をやり、ふっと頬を緩ませる。
やっと、誰に対してでも自然に振舞ってくれるようになった。
スピリット部隊に配属された当初からヒミカは年長者として後輩や年下の者の面倒をみていたのだが、
その頃のヘリオンは、よく言えば遠慮深く、悪く言えば引っ込み思案で、おどおどとしていた。むしろしすぎていた。
ヒミカにも原因は分かる。本人の永遠神剣の位に関して、ヘリオンは非常に劣等感を持ってしまっていた。
そんなことで他者を軽んじるスピリットはここ、ラキオスには勿論いない。しかし
当時に人間達に植え付けられたそれは簡単に消えるようなものではなく、
ヒミカのみならず、ネリーやシアーにも距離をとってしまうほどであった。
これも隊長、『求め』のユートの功績の一つだろう、とヒミカは感謝する。
彼との初顔合わせの時から、ヘリオンの顔つきが変わったように見受けられるのだから。
自分にとっては少々情けなさを感じさせたあの悠人の態度も、彼女にとっては
どれほどの力となったのだろうか。それに、ヒミカ自身においても
悠人が人とスピリットの間の壁を易々と打ち壊し、そんな事は関係ないと宣言した
あの時以来、彼に信を置くようになっていった。
一部の者にはまだ頼りなく思われてはいるが、それも時間の問題だろう。
ふと、何時の間にかヘリオンのことから悠人のことに思考がいってしまっている事に
ヒミカが気付いた時、ヘリオンから注意されてしまった。


「ヒミカさん、手が動いてませんよぅ。遅くなると、ネリーがお腹すいたって騒いじゃいます」
そう、もう今ではこんな物だ。ヒミカは微笑み、肉を叩いて潰す作業を再開する。
「ごめんなさい、なんだかご機嫌だから気になってしまってね。なにか良いことでもあった?」
「え?」
リクェムを運ぶ時も刻む時も、訓練の後とは思えないくらいの元気さで跳ね回っていた。
まあ、ヘリオンをここまで気分よくさせる理由など数えるくらいしかないが、あえて尋ねてみる。
「あの、その、あったというか、これからある、というか」
頬を染めてしどろもどろになるヘリオンを見て合点が行った。
以前に、ヘリオンの部屋で悠人とヘリオンが共に眠りについていた。と言う話を
ハリオンが、「ですからぁ~、今夜はぁ、お赤飯かしらぁ~」などと
多大な脚色を加えてまことしやかに吹聴していたことを思い出す。
ネリーやシアー、オルファにはさすがに聞かせてはいなかったとは言え
それは様々な意味で部隊内を震撼させたが、いくらなんでもあの二人が、という共通意見と、
ハリオンの言ってることだし、という信憑性の不確かさ、そして本人達の必死の弁明によって事態は収束した。
その時にヘリオンが夜中に抜け出して特訓を試みていた事、
悠人がこれからはそれに参加するつもりである事が明かされた。
隊長が夜中に部屋を抜け出すなど、と警備上の理由から悠人には回数の制限や
予定の報告がエスペリアによって義務付けられたが、以来、幾度か行われてきたようだ。
最も、いつ行われるのかはこんな風にバレバレだったが。
「ああ、そうなの、でもユート様も訓練でお疲れでしょうし、ほどほどにしておきなさいよ」
とヒミカが言うとヘリオンがぴたり、と動きを止めた。
「ほ、ほどほどにって、なんだか、いやらしい感じがします……」
「え」
顔を見合わせる二人。夜中に待ち合わせをして、疲れている相手と、ほどほどに。
顔を紅潮させているヘリオンを見ているうちに、ヒミカにも別の意味に思えてきた。
「わ、分かってますよ、訓練ですよねっ、訓練!」
「ええ、そうよ。訓練よ、訓練。決まっているでしょう」
つられて赤くなった顔を隠すように、ヒミカはヘリオンの運んできたリクェムを
潰した肉の中に混ぜいれ、力を込めてこね始めた。


第二詰所本日のメインディッシュは、ヒミカ特製手こねハンバーグ隠しピーマン(ハイペリア語名)。
好評を得て、時間は過ぎていった。

夜の訓練棟に風を切る音が響く。
重く低い、テンポの遅い音と、軽く高い、リズムの良い音。
昼間の訓練の内容を思い出しながらの素振り、剣技の型の復習が二人の特訓の大部分を占めていた。
そもそも、悠人とヘリオン、『求め』と『失望』は剣の形態からして全く違う。
刃は鈍く、その重さと無骨さで力任せに目標を叩き潰す『求め』と
黒スピリットらしい、刀身が微妙に反り、抜刀に適した速さと鋭さで目標を斬る『失望』。
如何ともし難い戦闘スタイルの違いは、互いに剣技を教えあう事を困難にしていた。
さらには、悠人自身に全く剣の心得が無く、ラキオス流の剣術を学んではいるものの
まだまだ我流の域を出ない。強力な『求め』の力にぶら下がっているだけと言ってしまわざるを得ない状態だ。
ヘリオンはヘリオンで、他人に充分な指導が出来るほど剣に熟達しているわけでは無い。
ただ、二人は愚直に向かい合って基本の型を繰り返すのみ。
それでも、ヘリオンが何かできることは無いかと考えた結果、一つの成果があった。
甲高い納刀の音と共にヘリオンの動きが止まる。残心を心がけながら、悠人の動きを見る。
瞬きもせずにじっと見て、一連の流れが途切れた所で声をかけた。
「あの、ユートさま。今の、ちょっとおかしくないですか」
「え、どこかな」
再び『求め』を振り上げかけた悠人も、動きを止めて尋ね返す。
ヘリオンは鞘から『失望』を抜き、悠人の動きで問題のあったところを繰り返した。
「ええっと、振り下ろした後から、切り返して払う所なんですけど
訓練士の方のお手本よりもぎこちなくなっちゃってるみたいです」
「ああ、何か昼間もそれ、言われっぱなしだった。言われてすぐは直るらしいんだけど
しばらくすると動きが途切れるってさ」
「たぶん、剣の重みと体の重心の移動がずれているんだと思います。
どうすれば直るかまで分かれば良いんですけど……」
『求め』との体勢のバランスまで見ただけで理解できるわけでは無い。
自分の限界を感じざるを得ず、申し訳無さそうに目を伏せた。


もちろん、悠人がそれをヘリオンの落ち度だと感じることは無い。明るく笑いかけて言う。
「大丈夫だよ、それは何とか覚えてる。何時ずれてるのか自分で気付けないのが悪いんだから、
こうして言ってくれるだけでも随分違うもんだ。
でも、やっぱりヘリオンはすごいな。訓練の時から、型が崩れてるって注意される事ないだろ」
そう、型を身につける事に関してはヘリオンは驚くほどに覚えがよかった。
また、その事から悠人の型も覚えてみて、違いを指摘する事ができるのだった。
ヘリオンはそれを聞くと、抜き放たれたままの『失望』を見つめて微笑んだ。
「ああ、それは、わたしがすごいって言うより『失望』のおかげ、ですね」
「『失望』の?」
そのまま、ヘリオンは『失望』の刀身に視線を這わせる。
その名を表す様に、刃に輝きは無く、触れれば斬れるという鋭さもない。
ただ鋼の色そのままに、刀身はヘリオンの目を映すことなく鈍くその視線を受けるのみ。
それでも、ヘリオンには自身の片割れとも言うべき剣。祈るように一瞬目を閉じると丁寧に鞘へと納めた。
まだ、悠人の聴き返した事に答えていない事に気付くと、分かりやすい言葉を探しながら答えた。
「えっと、一度正しい型を覚えると、剣を振る時に教えてくれるんです。
声がする訳じゃないんですけど、なんとなく。足の運びや体重の移動、力の入れ具合とかも」
ヘリオン自身その理由は良く分かっていない。感覚だけでわかる事を説明するのは骨が折れる。
困って説明に窮しているヘリオンを見て、悠人は何とか分かることを拾い上げて
『求め』との違いについて考えてみる。すると、一つの事に思い当たった。
「ずいぶん丁寧なんだな、こいつとは大違いだ。
こいつの場合、ぶった切る力は貸してやるから勝手にやれって感じだから、苦労だらけだ」
「でも、それはわたしもです。動き方は教えてくれるんですけど
実際に動くのはわたしだけで、剣から斬る力をもらえてると感じた事は無いんです。
ですから……その、ちょっと、試してみてもらえますか?」
と、ヘリオンは悠人から距離をとって、柄に手を添えて姿勢を低くした。
頭上にハイロゥが輝き、徐々に背中に、翼として再構成されていく。


打ち込みの訓練で攻撃準備を終えた段階の構えだ。悠人は『求め』を正面に構えなおすと、
「ああ、防御してればいいんだな」
衝撃に備えて腰を落とす。その動きを見て、ヘリオンが頷いた。
「それじゃあ、いきますっ……!」
ヘリオンが地を蹴り、ウイングハイロゥの推進力を得て即座に悠人との距離を詰める。
その間に鯉口を切り、剣の間合いに悠人を収めるとほぼ同時に『失望』を抜き放った。
正確に喉元を狙っての軌道。訓練といえど、いや訓練だからこそ悠人に対してでも容赦なく斬りつける。
悠人も、構えと顔つきからヘリオンの本気を見て取り全力で防御に心を傾ける。手を抜く事は互いに対して最大の無粋。
ヘリオンの一挙手一投足から目を離さずに斬撃の瞬間まで。ヘリオンと目が合ったかと思うほどに
互いの視線を絡ませあいながら、その攻撃が届く間際に悠人は気合を発して防御のオーラを展開する。
『失望』がそれに弾かれた瞬間、剣を納めたヘリオンが後ろに飛びのき再び疾駆する。
次の一合も同じく、悠人が発したオーラに阻まれて終わった。
だが、悠人の展開した防御障壁からだんだんと光が消え、空に融けるように消えた。
更なる一撃を、とヘリオンが構えを改めた瞬間、ヘリオンのウイングハイロゥもまた輝きを落としさらさらと散った。
肩で息をつき、呼吸を落ち着けるとヘリオンはぱたぱたと悠人に駆け寄った。
「どうでした?」
悠人が返すその評価も加減は無しだ。感じたままを率直に伝える。
「うん、狙いは正確だし、しっかり急所を目指して切り込んでる。
マナの力も乗せてる、と思う。でもこう言っちゃ何だけど、確かに軽い。
速さも力もあいつと比べたら、俺に見えてるってところで全然足りない」
その脳裏に、一人の黒スピリットの姿が描き出される。
それを聞いたヘリオンが溜め息を洩らした。本人が思っていた通りの弱点をしっかりと把握されてしまい、
自分の未熟さを思い知るだけのようだった。とはいえ、ここまで自分の斬撃から詳細を導けるほどに
真剣に受けてもらえたのだと思うと、無意識に頬が緩む。
訓練中だから、と気を引き締めなおすと悠人に反省点を報告した。


「そうなんですよね、『失望』の教えてくれてる動きに、わたしの体がついていってないんです。
ほんとはもっと疾く速くって思ってるんですけど。……って、あいつってもしかして、漆黒の翼、ですか!?」
と今さらながらにヘリオンは驚いた。まさか、比較対象が違いすぎる。
ヘリオンの動揺を知ってか知らずか、悠人は平然と言葉を続けていった。
「ああ、気がついたら斬られてるって事になりそうな迫力を感じたよ。
もしかしたら、斬られても気付かないかもしれない」
「い、いくらなんでも、あの人と比べたらどんなスピリットでも遅く感じちゃいますよぅ。
しかも、わたしなんてまだまだなんですから」
ヘリオンは目を丸くしてわたわたと慌てる。斬撃を打ち込んできた時の引き締まりの残らない
表情に、悠人の顔も自然と緩んだ。
「そんな事言ったら俺だって全然じゃないか。実際、ヘリオンがもう一回切り込んできたら
しっかり防げる自信、無かったんだから」
「今のわたしだったらまともに当たってもあんまり意味は無いです、
『失望』自体に切れ味があまり無いんですからもっと攻撃にスピードと力を乗せないと。
あと、もっといっぱい仕掛けられるような持久力も欲しいです」
お互いに顔を見合わせて同時に溜め息をついた。情けなかったが、なんだか可笑しくなった。
ふと、悠人が何かに気付いたように顔をあげる。
「でもさ、黙って素振りをしてるより自分の駄目な所がはっきりするような気がするなぁ」
「あ、そういえば、確かにそうです。打ち込み稽古用の標的もマナを乗せた攻撃じゃあ
周りの施設ごと壊しちゃいますから、本気でやると怒られちゃいますし」
「そうだなぁ、最後の仕上げに一回打ち込み合うって言うのは良いかもしれないな」
思い付きをそのまま口にする。それを聞いたヘリオンが攻防を繰り返す自分たちの姿を想像し、
顔を赤らめかけた直後に、一気に顔色を無くした。
「え、で、でも、わたしが受けたら、『失望』が折れちゃいますよぅっ」
悠人の頭にも、自分の力任せの一撃が細い剣をポッキリ折ってしまう映像が浮かび、
その先にまで想像が及ぶ前に頭を振って追い出した。


「……それもそうだ、そんな手加減できる腕前なんてまだ無い。
よし、じゃあヘリオンが打ち込んで、俺が受けるのはこれからもやっていこう。
マナのコントロールの練習にもなるし」
「そ、そうですね、それなら何とかなりそうです」
と言うヘリオンの頭の中には先ほどの攻防が再生されていた。
自分の攻撃に意識を集中していたものの、思い返すその映像は
互いの姿だけを視界に入れ、それ以外は全く意識の外にあった一瞬。
戦闘と言う観点から見ればそれは危険だと理解しているが、
訓練などではなく、普段からそのような時間が持てるのならと
夢想しかけたところで悠人の声にふっと我に返った。
「ヘリオン、やっぱり本気でマナを使って動いて疲れたんだろ?
何かぼーっとしてるから今日はもう終わりにしようか。だいたい時間もそんなもんだ」
「ぇあ、は、はいっ。ユ、ユートさまも、お疲れ様でしたっ」
何時の間にか近くによって心配そうに覗き込んでいた悠人を見て驚き、
その場でぴょこんと頭を下げる。お疲れ、と悠人も声をかけ、『求め』を腰に佩きなおした。
「さて、それじゃ帰ろう。第二詰所までは道が同じだからな」
「はいっ、よろしくお願いしますっ」
一度目の訓練の時に出来た決まりごと。終わったあとにヘリオンが悠人を第一詰所まで見送ると言ったところで
悠人が、ヘリオンに対してその必要性がある事に気付いた。
互いに一人で帰すのは悪いと譲らず、仕方なく訓練棟との位置関係での判断を試みた。
結果、やや第二詰所までの方が距離が長く、一人で歩く距離が少なくなるということを
理由に悠人が押し切り、ヘリオンを送ることとなった。
まるで、今からが訓練の本番のように緊張するヘリオンを見て
何時までも慣れない様子に悠人も気恥ずかしさを感じながら帰途につくのだった。


そして、その途中。夜道をほの薄く、エーテル光源が照らしている帰り道。
悠人はあまりに緊張しているヘリオンを見かねて
いつも適当に日常の事を話し掛けるのだが、今日の話題は少し違った方向へと向かった。
悠人から少し後方について歩いているヘリオンに向かい、振り向いて話を続ける。
「それにしても驚いたな、『失望』って随分優しいみたいじゃないか」
「え、優しい、ですか?」
自分の剣をそんな風に言われるのはもちろん初めての事。
ヘリオンは目をまたたかせて、思わずそのまま尋ね返してしまった。
「ああ、動き方を教えてくれるんだろ。このバカ剣が俺に何か言う時は
いっつも偉そうな口調なんだぞ」
と、『求め』の柄尻をぽんと叩いて悠人が苦笑する。
それを見て、ヘリオンもくすりと笑うと『失望』の柄に手をやり考えながら答えを探す。
「うーん、どうなんでしょう。声が聞こえるわけじゃないって言いましたよね。
だから、わたしが勝手にそう解釈してるだけでほんとは偉そうなのかもしれませんよ」
「そうか?でも声が聞こえなくても分かるもんなのかな、それ」
「ええ。何となくですけれど、剣が伝えてくるんです。でもわたしにわかるのは
ちょっとした意識みたいな物で、ユートさまのように……あ、いえ、その」
と、顔を曇らせ言葉を濁すヘリオン。悠人の目を見て、なんでもないですと飲み込んでしまった。
悠人はその様子を見て、何か自分に都合の悪い事だと察する事ができた。
だが、このようにヘリオンが黙ってしまう事など珍しい。つい、気になって促してしまった。
「いい。言ってくれよヘリオン。そこで止められたほうが気になっちまう」
目を泳がせて、息をついた。意を決して悠人の目をもう一度見る。
悠人も、その目を見て頷いた。ヘリオンの口が開く。


「あの、ですね。ユートさまみたいに危険がわかるような事もないんです」
「危険?……あの時、か」
昨年の末、イースペリアのマナ消失が起きた時の事を思い出して、悠人は顔をしかめた。
何時までも引きずる事は良くないとは分かっているが、一方で決して忘れてはいけないと思う
自らの手で起こす事になってしまった最悪の事態。
その時に、確かに『求め』の指示で部隊に撤退を言い渡した。
「そうだな、あれは確かにこいつのおかげだと思う。
まあ、単に俺に死なれたら困るっていうだけだろうなこいつの場合は。
それに、危険なのが分かったからって俺に出来た事なんて無かった」
自分で思うよりも、はるかに硬い声が出てしまっている。
これでは怖がらせてしまうじゃないかと思いつつも、思考はその時の風景を描き続ける。
マナ消失を止める事も出来ず、ただ自分たちの身を守っただけ。
思い出すたびに、押し寄せる爆風と神剣の悲鳴が心を揺さぶる。
重くなった気分を振り払うように足を踏み出すと、
少し後ろについてきていたヘリオンがいつのまにか悠人を追い越して
目の前でこちらを向いて立ち止まっていた。
つられて、悠人も足をとめてヘリオンを見る。
そんなに、自分はつらそうな顔をしてしまっていたのだろうか。
ヘリオンは口に出したことを後悔して目を伏せ、唇を震わせていたが
真っ直ぐに顔をあげて悠人の顔を見た。
「それでもっ、ユートさまは、わたし達を守ってくれました。ちゃんと言ってた通りに。
だから、わたしはユートさまに感謝してます。何も出来てないなんてそんな事無いですっ」
「そんな、あの場を切り抜けられたのは俺の力だけじゃない。みんなの力で何とかなっただけじゃないか」
「あの時はわたしも『失望』も、言われた事くらいしか出来ずに震えてただけです。
他のみなさんだって、ユートさまに励まされてたから諦めずに耐え切れたんですっ」


必死に、瞳を潤ませて悠人を弁護するヘリオン。自分のせいで、
その話題にいかざるを得なくなっただけのヘリオンに心の中で謝ると、
悠人はそっと近づき、ヘリオンの頭に、ぽん、と手を乗せた。ぴくり、と体を震わせ、悠人を見上げる。
「いいんだ、ヘリオン。言ってくれって言ったのは俺なんだからさ。
それに、忘れるわけにはいかない事なんだからたまにはこうやって考え直すのも必要なんだよ」
そのまま、くしゃりと悠人はヘリオンの頭を撫でた。でも、その悠人の顔はまだ晴れきってはいなかった。
それなのに、とヘリオンが悠人の顔を覗き、心を震わせる。こんなにも、優しい。
その心の震えのままに、ヘリオンの目から涙が溢れてきた。
「ごめ、な、さい、わた、わたし、考え無しに、ユートさまに、
嫌な思いさせちゃって、ほんとに、ごめん、なさい」
悠人から涙を隠すように俯き、それを止めようと手で目頭から鼻にかけてを覆い
嗚咽交じりに悠人に謝る。悠人はぎょっとしてあたりを見回して、そのまま、
ヘリオンの頭を撫で続けたまま言葉をかける。
「俺だって悪かった。ヘリオンは俺の事考えて言うのをやめてくれたのにさ。
聞かれたから、答えなきゃいけないって思っちまったんだよな?
それなら、俺だって考え無しだ。ヘリオンの気持ちも考えないで興味だけで
話を続けさせちまった。だから、俺も、ごめん」
話し掛けるうちに、自然とあやすようにヘリオンの背中をぽんぽんと、
頭を撫でているほうと逆の手で軽く叩いていた。
しばらく続けて、だんだんと落ち着いてきたヘリオンを見て、最後に悠人はこう付け足した。
「そうだな。別に聞かれたからって何でもかんでも答えれば良いってもんじゃないんだぞ。
言いたい事ははっきり言えば良いし、言いたくないならきちんとそう教えてくれればいいんだ。
俺だって、みんなに言えない事があるかもしれない。
だから、そうやってくのがお互いに対等なんじゃないかな」


そう言い、もう涙を止めていたヘリオンを見る。まだ目は赤かったが、
それ以上に頬が赤い。さらには、嗚咽も収まっているものの体は硬直してしまっている。
そこで、悠人はやっと自分の体勢に気がついた。
ヘリオンの頭に片手を乗せて撫で回し、背に手をあてて突っ立っている。
体は少し離れているため、抱きしめているというわけではなかったが限りなくそれに近い。
悠人の頭にも、何か懐かしいような感覚がしていた。しかし、それよりも恥ずかしさが先にたつ。
そして、それはヘリオンにおいても、
「あの、ユート、さま。ちょっと恥ずかしいです……わたし、子どもみたいじゃないですか」
と言わしめるくらいであった。
「ご、ごめん、泣いてる子の静め方なんてこんなのしか知らなくて。
いや、子って言ってもヘリオンが子どもってわけじゃないから」
あたふたと体を離し、悠人は言い訳を続ける。ヘリオンは俯いていた顔をあげて悠人の言葉を遮った。
「いえ、う、嬉しかったから、大丈夫ですっ。その、ありがとうございましたっ」
ぺこりと、深く悠人に頭を下げる。向かい合わせで、薄暗い中でも分かるほどに赤い顔を見合わせて
しばらく無言で見つめ合っていた。
やがて、どちらからとも無く足を動かして詰所の方向に歩き出す。
今度はどちらが前に立つことも無く、横に並んで進んで行った。


「それにしても、震えてた、って『失望』がか」
互いに落ち着いて話を再開させた時、悠人が気になったのはヘリオンの言葉の中の一言。
『求め』の事を思い出してもあの時には障壁を張る事に集中していて、よく分からない。
自分が覚えているのは神剣やマナの消える悲鳴だけだ。
「はい、あの時に打ち砕かれた剣や、引き裂かれたスピリットの悲鳴を聞いて。
まるで、泣いてるみたいに感じて、わたしも悲しくなっちゃって」
それを聞いて、悠人は、今は隣で顔を上気させて歩くヘリオンに微笑みかけた。
「剣が泣く、か。それならやっぱり、『失望』は優しいんだな。
あんな時に他人を思って泣くなんてなかなか出来ないよ」
「そう、ですね。そう思うと、『失望』もわたしを見守ってくれているような気がします」
ヘリオンは自らの剣を持ち、それを見つめる。
「うん、それにさ、『失望』が泣いてると思ったんなら、ヘリオンもすごく優しいと思う」
「え、わ、わたしがですかっ」
思わず、剣を取り落としそうになりながら悠人に向き直った。
「だって、そうだろ。剣が悲しむなんて、こいつからは全然そんな感じがしないし。
下手したら、ヘリオンを飲み込んじまうかもしれない神剣をそんな風に考えられるのって
結構すごい事だと思う。と、いつのまにか着いてたみたいだ」
気付くと、第二詰所の玄関前。二人は立ち止まって顔を見合わせた。
「あ、あれ、ほんとだっ。なんだか、あっという間でしたねっ」
「確かに話しながらだとすぐに感じるな。それじゃあ、風邪ひかないようにな
明日からも大変だからさ」
「え、あ、はい。でも、わたしユートさまに比べたら、全然……」
「それじゃ、お休み」
「あ、お、おやすみなさい、ユートさまっ」
そうして、悠人の影が見えなくなるまでヘリオンはその後姿を見送った。
その後、自分の頭にぽす、と手を置いてわしゃわしゃと撫で回して、ぽつりと
「言いたい事だけ言ってそのまま行くなんて、ユートさまの方が、全然対等なんかじゃないですよぅ」
と呟いた後、他の者を起こさない程度には静かに、ぱたぱたと中へと入っていった。