『失望』の道行

第三幕

サルドバルトの制圧に成功し、エトランジェ、『求め』のユートに一つの恩賞が与えられた。
ラキオス王によって、彼に対する人質として捕らえられていた義妹、佳織の解放である。
北方五国がラキオスによって統一された事により大陸の力関係は現在、やや膠着状態に有る。
したがって、大規模な戦闘が発生する事も無く、ここ一ヶ月の間、悠人や佳織たちは一時の平和を享受していた。
だが、その平和も破られる時が来る。迫り来るその時を露とも知らず、悠人と佳織は夕刻のお茶を飲みながら
話していた。その話題はと言えば、
「え、だ、誰かをお嫁さんに、だって?」
「うん、お兄ちゃん、エスペリアさんやアセリアさんたちだけじゃなくて、
ネリーやシアーがいる方の人たちとも仲がいいんだから選ぶのは大変だろうけど、ね?」
という物であった。
まさか、小鳥ならともかく佳織にこのような話題を振られる事になるとは。
やはり佳織も女の子だという事か。妙な感慨に耽りながらも悠人の頭にスピリットの面々や
レスティーナ王女の顔が浮かび上がる。その中の一人、ツインテールに小動物的な愛らしさを
備えた少女の姿が一際大きく描き出された。深く考えないまま、ぽろりと口から洩れた。
「うーん、……ヘリオン、かなぁ」
「えっと、ヘリオンさんって」
確か、オルファに連れられて第二詰所方面に遊びに行った時に会った事が有る。
初対面ではお互いに緊張しあって何度も頭を下げあった事が印象に残っている。
その時から、気が弱そうではあったけれども、悠人を心から尊敬しているという態度を示していて、
そこを他の人たちにからかわれていた所を目にしたこともあった。
一度城を通らなければ第二詰所には行けないために訪れる事に気が進まなかったため
それほど回数を重ねたわけでは無いけれども、会うたびに悠人を褒められるのは
なかなかに気分が良かった。けれども――
「よくお兄ちゃんと一緒に訓練に出かけるってオルファが羨ましがってた、ヘリオンさんの事?」
少々意外だという顔をして、佳織は尋ね返した。改めてそのような顔で聞かれると、
自分がそう口に出した理由を探さなければならないような気分になる。

「そりゃ、佳織が言うようにエスペリアやアセリアみたいにしっかりしてるかとか、
格好良いかとかって考えたらちょっと頼りなく思うかもしれないけど、実は結構気がつくし。
かといって、時々抜けてるんだけど、そこが気になって放っとけないというか」
ふらりと第二詰所に顔を出してみた時に会っても
悠人が面倒くさいと思ってしまう仕事を一生懸命にこなしているし、
もうほとんど秘密では無くなってしまった夜中の訓練でも、日々努力を重ねているのが良く分かる。
更には悠人自身の剣術の型のお手本として指導してもらってさえいる。
その割りに、と追加で悠人が思い描くのは、自分の見ている前で洗濯籠に蹴躓いたり、
花壇に水をやりすぎたり、打ち込み稽古の後に少しぽうっとしていたりする姿。
「ユート様の前だとぉ、緊張しちゃうんですよねぇ~」
「普段はもっときちんと出来るでしょうに、ねぇ」
授業参観日の教師のノリで溜め息を漏らすハリオンやヒミカたちに促され
フォローに回るうちに、適当に自分から手伝うことも日常茶飯事になってきていた。
「お兄ちゃん?」
思い出した内容に頬を緩める悠人を佳織は不思議そうに見やる。
少し慌てて、考えていたことを言葉にまとめ直して告げる。
「ああ、うん。何か、お互いに抜けてるところを埋めあってるような気がしてほっとするんだ。
バランスがいいって言うか、支え合えてると思えるって言うか、そんな感じがする。
ほら、例えばエスペリアとかだったら頼りになりすぎて俺がだらしなくなっちまうと思うから、
張り合いがあっていいんじゃないかなって」
「そっか、きっと相性がいいんだよお兄ちゃんとヘリオンさん。
ヘリオンさんも、お兄ちゃんの事気になってるんじゃないかな?」
そういう佳織の顔は一見にこやかだ。だがその内心では寂しさが膨らんでいった。
だから、しばらく話をして、会話が途切れたときに口をついて出た。
「お兄ちゃん、まだ戦わなくちゃいけないのかな」
「ね、逃げちゃおうよ」
「私じゃ、ダメなの?」
言葉を聞くたび、悠人の顔が困惑に染まっていく。
自分の衝動的な欲求と、スピリットたちと交した約束。
その二つの葛藤に襲われ返答に戸惑っているその時。
鐘が鳴った。敵襲を告げる鐘が響き渡る。悠人は佳織を残し、王城へと駆けていった。


全速力で城に駆けつけた悠人が見た物は、人間の兵士の亡骸だった。
人を殺す事ができるスピリットなど悠人の知識の中には無かった。
スピリットに対する認識を改めながら、悠人は即座に敵と思しきスピリットの気配を
『求め』を通して探り始める。しかし、何故か詳細な位置が普段にも増してつかみづらい。
何とか、より多くの気配が感じられる謁見の間、そしてその向こうに有る第二詰所の
方向にあたりをつけて、再び駆け出していく。
第一詰所の皆は買出しに出て行ったという。異変を感じてすぐに戻ったとしても
まだしばらくの時間がかかってしまうのだろう、悠人が謁見の間に辿り着いた時もまだ、
誰とも合流を果たす事は無かった。
「敵にも出くわしてないのが幸いだったけど、この先はまずいな」
謁見の間の中には複数の神剣の気配。こちらが一人であることを考慮するとうかつな事は
出来ない。だが、この先には王族の寝所や、第二詰所などが存在する。
息を呑み、覚悟を決めると悠人は単身謁見の間に飛び込んだ。

悠人と時を同じくし、第二詰所方面に連なる扉から、一人のスピリットが現れた。
彼女は謁見の間の中にいるスピリットたちの姿を認めると、顔を蒼白にして
自ら閉めた扉を背にし、神剣を構えた。
「ヒ、ヒミカさんっ、もう、もう入り込まれちゃってますっ、
ど、どど、どうしましょうっ!?」
扉越しに叱咤が飛ぶ。カクカクと頷きながら落ち着きを取り戻そうと
呼吸を整えるその姿はヘリオンだ。
悠人が声を聞いて彼女に気付くのと、部屋の中のスピリットたちが二ヵ所から
挟撃する形で現れた悠人たちの姿に一瞬怯むのはほぼ同時の出来事だった。
ほとんど恐慌状態のヘリオンを一人で残したまま
各個に叩かれるよりは二人にまとまったほうが生き残りやすいと判断した悠人は
敵スピリットが怯んでいる隙に、ヘリオンの元へと回りこんでいく。


だが、それを許すほど襲撃者達も甘くは無い。扉のところで防御に徹するヘリオンを見やり、
後でどうにでもなると思ったか、牽制するように緑一体が残り、残りの数体が悠人へ攻撃を繰り出した。
それでも、移動と防御に『求め』の力を使う悠人を止めるには至らない。
撃ちかかって来た青と黒の斬撃を大きく振るった『求め』の一撃で切り払い、
牽制で飛んできた赤の火球を、移動速度の緩急を制御してかわし、
たいした怪我も無く、ヘリオンの元へと転がり込んだ。
「ゆ、ユートさま!」
「大丈夫か!?」
目を丸くし、何度も頷くヘリオン。悠人は彼女の横に並び、体勢を立て直してこちらに向き直る
敵スピリットを睨みやった。悠人はヘリオンの肩に手をおき話し掛ける。
「扉の向こうはヒミカ達が防いでるんだろ。それじゃあ、俺たちはこいつらの相手をしないとな。
ヘリオンはいつも通りサポートを頼む」
「は、はいっ任せてください!」
落ち着いて大きく頷いたヘリオンの目を見て、よし、と頷き返した悠人は
『求め』を構えて、一団へと飛び掛っていく。
部屋の中には、青スピリットが二人、緑が一人、赤が一人、黒が二人の計六人。
無言のままで、あるいは剣を構え、あるいは魔法の詠唱にかかるスピリットたち。
その統率の取れた動きに悠人は戦慄を覚えた。
攻撃をかけられる位置にいた、防御障壁を展開している青スピリットに狙いを定め、
『求め』を振り下ろそうとしたその時、標的となった青は詠唱を中断し、より強固な障壁を張った
緑が素早く割り込み、位置を入れ替わった。
「な――」
いや、防御担当のスピリットが二人いても人数では問題ない。だが、予想出来なかった動きに
悠人は対応できない。このまま、おそらく衝撃すら通さないであろう堅い障壁に剣を打ちつけ、
生じた隙に攻撃を叩き込まれるだろう。
攻撃を止められないまま、勢いに乗った『求め』の斬撃が繰り出された瞬間、
「神剣よ、我が求めに応えよ。恐怖にて、彼の者の心を縛れ!」
ヘリオンの声が響き渡った。


緑がふいにびくりと震え、詠唱の集中が途切れる。たちまち堅固だった障壁が薄れてゆく。
そのまま、脆くなった障壁ごと悠人の一撃が緑を切り裂き、返す刀でとどめをさすと、
一旦大きく跳び退りヘリオンの前に立ちふさがった。今度は気合を発して悠人が障壁を張る。
そこに音も無く跳び込んだ黒の斬撃が襲い掛かった。急ごしらえの物では全ての攻撃を防ぎきれず、
体の数ヵ所に傷ができていく。しかし、効果が薄いと見て取った相手も、また静かに速く離れていった。
大きく息をついたのもつかの間、ヘリオンの叫びで体を動かす。
「ユートさま、右へ!」
二人同時に右へ大きく転がり込む。一呼吸前まで二人がいた場所に火球が打ち込まれて
床が黒く焦げていた。体勢を立て直しながら、ほとんど本能的に再び障壁を展開する。
そこに、もう一人の青の攻撃が振り下ろされた。強力な衝撃が障壁を貫いて悠人の体を軋ませる。
「くぅぅっ!」
苦し紛れに『求め』を横薙ぎに振ったが、不意打ちに失敗した相手が退くのは更に速かった。
悠人とヘリオンが立ち上がり、もう一度、五人になったスピリットたちと対峙する。
黒二人が油断無く出入り口を警戒し、残りの青二人と赤が剣を構えている。
「くそ、相手はほとんど無傷か」
肩で荒く息をつく悠人。傷自体は深くは無かったが、連続したオーラの使用で疲労が激しい。
「ユートさま、攻撃と防御を一度にするなんて無茶です。せめてヒミカさん達がくるまで……」
「六人と同時に戦ってるんだからこれくらいの無茶はしなきゃ持ちこたえられやしないさ。
それに、今、扉から味方が入ってきたら間違いなく斬られちまう」
また攻撃をかけるべく、悠人が飛び込む体勢を作る。さらに、精神を集中し、詠唱を開始した。
「永遠神剣の主の名において命ずる……精霊光よ、光の楯となれ!」
悠人とヘリオンの周りに言葉どおりに光が具現し、身を守る楯と化し、
細かな傷もまとめて治癒されていく。
その勢いのまま青の一人に向かって切り込んでいった。ヘリオンもまた、補助魔法の詠唱に入る。


悠人とヘリオンの連携は確実に効果をあげ、不利な状況をかろうじてしのぎ続けていた。
黒の二人は増援を警戒しており、散発的に悠人やヘリオンに斬撃や魔法を繰り出すだけで
大きな障害にならなかった事が幸いしたのかもしれない。
悠人は防御を担当していた青を霧に還すと、勢いを殺さないまま、魔法を詠唱していた赤を
叩き伏せた。そこに残りの青が踊りかかる。悠人が倒れた赤に目をやると、既に全身からマナが
立ち上り始めている。それに背をむけ、障壁を張る時間の無いまま、がきりと剣を打ち合わせた。
押さえ込まれる前に悠人は力任せに剣を弾き返す。相手も、距離を離すことなく攻撃を続けた。
剣と剣がぶつかり合う音が謁見の間に響く。悠人は目の前の猛攻を防ぎ、反撃を試みながら
隙を見つけるために斬撃の合間を計ることに集中していた。いや、集中しすぎた。
それに気付いたのは攻撃を鈍らせるための魔法を準備していたヘリオン。
攻撃をしのぎ続ける悠人の背後で、全身からマナの霧を零しながら赤スピリットが立ち上がり、
今までに無い大火球を生み出し始めたのだ。背後に生まれた殺気に反応した悠人だが、
切り結んでいた相手は再び剣を打ち合わせ、悠人をその場に釘付けにする。
「何を……お前も巻き込まれるぞ!」
相変わらず、相手の顔は何の感情も浮かべてはいない。
ただ、鍔迫り合いを続けたまま悠人の動きを止める事だけに全力を傾けていた。
さらに、そこに黒スピリット二人が闇の槍を放ち、味方のはずの青ごと悠人を刺し貫いた。
「ぐあぁっ!」
「……!」
「ユートさまっ!?」
悠人の周りに張り巡らされた光が霧散する。魔法に対する抵抗力となっていたオーラが消え、
体勢も崩され、完全に無防備になってしまった。何よりも悠人の動きを鈍らせたのは、
いくら敵を倒すためとはいえ味方を巻き添えにするその戦闘方法。俄かには信じがたい
光景に我を忘れ、必死に押さえつけてくる青を、なんとか弾き飛ばそうとするがそれもかなわない。


「あ……」
かちゃり、と『失望』の柄を握り締める。
「……やらなきゃ」
黒の二人は魔法を放った直後で邪魔はされない。
青と、赤も悠人を標的にしている。動けるのは自分だけ。
「わたしが」
徐々に火球が形をなしていく。仮に自分が身を呈したとしても、あれでは防ぎ切れはしまい。
「わたしが、やらなきゃ」
腰を落とし、抜き打ちに最適の構えを訓練どおりにとる。
『失望』から、飛び込む速度、剣を抜く姿勢、狙う箇所、斬るタイミング、攻撃に必要な要素が
情報として流れ込んでくる。ただ一撃、あの瀕死の相手を倒すには、ただ一撃で事足りる。
ならば、できる。たった一撃なら、今の自分でも『失望』の教え通りに剣を振れるだろう。
だが。その後は?一撃を放った後に起こる事は?
「考えちゃ、ダメ。だって」
一撃を放たなかった時に確実に起こる結果を思い描き、首を振る。
それは当たり前のこと。戦いに身をおく自分達には生まれた時から約束された罪。
それを、先延ばしにできて来られた事が奇跡に近い。
いや、そもそも先延ばしにしたいなどと思った事は無かった。
恐れつつも、当然のことと受け入れていたつもりだった。
彼に、会うまでは。
「……いきますっ!」
だけど、それも終わり。他の皆はずっと前から戦っていた。敵とも、自らの神剣とも。
そもそも、自分が訓練を重ねてきたのは何のためか。まさに、この時のためじゃないか。
震える足に活を入れ、ただ彼が言うように、守るために剣をとる。
ウイングハイロゥを展開し、一直線に飛び出していった。


「ヘリオン――!?」
悠人の視界の端に、ウイングハイロゥをはばたかせて疾駆する少女の姿が映った。
その瞳は決意に満ちていたが、その奥に隠れる悲しみも悠人が読み取るには充分だった。

赤スピリットが詠唱を終え神剣を振り上げた瞬間、目の前に黒い影が舞い降りた。
火球が完成した直後の隙に正確無比の斬撃が抜き放たれる。
幾度も、幾度も悠人に打ち込んだ軌道のまま『失望』の切っ先は敵の喉笛に吸い込まれた。
ぱっくりと喉が割れ、裂け目からひゅうひゅうと息が洩れる。やがて、息と血の代わりに傷口から
金色の霧が上がり始め、今までに洩れ出ていた霧と見分けがつかなくなり、
そのスピリットの全てが霧と消えた。最期には、心を思い出したように驚愕に満ちた顔を残して。
自分の行為とその結果をしかと見届けて、ヘリオンは
へたり込みそうになるのを気を張って我慢し、震える腕で剣を鞘に納めた。
その刀身に付いたはずの血もマナの霧へと姿を変えて、何処へとも無く吸い込まれるように消えていた。
火球が消えた事を認めると、悠人を押さえ込んでいた青から不意に力が抜けた。
悠人との攻防と、黒からの魔法で傷ついた体に限界がきたのか。
しかし、ふらりと体勢を崩しながらなおも攻撃を続けようとする。
「ぅおおおっ!」
だが、力の乗らない一撃はあっさりと悠人に弾かれ、空いた胴体を『求め』で薙ぎ払った。
ざあ、と青が霧を撒きながら消滅した。
茫然と、脚を震わせながらかろうじて立っているように見えるヘリオンに駆け寄ろうとした時、
悠人は既に黒二人の姿が無い事に気付いた。人数の不利を悟ったか、
自分達を殺す事に失敗した者達を見捨てたのかは分からないが、
一旦戦闘が終わってくれた事はありがたいと思った。


悠人がヘリオンに近づき、とりあえずは敵の姿が消えた事を告げると、
彼女は糸が切れたようにその場に座り込んだ。顔を青くし、唇を戦慄かせながら
『失望』を胸にかき抱き悠人を見上げている。何かを口にしようとしているのは
悠人にも分かるが、自分からかけられる言葉は無い。
ただ、沈痛な面持ちで悠人もそっと床に跪き、
全身を震わせて声なくこちらを呆、と見続けるヘリオンを胸に抱きとめた。
「え……?」
よくやってくれた。ヘリオンのおかげで助かった。
そんな言葉はかけるべきではない。彼女は、彼女の意志で自らを血に汚した。
その葛藤と戦っている状態において、正当化を助長される事が一時的には良くても
後々に苦しみが増すのだと自分を省みる。
今でも、佳織のためだったと思うたび、言われるたびに仕方が無かったのだと思ってしまう自分が嫌になる。
だからせめて、無言のままでヘリオンを抱く腕に力を込める。自責と恐怖くらいは和らぐように。
「あ、ああ、ぅあ」
震えながらも、嗚咽が洩れる。ゆっくりと、ヘリオンの手が悠人の胸に置かれ、服をつかんだ。
大きな声が出ないように、悠人の胸に顔をうずめ、服を濡らしていく。
ぎゅっと、しばらくの間悠人はヘリオンを抱きしめ続けた。
ふと、夕刻の自分の台詞を思い出す。互いに、支えあっているのかもしれない、と。
ヘリオンを守っているのだと思っていたら、先ほどには助けられ、今はこうしている。
だから、それは本当だと思えて悠人は胸を高鳴らせた。


ひとしきり涙を流した後でも、互いに離れるのは何となく惜しまれて
悠人の腕の中に包まれたまま、
赤い目を腫らして言葉に詰まりながらもヘリオンが話し始める。
「ユート、さま。ごぶじ、でした、か?」
「ああ、大丈夫だ」
悠人が大きく頷くと、ヘリオンは、にこりと安心して微笑んだ。
「良かった、です。ちゃんと、わたしも、戦えて」
「ヘリオンは、その、大丈夫なのか?」
永遠神剣で敵を斬った時こそ、最も精神を喰われやすい瞬間になる。
悠人が知る限り、いや、本人の反応を見てもやはり今回が初めてだろう。
剣の扱いにある程度は慣れた今でも、連続して敵を屠った直後、例えば今も疲労を感じる。
ふっと、ヘリオンはその場で深呼吸をして言葉を落ち着かせる。
「はい、わたしたちが絶対に通らないといけない道、ですから」
瞳には、まだ迷いを残しながらも、真っ直ぐに悠人の目を見て応えた。
その表情に悠人が少し心配そうにしていると、さらに落ち着いて、言葉を重ねる。
「それに、『失望』に言われたからした事じゃないんです。
わたしが敵を斬ったのは、間違いなくわたしだけの意志でした。
だから、大丈夫です。『失望』が少し喜びすぎて驚いただけです」
スピリットを霧に変えた瞬間に震えを起こした『失望』から感じられた意識は、間違いなく歓喜。
だが、それは他者を殺した事による暗いものだけでは無いと、ヘリオンは感じ取った。
その面に対してはヘリオンも恐れを抱いたが、その奥でわずかばかりは
純粋に彼を守る事ができた事を祝福するような、あたたかい物もあるような気がするのだ。だから。
「『失望』の悪い心には、負けません。ユートさまが言ったように『失望』にも
優しい心がありますから大丈夫だと思います。敵を斬って痛むのも、みんなと一緒に戦えて嬉しいのも
全部、わたしだけの心なんですから、剣に渡したりするのなんか絶対に嫌です」
それに、ユートさまを守る事ができて幸せだという事も。とひそかに付け足した。


敵を斬る苦しみさえも自分の物と、そう言いきるヘリオンに悠人は衝撃を感じた。
「ヘリオンは強いんだな。戦いなんだから仕方がないって誤魔化してる俺とは大違いだ」
「そ、そんなこと全然無いですっ。ちょっとは余分に格好良いこと言わないと、
くじけちゃいそうだから言っただけで、実践できるなんて、とても」
「それでもそんな風に考えられるのがすごいと思う。うん、その気持ちを大切に持ってたら
絶対に神剣なんかには負けないでいられるよ、きっと」
悠人に褒められて赤くなったヘリオンを支えたまま、悠人はすっくと立ち上がった。
だが、ヘリオンはまだ自分で立てるほどには回復していないようだ。
そっと、恥ずかしがりながらも悠人に体重を預けて寄りかかっている。
「ヘリオン、やっぱりもうちょっと休んでるか?
ヒミカやエスペリアたちと合流するまでにまた戦闘になるかもしれないからな」
「い、いえ、早く一緒に行動できるようにしたほうが良いです。
すぐ、自分で立てるようになりますから」
と言いながら、ヘリオンは悠人の肩に頭を当てた。
今の気持ちを持っていれば。という悠人の言葉が蘇る。それはきっとその通りだ。
この想いを神剣なんかに奪われて平気なはずが無い。
だから絶対にわたしはわたしの心のままで彼を守ろう。
そう、心の中で宣言すると、『失望』からひとかけらの優しい震えが伝わった。
それに頷くと、ヘリオンはゆっくりと悠人から離れようとして――
「ヘリオン、大丈夫!?」
「こちらは何とかなりましたから、ご心配なく~」
「ユートさま、やっと合流できました。お気をつけ下さい、帝国のスピリットたちです!」
「パパ、早くあいつらやっつけちゃおう!」
二ヵ所の扉から、ヒミカとハリオン、エスペリアとオルファが駆け込んできた。
二人の状態を見て、或いは見られて、ぴしりと、言葉も無く六人全員が固まった。


「あ、いえこれはっ……きゃあっ」
恥ずかしさのあまり、無理に離れようとしたヘリオンがバランスを崩して倒れかける。
形振り構わず、悠人はヘリオンを抱きとめた。
「あーっ、ヘリオンばっかりずっるーい!パパ、オルファもいいでしょ!?」
飛びついてくるオルファだったが、すぐに二人の傷に気がついた。
あわてて、エスペリアとハリオンに治療を頼みに戻る。
そして、治療を受けている間にヒミカやエスペリアたちと状況を確認しあった。
サーギオスのスピリットたちがこの襲撃を起こした事はわかったが、その目的もまだ不明だ。
話しているうちにアセリアがエーテル変換施設に向かう敵を排除して合流したため、ますます不可解になる。
「待て、じゃああの二人は何処に行ったんだ」
エスペリアに聞いてもヒミカに聞いても扉を抜けて来た者はいないという。
あと、ここからいける場所と言えば、
「王族の寝所です!」
オルファを除く全員の顔色が変わる。サーギオスの、殺人が可能であるように教育されているスピリットたち。
他に可能性がなくなった以上、それしか目的は無いと確信に至る。
素早く、陣形を整えて七人は王の寝所へと進んでいく。
走り出したその時、ヘリオンは悠人にそっと話し掛けた。
「ユートさま、わたし、絶対に今の心を持ち続けます。だから、ユートさまも剣に負けないで下さいね」
当然だとばかりに頷く悠人。そのまま、前を向いて皆を率いて駆け出していった。

……だが、その後に待つ過酷な出来事に対して、いまの言葉の意味を深く考えずに受け取ったのは
あまりにも不用意であった。いや、『求め』においては単なる勝ち負けで済まされる程度の
干渉では無いという事に、この時点ではまだ二人とも気付いてはいなかっただけなのかもしれない。
ただ、ファンタズマゴリアという舞台の裏側から、静かに糸を操るものの含み笑いが誰に聞かれる事も無く響いていた。